2009-05-04

私はコンピュータプログラミング電子工作アルゴリズムその他そういったものが好きだった。

でも、きっと今年から嫌いになってしまうのだろう。私は情報系の企業就職したから。

プロを目指すということは、競争に晒されることを意味する。生き残るには他者に競り勝ち、蹴落としていかねばならない。

私は今まで幾多の趣味を失ってきた。失う経緯はいつも同じ。いつのころからか他者を意識して、勝って喜び、負けて悲しむ。そうするうちに勝つ喜び、負ける悲しみが趣味の喜びを覆ってしまう。そして、自身が挑戦する気さえ失せる偉人発見したとき、大きな敗北感に絶望して、その趣味を放棄してしまう。私はいつしか、趣味では深く深く、他者と競り合わないで良い世界を、正攻法よりも奇抜な方法を、整然とした秩序よりは意図的な混沌を求めるようになっていった。そうして競争のない、誰も訪れようとしない世界に引き籠もっていれば、趣味を楽しんでいられることを知ってしまった。

要するに私は傲慢な人間なのだ。傲慢だから、自分が本気でいる世界では、誰に負けることも許せない。目前の競争者や背後に迫る競争者を差し置いて、遙か彼方のトップランナー自分とを比べてしまう。そんな相手と比べて劣ってしまうのは当然なのに。少しずつ近くの競争者に勝っていくことを考えるべきなのに。私は競争というものが苦手なのだ。

興味をもっていない物事に関しては、私はそんなに熱くなれない。いわゆる勉強なんてのはその最たるもので、あれらに対する努力は、私にとっては親は先生説教される面倒を回避するためのもの、楽しい時間の妨害を軽減するための手段でしかなかった。テストで良い点取って、適度に良い進学(適度で良いのだ。高すぎると、入った後が大変だから)をしていれば、五月蠅く言われることもなく好き勝手遊ぶことが出来る。だから、常に自分より上が居ることに別段何とも思わなかった。

私の下には殆ど常に、非常な勉強家のクラスメイトが居たが、彼が私を毛嫌いし、そのくせ事あるごとに突っかかってきて、自滅する心情は当時全く理解出来なかった。今では、彼の気持ちが少しだけわかる気がする。たぶん彼は競争意識に苛まれていたんだろうと思う。彼も私と同じ、競争が苦手な人間だったのだ。彼の上に居る幾多の人々のうち、最も彼に近い場所にいる人間の一人として、彼にのしかかる重圧を代表してしまったのだと思う。しかも、彼がそれだけ必至になっていることに、当の私がさしたる関心を抱いていないのは、彼にはどう映ったことか。結局彼は学歴競争そのものをリタイヤして、今どこで何をしているのかもわからない。

今、その脅威が私にも訪れてしまった。今までは趣味世界、やめたところでそれまでだが、今回は仕事が絡んでいる。世間がこんな状態の上、私には特に強いコネも無い、他に行くべきつても無いのだから、安易にやめるわけにもいかない(未だ貯蓄も無いし)。他にいける業界も浮かばなかったとはいえ、まずい選択をしてしまった。

だから私は、この趣味を捨てなければならない。単なる手段と割り切ってしまわねばならない。割り切れなかったとき、今度は私がリタイアする番なのだろう。

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