はてなキーワード: アインシュタインとは
乙武さんは福祉の手借りなくても自力で稼げて地位を築いているし、
発達障害が疑われている人間(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ガリレオ・ガリレイ、グラハム・ベル、ビル・ゲイツ、アインシュタイン、トーマス・エジソンなど)も自力で稼げて成功していて、
人格障害が疑われている人間(フリードリヒ・ニーチェ、フランツ・カフカ、ヘルマン・ヘッセ、太宰治、三島由紀夫、尾崎豊、中原中也など)も自力で稼げて成功していて、
結局ほかにとりえがあれば障害ってカバーできるということだよね?
社会保障の手を借りなきゃ生きていけない障害者って、障害をカバーできるとりえが無いってことで、そういう奴って守る必要あんの?
とりえがない健常者と一緒にのたれ死なせればいいと思うんだが。
エントロピーとは。
おそろしく、大雑把に言うと
人間はエネルギー本体ではなく、エネルギーの差からしか、エネルギーを取り出せない。
人間は、2つのエネルギーたとえば、 100+1と100-1 の差分から、エネルギー1を取り出すことが出来る。
そうすると、元々の場のエネルギーの差は+0.5 -0.5 取り出されたエネルギー1 となり エネルギーの総量は 200であり 変わらない。
これは、アインシュタインの質量もエネルギーである。という事と 質量保存の法則から エネルギー保存の法則を導くことで導出できる。
ただし、この時、現代の科学では +1と-1 からエネルギー1を取り出すことが出来ず
しかし、
100+0.4 100-0.4 取り出したエネルギー 0.8 となる。
つまり、エネルギーの総量は200のままだが、エネルギーの差は0.8に減少する。これは、エネルギーを場に戻しても100+0.8 100-0.8にしか戻らないことを意味している。
コレを繰り返すと2つのエネルギーは 100±0 100±0 となり、エネルギーの総量は200で保存されるが、エネルギーの差は0になり。
これが、よくRPGゲームなんかで言われる、完全な世界、均衡して世界が凍りついた状態。エネルギーはあるのだが、エネルギーの差が存在しないために
この世界のエネルギー差分を創りだしたのがビックバン。そのビックバンにより作られたエネルギーの差を消滅させるものがエントロピー。
弘前大学大学院理工学研究科の山田慧生(けい)さん(24)と指導教員の浅田秀樹准教授(42)=理論宇宙物理学=が、アインシュタインらが構築した一般相対性理論(一般相対論)の運動方程式を基に、三つの天体の軌道(位置の時間変化)を瞬時に導き出せる数式を、世界で初めて見つけた。研究成果をまとめた論文2本は2010年11月と今年1月、ノーベル賞級の論文が載る米国物理学会誌「フィジカルレビュー」に掲載された。同研究科が1日、発表した。
M1で英文ジャーナル2本かぁ、しかもPRL、いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~~優秀でいぃなぁ~~~~、情報系なんて、査読付き国際国際会議メインで、トップの国際学会に通すのはPRLに通すのと同じかそれ以上に難しいし、分野にはよるが使っている数学も難しい物が多いのに、物理の人から見ると、何、この人、国際会議ばっかりで、英文ジャーナル一本も出してないじゃん、マトモな業績ないねって下に見られる。
だからって、ジャーナルに先に出してしまうと、二重投稿になるから著名な査読付き国際会議に出せなくなる。著名な査読付き国際会議に論文が通らないと、仲間内ではマトモな業績がないってことになる。
結局、よさそうな研究ほど、その年の著名な査読付き国際会議に出して、それに通った後でしかジャーナルに出せないので、ジャーナルにするのがどうしても遅れ気味になる。著名な査読付き国際会議に通らないと、通らないだけ遅くなる。
就職が理論物理に比べれば遥かにマシであるところが、唯一いいところか。
2chで見つけた解説がこれ。分野外の俺でも分かりやすかった。
61 名前: 名無しのひみつ [sage] 投稿日: 2011/02/02(水) 14:56:16 ID:UtBIDr6i
読んだ
そこで普通は方程式を (v/c)^2 の多項式の形に展開して、
