はてなキーワード: クラスメイトとは
子供の頃から女独特の付き合い方が苦手だった。
人間関係を何となく理解し始める小学3年生の頃、仲良くしていた友達に「●●ちゃんのこと、好き?」と聞かれた時の衝撃は忘れられない。衝撃って言うと大げさだけど、その友達の顔には「私●●ちゃん嫌いなんだよねー。ね?あなたも嫌いでしょ?だって私たち友達だよね?」とありありと書いてあって、当時どちらかといえば幼い性格だったせいもあって私には「怖くてめんどくさい女社会への入り口」を確かにくぐってしまったというショックを感じた。
それから中学校までは基本的によくある女子同士のグループ付き合いを面倒ながらもこなす。小中女子グループは特に同調圧力が強い。その中で流行っているものについていけなければ、グループからは疎外される。なまじ成績が良かったのも原因のひとつだと思う。しかも流行っている物にあまり興味もなかったし、興味を持ったとして親もなかなか買ってくれなかったのであまり女子グループにはなじめず、かといって異性を意識する年頃なので男子と仲良くすることもできなかった。なので疎外されれば、楽しくない上に特にそのメンバーも好きじゃないながらも窓際のグループに身を置いて、クラスの中心的な(私には一番めんどくさく見える)グループの女子からは時々いじられたり、たまにいじめられたり、まれに遊んだりしていた。そもそもそんなべったりした付き合い方しかできないクラスメイトたちを内心軽蔑してたので、仲良くなれるわけもなかったんだけど。
高校に入ればずいぶんと楽になった。校風もあるしそれぞれの行動範囲が広くなったのもあるだろうけど、べったりした関係を好まない同性の友達と、やっと自然に付き合う事ができるようになった。大学に入れば異性の友達もできた。私は狭く深く細く長い友達付き合いが好きなので、友達は多くない。みんなでわいわいはしゃぐのは苦手だし、べたべたしがちな女よりも、男の友達といるほうが楽なくらい。
そうはいってもやっぱり、同性の輪に入っていける性格がうらやましくもあるんだよなあ。
ある日の午前。
少し前に述べたとおり俺が座っている席は窓際であり、そこは春の暖かな日差しに当たりうつらうつらと舟を漕ぎまどろむことができるいわば桃源郷、アルカディアなのであるが、この日の日差しは特に気持ちよくしかもそのときの授業は特に眠気を誘う英語であったもんだから、俺はある意味永久機関と呼んでもいいあの水飲み鳥のごとく首をカクカクさせつつ覚醒と睡眠の間に流れる三途の川を渡す船の上で船頭と渡し賃について押し問答を繰り広げることになってしまった。およそ5分程度すったもんだを続けた末、俺と船頭も何とか渡し賃について合意を得てさあ彼岸に渡らんと意識を手放しかけたとき、それは突然やってきた。
「――――んガっ!?」
いきなり後ろにもンの凄い力で引っ張られたと思ったら後頭部にとてつもない痛みが走った。
「~~~~~ッ、なぁにしやがるっ!?」
おま、打ち所が悪ければ死に至るほど危険な行為だぞ今のは、と憤然とした思いを胸に振り返りそう怒鳴った俺が見たのは、涼宮山ハルヒの――思えば初めて見る――デザートイーグルのマズルフラッシュの瞬間の映像のような笑顔だった。もし笑顔に温度が付随するのだとしたら、重度の火傷を負ってしまっているだろう。
「気が付いたでごわすぅ!!」
……ええい、唾を飛ばすな唾を。何に気が付いたんだ。
「どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのでごわすかなあ!!」
「だから何が!」
「無いんだったら、自分で立ち上げればいいではないでごわすか!!」
「だぁから何を!?」
「――――部活でごわすぅ!」
は。
「……わかった。でもまぁ、取りあえず今は落ち着け」
「ちょっと何でごわすかその冷めた反応は!? もうちょっとおんしもこの発見を喜んでほしいものでごわす!」
「ほれ、今は……」
授業中だから――ってオイ!?
「えー、『One hundred million and two thousand years from now, I has been loving you.』ここの訳し方ですが――」
「せんせー、すいません、そのちょっと前の『Words can't say of th-is time I've been waiting to share my love with you.』の訳がちょっとおかしい気がするんですが」
「え? えーと……ああ! ごめんなさい、正しくは――」
無視かよ!? なんだそれ!? 「涼宮山の相手はオマエに任せるから後はよろしく」って態度の表れかコノヤロウ先生も谷口も国木田も朝倉川もその他諸々のクラスメイトも!?
てかハルヒもほら、俺たち完全にないがしろにされてしまっているんだぞ、ここはさすがに怒るのが正当だと思うんだ俺は。
「――そうでごわすな、授業中でごわした。ちょっとはしゃぎすぎたでごんす。だから授業後に詳しく説明することにしたでごわすから、授業後はそのまま大人しくしているでどすこいよ?」
ええええええスルーか、この状況をスルーか!? もうちょっと反応しろよ、クラス内立ち位置についての危急存亡のとき(俺の)なんだよ!
「部屋…………部屋……うむむ」
ぐう……と、とにかく。
流石に授業中に騒ぐことはダメだと思う心はあるのか、ハルヒは大人しく引き下がり何事かブツブツ呟きながら席についたのだった。
1限後の休み時間だ。涼宮山は早々と教室を出て行ったが、まあ別に不思議ではあるまい。
奴だってきっと多分おそらくあるいは人間であるという可能性が無きにしも非ずだ。用足しもするだろうさ。
ここでひとつ下らない思考をするとすれば、あの体格でいわゆる個室に入ることははたして可能なのだろうかいや間違いなく入れないだろうなあ首尾よくそこに入ることができたとしてもみつしりと御筥様でにつこりと笑うどころか射抜くような眼で「ほう」だよないやむしろ勝ち気な奴のことだ「このお」かもしれないそれはかなりホラーだな誰も助けてくれなさそうで何だか酷く女が可哀想になつてしまつた。嗚呼涼宮山君、この世には不思議な事しかないんだなあ。
「おいキョン! お前どんな魔法を使ったんだ!? いや魔法じゃなくあれか、食い物か? 何を食わせた、学食で一番高いやつをおごったか?ジャンボ日替わり定食か!?」
「……何の話だ」
よくわからないがいきなりやってきてその言い草は失礼だぞ谷口。俺はアレか、有望なアスリートに向かって札束満載の財布を渡すプロレスラーか?
「いやいやいや、何の話も何も涼宮山だよ涼宮山。俺、アイツがあんなに長いこと喋ってるの始めて見るぞ? ……お前一体何をした?」
さて、なんだろう。とりあえず食べ物で釣ったわけではもちろんないし、喋ったといっても適当なことしか訊いていない気がするんだが。
「驚天動地だ……!」
お前な。
「昔っからキョンは、変な女が好きだからねー」
話に入ってきた早々、なんという酷いことを口走りやがるのかこの国木田は。
「……誤解を招くようなことを言うな!」
「オイも聞きたいでごわすなぁ~」
背後からいきなりかけられる野太い声に驚き、後ろを振り返ってみると、白い物体がそこにあった。なんだこりゃ、ぬり壁か?
「オイが話しかけてもなぁんにも答えてくれない涼宮山関が、どうしたら話すようになるのか――」
話を耳に入れつつパン・アップ。声の主は朝倉川だった。先ほどの白い壁は、制服に覆われた見事な腹だったようだ。
「――わからん」
「ふぅむ? ……でも安心したでごわす、涼宮山関、いつまでも部屋(クラス)で孤立したままでは困るでごわすからのぉ。
1人でも友達ができたのはいい事でごわすものなぁ」
「……友達ねぇ」
ちっくしょぉコノヤロウ今朝も可哀想ビームを送ってきたくせに何を言い出しやがりますかこの娘は。黒い! この娘は黒ぅ御座います!
「その調子で、涼宮山関を部屋(クラス)にとけこめるようにしてあげて欲しいでごんす。
せっかく一緒の部屋(クラス)に入ったんでごわすから、皆仲良ぅしたいもんどすこい。宜しくお頼み申す」
と、言われてもなぁ……。
「これから、何か伝えることがあったらおんしから涼宮山関に伝えてもらうことにするでごわすよ」
…………ちょ待っ!?
