これで、ある意味、仮にではあるが
要素A)国家間の見えない・水面下的戦後取引処理・見えない力による
要素B)加害側の当事者或いは親族等が、見えざる力による被人権蹂躙がある場合
救済を求める対象・手段性が無くなったという側面もありそうな…
医療費。保険診療の医療費がふくれあがって、どこもパンク寸前。
患者の家族は、高額な医療費を負担するため、ダブルワークで倒れる寸前。
といったニュースが別々に入ってくる。もちろん、ケースバイケースということなんだろうけれど。
いったい、どこにお金が流れているの?
Bが事件とは無関係だとしたら、気の毒ですね
ネットでは犯罪を犯したから殺されても仕方ないという意見が目立つ
だが、殺された方の人間は撃たれた運転手が車上荒らしを行っている時にマクドナルドでハンバーガーを食べていた
少なくとも殺された方の人間は何もしておらず、運転手が車上荒らししていたことを知らない可能性がある
「警察は『壮日はもう死んだんや。壮日のせいにしといたらいいやないか』とか言ってました。(車上荒らしは)本当に自分が勝手にやったんですよ。『壮日くんは何も知らんかった』って、『(壮日さんは)先輩やし、ちがいます』言っても、警察はまったく信じようとしませんでした」
―壮日さんはパチンコ店の駐車場で〝車上荒らし〟をしていないんですね。壮日さんは車内で何をしていたんですか?
「マクドナルド食べてたんですよ。パチンコ店に行く前に、途中でマクドナルドに寄ったんです。駐車場では、自分が『ちょっと出てくる』って一人で車を降りたんです」
何もしてないのに同乗しているという理由だけで殺されるのはおかしくねえか
空き地に住み込んで占有し、子供達から物品を持ってこさせるサングラスの無精髭の不審者の話は結構便利だと思う。
今は単行本を持ってないし、読んだのは30年近い昔なのでうろ覚えで…
適当な判例、搾取する概念・恫喝が何で対象が何に相応するかとか細かいところはとりあえず…
だが、火災報知器・消火栓などの消防設備を壊し、逃亡した場合は警察官職務執行法7条の1に該当するので銃を使用することができる
第38条 第18条第1項の規定に違反して、みだりに消防の用に供する望楼又は警鐘台を損壊し、又は撤去した者は、これを7年以下の懲役に処する。
第39条 第18条第1項の規定に違反して、みだりに火災報知機、消火栓又は消防の用に供する貯水施設を損壊し、又は撤去した者は、これを5年以下の懲役に処する。
馬鹿文化はストレス→無責任→形象化的な行動則になっている、という視点。勿論、情動とか感情論先行である。だからその連中たちの範疇にいるとヤバイ。無関係な人間なのに、そういう人間たちに勝手に存在規定されてしまう。気をつけましょう。私の生活圏での屋外の日常経験では若い人との絡み、絡みといってもくだらんものですが、安定的なものの根幹が見えない為に。この世代の若さ・稚拙さの・地域の特殊性か…のために終始情動・感情的が先行したようなものしか取り込めないような営為性を含んだものが多い。そうすると「己とか自分」が判るというようなみっともないものであります。半郊外の環境で昔・バブル時代ではTV脳の馬鹿高房がニッチだったような労働環境が今日ではそんな労働環境でも生き残りたいほざく情動先行迷惑千万連中になっている。彼らを教育した、ある部分がTVメディアなのである。13年くらい前頃からISPが安くなり視聴者がその低さを保ったままネット市民に繰り出してから久しく思われ。TVのコンテンツからTVを批判するのではすまない状況に気づいている人間は少ない。
我々でない存在のメッセージに期待する、という可能性は、それを信じる人にとっての重要ではある。ロマンとか夢があるだろう。という所迄か。だがそういう問題に第三者を引き合いに出したり巻き込んだりするな。そういう短絡的な発想が浸透している為が、一種の人間達がライオンや鬼のようになっているよう思われる。ネットで物分りの悪い言葉が強い権利性を突きつける。その為に他人に迷惑はかけるな。