これの高次の項は無視するという近似をして問題を解く
これを一般相対論の Post-Newtonian 近似という
物体の速度 v が c に比べてあまり速くない場合ならこれで十分
PN近似にも、(v/c)^2 の何次の項まで残すかでいろんな流儀があるが、
今回の研究は一番粗い「1次のPN近似」、つまり (v/c)^2 の1次の項まで
残して計算してみたと。
大発見というほどでもないが、今まで誰もやってなかったのは意外かな
もう嫌だ。
何考えてんのかさっぱり分からん。
これをどう対処するかが「大人」かどうかなんだろうけど、
ごめんなさい。
最悪だねまったく。
上手く行かないよ。
どうしたもんかね、まったく。
仕事向いていないってことなのかもね。かもではなく、そうなのだろうね。
まったく。
嫌になっちゃうね。
こうも周りの状況に左右されていては、ぐだぐだにな人生になってしまうね。
もうなってるか。
guhe・・・・・。
帰りたいけど帰れない〜♪
あれを見ていた時はこんなふうになってるなんて思いもしなかったね。まったく。
なんか上手くいかないなぁ。
一生こんな感じで上手くいかないのかなぁ。
人生ってなんだろう。
どうせ死ぬよね、最期には。
それなら頑張るのに。
けどきっと天国にはそれを知らなくても、頑張った人がいくんだろうね。
困った。
分け分からなくなって来た。
ぼーーーーん。
なんだか、やたら手に汗をかく。
不思議。
生きるって不思議。
聖徳太子もヒットラーもチェも坂本龍馬も曹操もガンジーもケネディーもガガーリンもアインシュタインも犬もじいちゃんもばあちゃんもみんな生まれて死んだ。
シャボン玉もストローから押し出されて、屋根にあたって割れた。
どんどん生まれて。どんどん死ぬ。
50年くらい早く死んでも誰も困らない。と思う。
誰かが悲しむかもしれない。けど困らない。
その人が有用でなかればないほど困らない。
ストローから出てすぐに割れたシャボン玉は存在すら気が付かない。
そっと。自分でも気が付かないくらいにそっと割れてしまいたい。
それって
我が儘ですか。
情けないですか。
恥ですか。
はぁ・・・・。
シャボン玉って割れる時
「ぱっ」
って音がする。
聞いた事ある?
その音が聞けると、長く飛んだシャボン玉でも悲しくなかった気がする。
不思議だね。
頭が痛くなってきた。つまり見識が増えるってことは考え方も片寄るってことか。
アインシュタインがそんなこと言ってたっけ。本物は自覚してるのかな。
別にネトウヨでもなんでもないけどさ、
天皇を未だに神なんて思って崇めてる人なんて殆どいないだろうよ。
戦後の「人間宣言」でさえ、当時の日本人は殆ど反応しなかったくらい
天皇は普通の人間だって誰でもわかってんだよ。崇めてるかどうかも人それぞれさ。
でも俺は天皇がいてもいいと思うね。少なくとも千数百年系譜を保ってきた人類なんて
そういないぜ。しかも、天皇としての自覚と教養を強制的に持たされて、だ。
大体天皇が実権をもって悪政してるわけでもなし。廃止する方が無理がある気がするけど。
大体間違った歴史認識が原因なんじゃ?あるいは日本人で極端なこと言ってる人に対して、じゃないのか。
科学マンセーのご時世にそういう人がいたっていいと思うけどね。
天皇を崇めてるように見えるだけで、別にみんなそう思ってるわけじゃないだろう。
ただ、気に入らなくとも国会議員が貴人に対してする態度じゃねー。それだけで腹が立つ。
楽しいからやるという立場もあるが、それは文脈的に別の話なのでおいておく。
そうすると、「(少なくとも自分にとって)新しい問題に対処するため」だな。
問題というのは、(一部を除いた)数学のように論理的に解決可能なものと、そうでないものがある。
論理的に解決できる問題で「新しい問題」というのは「その問題を解決する論理がわかっていない問題」ということだ。
これを解決するには、新しい論理を生み出す必要があり、そのためには前提となる知識がまず必要だ。
論理的に解決できない問題というのは、一般社会でのいわゆる問題というもので、不確実性を伴う問題ということ。これは正確には解決ではなく決断をするしかない。不確実性には大きく2種類あって、不完全情報から来る不確実性と、本質的に確率的な不確実性とだ。