「待て待て待て! 俺はアイツの親方でもなんでもないぞ!!」
「お・ね・が・い☆」
ええいそんな野太い声で乙女チックに頼むなその体型で手を合わせられると最早七福神的なアレにしか見えんからさ寧ろお前もう黙れ喋るな。
つまり、朝倉川が言いたいのは、
「涼宮山と関わるなんてやっかいだから何かちょくちょく話しかけてる変人クラスメイトのあなたに押し付けちゃっていいかしら? あ、拒否権は認めないから☆」
ということだ。朝倉川の腹黒さに戦慄せざるを得ない。この歳でこれだけのしたたかさ……。臭い飯の厄介にだけはなってほしくないものである。
「ちょいと小耳に挟んだんだがな――言い寄ってくる男を全員投げ飛ばした、ってのは本当の話か?」
この間、1日で2回もそれに類する惨劇を目撃したから、限りなく事実に近いのだが、あえて聞いてみよう。
あれ以来。
ホームルーム前のわずかな時間に、ハルヒと話すのが日課になりつつあった。
今朝もその類なのだが……それより何よりクラスメイトの視線が痛い。
それは喩えるなら「ああ……アイツは通りモノに当たってしまったんだね」といった意味合いの。畜生、放っとけ。
「何でおんしにそんなこと言わなきゃならんでごわすか」
至極もっともだ。
「何を聞いたかは知らんでごんすが――まあいいでごわす。たぶん全部本当のことでごわすからな」
「1人くらい、まともにお前の相手ができるヤツはいなかったのか?」
「全然駄目でごわした」
そう言ってかぶりを振るハルヒ。そしてそれに合わせてぷるんぷるん揺れる頬肉。
実を言うとこの肉の揺れ具合を見るのが面白くて仕方ない。
毎朝わざとかぶりを振らせるような流れに話を持っていっているのは秘密だ。こらそこ変態とか言うな。
「どいつもこいつも、阿呆らしいほどまともで弱いやつでごわした。宇宙人幕内でも未来人幕内でも幕内超能力者でもなかったでごわすし」
そりゃ普通そうだろうよ。
「あと、告白がほとんど電話だったのはなんなんでごわすかアレは!? そういう大事なことはちゃんと面と向かって言えってんでどすこい!
そうすれば即座に勝負ができるのにも関わらず、次の日まで待つとかじれったいことになるんでごわすよ!」
勝負がしたいのか男の勇気の無さに物申したいのかどっちだよ。
そういえば「手紙が一番であります」と言ったのは誰だったか――いやそんなのはどうでもいい、ここは一応同意しておくとしよう。
「まあそうかなぁ、俺だったら何処かに呼び出して言うがな」
「そんなことはどうでもいいんでごわす!!」
なんなんだよ。
「問題は、弱くてつまらない男しかこの世に存在しないのか? どうなの? ってことでごわすな。
――本当は、中学時代はずっと物足りなさが付きまとっていたでどすこい」
「宇宙人、もしくはそれに準じる何かで、かつ幕内力士並みの強さの持ち主でごわすな」
そんな飾りじゃない足が付いている機械みたいなのはいねえよ。
「とにかく、普通の人間でなければ、男だろうが女だろうが――」
「そっちの方が――ワクワクするでごわす!!」
穏やかな心を持ちながら激しい怒りに目覚めてしまう奴丸出しの、無邪気といえば聞こえは良いが、
小気味良い銃声が響く。今日の5限目は体育だ。
「で、だ。俺だったらー……そうだなぁ」
いきなり教師が休んでしまったので、自習だ。
そして谷口の女子評価トークが続く。暇なヤツだ。
「このクラスのイチ押しは――アイツだな」
ん、と谷口が顎で示す先に目を向ける。
地響きがする――と思って戴けたら、こちらとしても甚だ幸いである。
ただし、ここでいう地響きとはやっぱり地殻変動の類のそれではない。
巨体だ。いや、あれを巨体と言うにはいささか難点が以下略。
涼宮山ほどではないが、明らかにそういう体型の女子が走っていた。
見かけによらず――いやよらず云々の話じゃない、常人のスピードだ。
あとからゴールした子が悲愴な表情を浮かべていたのは、俺だけの胸にしまっておこう。合掌。
「――朝倉川涼子。一年の女の中でも、ベスト3には確実に入るね」
「……一年の女子全員をチェックでもしたのか?」
「おうよ! AからDまでランク付けして、そのうちAランクの女はフルネームで覚えたゼ!」
ここに至ってようやく確信がいった。こいつはそうとうのアホだ。
「朝倉川さんがそのAなわけ?」
「甘いな国木田! ……AAランク+(プラス)だな。あれはきっと性格も良いに違いない!」
基準が分からん。
「見た目、涼宮山と変わらんようだが?」
「あーあー、わかっちゃいねえなあ、別モンだよアイツとは。もっとよく見ろ」
仕方がないので見てみる。
……ははあ成程、つまるところあの朝倉川とやらも、涼宮山と同じ矛盾輪郭の持ち主だと言うわけだ。
違うところは、物腰の柔らかそうなところと、人当たりが良さそうなところ、だろうか。確かに、彼女は涼宮山とは違い、
随分クラスメイトと打ち解けているようだ。
さてさて、負傷者を出した怒涛の初日は明け、次の朝のことだ。
何の因果か席が前だったという地の利を活かして、ここはいっちょコンタクトを試みるのもいいかなー、
などと一瞬血迷ってしまった俺を誰が責められよう。原住民との邂逅、もしくはUMAを目の当たりにした、
探検隊員のリアクションを思い出してもらいたい。あんな心境だったんだよまったく。ちっともスペシャルじゃねえよ。
「――なあ、初っ端の自己紹介のアレ、どのあたりまで本気だったんだ?」
「…………」
はっはっは、何やってんだろうなあ俺。めっちゃ作り笑いだしよ。
「初っ端のアレって何でごわす」
いや、宇宙人がどうとか。
いや、違うけどさ……。
「『違うけど』、なんなんでごわすか」
「……ぇーいや、なんもない」
「だったら話しかけないでほしいでごわす。時間の無駄でどすこい」
……『どすこい』?
ふん、と鼻を鳴らすと、ハルヒはそっぽを向いた。おお、頬の肉がふるふると波をうってるぜ。
俺はというと、曖昧な笑みで元に向き直り机に突っ伏した。
クラスメイトは、そんな俺を可哀想なものを見るような目で見ていた。
やめてくれ後生だから。
どこかのパレードでマーチなゲームのごとき可哀想な視線(青色)が、昼休みまで俺を焼き続けたせいもあり、
ハルヒとコンタクトを取ることはできなかった。さっきの時点でする気なんか失せていたがな。
はは、飯でも食うか……。
ん、この声は――よぉ、お前か中学時代からの友人国木田。で、その隣にいる男は……えーと?
「説明くさい台詞どうも。こいつは谷口。なんとあの涼宮山と同中だったって」
たにぐち……ああっ! あの押し潰されたヤツか!? ちょっと待て回復早すぎるだろ、おい! ピンピンしてるじゃねえか!?
「気にするない。ま、よろしくな。ええと……キョン、だっけ?」
「うん、こいつは中学校の頃からずーっと『キョン』ってあだ名なんだよ。あまりに定着しすぎて、もう友達は誰も本名で呼んでくれない」
そう、悲しいことにそれは事実だ。奴の言うとおり中学時代から俺は本名ではなく常時『キョン』というあだ名で呼ばれるようになっていた。
それというのもまず俺の妹が俺の事を『キョンくん』と呼んでいるからで、たまたまウチに遊びに来た友人がそれを聞いて面白がって「キョン」
「キョン」言っていたらそれを聞いた他の奴らも面白がって使うようになり定着してしまったわけだ。どうしてくれる。俺はハムの人じゃねえ。
「僕の責任じゃないよー」
あははー、と屈託なく笑う国木田。この野郎め。
まあ、なんだ。谷口だったか。そんなわけで俺のことはキョンでいい。
「あー……いいのか?」
いいと言うかなんと言うかもう諦めた。
涼宮山ハルヒは、黙ってジーッと座っている限りでは、いち美少女高校生、
その一方で黙ってジーッと座っていなくとも力士高校生であった。
先ほども言ったが、俺の視力と脳は至って正常であるからして、
そう述べるにはそれなりの理由というものがあるのだ。まあ聞け。
どう見ても力士輪郭なのにどう見ても掛け値なしの可愛い顔に見えてしまう、
というのがヤツを見たときの感覚だ。もちろんこれは俺だけが持つモノではなく、
ヤツを目にした人間は全員このキモチワルイ矛盾した感覚を持つ。全くもって不可解なことだ。
後に聞くところによると、あまりに不可解すぎて、この現象は早くも5月の時点で、
喜べハルヒ、不思議人種を欲するお前自身が不思議人種に認定されたぞ。
ちなみに「本来の7つは何だ」とその噂を俺に知らせたクラスメイトに尋ねると、
「あと1つ、『消えた部活動』しか知らん」という答えが返ってきたんだがまあそこはどうでもいい。
まずは体格か。
はっきり言おう。巨体だ。……いや、あれを巨体と言うにはいささか難点がある。
本来の巨体とは、こう、縦と横が揃って高く、伸びている体型のことだと俺は認識している。
ハルヒは、決して高くはない。むしろ縦に関しては低い方だ。ただ、横に太――ああいや、
ふくよかだ。ひたすらふくよかなのだ。丸い、というよりはなんと言うか、むしろ山――いや違う、
……えーと、プリン! そう、アレはむしろプリンの形状に近いものがある。
こういう体格を世間一般的になんと呼ぶのかは、不勉強にして知らぬ――ということにしておいてくれ。
不用意な発言を避けるジェントルメンな俺である。むしろ余計に露骨になった気がするのは錯覚だ。
それはまあ置くとして、次は服装だな。
うちの高校――北高は古式ゆかしく制服を重んじる高校であるため、
女子は指定のセーラー服を着用することになっているので、ハルヒも勿論それを着ているのであるが……、
しかもえらい美人でもあった。
極めつけは何やら化粧回しっぽい物体まで腰に巻いていた。
ちなみに柄は『唯我独尊』の文字だった。
……よーし質問疑問その他病院紹介等は全力で拒否させてもらおう。
俺の脳および両目は身体検査によると至って正常なんだよ信じてくれ頼む。
つーかなぁ、淡々と事実を述べるしか俺にはできないんだよ!(逆ギレ)
「あ……の……」
何もツッコめずにいた俺に一瞥をくれて、ヤツは着席――
「ふん――」どすんばき。
「おおう――」どがしゃん。
お、すっ転げた。
「え、ちょま、わ、わああああああああ!?」べしゃ。
あっちゃあ、後ろの奴下敷きになっちまった。先生、担架です担架。
「――――ふん」
いや「ふん」じゃなくて。何故にお前はヒト1人押し潰しといてそないに冷静ですか?