そういうことを考えたいなら、その存在の配慮を考える。彼らのメッセージは相応のリスクを伴うのは必定である。健全さ・希望或いは期待を失うな。己の誠実さを生きている社会に優先あるいは傾倒したとしても気にかける事勿れ。俗悪な文化性に基づくものはそのメッセージの可能性と質への期待の為・遠ざけよ。自らの感性に忠実であり大切にせよ。
過去の人が未来にメッセージを遣わす、という可能性は、それを信じる人にとっての重要ではある。ロマンとか夢があるだろう。という所迄か。だがそういう問題に第三者を引き合いに出したり巻き込んだりするな。そういう思調・社会論的文章的兆候のカルト性がしばし、はびこっいて、悲惨な状況を発生しうる。そういうことを考えたいなら、相応する生活、研究・考慮に相応する環境を手に入れ、少なくとも今日で言う価値でいいと思うが俗悪なもの・邪悪なものを極力遠ざけよ。相応する倫理・文化性も考慮してのこと。
日中、怒りに任せてダンボールを蹴りまくってしまった。特定傾向の人々は社会性とは違う仕方で人から漁りすぎ・詮索しすぎ(ありえない仕方で本質を信じたり、知ろうとする悪傾向があると私は見る)状態になっているのではないのか?ということが、疑いえそうである。そもそも、都合で自らを誤魔化しすぎなのだ。
普段はクックパッドだけど居酒屋メニューを作る本やレシピにハズレが少ない某有名料理家の本は買う
この前買ったのが『おうちで居酒屋』
イエローに行って踊るのが好きで合成ドラックが好きな高卒ドキュンの過去の知人。フリーウェアのCDの付録の付いた雑誌を持って行くと、アイコラのコーナーへの興味から貸して欲しがる彼。
私にはそれらへの趣味はないです。
昔、教育ト●デイで彼の音楽がOPで流れた。そいつの知人が映像関連の仕事をしていて、
NHK系列番組の為に2つの音楽を作るというやつだったようで、奴はコネで知人から仕事を貰ったらしい。30万くらいもらったそうだ。
いつもはフュージョン風の音楽が流れている筈のそこに知人の基地外のような電子音楽が流れたのを観て、
自分が作ったわけではないが非常に恥ずかしい思いがしてならなかった。まともなものではなかった。
実は一世を風靡した元有名プロ漫画家が電子書籍で40ページ以上無料、残りの数ページは有料で質の良いオリジナル漫画コンテンツを100円で販売しても完全無料の1話目は無料版は6310ダウンロードに対して、2話目の有料版は350ダウンロードしかなかった事例があるのです。
なんていうか、古き時代の所謂「オタク」像通りの人がどんどん減って
ごく普通の人ばかりになっている印象があるけどなぁ。男女ともに。
いまどき、アニメやマンガなんて極めてありふれた趣味なんだから。
そういうわけで、よっぽど底辺人種の多いオタクカテゴリにいたか
あるいは、そもそもあなたがオタク男性に「親切にすべき対象」だと思われてない可能性が高いんじゃない?
ブッサイクな男オタクが女に相手にされてないのと同様、気遣いやサービスをされていなかった。
それだけの話で、それはオタクどうこうはあんまり関係ないんじゃないかと。
平成維新の会(へいせいいしんのかい)は、かつて存在した日本の政策提言型市民集団。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E4%BC%9A
ちょっとだけ、酒に酔っているのでそのつもりで聞いてくれたらいいと思う。
最初は、じいちゃんに手を引かれて保育園に連れて行かれる俺が、その道すがら毎日毎日泣きじゃくって嫌がって嫌がって、そんな嫌がってる俺をじいちゃんが毎日毎日俺のペースで立ち止まったり、急に走り出したりする俺を必死で追っかけたり、行ったり来たり、なんとかして、必死でなだめすかしながら連れて行くところから始まったのだった。
園についても一向に泣き止まない俺にじいちゃんはいつも申し訳なさそうにずっと手を振り続けながら帰っていったのを憶えている。そこでの俺は誰ともしゃべらないし、一切の遊戯に無気力を貫いていたし、飯時になってもほとんどのものを口につけず、何か悟り顔の年配の保母や園長などが俺を優しく諭すようなことをしようとしたならば即座に園中に聞こえ渡るように泣き叫び、同時に渾身の力で暴れまわったりしていた。