不完全情報から来る不確実性の多くは単なる知識不足が原因で、知識が無いということは本来不確実じゃないものが不確実になってしまうということ。これを避けるためにまず勉強しなければならない。
また、人間の意思決定プロセスというのは少なくとも現代の数学や論理学の枠組みでは捉えきれないもので、理屈を超えた(ように見える)思考の飛躍やイメージ思考的な超並列処理が必要不可欠だ。アインシュタインの名言で「新しいアイデアを思いつくコツは、そのアイデアをどこから借りてきたのかわからなくすること」というものがある。つまり、無数の知識を頭の中で並列処理して結びつけることで、一見思考が飛躍したかのような新しいアイデアが生まれるということ。
このような処理をするには経験が必要で(たぶん脳内のニューラルネットを作り込むとかそういうものに対応してるんだろう)、その経験を得るために絶対に必要なものが勉強だ(もちろん机上の勉強だけで十分というわけではない)。この辺りは有名な「いかにして問題をとくか」という本に書いてあると思う。
新しい問題というのは、何も学術研究の最先端にのみ存在するものじゃない。仕事上でも日常生活でも、変化する状況に対応するということそのものが「新しい問題」だ。スポーツをやるにしても、音楽をやるにしても、料理をするのも子供を育てるのも、みんなそうだ。
変化する状況に対応しより良く生きるため、自分が取り組む「新しい問題」に挑むため、そのために「知識の量」と「意思決定の精度」を洗練するために勉強しなくちゃいけないんだと思うよ。
まあまあ、落ち着きなさいって。あなたの人格を攻撃してるわけじゃないんだから。「難癖」じゃなくて普通に疑問点を指摘しただけ。おわかり?
もしこういう議論を感情的な後腐れなくできないのなら、あなたは多分俺と相性が悪いと思うので、読まないことを勧める。
俺は別にこういう議論に人格を賭ける性格じゃないし、そういう性格の人を理解できないと思うので。
それでも、「早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ。」
みたいなことは、口が裂けてもいわないよ。文法と表現で完璧な英語を書くというのは、本当に難しい。
ちゃんとした仕事を任せるなら、10年は訓練がいる。
素人がやったら、All your base are belong to usになっちゃうんだ。そういうこと、わかってる?
わかってますとも。それでもなおかつ「早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ」と言えるよ。
現実問題として、科学技術の世界ではカタコト英語が罷り通っていて、「文法と表現で完璧な英語」なんて全く要求されない。語学が大の苦手だったアインシュタインがその典型だ。英語の兄弟言語のドイツ語を母語としながら、ちょっとテンパるとルー語の逆バージョンみたいな英語しか話せなかったそうだ。それでも後半生を米国で送り、業績に見合った尊敬を保ち続けた。
もしネイティブが「文法と表現で完璧な英語」などを要求しようものなら、「英語で話してやってるだけありがたく思え」「ならば専門的な翻訳者をただで派遣しろ」などと非難囂々になることは明らかだ。本来はエスペラントみたいな人工言語やラテン語みたいな死語が占めるべき地位を、どういうわけか英語が占めてしまっているのでそういうことになっている。
そもそも、科学技術を表現する際の言語というのは、豊饒な日常語に比べて非常に幅が狭い。たとえば"base"あたりが専門用語なら、"All your base are belong to us"でも十分意味が通じてしまう。数学の論文なんかであれば極端な話、ルーマニア語あたりで書かれていても、その分野の専門知識があれば読めてしまう。そういう世界だ。
それに、こういっちゃ何だけれど、学部生の専門知識なんて、
社会に出ちゃほとんど役立たないでしょ? あるいは、後からだって学ぶことは十分できる。
役に立つし、後から学んでちゃ遅いです。まさか会社で線型代数だの電磁気学だのミクロ経済学だのを教えるわけにはいかないんだよ。逆に、その程度にしか知識を要求されない職種に就くのであれば別に国際教養大の学生を雇ってもいいかもしれない。だが、それってただの「兵隊」であって、あの大学が養成しようとしているようなエリートとは程遠いんじゃないかね?
