はてなキーワード: 原理とは
身だしなみ至上主義みたいなものは、障害者を排除したり、女性を排除したり、黒人を排除したり、デブやハゲやメガネを排除するのと、本質的に変わりがない。
俺はコンピュータのスペシャリストだが、PCやスマホがどういう原理で動いてるか語れないような危なっかしい低ITリテラシー民はスマホ使用禁止!って言ったらお前らは文句垂れるだろ。
それと同じように、自分がたまたま優れている部分を、他人に押し付けちゃいけない。
社会においては、どんな人にも門戸は開かれてないといけない。
どんな門戸を通ってきたにせよ、社会を上へ登っていく人間なら、自然と身につけるべきものは身につけていく。
だから気にしなくていいんだよ。
下の方にとどまるやつが身につけてないのは当たり前のこと。
・・・・・
組み合わせ論と言うのは、 通常できそうにないことの 適当な 組み合わせが存在するか、 特殊場合では、個数の間の定理とかを考察対象にしたものです。
だから幾何と整数と代数とは違います。組み合わせ論は、 「一見できそうにないことの組み合わせ」の解を求めるとか、できるかどうかの判定が言われますので
業界では鳩ノ巣原理を使うとかいうのもありますが、東大の入試問題だと、組み合わせ自体ではなくてその前段階の、基礎部分の方の、ただ個数を数え上げるとか、
CとかPの公式とか言うかなり次元の低いことしかやりませんので、高等数学1Aにも、 数え上げはありますが、あれは、組み合わせ論のつまらない事務作業じみたところだけを
紹介していて、定理とか、肝心なところは教えておりません。幾何はどうかというと、これも同じで、平成の指導要領では、チェバの定理とかのドリルはセンター試験とかでも入れているが
チェバの定理に基づく証明とか、パスカルやもっと有名な定理の適用になる証明になると誰も演習をやっていないので出来ない。
数え上げの応用問題は東大の入試問題に10年前くらいから大量に出るようになって応用問題としては色々あるが、肝心の定理とか魅力的な部分までは試験に出ない。
クズには分からないだろうけど、多数派の普通に生きてる人間はクズいことする機会もクズと関わる機会も無いからクズの生態なんか知らないんだわ
ゲーセンにあるようなコインプッシュ型のゲームで、コインを落として手前にコインや商品を落とすだけの簡単なゲームだ
ただし左右に落とすとそれは没収される
(わかりやすいサイトhttps://app-liv.jp/87514/)
で俺はそれをチマチマやってた
それでさ、1年くらい経ったんだけど、昨日ヤケになってコインをドバーッと落としたんだよ
50枚くらいかな
それでさ、特殊コインの中に、左右に壁が一定時間現れるコインがあってさ
それが手前に落ちて、壁ができた
この間は左右にコインが落ちないので、原理的には手前にしかコインや商品が落ちない
これはチャンスとコインを落としまくったんだけど、そしたらまたその壁を作る特殊なコインが落ちてきたんだ
それでまたそのコインを手前に落として、左右の壁ができ続ける
これが永遠に続けられるんだ
な、分かるだろ?
もう終わったんだよこのゲーム
今までは最大100枚くらいしか集まらなかったのに、今は2万枚ある
大谷翔平の気分だよ
あーーーーーーつまんねーー!!!!
なんだよこのクソ設定!!!
横の壁ができるせいで、決して負けないゲームの出来上がりじゃん!!!
うわーーーーん!!!!!