当然のように俺は、追い出される。母が頭を下げ、じいちゃんも頭を下げる。俺は何も言わない。
何故だろうか。それが何故だったのだと今問われても俺は答えられない。理由は無いのだった。そう思う。おれはずっとそう思っている。何故なのか。わからない。それがわからないことに俺自身がずっと苛立っていたのだとしかいえない。
時間はしかし確実に流れるから、俺も小学校に上がる年齢になる。初日から俺は渾身の力で登校を拒否した。入学式当日の朝の俺は完全に悪魔だったと思う。泣きじゃくり、暴れ周り、叫び続けた。すでに近所でも俺のイカレっぷりは周知のことで近所のババア連中の昼間の話題をさらっていたが、この日からはもはや誰も俺の話題を口に出す者もなくなった。俺が俺の家だけの問題ではなくその集落の汚物となった日だった。冗談にならないからだ。イカレているし、その理由が誰にもわからないのだ。
しかし俺は突如学校に通いだす。俺は何故か一切の抵抗をやめた。有る日急に俺は無になった。やっぱり誰にも何故か判らないけど、俺は無になり学校に通いだす。
学校に行く、机に座る、無になる。家に帰る。無になる。学校に行く。無になる。家に帰る。無になる。無になる。無になる。無。大人しくなった俺は地元の少年サッカーに入れられる。無になる。書道教室に通わされる。無になる。ピアノを習いだす。無になる。2年生になる。無。3年生。無。4年生。無。ずっと無。
でも、突然また俺が壊れる。有る日学校で壊れる。授業中に急に立ち上がってイスを振り上げて、教室の後ろのメダカの水槽をぶち破る。ガラスが割れて水がドバっと溢れ出す。え?ってなってる水槽の近くの子を睨みつける。俺はガラスの破片を掴みそいつの眼球に突っ込む。グムニュ。ってなる。そのままグリってする。誰かが甲高い声で叫ぶ。俺は割れたガラスの水槽を両手で持って教室の真ん中の方に放り投げる。グシャリ。ドンくさい誰かの頭にグササー、グシャリって刺さりはまる。傷口にメダカが跳ねる。ピチピチ、ピチピチッっつって。うへへって俺は笑う。
それが最近はそうでもなかったり。
いるのよね、あんたみたいな甘えたオタク女が。
非オタク女として、書かせてもらうわ。
「オタク男性が考える結婚相手の条件」を、謙虚に受け止めて自分を成長させることができないあんたみたいな女は、非オタク男ともうまくつきあえない。
あんたはまだオトコをよく知らないし、オトコの育て方も、オトコとの付き合い方もまだ知らない、ただのオボコ。あんたはオ・ボ・コ!
笑顔が無く癒されたり救われたりするような言動を一切しないと言っている女は、単に男性経験が浅いだけ。
笑顔が無く癒されたり救われたりするような言動を一切しない男しかいないフィールドでしか出会いをつかめない女は、単に活動能力が足りないだけ。
笑顔が無く癒されたり救われたりするような言動を一切しない男を、笑顔で癒したり救う男に変身させることができない女は、単に女としての魅力とオトコ育成能力が不足しているだけ。
本気で恋したら、ウソだと思うほど変っちゃうよ、オトコって生きものは。
「オタク男性が考える結婚相手の条件」も、コロっと変わっちゃう。「オタク男性が考える結婚相手の条件」が気に入らないなら、その条件を変えたくなるほどの恋を男にさせればいいだけってこと。オトコを本気にさせ、ゲーム以上に燃える恋にオトコを目覚めさせ、父親に成長させる女が、成熟したオトナの女。
成熟した女としての能力を備えていないのに、自分に笑顔を向けてほしい、自分を癒してほしい、自分を救ってほしい、自分にやさしくしてほしいと、オトコに求めてばかりいる甘えた女は、未熟なオンナのコ。オトナになれきれない女。
だから。
結局、あんたが嫌悪してるオタク男の姿は、そっくりそのまま、オトナの女としてのあんたの未熟さを写している鏡なの。あんたが嫌悪しているのは、オタク男ではなく、オトナの女になりきれないあんた自身よ。あんたの未熟さに対してあんた自身が嫌悪しているっていうこと。それはあんた自身が心の底で自覚していることでしょ?
もうそれ以上甘えないで。早く大人になって。