そういう意図よりも、むしろ誇大宣伝に騙されて通学してる学生が可哀想だ、と言ってるんだよ。ちょっと前は器用にExcelだのPowerpointだのが使えるだけで有能な学生扱いされたが、あれと同じことになる危険性が高くはないですか、と。
だから、既存の外語附属短大で同じような勉強はできるし、4年制の外大に行けばそれに加えて専門知識も学べますよと言ってるじゃないか。視野が狭いのはどっちですか?
DSMの改訂の度に、論議を呼ぶような追加があるが、今回も例外ではない。実際、マニュアルはだんだん厚くなっている。今回提案の改訂で最も不穏なのは、いわゆる医療の専門家が個人の性格を調査する際の方法が、ずうずうしく露骨な新方式になっていることだ。
変わった個性を持つ子供が、その個性のために奇抜な行動を見せると、精神疾患と分類されることになる。昔からこの基準で診断されてきたならば、モーツァルトやアインシュタインのように通常の枠組みから飛び出して新しい発想にたどり着く人は存在しなかったかもしれない。
「今日、7才のモーツァルトがコンチェルトを作曲しようとすれば、注意欠如・多動性障害と診断され、投薬で才気の無い『正常』にされるかもしれない」
性格の違いまで精神病と解釈するとなると、人間は個人的な義務を感じなくてよくなるが、同時にユニークな人間性を奪われることになる。自分で考えることができず、医薬品でコントロールされるだけの存在に貶められる。
この子(http://www.youtube.com/watch?v=6-owL1vM4nE)みたく飛びぬけていたり、見つけて伸ばしてもらえた子は良いのだろうけど、そうじゃない出る杭になっちゃった子は打たれるんだろうな。
医師の自殺率は高い。1980年代前半の英国における医師の自殺率は、一般人口に比べて、男性で3倍、女性で6倍である(a'Brook,1989)*1。最近の米国では、一般の男性に比べて、男性の医師は自殺を試みることが1.41倍だが、一般の女性に比べて、女医は自殺を試みることが2.27倍と高く(SchernhammerとColditz,2004)、女医の19.5%がうつ病の既往を自己報告している(FrankとDingle,1999)。
1967年から1972年の米国では、精神科医の自殺率は、他の医師の2倍である(Richら,1980)。自殺率が高いだけでなく、精神科医は医師の中で喫煙率が最も高く、禁煙に最も失敗しやすい(TamerinとEisinger,1972)。1980年代の米国では、男性の精神科医の7.1%、女性の精神科医の3.1%が、自らの患者と性的に接触している(Gartrellら,1986)。これらは1960年代から1980年代にかけてのデータだが、精神分析が流行していた当時の米国の精神科医たちは一般の医師よりもさらに不健康な人たちの集まりだったようだ。
全国自死遺族連絡会が2010年3月までに行った調査によると、自殺者1016人のうち精神科を受診、治療中だった人は701人で、69.0%を占めた。自殺者のうち飛び降り、飛び込みは197人で、自宅のマンションから飛び降り自殺を図った場合は全員が受診していた。また、自殺した20~50歳代女性も100%が通院していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000000-jct-soci
さて、このグラフは何を表しているのでしょうか?これはものの
示しています。
(中略)
精神科にかかる患者が増えるのも、抗うつ剤の売り上げが増えるのも
それが本当に患者のためになるのであれば、私は一切批判はしません。
しかし、私の知っている現実はそれと全く逆です。精神医療現場では、
患者の尊厳や命までも、精神医療産業の利益と比べてあまりにも軽視
されていて、不当な診断をされたり、知らされなかった薬の副作用で
被害に遭う人が本当に多くいるのです。
薬害エイズ事件は、患者の安全や命、尊厳が無視された結果、必然的