抗告状なんか出すわけないだろ。1000人いたら999人がそこに客観的美的快原則を感じないようなことをする時点で終わっている。
プリンターが起動するかどうかも分からない状況下でワードで作成して印刷して、切手買って貼ってポストに入れる。なんの趣味になるのか?単なる苦役であって主観を離れた客観的な快楽原理
すらない。徒労なだけである。 人間はいかに主観的な快楽(単なる原始的性行為など)を離れて客観的快楽としてもその目的は美の追求であり、美によって快楽を感じるところ、本件の
手続き手順は、いかなる方向から検討しても、そこに客観的美快楽の要素は存在しないものという他ない。ヒトは見たくないものは見ないのであり、発見したもの等をみたときに、どの角度からみても
そこに快楽を発見できないときは、認識しないで通過するか、対抗するかのいずれかであり、みずからが他者から認識されていると思い込んでいる方が不合理であるというものである。
そんなことないよ。
「罪の自覚がない」ということは「本人が目指すもの」と「本人がやってること」が乖離しているということで、
結局持ってるエネルギーの差に帰結するんでしょう魔法の殴り合いなら
でも御存知の通り、加熱より冷却の方が難しい(クラウジウスの原理)
/r/teslamotorsで工作員発狂させて遊んでた増田として言えば、あれは恐らく肉入りで、母語話者じゃないと違和感激しすぎて人間と映らない日本の文化で発狂してるだけ。
英語圏の連中は言語が全世界で共通じゃないことやネット文化が言語ごとに独立してることを認められず、英語圏で流行ってるネタは全地球的に流行ってると考えたがり、観測範囲の全てつまり主観的全世界でバズりまくりの北米の話題を投稿すれば話題を操作できると考える。奴らは2ch文化や日本の高度に発達したメディア文化に免疫が無いため、全く知名度の無い海外ミームやテンプレを持ち込んで滑りまくり叩かれ放題の機械的対応を繰り返し、対応する術を持たず無防備のまま叩きに屈して病み、ああなる。キリスト教的な原理主義にのめり込んでいるため過ちや現実を認める能力を欠き、身勝手な己の宗教原理を貫徹すれば現実が伴うと考えて消耗し続ける傾向がある。仮に根本的な間違いを認めた所で、外資系の奴らはその知を展開すれば人間を辞めた動物と認定されるので周囲に明かす事は出来ず余計に病んでいく。
ブコメで一律に知能が無いAI扱いされてるのが本当に可哀想だと思うわ。ネタでな、本気でなく。N1取るの大変だったよねえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwって感じ。
1. 買収の可能性について
投票先に関わらず報酬がある場合でも、金銭的インセンティブの設計によっては、特定の候補者や政党への投票を誘導する可能性は依然として存在します。例えば、高額な報酬を設定することで、富裕層や特定の利益団体に有利に働く可能性があります。
報酬制度の設計には、公平性と透明性を確保することが重要です。また、報酬額が投票行動に与える影響について、十分な調査と検討を行う必要があります。
確かに、国が通貨発行権を持っているため、財源そのものが原理的に問題になることはないと言えます。しかし、**通貨発行量を増加させることは、インフレリスクを伴います。**特に、国内産業が脆弱で供給能力が不足している状況下では、インフレ懸念はより高くなります。
また、金銭配布による財政負担は、将来世代にまで影響を与える可能性があります。長期的な視点に立った財政規律を維持するためには、金銭配布以外の投票率向上策も検討する必要があります。
投票は、市民としての義務であり、権利です。金銭で投票を誘導することは、市民の自主性と責任感を損なう可能性があります。
投票率向上は重要な課題ですが、**倫理的な観点からも慎重に検討する必要があります。**投票の意義や重要性について、国民全体の意識を高めることが、より根本的な解決策につながると考えられます。
4. 循環論法について
政治不信や政治参加への無関心は、投票率低下の原因の一つです。これらの問題を解決することで、投票率向上につながると考えられます。
提案されている金銭配布は、一時的な効果しか期待できない可能性があります。なぜなら、金銭的インセンティブだけでは、政治への関心や理解を高めることはできないからです。
5. 反論の生成について
ご指摘の通り、**AIを用いて反論を生成することは可能です。**しかし、今回提示した反論は、AIによる自動生成ではなく、人間の専門家による分析に基づいています。
まず投票先に関わらず投票自体に報酬がある場合の話をしているので2の買収の話は関係ない。