嗚呼、潰されてしまったクラスメイトよ、俺はお前のことを忘れない。まだ名前知らないけど。
「ひ、東中出し……た、たにg……」
あ、生きてた、そして倒れた。その根性に敬礼だ。ゴッドスピード谷なんとか。
クラス中が困惑の面持ちでざわめき始めたところで、担任から鶴の一声。
「はい、じゃあ、次」
私は中高一貫の女子校に通い、そこはそれなりの進学校(東大医学部現役合格が出ても騒ぎにならない程度)だった。
校則がほとんどなく(自主性に任せられていた)、教師も個性だらけの学校であったため、すこし浮いた学校だったと今ならわかる。
生徒は自主性を重んじられるあまり大変気の強い人間に育ち、教師に対しての反抗心も露骨だった。
そんな私達がみな慕っていた教師がいる。
おおらかで、先生らしくない能天気さを持ち、えらそうでないのに尊敬したくなるほど人柄がよかった。
そういえば在日だったなあ、と思い返すぐらい、そのことについては印象が薄くて(先生は名前を韓国での読み方にしていたし、在日であるがゆえにうけた差別などについて話してくれたこともあったはずなのに、だ)今思うと不思議でたまらない。
これはどういうことだろう?
私はひとつずつ、先生の言動を思い出していくことにした。
ある日、日数が余ったかなにかで(私の学校は勉強に力を入れていないのでそういうことは日常茶飯事)特別授業として人権や差別のことについて話してくれたことがある。(人権問題の講座の担当もしていたので)
先生が自分が在日であることを自分の口で述べたのもそれが初めてだった。
名前読みは韓国での読み方になっていたので、在日であることはうすうす感じていたけれど、私達は特に意識もしてこなかったので、先生の話にちょっとドキリとした。
先生の話は名前のこと、自分の出生のこと、そして大学時代、友人だと思っていた人から差別されたことや(しかしそれを笑い話にして話してくれた)、それを救ってくれた別の友人との出会い、最後には差別がどれほど人を傷つけるか、けれどそれを救ってくれる人はいるのだ、というものだった。
先生は日本と韓国の歴史に対しては何も言わなかった。むしろ、「日本」「韓国」なんて単語を出すこともなかった。
話では常に自分と友人が登場人物であり、国家の話に摩り替えられることはなかった。
先生は個人と個人の間で起きた差別について実感してもらうためにまず私達に自分の体験を話してくれたのだ。
その後、先生は日本にあった「女人禁制」や他国の差別問題などの話をはじめ、きっとそれが本題だったのだろうけれど、
私達は導入部分であったはずの先生が受けた差別についての話にかなりショックを受けていた。
泣く学生も続出していて、でもそれは自分が先生を差別した友人と同じ日本人だからショックだったとかそういうものではなく、
いい人が不条理な扱いを受けた、という事実に涙していた。差別というものの残酷さに泣いた、それだけだった。
別に先生がアメリカ人で、その友人がイギリス人でも同じ反応をしただろう。(アメリカとイギリスにそんな関係があるのかは知らない)
差別の経験を話す際、偶然先生が「在日」だっただけ。そこに重きは置かれていなかった。
その先生の差別の話を聞いたところで、私達の頭に歴史がよぎるわけもなく、
ただ私達が過去に経験した話を今の友達にするのと同様、その人の財産である経験を見て、さらに信頼を築いている、それだけのことだった。
先生のスタンスは常にこんな感じで、国家や立場を、人と人の関係より重視することは決してなかったのだ。
だからこそ私は、先生が在日であるということを、さほど意識してこなかったんだろう。
こういった状態には賛否あるんだろうと思う。問題意識が足りないとか、そういう点で。
私の学校には在日の子もいて、でもそれも同じように気にならなかった。名前が見慣れないってぐらい。
彼女達も自分が在日であることを隠すわけではなかったけど、それで関係がどうなるってことでもないし、国の名前が会話に飛び交うこともなかった。
問題意識が足りない、と言われればそうなのかもしれない。
歴史問題を考えるいい機会だったのかもしれない。
バックボーンをきちんと理解することが礼儀だって思う人もいるのかもしれない。
でも、私達はそんなことを意識する以前に仲良くなっていて、その関係が密接であるために、国家という大きすぎる定義を取り上げる必要性を感じていなかったのも確かだ。
もちろんそれは日本人である私達がのんきに考えてあげなかっただけだ、ということなのかもしれないけれど、
別に在日の生徒がだんまりをしていたわけでもなく、自分や家族が受けた差別の経験などについては、人権問題のイベントなどできちんと意見する人ばかりだった。
そのさいでも、被差別者だからといって私達が態度を変えたこともないし、それが友人関係に影響を与えることはなかった。
それと同様、私達がただ友達で、青春時代をともに過ごす関係である上で、国家や歴史は特に持ち出すべき問題ではないと私達も、彼女達も考えていたんだと思う。
私達の中で、彼女達に日本人として申し訳ないとか思う子もいなかったし、あなたたち韓国人ってなんで歴史捏造するの?と思う子もいなかった。
私達は学生番号XXXXX1とXXXXX2で、仲がよくて、クラスメイト。
それでよかった。
これがいいことだったかはわからない。最後までいい先生、いい友達、で彼らとはいられたし、差別だとか思いつかないほどだった分、歴史問題について意識が薄くなってたかもしれないことは確かだ。
世の中にそんなに在日を嫌う人や、在日の中で日本を嫌う人がいるんだって考えもしなかった。
はっきり区別するものだということ自体に驚いた。
世の中の状況をネットなどで知って、私も国家についてすごく考えるようになる。
その反応する人に反応する人もいるし、
あの学校生活と反対に、国家というものが人間関係ですごく重視されているのがネット(特に不特定多数が出入りする)だと思った。
学校では校舎という狭い世界に閉じ込められていて、クラスや学年で個人個人がちゃんと識別できていたし、「あいつ1組だし」とか「あいつ三年だし」とかでちょっと冗談で偏見持ったこともあったかもしれないけれど、国家なんて大きすぎるものさしで人を考えることはなかったのに、不思議だと思った。
広すぎて、人が一人一人区別できなくなってくるし、クラスや学年でちゃんと整理されているわけでもない。むしろわざと匿名や不特定多数の出入りでわからなくなっているところもある。
そんな中で、ちゃんとはっきりとわかる「個」というものは、ネットを構築している言語だろう。
日本語のサイト、フランス語のサイト、フィンランド語のサイト、英語のサイト…。
日本語のサイトを見たとき、その人がどこにいてどんな人なのか、なんてわからないことも多いけれど、
日本語があるのだから、きっと「日本人」なんだろうと思うことができる。(例外ももちろんあるけど)
そこにいるのが誰かまったくわからない世界に飛び込めば孤独感で人が不安になるし、なんとか判別できる個性を見つけようとするだろう。
けれどネットは混沌としすぎていて、ちゃんと分けるとき重視してしまうのが「言語」、そして「国」ぐらいしかないのではないだろうか。
日本の土地に住み、日本の学校や職場に通っている間、頼るはずもない「自分も相手も日本人」という意識が、
こうした広大な世界に入るととても重視されていき、
結果的に「自分は日本人」という自覚が、どんどん大きくなっていく。
国家はこうしてネットの中で重要視されていくんじゃないだろうか。
私も今は「自分は日本人である」という意識、そして「○○人は好き・嫌い」だとか考える気持ちが芽生えている。
でもそれはあくまで、不特定多数が出入りし、そして個があいまいになった集団の世界にいるときだけだ。(あと、政治問題もこちらかな、と思う。人一人ではなく、国と国の問題だから。)
個人で向き合ったときそれは払拭すべきで、学校生活のおかげか私はそれが自然とできるようになっている。
人一人と向き合ったとき国家関係や歴史というものの影響がすっかり消えてなくなるというのはすごく不思議な現象で、当たり前のことのはずなのに、すごく平和に近いんじゃね?とか思えてしまったりするのは、私はまだまだ平和ボケしているからなんだろうか。
違うと良いな。
from はてな匿名ダイアリー
ここに書こうか自分のダイアリーに書こうか迷ったんだけど、ここに告白することにします。
ゴールデンウィーク明けの昼休み、友達Aに、昨日のはてブの人気エントリーにあったやつなんだけどさぁ、といつものようにはてブのことで盛り上がろうと思って話しかけたら、急に友達Aの顔色が険しくなった。ん、どうしたの?って聞いたら、
うん、知ってる。急に電話がかかってきて驚いた。けどそれが何か?