に生じたものでした。私は、抗うつ剤に限らず、向精神薬による薬害
は、薬害エイズ以上に大規模な問題であると考えます。そして、無用
に患者を隔離拘束薬漬けにしてきた精神医療は、ハンセン病問題を
はるかに超える規模の犯罪・不作為であると考えます。
http://blog.livedoor.jp/mizikanamondai/archives/50929735.html
昨今、気軽に精神科にかかろうといった風潮があるけれど、精神科について知るにつれ、よほどのことがない限りあまり近寄らない方がいい場所に思えてくるんだけれど、どうなのだろう。
「英文標準問題精講」(原仙作 著)。第5訂版。初版はなんと戦前の1933年。今も本屋の大学受験コーナーに行けば売られている、参考書の古典中の古典である。
10年くらい前だろうか。大学受験する時に買ってはみたのだけれど、さっぱりわからんと放り投げたこの参考書を、なぜだか分からないがふと思い出し、本棚の奥からひっぱり出してふむふむと読み進めてみたら面白くて止まらなくなってしまった。今では、寝る前に2、3本の例文を読むことが最近の日課になってしまってすらいる。
アマゾンでの散々な評価[amazon:英文標準問題精講]で見れるように,この本は確かに受験参考書としては使えない。より解説が豊富で効率的に要点を学べる本が山ほど出ており、純粋に受験生の実用性でのみ評価した場合、もう役目を終えていると言っていいかもしれない。
しかしそれでも本書の魅力自体は色あせていない。「英文標準問題精講」が持つ最大の魅力は、その全例文が近現代史に名を残した偉人たちの言葉で綴られていることにある。例えばこんな具合に。
Contemporary events differ from history in that we do not know the results they will produce. Looking back, we can assess the significances of past occurrences and trace the consequences they have brought in their train.But while history runs its course, it is not history to us.(隷属の道より)
改めて読み直した時、私は経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエクによるこんな論考が受験参考書の「例文」して、ごく当たり前のように取り上げられていたことに、まず何より驚愕した。なんていうハイレベルな自己満足をするのだろう!そりゃあ今時の高校生が読んでもわからないはずだと思った。とは言え、ハイエクの他にもラッセル、アインシュタイン、スタインベックなど一級の知性がしたためた文章が載っており、英文エッセイ集としての魅力は廃れるどころかむしろもっと再評価がなされるべきではないか。
本書の内容は多岐にわたり、しかも普遍的なものだ。幼少時代についた嘘についての体験談から、「知識は人間を幸せにするのか」「芸術や詩歌の意義」といった哲学的なテーマまで。かつての知識人達がいったいどのように感じ、考えてきたか、その一端を垣間見ることができてとても興味深い。
私の場合、読んでいて特にハッとしたエッセイが、ヘンリー・ミラーの一文だ。
What makes a book live? How often this question arises! The answer, in my opinion, is simple. A book lives through the passionate recommendation of one reader to another.Nothing can throttle this basic impulse in the human being.
