過去の人が未来にメッセージを遣わす、という可能性は、それを信じる人にとっての重要ではある。ロマンとか夢があるだろう。という所迄か。だがそういう問題に第三者を引き合いに出したり巻き込んだりするな。そういう思調・社会論的文章的兆候のカルト性がしばし、はびこっいて、悲惨な状況を発生しうる。そういうことを考えたいなら、相応する生活、研究・考慮に相応する環境を手に入れ、少なくとも今日で言う価値でいいと思うが俗悪なもの・邪悪なものを極力遠ざけよ。相応する倫理・文化性も考慮してのこと。
そういうものに期待できる自己も大切にせよ。
しかし、「発想」程に、とるに足らないものと、実は人はその体裁で舐めた眼で見ている。のではないか、冷淡な眼で見ている。
私はそういう概念で多くのものを見る可能性に疲れたし、新しい可能性に価値を期待している。
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