A「あれって、何が原因だったか知ってる?」
え、自殺だったんでしょ。遺書はなかったけど、自殺以外考えられないって…。
A「うん、自殺は自殺であってるんだけど、実はそれには理由があってね…。Bがはてなでブログやってたの知ってる?」
知ってるよ。前にブログは楽しいって言ってたし。そのあとブックマークも楽しいって嬉しそうに言ってたね。俺もそれ聞いてはてなユーザーになったくらいだし。
A「そう、先月も俺に、はてな楽しいわー、特に、はてブ最高!この前書いたエントリが70ブックマークも付いて人気エントリー入りしたんだよ!すごくない!?って言ってた」
A 「問題はそのあとなんだけど…。そのあとBのブログ見てたら、ブックマーク付くのが本当に嬉しかったみたいで、はてブこんなに付きました!ブコメありがとう!とかなんとかで、一個一個レス返してたりしてた。そのあとBに会ったら嬉しそうに、次は100ブックマーク越え目指すんだ!って言ってた」
おぉ、すごいな。でもなんで突然自殺なんか…。
A 「Bが急に暗くなったのはそのあと。Bの目標通り、けっこうなブックマークは付いてたんだけど、その…コメントがひどくてね…。中傷っていうの?Bを責めるようなコメントが多くて気になってた。Bもそのあとまた日記でコメントレスしたりもしてたんだけど、中傷はおさまらなくて…。学校で見かけても、顔色が暗くて心配してたら、やっぱり学校も休みはじめて…。そしたら、連休中に、あの出来事じゃん?」
A 「いや、絶対関係ある!Aは遺書も残してないし、自殺をしなくちゃならないようなことは学校には何ひとつなかった。クラスメイトともうまくいってた。隣のクラスの俺たちとだって話ができるくらい明るいやつだったんだよ?だけど…俺、ひとつだけ秘密を知っちゃったんだよね…」
なになに?秘密って?
A「何も原因が見つからないって言われてるBだけど、ひとつだけ、ひとつだけ証拠が残ってた。それは、はてな。Bが亡くなったって聞いてからすぐにBの日記をチェックしてみたけど、日記は削除されてた。もちろんブックマークも。これって絶対はてなと関係あるでしょ?」
え、でも、それだけではてなって決めつけるのは…
A 「うん、そう思って今まで誰にも言ってなかったんだけど、でも学校が始まって、Bの笑顔がもう見られないんだなぁと思うと悲しくて…。Bは一体どんな気持ちで死んでいったんだろう。どんな気持ちではてブのコメント見てたんだろう…って。自殺する前に、最後に、あれだけ好きだったはてなの日記もブックマークも削除して…。自殺する前に、俺が、俺が一言声をかけてあげられてればって…」
泣くな、泣くなって。まだはてなが原因だって決まったわけでもないし、別にAが悪いわけでもない。俺も調査に協力するから、元気だせって。
とはAに言ったものの、何か協力できるわけでもなく、そうこうしてるうちにAまで学校を休み始めてしまいました。できることなら、俺も学校を休みたいです。
ここに書こうか自分のダイアリーに書こうか迷ったんだけど、ここに告白することにします。
ゴールデンウィーク明けの昼休み、友達Aに、昨日のはてブの人気エントリーにあったやつなんだけどさぁ、といつものようにはてブのことで盛り上がろうと思って話しかけたら、急に友達Aの顔色が険しくなった。ん、どうしたの?って聞いたら、
うん、知ってる。急に電話がかかってきて驚いた。けどそれが何か?
A「あれって、何が原因だったか知ってる?」
え、自慰だったんでしょ。遺書はなかったけど、自慰以外考えられないって…。
A「うん、自慰は自慰であってるんだけど、実はそれには理由があってね…。Bがはてなでブログやってたの知ってる?」
知ってるよ。前にブログは楽しいって言ってたし。そのあとブックマークも楽しいって嬉しそうに言ってたね。俺もそれ聞いてはてなユーザーになったくらいだし。
A「そう、先月も俺に、はてな楽しいわー、特に、はてブ最高!この前書いたエントリが70ブックマークも付いて人気エントリー入りしたんだよ!すごくない!?って言ってた」
A「問題はそのあとなんだけど…。そのあとBのブログ見てたら、ブックマーク付くのが本当に嬉しかったみたいで、はてブこんなに付きました!ブコメありがとう!とかなんとかで、一個一個レス返してたりしてた。そのあとBに会ったら嬉しそうに、次は100ブックマーク越え目指すんだ!って言ってた」
おぉ、すごいな。でもなんで突然自慰なんか…。
A「Bが急に暗くなったのはそのあと。Bの目標通り、けっこうなブックマークは付いてたんだけど、その…コメントがひどくてね…。中傷っていうの?Bを責めるようなコメントが多くて気になってた。Bもそのあとまた日記でコメントレスしたりもしてたんだけど、中傷はおさまらなくて…。学校で見かけても、顔色が暗くて心配してたら、やっぱり学校も休みはじめて…。そしたら、連休中に、あの出来事じゃん?」
A「いや、絶対関係ある!Aは遺書も残してないし、自慰をしなくちゃならないようなことは学校には何ひとつなかった。クラスメイトともうまくいってた。隣のクラスの俺たちとだって話ができるくらい明るいやつだったんだよ?だけど…俺、ひとつだけ秘密を知っちゃったんだよね…」
なになに?秘密って?
A「何も原因が見つからないって言われてるBだけど、ひとつだけ、ひとつだけ証拠が残ってた。それは、はてな。Bが亡くなったって聞いてからすぐにBの日記をチェックしてみたけど、日記は削除されてた。もちろんブックマークも。これって絶対はてなと関係あるでしょ?」
え、でも、それだけではてなって決めつけるのは…
A「うん、そう思って今まで誰にも言ってなかったんだけど、でも学校が始まって、Bの笑顔がもう見られないんだなぁと思うと悲しくて…。Bは一体どんな気持ちで死んでいったんだろう。どんな気持ちではてブのコメント見てたんだろう…って。自慰する前に、最後に、あれだけ好きだったはてなの日記もブックマークも削除して…。自慰する前に、俺が、俺が一言声をかけてあげられてればって…」
泣くな、泣くなって。まだはてなが原因だって決まったわけでもないし、別にAが悪いわけでもない。俺も調査に協力するから、元気だせって。
とはAに言ったものの、何か協力できるわけでもなく、そうこうしてるうちにAまで学校を休み始めてしまいました。できることなら、俺も学校を休みたいです。
30代になってから、職場のお局的女性からアプローチを受けたりするようになった。何度か友人に誘われた飲み会がプチクラス会になっていて、元クラスメイトの女性からも同様の誘いを受けたりもした。両方とも相手の質問に生々しい成分が多く含有されていたから、いわゆる婚活というものであろうと判断している。
僕は20代後半まで、まるっきり女性には相手にされていなかった。どんなに頑張ってみてもまるで成果はなく、女性に対する想いは報われることが無かった。避けられるどころか積極的に攻撃されてしまった時期すらある。僕にとって女性と付き合うということは夜空に輝く星に手を伸ばすような行為に等しく、見果てぬ夢でしかなかった。
風向きが変わった理由は、同世代の女性が結婚を強く意識するような年齢にさしかかったことと、僕が世間的に見ればそこそこ評価される職場に勤めていて、さほど人格的に問題があるように見えないこと、多分ただその2つだけだと思う。
結局、若い頃僕を無視した女性も、今僕を求めてくれている女性も、言っていることは同じなのだ。「お前は恋愛の相手としては対象外だ」と。どうあがいても恋人にはなれず、夫にしかなれないってのは悲しい。人間的魅力、男性的魅力は一切評価されず、ただただ経済力や一般的な良識などその“利用価値”のみ求められているとしか思えない。
寂しいよ。僕はそんなに恋愛をする相手としてふさわしくないのか…
http://anond.hatelabo.jp/20090505102502
皆さん、そんなに自分を殺してまで、価値観の合わない人と接してらっしゃるんですかね?
同期なんてこの後配属が決まれば近況報告位程度しか仕事では関わらないのでは?
少なからず友人が居れば良いと思うのですが・・・と、言うのはまだ青い?