すぐ忘れ去られる本がある一方で、何十年と長く読みつがれる本があるが、その違いは何か。長生きする本は、その当時最も売れた本でもないし、一方で最も正しいことを書いた本でもない。それはただ、その本に気をとめ、大きな声で推薦する声が途切れなかったから長く、生き続けてきたのである。成熟された、いい考え方だと思う。
私もヘンリー・ミラーに習って推薦してみたい。これは大人のための英語学習書だ、と。せっかちな受験生が読むような中身の薄い例文ではなく、じっくりと反芻できる重みのある文章を読む。そんなクールな英文学習ができる本なんてちょっと見当たらない。ビジネス書とTOEICについ目移りするサラリーマンにこそ、今、「英文標準問題精講」が求められていると思う。
http://www.higashiyama.ed.jp/info/detail.php?id=442&category=nr
京都のジュンク堂書店に、参考書を見に行ったら、東山中高の先生の推薦図書が置いてあった。自分は見たとき生徒のお勧め本かとも思っていたが。北杜生の『どくとるマンボウ航海記』があったのが嬉しかった。
しかし中にこんな本が・・・
『マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実』 池田整治 (著)
GHQによる自虐史観の刷り込み、宗教を隠れ蓑とした謀略、水道水に投げ込まれた塩素、化学物質で汚染された食卓、ウィルス兵器で脅される世界、どちらが戦勝国となっても儲かる支配層の「仕組み」オウム真理教のサティアン突入に唯一参加した現役の自衛隊幹部が、武士道なき日本の「驚愕の末路」を警告する! 長年、日本人にかけられ続けてきたマインドコントロールを解く衝撃の1冊。
東山の先生どうかしてるぞ。水道に毒とか陰謀論の王道だぞ。アインシュタインの予言とか堂々と載せてるぞ。やばいぞこの本。参考書とか児童書のコーナーにこんなん置いてあって、糞真面目な生徒が真に受けたらどうする。
小飼弾すごいな、まがりなりにも数学や物理学に造詣が深けりゃあ、
「そのときにはなんの役に立つか、本人にも誰にもわからなかった」が、
現代科学技術文明に多大な功績がある数学理論や物理理論なんか両手に余るほどあるのもわかると思うんだがなぁ。
「かつてはそれでもよかったが、今はそんな時代ではない」というのなら、
「自己満足のための研究なんか自費でやればいい」理論も「そんな時代ではない」と言えるんだし。
それと、説明責任と奇麗事を言っているだけで、実態は「絶対権力者である仕分け人が万能感を味わうための肥料」
であることにまったく触れようともしないってのはいったい見識なんだろこの人。
このぶんしょうのもくてき
この文章の想定読者
三日坊主の俺および俺と同じように、三日坊主地獄から脱出したいと思ってる人かつライフハックって何?って人。
この文章で扱えないレベルのひと
ライフハックに興味がある人、そのレベルだったら、普通にアタリマエのことしか書いてません。
この文章に書いてあること
俺が三日坊主地獄から脱出した方法、できなかった方法を、比べてなんで差が出たのか……慢心・環境の違い……
一番重要な、継続させる方法は「複数の通過儀礼によって、行動に理由をもたせ、意欲を維持させる」ってことだけど、結局は根性論やねん。
文章を読むにあたって
書いてから気づいたけど、夢を叶えるゾウという啓発本に似てると思う。手放したので確認できないけど、コピペではない…はず。
あと、最初は丁寧に書こうとおもったけど、飽きっぽいので後半は自分の言葉で書いた。
この文章を書こうとおもった理由
去年の4月ごろに、よい習慣をつけようと思って、いろいろ模索してみた。
試行錯誤の結果、定着した方法、定着しなかった方法があった。
どういう方法が俺に定着したのか、定着しなかったのか方法は何故俺に合わなかったのを確認する。
俺が習慣を形成する上において、何がインセンティブあったのかをあぶりだしてみたい。
俺が習慣形成をしようとした理由は、能力を効率良く上昇させるためである。
「習慣が定着した具体的な方法、それはPDCAの徹底」