3,5に関しては国が通貨発行して負担すればいいだけ。自国通貨を発行可能な国で財源そのものが問題になることは原理的にありえない。国内産業がろくになくて供給不足で高インフレになってるとしてもそれは供給能力の不足が問題なのであって財源は関係がない。
4はそもそもその投票義務が果たされないからそれを解決するための解決策として提示してるのだから倫理的問題を言うのであれば倫理的解決策を述べるべき。そもそも投票権を売買してるわけではないのだから商品化しているという表現は奇妙である。
1だが政治不信の問題が根本的に解決されるわけがないし、政治不信と投票率を上げる提案にはそもそも関係がない。政治参加への無関心を解決するための提案なので循環論法になっている。投票に関する情報不足は広報の問題であってこの解決策の反論にならない。一時的にしか効果がないというが根拠がない。
こういうのを見ると無知な一般人に何かを周知するのって大変なんだなあと思う。
仕方ないよね。
いきなり一般人に物理や数学や化学の学部〜大学院で議論されるような問題を、生のままぶつけるようなもの。
それなのに社会問題だから大切だから考えなきゃだめだよと言われてしまう
最難関レベルの学部や資格で学ぶようなものごとをいきなりちょっと噛み砕いたよでボコボコ投げられるもんなあ
一般人にいきなり医師国家試験の問題をぶん投げて周知しようとしても無理だろう
まあ一般人には多様性予測原理が期待されてる程度のものなんやろな。バカしかいない場合、ランダムに決めてるのと同じなので50:50で意見が割れるから有識者やすぐれた見識の人の意見が結論として浮かび上がると
https://anond.hatelabo.jp/20240413091819
何をやっても咎められない(正確に言えば罰金を払うだけで殺しすらも許される)状態になった時に
人がどれだけ狂っていくかを描いた作品。
https://www.youtube.com/watch?v=kF4KLFKdLlY
営業利益がなにか。
この3つのうち1つでも分かってたら絶対に上のようなコメントはしなかったはずだ。
この3つの何も知らないのになんでコメントしようと思ったのか。
何も分かってないのになぜ発言しようとするのか。
タイトルだけで本文をよまない。
逆だよ逆
そこに対して常識やモラル、暗黙の了解などという領域で意見するなど許されない
人を縛りたいのならそれを明示的にルール化せよ
という話がされたんだよ
だから
山盛りネギをするバカのせいでネギがなくなったら、それは蕎麦屋が悪いと責めるべきだし
ご自由にと書かれた割り箸や紅生姜を袋にギチギチに詰める人が居たとして
【そんな下品なことを禁止と明示しない店】こそが批判されるべきってなるんよ
批判するならこんな感じかね?
何故店の資材をご自由にお持ちくださいなどと表記して提示するのか
理解に苦しむ
ご自由にお持ちくださいと書かれた割り箸をごっそり持ち去ることを
フリーレンが集めてるしょーもない魔法は、pipとかnpmに上がってるしょーもないパッケージ
っていうのを集めてる
魔法の解析はリバースエンジニアリングのことで、フリーレンはその天才
で、魔法は単純なプログラミングコードではなくてLLMをベースにしたコードになっていて
魔力っていうのはそのLLMのモデルの大きさ
長い年月をかけてLLMを追加学習させることで魔力を増やしていくが人間はそのモデルの大きさを誇ろうとしない
魔力の揺らぎはLLMの出力の微妙な違いのことで、LLMのモデルが大きいと
「単純な答えのように見えるけど微妙に違っていて実は大きなモデルなのでは?」
と気付く
AIなのでLLMしか取り柄が無く、モデルの大きさでマウントを取り合うのが魔族
ただ人間と違って死ぬことがないので魔族の使うプロンプトエンジニアリングはまるで理解できず
人間が再現できないLLMベースのプログラミングコードは「呪い」として扱われてる
まず、私は学業においてマイノリティを専門に学習しているので、無知では無いことを(火避けに)アピールしておく。シス女性、かつストレートである。
二次創作BLを前提として、私がキャラの性的嗜好ラベリングして欲しくない理由は、そもそも二次創作BLが全て幻覚であるからだ。我々腐女子は端的に言って変なことをしており、嘘を作り続けているだけなので、原作の彼等に恋愛描写がない以上、推しの性的嗜好は永遠に謎のままである。
その状況下、「もしこの相手を好きになったら」という仮定をつけてお人気遊びをしている。そのifは、キャラクターの根幹(行動原理)に関わるほど深いレベルで定義してはいけない。