価値観が同じ人と付き合える場面は、友人と会う場面だけです。友人は好みで選べるけれど、ほかの関係はたまたま偶然「クラスメイト」や「同じ職場の仲間」になるだけですから。
自分を殺す必要はないです。その同期の女性とのやりとりだって、「何か言うことないの?」だから相手だって困っただけで「おい、ちゃんと対面でもお礼言ってよ。礼儀でしょ」とストレートに突っ込まれれば、経緯がどうだろうと相手は「ありがとう」と言わざるを得なかったでしょう。私はむしろ、ほのめかすような言い方しか出来ないところを読んで、元増田は「自分を殺している」と感じました。自分を殺さないで、思ったことをストレートに言ったほうがトラブルは少ないし、もし、トラブルになっても「自分が言いたいことを言ったのだから、しょうがない」とあきらめもつきます。
同じ会社に定年まで居る予定でしたら、この後もいろいろと関わってしまうことを前提としたほうがいいと思いますよ。
で、それとは別に、近況報告程度にしか関わらない相手に、こんなに熱くなって「礼儀がどうの」と語る必要はないんじゃないですか? 向こうさんだっていい大人なわけですから、それまで培ってきた礼儀や常識があるのです。元増田が(なんだ、こんな人か)と思ったら、むしろ距離を取って(距離を取るというのは、相手から心理的に離れるということで、相手が何をしようと気にしないということです)、お金を返させたら、もう、挨拶程度しかしないといった対処法が、今後揉めないやり方だと思うんですが。「けしからん」と言いながら近寄っていくってのは、どこか変だと思いますよ。嫌な相手には近寄らなければいいわけだし、相手がどういう態度だろうと相手には相手の処世術があるのだから、ほっとけばいいと思います。
心通じ合う相手は、数人の友人がいれば充分です。というか、友人でもないのに、いちいち「私の価値観はこうです」なんて説明すること自体が、私はめんどくさいと感じます。
社会には、本当にいろいろな人がいるな、と思います。
いちいち、自分と違うといって気にしていては、ノイローゼになりますよ。自分と価値観が違う人間がいるから、世の中のバランスが取れて、うまく回っているんだ、くらいの気持ちでいいんじゃないですか?
私は礼儀はちゃんとしたいほうですが、意外と知らないマナーも多いので、間違えているときは「間違っている」と言ってくれる人がいると有り難いです。また、逆に「どうでもいいじゃない、そんなこと」と言ってくれる人も気持ちが救われるので有り難いです。
私はコンピュータやプログラミング、電子工作、アルゴリズムその他そういったものが好きだった。
でも、きっと今年から嫌いになってしまうのだろう。私は情報系の企業に就職したから。
プロを目指すということは、競争に晒されることを意味する。生き残るには他者に競り勝ち、蹴落としていかねばならない。
私は今まで幾多の趣味を失ってきた。失う経緯はいつも同じ。いつのころからか他者を意識して、勝って喜び、負けて悲しむ。そうするうちに勝つ喜び、負ける悲しみが趣味の喜びを覆ってしまう。そして、自身が挑戦する気さえ失せる偉人を発見したとき、大きな敗北感に絶望して、その趣味を放棄してしまう。私はいつしか、趣味では深く深く、他者と競り合わないで良い世界を、正攻法よりも奇抜な方法を、整然とした秩序よりは意図的な混沌を求めるようになっていった。そうして競争のない、誰も訪れようとしない世界に引き籠もっていれば、趣味を楽しんでいられることを知ってしまった。
要するに私は傲慢な人間なのだ。傲慢だから、自分が本気でいる世界では、誰に負けることも許せない。目前の競争者や背後に迫る競争者を差し置いて、遙か彼方のトップランナーと自分とを比べてしまう。そんな相手と比べて劣ってしまうのは当然なのに。少しずつ近くの競争者に勝っていくことを考えるべきなのに。私は競争というものが苦手なのだ。
興味をもっていない物事に関しては、私はそんなに熱くなれない。いわゆる勉強なんてのはその最たるもので、あれらに対する努力は、私にとっては親は先生に説教される面倒を回避するためのもの、楽しい時間の妨害を軽減するための手段でしかなかった。テストで良い点取って、適度に良い進学(適度で良いのだ。高すぎると、入った後が大変だから)をしていれば、五月蠅く言われることもなく好き勝手遊ぶことが出来る。だから、常に自分より上が居ることに別段何とも思わなかった。
私の下には殆ど常に、非常な勉強家のクラスメイトが居たが、彼が私を毛嫌いし、そのくせ事あるごとに突っかかってきて、自滅する心情は当時全く理解出来なかった。今では、彼の気持ちが少しだけわかる気がする。たぶん彼は競争意識に苛まれていたんだろうと思う。彼も私と同じ、競争が苦手な人間だったのだ。彼の上に居る幾多の人々のうち、最も彼に近い場所にいる人間の一人として、彼にのしかかる重圧を代表してしまったのだと思う。しかも、彼がそれだけ必至になっていることに、当の私がさしたる関心を抱いていないのは、彼にはどう映ったことか。結局彼は学歴競争そのものをリタイヤして、今どこで何をしているのかもわからない。
今、その脅威が私にも訪れてしまった。今までは趣味の世界、やめたところでそれまでだが、今回は仕事が絡んでいる。世間がこんな状態の上、私には特に強いコネも無い、他に行くべきつても無いのだから、安易にやめるわけにもいかない(未だ貯蓄も無いし)。他にいける業界も浮かばなかったとはいえ、まずい選択をしてしまった。
だから私は、この趣味を捨てなければならない。単なる手段と割り切ってしまわねばならない。割り切れなかったとき、今度は私がリタイアする番なのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090501205227
今イタリアにいる僕は参加できないし、おそらく日本にいたとしても参加していないだろう。
今の地位を築くために失ってきたもの、それが僕の少年時代だった。
両親が音楽家だったせいもあり、当然のようにクラシックかかる家で、幼稚園に入る頃にはピアノを習わされた。
幼稚園の頃は、音が出るだけで楽しかった。
うまく弾ければ先生がほめてくれたし、発表会でステージにあがるのは、「大人」になった気分で、
ものすごく緊張したけど、そこで弾くピアノは最高に気持ちが良かった。
真っ暗なステージ。
いつもよりもいいピアノで、当時の僕でも分かるくらい音が違った。
ただ、小学校に入ってからはそうもいかなかった。
友達が遊んでいる中、僕はひたすらピアノの練習をしていた。
ファミコンなんてしたことがない。
ドラゴンクエスト、というのが流行っているというのは知っていた。
親に今度の発表会で金賞を取ったらドラクエ3を買ってとおねだりしたら、思いっきりぶたれたのを覚えている。
頭の中が真っ白になった。
でも、ピアノを弾いて見返すしかないと、ひたすら練習に励んだ。
クラスメイトの話題について行けず、ピアノをやっていると言ったら、「男なのにピアノやってるの?」と思い切り笑われた。
それ以来、僕は人にピアノのことを話すのはやめた。
たぶん、僕はピアノを最も愛しながら、ピアノを最も憎んでいた。
出し物の都合でピアノを弾ける人が必要になった。
「誰かピアノを弾いてくれませんか?」
文化祭実行委員が立候補をを募る中、僕は手を挙げようか挙げまいか迷っていた。
当然のように、僕はピアノをやっていることを誰にも話していなかった。
マンガ、ドラマ、ゲーム、みんなの会話に何一つついて行けず、かといって勉強や運動が出来るわけでもなく、
いてもいなくてもわからないような存在。
ピアノがなければ、僕は何も出来ない男だった。
ピアノさえなければ。
ずっとそう恨んできたが、その時、初めてピアノが役に立つと思った。
最後の文化祭。
言い方は悪いが、普段の練習からすれば、たいした曲ではないだろう。
それでも僕がみんなの役に立てる唯一の機会。
ピアノが僕をクラスメイトから遠ざけてきたけど、今、初めてピアノが僕とクラスメイトを結びつけようとしている。
手を挙げかけた瞬間、小さな声がした。
もう名前も覚えていない、僕と同じように地味な女子だった。
意外な立候補に周囲がざわめいた。
「○○ってピアノやってたっけ?」
「あいつにできるの?」
それでも彼女は、震える手を下げようとしなかった。
僕の居場所は、なかった。
文化祭は大成功だった。
受験も控えた文化祭で、はじめはあまり乗る気ではなかった人も多かったが、ピアノをろくに弾いたことのない彼女のために、クラスが初めて一丸となった。
元々器用ではない彼女が、いきなりピアノを初めて、うまく弾けるわけがない。
練習中に彼女があまりに弾けなくて「ごめんなさい」と泣き出したこともある。
それでも演奏が出来るパートのみにうまく再編成して、文化祭を成功させた。
その後、僕はとあるコンクールをきっかけに、欧州の楽団からスカウトを受け、
当然、僕を見送ってくれる人はいなかった。
パソコンを閉じた後、
密かに練習していたものの、
結局一度もみんなの前で弾くことのなかった高校の校歌を、
一人、奏でた。
:::追記:::
当然だが、創作だからね。
題名もつけてみた。
元増田(とそのクラスメイト)があんまりにも一方的な怒りを感じていたので、勝手に妄想して書いた。
だから、元増田の怒りを踏みにじるつもりはあるw
ピアニスト君は、本当はみんなと一緒にやりたかったかもしれないよ?ってのを、
ラストの練習はしたけど、一度もひかなかった校歌のくだりに託してみたw
彼への肯定的な想像力があってもいいんじゃないかと思う。
したことにせよ、しなかったことにせよ、相手の決断を尊重できる人でありたいもんだね。
私も便乗しちゃおう。
なんかちょっと違う気もするけど。
こういうのって理解してくれる人っているのかな。
高校~大学1,2年当時、私のまわりの女の子って恋バナが大抵会話のネタだったんですね。
なので、私も恋バナなり、恋愛相談なりして、信頼できる女友達作りをしようと思っていました。
でも、正直全然けーけんない私は話せないから、話さない→信頼してる友達じゃないって思われる。みたいな感じでした(きっと今も)