ほな、これを、俺にどうやって定着させたかを記録する。
>1.習慣化したいことを決める。(PDCAのPlan)<
このプロセスで、必要なことは、決定である。
24時間という限られた資源を利用して、何を生産するか、ということを決定する。
そして決定したことは、記録することは、習慣形成に正の効果を与えた。
理由は二つ。
「習慣形成に与える第1の正の効果」
第1に、本当に必要な習慣かどうか判断出来る。
記録というのは、棚卸に似ている。
本当にこの商品を棚に置いてある価値があるのか、ということを考えるきっかけになる。
発想したときは「この習慣絶対必要なんや!ワイはやるで!」と、よく思う。
でも、記録してみると、「これはワイのホンマにやりたい事とは、ちゃうんちゃうか(和訳:違うのではないか)…」と、思うことが多い。
これは、正直落ち込む。しかし、よく考えてみると、ズレてることを発見したときは、ラッキーである。
ラッキーな理由をaとbに分けよう。
a:24時間という予算を、より自分にとって必要な習慣に使える。
b:長期人生設計とズレてるものは、やろうと言う気持ちにならない。
やる気が無くなる。習慣化に失敗する。俺はできないと学習してしまう。
そして、「ダラダラすんの最高や!ワイには習慣つくりなんて最初からいらんかったんや!」と、いう思考法になる。
この思考法により、(楽しいかどうかは関係なく)能力増加のための蓄積に利用できる時間を、空費することになる。
ズレの発見により、この空費を減らすことが出来る。
習慣にしたいことを決定したら、一度アウトプット(記録)する。
蓄積された記録を俯瞰し自分で判断するという作業は、時間節減効果が期待できる。
「習慣形成に与える第2の正の効果」
記録することによって得られる、二つ目の習慣形成に有効な効果は、自信を持って選択出来るということだ。
選択の迅速化によって、時間を節減できるし、やる気の増加にもつながる。
選択の迅速化によって、時間を節減することが何故ええんか言うと、利用できる時間が増えることがええことなんやね。
利用できる時間が増えるということは、習慣化できることを増やすことである。
習慣は、能力増加の蓄積を目的としている。また、やる事を増やさんでも、一つのことに使える時間が増える。
時間を費やせば費やすほど、できることは増えていくから、正の効果ある。
だから、一つのことを主に極めたい!言う人も、時間を節減することは大切。
これは習慣形成の話とは関係ないけど、時間投資によって得られるリターンは、やっぱ逓減していくんちゃうかなー。
収穫というよりは効用のほうな。
以上が、「することを決定すること」・「することを記録すること」に、よって得られる効果である。
「習慣化することを、何に記録する?」
じゃあ、何に記録する?という話だけど、これは自分の好きなものに記録したらいい。
以下に上げる二つ条件を満たせばいい。
条件1:自分にとって、負担のない方法。
めんどうだなあ、と思うやり方は、記録自体が続かない。
今自分が習慣化してることでやれば、負担は小さいやろな。
2chが辞められへんねんやったら、2chの過疎板でスレたててソコでやればいい。
あとは、twitterとか、そういうネットサービスを利用してもいい。
ただし、新しく始めるんじゃなくて、今習慣化してることを利用した方が、続く可能性は高い。
条件2:自分にとって簡単に見直すことが出来る。
何のために習慣化したいことを記録するのか、というと、効果1「必要かどうかの判断」を、すること。
よくやった失敗に、その辺に書きさらして後で、見直してみると……
「字汚すぎて、読まれへんわ!」とかいう失敗。
でも、これ記録した時間がもったいないし、アイデアも失って二重に勿体無い。
だから、簡単に見直すことができるやり方がいい。
これらの条件を簡単に記すと、「より小さい記録コストで、情報保存性に優れるもの」、ということ。
より小さい記録コストってのは、本人の主観に影響されるので、「情報の保存性に優れる」ことで俺がやった失敗を記す。
俺が記録失敗したことと、その理由と対策