要するに、あくまで「この相手を好きになったら」という、上辺のレイヤーを重ねる事で幻視するまでしかしたくないのだ。それ以上、キャラに手を加えてはならない。普通はハナから手を加えてはいけないものだが、それでも手を出してしまう狂気の中に、微かな自制心がある。
そういう面で「その相手だから好きになった」という考え方をするのは一義的に正解かもしれない。だが、これも我々が運命をねじ曲げてそうさせたに過ぎないので、キャラの根本的な性的嗜好では無いのだ。だから、セクシュアリティとは言えない。
加えて、二次創作では恋愛感情に重きを置かないブロマンス的な作品が多い事も影響しているだろう。ここは、セックスしなくても、因縁で喧嘩すればBLだし、本気で殺し合えばBLだし、2人でテーマパークに遊びに行くのもBLだし、赤の他人同士の初対面もBLだと受け取られる世界だ。BL界隈がホモフォビアの要素を含むと指摘するなら、性的嗜好のラベリングよりも、此処を見た方が良い。私のような雑な腐女子は男性同士の関わり合いが見られれば欲望が満たされるのだが、男同士の距離が近いと何をしてもBLになる。公式がやると、腐媚びと呼ばれがちなものだ。ベースに同性嫌悪があるから、男性2人組は大抵何をやっても珍しく、故に喜ばしく、ファンタジックな「腐」になるのだろうと私は考えている。
余談だが、この観念のまま美少女だらけのコンテンツに行くと、BLでの判定装置を使うと付き合っているとしか思えない女の子同士がわんさか居て混乱する事になる。
なお、一次創作のBLはだいたい既に作者が性的嗜好を設定している場合がほとんどで、だいたい描写されている。オメガバース等の特殊な世界線によっては、男性→男性の恋愛がマジョリティであるとされることもある。それを書いてあるとおりに受け取れば宜しい。
と、いうのが個人的なお気持ちだ。好きなキャラが恋愛にドギマギする姿の愛らしさ、自分と関わりのない世界を覗く楽しさ、激情の遣り取り、1本多いチンチン、この辺が好きでBLを見ているものの認識は、こんなものである。必要のないものは考えない、それだけの話だ。
ド級の有り得ない仮定をお人形遊びに使っている以上、自分の思想の介入は、最低限にしたい。「公式、公式」とうるさい腐女子も、だいたいそんな感じではないだろうか。
彼女は裸で、俺の横で眠っている。
寝息を立てて、心地良さそうに。
俺はプログラマーで、決して優秀ではないが、人並みに仕事は出切ると思っている。
ゼロから何かを生み出すことは出来ないが、コードを見ればどのような動作をするのか大体想像がつく。
だから既製のコードを応用することで仕事をしている。所謂リバースエンジニアリングというやつだ。俺はそれが得意なのだと思う。仕組みが原理に還元されるような、そうした一連の流れには耽美ささえ感じられる。
俺は彼女の裸体を眺める。
付き合い始めて二年になるが、彼女のことを芯から理解できているとは思っていない。
心の底では何を思っているのか。
俺と会っていないときにはどうしているのか。
もしも今ここにメスがあって、彼女のお腹を縦に切り裂き、ピンク色の肝臓や、規律よく波打つ心臓を見れば、彼女のことがより理解できるのかもしれない。
共同親権自体に反対するなんて、原理原則から見ても世界から日本に突きつけられている状況から見ても、受け入れられるわけないじゃん。
共同親権反対派自身が言ってるように、海外の共同親権制度と日本で提案されている共同親権制度とのギャップ(政府による養育費の徴収とか、より充実したDV対策とか)があるんだから、それを埋めることに集中して取り組んでいれば反対派も納得できるより良い共同親権制度を作れただろうにね。
もしくは、考えたくはないけど、世界から日本人による実子誘拐が大きく問題視されていて共同親権制度が要求されている中で、あえて実現不可能な要求をすることによって与党へのアンチを大量に生み出して野党が共同親権反対派の人達を自党に引き込もうとしているのであれば非常に悪質だと思う。
単独親権を持っている人達の不安を煽って、現実的な解決にたどり着かない道を示すというのは一見優しいようで非常に悪質。
念のため書いておくけど、原則的に子どもが男女両方の親と等しく親子関係を築ける仕組みにさえなっていれば、政府による養育費の徴収とか、より充実したDV対策とか不幸を最小限にする仕組みについてはオレも賛成というかむしろそれを希望しているよ。
シロクマ先生のコラムを読んで共感したことと、違和感を感じたこと。結論からいうとタイトルの通りで、自分キラキラは推し活に食われた概念だと思う。今や推し活を稼働させる内蔵のひとつ。
もとのコラムはこれ。
https://blog.tinect.jp/?p=85980
◯ 承認欲求の昔話
このトピックは、さすがに"何者かになりたい"をずっと追っている先生だけあって腑に落ちる。