ある時クラスメイトから告白されたんだけど、
結局彼に対して興味が持てなくて振ってしまいました。
月並みな言葉になってしまうけど。彼を傷つけてしまったことに私も傷つきました。
(好みでもない一言も会話したことない人から突然告白されても。。)
でもこれは話のネタになるかしら?と正直思いました。
ところがどうやらその告白のセッティング。私の女友達らもいっしょになってやっていて、
彼はその子らに泣きついて告白するにいたったらしいということが判明しました。(うすうすそんな気もしてましたが)
話せねーじゃん。その男子が事細かに私の発した言葉を彼女らに伝え、状況自体は彼・彼女らが仕組んだもの。
それ以外に一体何を話せと?閉口してしまった私に、「○○(私)は私たちを信頼しているように思えない。」なんて言われても…。
ご丁寧に私がその男の子を振った夜にはその子の残念会まで開かれたというじゃないですか。
私がその女友達らと飲もうと共同で買っていた酒やおつまみを開けて。(未成年ですがここは目をつぶってください)
19にもなってこんな幼稚なことをする人たちだとは思ってませんでした。
高校からの持ち上がりの短大のようなものだったので精神的に成長できない人たちだったのかもしれませんね。
体から力が抜けて、なぜか抜けがらのようになり、
なぜか突然涙がぼろぼろ出てくるようになりました(きっと私のプライドが高すぎるんですねw)。
私はそれから大学に行き、あれから5年が経ちました。未だに彼氏はできません。
女友達の1人は最近浮気しても許してくれた相手と結婚して、1人は2年に1人のローテで彼氏が変わっているそうです。
相手は尊敬できる人でお互いに成長できるそうです(あー幸せそうだなー)。
それぞれ半年に1度くらい会う仲です。そんな友達がいるだけで十分だと思います。
恋バナ、彼女らにはできないので、未だに信頼されて無いと思っているんだろうなーと思うと悲しくなります。
でも最近は「いいじゃないか。こういう関係だって。もう信頼とか私のことなんて彼女らは何も思ってないよ」と自分に言い聞かせるようになりました。
信頼してないわけじゃないんだ。私だって恋バナしたりそういう信頼関係の持てる友達が欲しかったよ。
大学では趣味とかポリシーが共有できるとかで信頼関係は築けるんだ。
ちなみに研究室(理系)ではやっぱりプライベートの会話は恋バナだから、
話さない(話せない)私は一歩距離を置いてるように思われてます。(話しかけづらいって言われたw)
あー私暗いよな。酒飲むと更に暗くなるので、
いいと思った人とさしで飲むところまではいくんですけど、次回誘ったらやんわりと断られるんですよね。。
誘っても断られる旨だけを大学の友達に相談したけど、私は職場での出会いの方がいいんじゃないかと言われました。
いや、俺と一緒にいる時だけそんなんならいいんだけど、クラスメイト聞いたらほぼ全員そういう体験したそうだ。
いや、内面の話も避けては通れないんだよ、在日の差別問題って。
オレはかなり多くの在日が住んでる地域に住んでいるので、クラスメイトにも在日が何人かいた。
そいつら、別に差別なんてされてなかったが、例えば道端で歩いて一緒に話してる時に、すれ違いの人達が何かしゃべって笑ったりすると
「今、あいつらが笑った!きっとオレが在日だって差別してるんだ!」
とかすごい事を言い出す。
どう?これって周囲に答えを求める事?在日の内面にこそ差別があるんじゃないの?
これは在日の少数派の特別な例というワケではないと思う。何人もそういう人にあったから。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼します。コメントやトラバくださった方、ありがとうございました。
「昭和な街角」読みました!
火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオは七面鳥~。
この人が、「かまってちゃん」とか言われたりはてブで「薄馬鹿」とゼッケンをはって過ごせ、などといわゆる「普通の人」に罵倒されてしまう理由。
それは、もともと「普通の人」も、好きで空気を読んでいるわけではないからです。
何故読んでいるか。というより、何故読まざるを得なくなるか。といえば、それは「社会生活を成り立たせるため」なのです。
別に、面白くて空気を読んでるわけではないのです。「そうしないと成り立たない」から読んでいるのです。それを子供のときから続けた結果、嫌悪感も感じず自然に染み付くようになっているだけです。
それが前提としてあります。なので、「俺はこういう障害があるから、空気なんて読めません。だから、読みません。悪い?」と開き直ってる人を見ると、「ズルい」と感じるのです。「俺達だって別に読みたくて読んでるわけじゃないのに、社会生活を成り立たせるためにしかたなくちょっとずつ我慢してるのに、障害があるからって何でお前だけそれが免除されちゃうの?障害者だからって読まなくてもいいの?で、その分俺たちがまたフォローするんでしょ?空気読めない発言しても、それを注意したら差別になっちゃうんでしょ?できない人に「おい、それするなよ」なんて言っちゃいけないんだから。で、俺達はそういう人の発言を注意することもできずただ黙って我慢しろってことでしょ?一方発達障害の人は「障害があるからしかたないじゃん」ってことで何を言っても許されるんでしょ?……なんだよそれ、やってらんねえよ、あーあ、発達障害とやらがある人はいいですねぇ、読まなくても「障害があるからしかたないだろ」で済むんだから。だったら俺だって発達障害になりてーわw俺、名乗ってもいい?w」となるのです。
今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
と言っていますが、重要なのはですね、別に「普通の人」でも、「迎合してヘラヘラ笑ったり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けて」いるのは、ものすごく嫌なのだということです。でもそうしないと生きていけなかったりするので仕方なくしているのです。そこで「そうしたら不整脈になるんだからしかたないだろ」と開き直るとどうなるか。「普通の人」たちはこう思います。「じゃあ何か。俺達は、なまじ「嫌だけど、我慢できてしまう」から、ダメなのか?不整脈の一つでもでりゃ、俺達も我慢しなくていいのか?」と。「なまじ我慢できてしまうが故に、そこにつけいられ我慢を強いられているのか」と感じるわけです。嫌なことを我慢した上、しかもその「我慢ができるゆえにさらに我慢をしなければならない」という理不尽さに、そして「不整脈が出るから」ということでその我慢から逃げおおせている事に怒りを感じるのです。
「発達障害の人は生まれつき、迎合してヘラヘラ笑ったり、理不尽な目にあったりすると死んじゃいそうになるから、そういうことができないんですよ。しかたないのですよ。だから分かってあげましょうね」
なんて、だから、「普通の人」には絶対に届きません。
「え?そんなの俺だってやだよ?なんで、そいつだけ、「いやだ!」っていうことが許されるの?なんで、そいつだけ、そんな我侭が許されるの?俺だってやだよ?じゃあ、俺も嫌だから、皆、そういう風に気を使ってよ!ダメ?なんで?障害者じゃないから??なんだそれ、ズルいよ」
と感じるからです。そしてそれは無理のないことだと思います。発達障害の人からみれば、あまりに「普通の人」が普通に空気を読んでいるので、「好きでやってるのか」「楽勝なんだ」とか思ったりするかもしれませんがそういうわけじゃないのです。「普通の人」だって別に完璧に空気なんか読めません。だからこそ人と人のトラブルはいつだって発生するし、「普通の人」だって人間関係で悩んでいる人はたくさんいます。
別に発達障害の人じゃなくても、人間、『自分の思ったことをそのまま言う、迎合しない、納得のいかないことには納得いきませんという』……それが一番に決まっているのです。でもそんなことは通常幼児期しか許されない。そんな事を互いにしていたら、社会が成り立たないからです。ドラゴン桜に(マンガですみませんが)「本音で語り合える学校がどうのこうの」という話題になった際、「本音ってそんなにいいか?」「本音ばかりは必ずしもいいことじゃない」と主人公が言い放ったシーンがありましたが、まさにそういうことなのだと思います。
「普通の人」も最初は自分の思った事をズバッと言ってしまったり空気を読まなかったりしています。が、成長するにつれ、「どうも、おかあさんがムスっとした顔をしているときに、おもちゃを買ってというと、怒られるようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。「どうも、髪型に拘っているクラスメイトに、その髪型変だよといったらクラスメイトは悲しんだり怒ったりするようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。
それだけの話です。だからそもそも許されるならば、気をつかわなくていいのならば、いくらでも好き放題「その髪お前変じゃね」「おもちゃかってよーー!!!」と言いたいのです。ただそれを自分で律しているだけです。ときに自分のため、ときに他者のため、ときに社会のために。
だから、「普通の人」からそういう発達障害者の主張を聞くと、「なにそれ、わがままだ」「ズルい」と感じるのです。「できないからってしなくていいなんて。だったら自分もしたくない」「それじゃ幼児じゃん。大人になっても幼児のままで過ごしておいて認めろっていわれても」と。
しかし発達障害者からすると、そもそも上記のような「自然に学んでいく」が全くできないので、皆がただ単に何かよくわからないものを押し付けてくる、としか感じられない。過程が、分からないんですね。「別にすきじゃないけど必要だから皆がちょっとずつしかたなく身に付けてきた」という背景が。あるいは言葉では知っていても実感として知らないわけです。だから、「理不尽だ」と感じて怒りを抱いたり、「なぜ?なぜ??わからない」と苦しんだりするわけです。
普通の人と発達障害者の「ズレ」は、そこにあるのだと思います。発達障害者の人たちは「そんな空気読むとかそういうことを押し付けてくるな!そっちでやってろ」と思いますが、別に、普通の人も好きでやっているのではないのです。そこがズレだと思います。仕方なくやっているのです。押し付けるのはなぜかといえば、「みんながちょっとずつ我慢して、社会を穏便にするように努力してるんだから、お前もやれよ」という感覚によるものです。だから、そこから逃げようとすると、怒るのです。まるでそこからは、「税金は払わないけど、皆から集めた税金の恩恵は受ける」ような感じ、フリーライダーのような感じを受けるのです。
そんな怒りが、「かまってちゃん」と言われたり「薄馬鹿というゼッケンをはってれば?」という反応になって表れるのです。
「脳に、もう、そういう障害があって、そういう能力が無いんだから、どうしようもないんだよ」という切り口で言っておられますが、そういう切り口の攻め方はいささか受け入れられにくいと思います。寧ろ、そういった方向性で攻めますと、おそらくそのうち「それならそんな脳に欠陥のある奴は、普通に社会生活を営めないんだから、外に出てくるなよ。迷惑をかけるな」なんて反応が出てくると思います。
「目が見えない人」「耳が聞こえない人」と同じだ、とおっしゃっていますが、それもなかなか通じないと思います。実際「平均的な人間に比べ、ある能力が著しく低下、あるいは無い」という見方においては、目が見えない人と発達障害の人は同じと言えます。が、「脳とそれ以外の器官」という見方で見ますと、「目が見えない人」と「指がない人」と「耳が聞こえない人」は同じであっても、「発達障害の人」は違う、ということになります。同じか否かというのは、何でもそうですが、見方によるわけです。ある一面では同じでも、ある一面では違う。何でもそうです。
で、「普通の人」は、後者の見方をします。なぜならば(現代の)人間にとって、「脳」という臓器は他の臓器とは一味違った、特殊な部位であるから(と、思っているから)です。現代の人間にとっては、「脳」は、ほぼ、自分です。他の臓器は、いうなれば単なる道具に過ぎない。極端ですが、そういったイメージを持っている方が多数だと思われます。誰しも、自分の盲腸が考え事をしているなどとは思いませんし、自分の太腿にアイデンティティが宿っている、とは思いません。自己はほぼ脳であり、手、足、目、耳、それらの部位は、脳=自己(人格)のための、道具である、と、そういったイメージが漠然と身についているのが現代人だと思います。
ですから、「脳に障害がある」のと「目に障害がある」では、同じようで、全く違うのです。
道具にちょっとくらい欠陥があっても、欠陥というのがアレでしたら、ちょっとくらい違いがあっても、周囲の人は「ああ、道具が壊れてしまったのだな」と手助けをすることが割りと容易ですし、社会生活も、意思疎通の面ではあまり問題はありません。人格には何も問題はないからです。それを伝える、口という道具が若干働かなくても代替のものがある。それを受け取る耳という道具が若干働かなくても別の道具でそれを補える。伝える内容そのもの、交わす内容そのものには問題はないのですから、あとは純粋に道具の問題だと、なるわけです。ですから、まだ受け入れやすいのです(それでもまだまだですけどね)。
しかし脳に障害がある、というのは、ちょっと違います。道具には問題がなくとも、その中心である自己、人格に問題があるのですから。根本的にそこが他と違う、というと、道具でも補いきれません。(そもそも、「補う必要はあるのか。補うという考え方はどうなんだ」という問題もありますが)
いうなれば、「右手がサイボーグの人間」と、「一見普通の人間だが、実は中身は宇宙人」と、どっちとまともにコンタクトを取れる自信があるか、という話です。無論、前者なのです。極端に言えば、脳に問題がある、というのは「普通の人」にとっては後者の如く感じられるのです。
ですから、「脳がそういうふうなので仕方ない!」という切り口で攻めますと、最悪「なら、そんな奴は社会不適合者だから、外に出るな!」的な反応を食らうことになりかねないと思うのです。
実際、鬱病も「甘えだ」なんていわれたりしがちな病気ですが、これも「元気がでないとか、仕事いきたくないとか学校いきたくないとかさぁ……そんなん俺だってそうだよ。いかなくていいならいきたくねーよ!でもそうしなきゃいけないから行ってるんだろ。鬱って診断されたら休んでもOKなわけ?なんだよそれ」という、「ズルい!」という思いから来ているのだと思います。
目や耳の障害や、精神系でない病気についてそういったこと(甘えだ、等)が言われないのは、「ズルい」と思わないからです。
それでも鬱病も最近は「甘えだ」と言う人も減ってきました。それは「鬱状態は辛いのだ」という認識が広まってきたからだと思います。肺炎になって学校を休んでも「ズルい」とは思いません。休みたいは休みたいでも、そんなキツい思いをするのは普通嫌だからです。鬱も、知識が広がるまでは単に「いきたくないといってる人」くらいの感覚で捉えられていたため「そりゃ俺だってそうだ!ズルい!」となっていたのですが、「どうやら相当キツいらしいぞ」と分かってからは「ズルい!」とならなくなってきたのだと思います。
しかし、発達障害の場合はどうか。
これは多分「ズルい」という感覚はちょっとやそっとじゃ抜けないと思います。なぜならば、発達障害の人が「辛い」のは、あくまで周囲との関わりにおいて、「読めない空気を読めとおしつけられる」等のことから発生するものです。肺炎や鬱などと違い、ただ一人でいても辛いものではありません。(鬱が発生すること自体は、周囲の環境などが関係しますが、発症後は一人でいてもキツい、ということです)
ですから皮肉にも、自分たちが「空気がどうしても読めない」人のことを理解し助ければ助けるほど、彼らの「辛さ」は減る。一方、こちらの辛さやストレスは上がっていきます。空気を読んでくれない相手を「しかたないのだ…」と思いながら、ただでさえ空気を読むという我慢をしているのに、さらに「空気の読めない仕方ない人」に対しても我慢をしなければならない。そしてそうすればそうするだけ、その「空気の読めない仕方ない人」の「辛さ」は減っていくのです。当然、「ズルい。なぜ、こちらだけ我慢をしなければならない」となります。どちらに転んでも、「ズルイ」となる。いやむしろ、こちらが助ければ助けるほど「ズルイ」となる。
結局、「発達障害だろうがなかろうがみんな空気とか読みたくない。自分勝手でいたい。が、それでは成り立たない」中で、「普通の人」は空気を読み、「発達障害者」がそれが著しく困難な事を理解する。また「発達障害者」は「普通の人」も別にしたくないが社会の存続のため仕方なくやっている、ということを理解し、形だけでも出来うる限り合わせるようにする(空気を読むこと自体はできるようにならなくとも、表面上あわせることは訓練次第で可能と聞きました)。という相互からの歩み寄りが大事なのだと。平凡な結論ですが。「発達障害者は、じゃあ、外に出るな」は勿論問題外ですし、といって「発達障害なんだからしかたないだろう」では逆に「普通の人」に全てしわよせが来るだけです。どちらかに押し付けてはいけないのでしょう。
斉藤家は15日、所属する俺(22)と来季の契約を結ばないことを明らかにした。
1年目から風呂掃除、食器洗い、犬の散歩などチームを裏から支える活躍を見せた。
しかし近年は伸び悩み、特に今シーズンは7月以降の外出が2回のみと厳しい状況が続いていた。
期待の新人として来期入団が決定している弟(18)とのポジションの兼ね合いなどから今回戦力外通告を受けた格好だ。
俺は「プロの世界をなめていた。ニートの定位置を死守するためには、親への適度なゴマスリも必要だということを忘れていた。現役続行?もちろんそうしたいですが・・・」と語っているが、
この不景気の最中俺を受け入れる家庭は少ないと見られており、今後の動向が注目される。
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俺の証言によると、絵は全部で60枚で、ほぼ全部が昔のクラスメイトや
女友達を題材にしたもの。作品毎にモデルの名前を書いてあった。
絵は全てが卑猥なもので、中には丁寧にフキダシのセリフつきであったという。
その後の証言で俺は、「エロ本を買う金が無かった。可愛いクラスメイトの
裸を見たいという欲望を満たすには、絵を描くしかなかった」と供述した。
俺は去年の8月にも、父親にパソコンの10GBにわたるエロ動画を発見され
小遣い半額処分を受けたばかりだった。(ロイター)
朝いつも通り会社に向かっていたのだが、駅を降りた時点で軽い便意があった。
駅のトイレはいっぱいだったため、徒歩10分弱の会社まで我慢する事にした。
しかし途上、急に便意が強くなるものの、コンビニにはトイレは無い、急ぎたくても走ると漏れそうという状況で、約5分、会社まで速歩き。
永遠の道程に感じたのは言うまでもない。
やっとたどり着き、角を曲がればトイレというところまで来たが、最後の刺客登場。
狭い通路をその男はゆっくり歩く。
トイレを目前にした安心感と刺客の牛歩戦術による苛立ちから俺の肛門括約筋は脆くも崩壊し、トランクスにうんこがぶちまけられた。
あー・・・間に合わなかったか・・・
生涯二度目のうん漏だ・・・
前やったのは小4だったか、小5だったか。
もうあの時の倍以上の年齢になっているというのにまたあの時の気持ちを味合わなければならないのか。
もうやだ帰りたい。
でもこのままでは帰る事すら出来ない。
どうしたらいいんだ・・・。
落ち着け、落ち着くんだ。
こういう状況では決断を遅らせる程状況が悪化していく。
まず状況を正確に把握しなければ。
トランクスはとてもじゃないが、もう履けない。
ということはトランクスを秘密裏に処分し、新しいスラックスを調達せねば。
だがどうやって?