自分をキラキラと演出すると、それに対して大量の承認が得られて、心理的に満たされる。このキラキラを身に纏うため、2010年代では皆が色んな方法を片っ端から実行した。
この実行フェーズが"自分キラキラ"ブームのピークだったのだと思う。それは華やかなナイトプールかもしれないし、神秘的な絶景の写真かもしれない。プロも顔負けなスーパープレイもあれば、美麗なイラスト制作も人気は高い。コラム内ではインスタグラムにだけ焦点が当たっているが、実際はYouTubeやTwitterも同様で、ツルハシは飛ぶように売れていた。
◯ 推し活が台頭するまで
いろんな方向にキラキラする人が生まれて、「みんな自分の好きな事してイイね!!」みたいな理想郷(あるいはインプレッションのドル箱)をSNS各社は維持したかっただろうけど、実際はそんな貴族は一握りなので虚構と金欠に疲弊した人から脱落していき、祭りは終わった。自分キラキラに疲れた社会は自分の好きなものを輝かせる、オタク的感性を受け入れ始めている。……ここまでが先生の見解だと思っている。普通に違ってたらごめんなさい。
ここで冒頭の話に戻る。
個人的な感覚では、推し活が台頭する理由については頷けるも、「自分が好きなものを輝かせる」オタク的感性とやらはそこまで浸透していないのでは?という違和感がある。確かにコミュニティの一部としては存在するが、それよりも自分をキラキラさせるための手段として推し活は利用されているのではないか。
元祖の自分キラキラブームに無くて推し活にあるもの、それは"絶対的推し"による恩恵じゃないかと思う。それは"推しの為なら"で無限に湧くバイタリティと、推しが世界から引っ張ってくる無数のオーディエンス。そして、バイタリティのあるオーディエンスで構成されるコミュニティ。
まず、"絶対的推し"を応援する活動は、そのすべてがコミュニティから称賛される。ハッキリ言うと承認を得るまでのパフォーマンスが良い。自分が1からフォロワーをこつこつ増やす必要も無ければ、派手な生活を演出する必要もない。お役立ち情報を発信しなくてもいい。ただ推しを応援することが称賛され、自分の内心からも他者からも承認され、心が満たされる。
さらにもっと承認されたかったら、グッズを揃えて祭壇を作ってもいいし、二次創作に励んでもいい。それが推しを盛り上げることにも直結する。推しのライブ情報をまとめると沢山のファンにも感謝される。外部の人に布教して、もっと推しの存在が広まったら万々歳。世界で有名人にはなれなくても、界隈の有名人になるのは容易い。これらのどこかで、自分キラキラはいくらでも見出すことができる。推しへの貢献は自分の名上げとなり、それなりのキラキラになる。
少し話が逸れるが、宇佐見りんの推し、燃ゆで描かれている主人公の推し活はそのあたりの解像度がかなり高い。本人は「各自がそれなりの思惑で推しを推しているし、そこに優劣はない」みたいなスタンスをしているが、ときおり自分キラキラが顔を出す。推しの成りすまし投稿を見破ったファンとして界隈では一目置かれているらしい(自称)とか、解釈ブログを更新するとコメントをくれるオーディエンスが居るけど、ちょっと返信ダルいな……wみたいな顔する。端からみたら「いや、しょーもな」と言いたくなるような小ささかもしれないけど、彼女の心はそれで満たされている。(ちなみに、作中の推しは暴力沙汰や騒動で希求力を失っていく。コミュニティも萎んでいく。)
全てをまとめると、推し活とは"絶対的推し"が寡占できるオーディエンスの可処分◯◯(時間|精神|所得)をコミュニティ内で山分けし、承認を行き渡らせるエコシステムの総称である。
だから推しが絶対的である限り、衰退することはない。推しを推すという大義名分で承認欲求を綺麗に隠しつつも、ちゃっかりコミュニティ内で承認を得られる仕組み、これが推し活の発明ではないかと思う。この原理のもと、自分の承認欲は必ず満たされるはずである。そして、オタク的な利他愛の感情はそこには無い……というのが自身の感触である。
━━━
……そう考えると、「自分の好きなものを輝かせたい」というオタクらしい感性とは、一体何なのか。正直なところ、これは綺麗事に留まり、少数派の域を出ないのではないかと思う。n=1。
(先生が思ってる以上に、みんな自分のことが可愛いし、実は自分を見てほしいと腹の底では思っているはずですよ。)
あとは、推し活が広まると、推される側の席もある程度増えるというのは想像が容易い。自分キラキラ系の一部は過酷な競争を超えた後にこの席に座ったのではないかと思われる。自分キラキラブームの勝者と敗者は、推し活でタッグを組んでいるのかもしれない。この話はもっと詳しい人が居そうだから誰か書いてください。