という事はなんとかこのスラックスを履けるようにしなければ。
不幸中の幸いか、うんこが付いているのはごく狭い範囲だ。
まずはトイレットペーパーで丹念に取り除く。
今はこれが限界か。
次はトランクスの処分だ。
手洗い場の備え付けのゴミ箱に捨てるしかない。
しかし今は通勤時間帯、慎重に行かねば。
メタルギアソリッドをやってる気分だ。
俺もメタ視点が欲しいぜ。
足音がしなくなったタイミングを見計らい、そっと外に出る、誰もいない。
しかも都合の良い事に他のゴミで十分満たされている。
これなら発見される可能性は低いだろう。
とりあえず上着と荷物を席に置いてスラックスに付いたうんこ及びその臭いをなんとかしなければ。
エレベーターは臭いが充満する。
階段で行こう。
やっと自分の席に着いた。
上着と荷物を置き、再度トイレへ。
ペーパーにハンドソープを染み込ませ、うんこの付いた所を擦った。
うん漏した時に一番気をつけなければならないのは臭いである。
前回それを知らなかった自分は何喰わぬ顔で教室に戻ったら、クラスメイトに指摘されあっさりバレたという経験が活かされた。
俺はできるだけ隣の席の人から遠い位置に座り、できるだけ下半身が机の下に隠れるように背もたれに寄り掛かった。
なんだか偉そうな姿勢になってしまうが、背に腹は代えられない。
もしもっと俺の職場がお互いに気を使い合う暖かい職場だったら、こんな俺の異変に気付いて、同僚は声を掛けて来たかもしれない。
さらに言えば今俺はノーパンである。
うっかりチャックを開け放したりするようなことがあれば、ポロリとなり、即変態決定である。
しかしなんとか午前中を乗り切り昼休みに。
折しも空は雪模様、俺の恥辱を雪ぐにはうってつけの天候である。
まったく俺はラッキー。
スーパーに着くとこじんまりとした衣料品売り場があり、俺は心底ほっとした。
勘違いでは無かった、と。
スラックスをチェックしたが、ちょうど良いサイズのものが無い。
しょうがないので、大きめのものと小さめのものと両方買った。
そんな事でボロを出すわけにはいかないのだ。
どちらも今日履いて来たスラックスとは色が違うが、不機嫌な職場法則で、一々誰がどんな服を着ていたかなど誰も覚えていない。
だからそこはあまり気を使う必要は無い。
レジに向かうと店員のおばちゃんが、「お客さんいい買い物したねぇ、今日は7割引きだよ」とか言っていた。
はは、ホント今日の俺ってついてるらしいね・・・。
履いてみると小さめの方がどちらかと言うとフィットした。
後はもうこれで定時まで仕事をこなせば済む。
もはやうんこを漏らした今日という日はアンラッキーなのかラッキーなのかわからなくなっている。
だって考えてもみろ、今日の朝うんこを漏らしていた男が昼過ぎには何ごとも無かったかのように働いているのだ。
これをラッキーと言わず、何と言う。
そして定時を迎えた。
俺はかつてうんこが付いていたスラックスの入ったカバンを持ち足早に会社を出た。
やった、乗り切った。今日という日を。
しかし油断するな。
「家に帰るまでが遠足です」
そうだ、家に帰るまで油断は出来ない。
決して満員電車には乗ってはいけない。
各停で帰らなければ。
そして駅前の、いつもとは違うクリーニング屋にクリーニングを出そう。
嫁にだってバレてはいけないのだ。
なんとかクリーニングも出し、やるべき事は済んだ。
はあ・・・、それにしても今日は大変な一日だった。
なんとか乗り切れたのはもうほとんど奇跡と言って良いレベルだろう。
さっきも言ったが、ラッキーなのかアンラッキーなのかわからない。
だが人間うん漏くらいならなんとかなる。
しかもなんだか問題解決能力が上がった気がする。
これはもう本を出すしかない。
これだ、ベストセラー間違いなしだ。
鹿児島県・奄美群島の公立中学校で男子生徒に頭髪の丸刈りを強制する校則は「生徒の人権侵害」というニュースをみた。
自分は20年ぐらい前に関東圏の田舎町の中学を卒業したけど、くだんのニュースと同じく入学時に丸刈り強制だった。
卒業後何年かして、細川政権時代の大臣が「男子生徒が皆丸刈りであるのをみると、戦争時代のようでゾッとする」というような発言がきっかけで
(追記:在学中は生徒会が中心となって丸刈り廃止運動があったが受け入れられずにいた。あまりハデにやると内申書に響くと皆思ってたのかもしれない)
学区制が撤廃されなければ、さいたま市内にある某公立中学への進学となるが、
さすがに丸刈り強制はないだろうなぁなんて思っていたらびっくり仰天、
何かしら部活動に入部しなければいけない校則がある中学のようだ。
自分の中学時代も、丸坊主と共に何かしら部活動に入部しなければならなかった。
しかし運動部が殆どで、文化部といったら吹奏楽部で女子しか居ない。
先輩や体育会系顧問からの理不尽な要求に否応なく従わされられる、
朝練や休日の練習、近隣中学との試合に多くの時間を割かれてしまう。
前向きにとらえれば、練習するのだからキツいのは当然で、
様々な活動によって心身の鍛練になると…
決して悪いことではないだろう。
しかし、それは自分で選んだ道であればこそ意義のあるもので、
やる気も無いのに無理矢理参加させられ、意味もなく顧問から怒鳴られて結局は凹むだけ。
中学のクラスメイトと仲が良かったから登校拒否になるほどではかかったけれど、
こと強制参加させられた部活動に於いては良い思い出が全くといっていいほど無かった。
(それでも前向きに3年間の部活をこなせられたのは親のサポートもあったから)
家を買うときそのあたりを詳しく調べなかった自分を悔いている。なんてことだろう。
そして自分の血を受け継いだのか、子供は部活動の強制参加には否定的だ(苦笑)。
小学校中学年の時に始めたお稽古事に没頭したいと言っているし自分もそうさせたい。
やる気の無い人を強制的に部活動に参加させていったい何の意義があるのだろう。
親としては、そういう場に参加してこそのプラス面を説得させるべきだろうか。
長い人生の中で高々3年間の短い修行みたいなものと思わせれば良いだろうか。
「やる気が無いのだったら行く(参加する)必要もない」と、ローカルルールを無視させて結果的に孤立させてしまうわけにもいかないとも思っている。
制度が変わらなければ結局はそこに馴染むしか無いだろうと今は思っているが、
当然、納得などしてない(子供の前でそういう態度はとってないにしても)。
こんなこと書くとモンスターペアレンツだと、私立でも通わせろと、違う地域でも引っ越せばよいだろうと非難されるかもしれないが、
経済的に私立には行かせられないし、違う地域への引っ越しも今の環境下では現実的でない。
この地域では政令指定都市といえども、都心のように自由に学区を選べる状態でない。
ただ、根本的なところで、なぜ部活動が強制参加なのか、合理的理由が分からぬままでいるので、
子供が通うであろう中学のHPを閲覧する限りでは、文化部には吹奏楽や美術部などなどいくつかあるようです。