失敗1:ワードで綺麗に作って、印刷して壁に貼る
理由1:生産にかかるコストが大きいので、まず作った時点で満足してまう。
そして、壁って、そんなに見ない。だから、印刷物も見ない。
良く考えてみれば、壁をしげしげと見る習慣は俺にはなかった。
壁を眺める習慣のある人間には、有効だろう。
あとデスクトップの壁紙にしてみたが、こちらも、いちいち見なかった。
対策1:俺には向かなかったので、やめた。
失敗2:ボイスレコーダーに記録する
理由2:再生が結構めんどうくさい。
何よりも一覧性がない。ぱっと見て判断したほうが、時間の節減になるので書き出すのが、二度手間。
ただし、録音は考えてることを、ダイレクトに記録できるので、短期記録にはすごく便利。
しかし、これで長期記憶をすることは俺に不便だった。
対策2:俺には向かなかったので、やめた。
失敗3:チラシの裏に書いて行方不明。適当に保存したから行方不明。
理由3:たとえばツイッター利用したなら、どのツイートに書いたとかわからんとか。
対策3:ついログ((http://twilog.org/))を、利用するとか、パーマリンクをブラウザのブクマに入れるとか、なんか分かりいいとこに保存することがいい。
チラシの裏に書いた場合は、ファイルとかに入れとけば、なくなくることはあんまりない。
同じところに、まとめてると見やすい。
「実際に記録してみる」
では、記録する方法を決めたら、さっそく、習慣化したいことを、思うままに書いていく。
この時点では、「あ、これええな」とか、「これも、やらな」とか、「これあったらええなあ」思う程度で、充分。
判断・選別は、記録した情報が出揃ってから、実施するので、欲望のままに記録しよう。
「全部出揃った!これでかつる!」
って状態になったら、優先順位をつけてみる。
宿題とか、やらなあかんこと、ってのは、上につけると社会的信用を失わずに済む。
行動出来る範囲が狭まると、能力上昇効率が悪くなる。
それは、自己実現から遠いので、まず「やらなあかんことをを上にしたらええ」
やらなあかんこと、ってのは、勝間(2007)のフレームワークで言う、「消費の時間」(p.110)に該当するカテゴリのこと。
勝間は、緊急かつ重要、と、規定している。((無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法 勝間和代))
「消費」を優先することは、藤田(2003)も「まず仕事を最優先させること」(p.43)と訴えている。((資格がいままでの10倍早く取れる本 藤田康雄))
ただ、習慣化したいをアウトプットしたはずなんで、消費カテゴリが、あまり出てくることはないと思う。
やらなあかんこと、ってのは、基本的に強制力があることやし。習慣化させられてる可能性が高いんよ。
むしろ、やりたい事で沢山出てきてるのは、勝間(2007)でいう、空費(緊急ではなく低重要)や投資(緊急ではなく重要)だと思う。
で、24時間しかないのを、どう配分するのか、というのを、自分なりに判断してみる。
優先順位の付け方としては、藤田は「仕事(消費)>勉強(投資)>持ち帰り仕事>趣味(空費)」
勝間は「消費(仕事)>投資(資格)>浪費・空費」やけど、その優先順位ってのは自分がやりたい通りにやる方が続くと思う。
というのも、個人的な意見なんやけど、仕事>趣味って絶対かあ?
別にゲームをする時間を、前に持ってきたってええやろ。漫画を読む時間を、もっと増やしてもええやろ。
そういう時間を捻出するためには、能力を上げて転職してブラック脱出したり、所得を増やしたりする必要があんねんや。
でも、海外ニート(2010)のいう「労道教」(( 日本では「労働」が「労道」になっている http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-345.html))の信者なら、趣味の時間を節減することによって、業務から得られる収穫を増やすことにもつながるで。
これは、自分が信仰されてる宗教によって、選択したらええ問題ですわ。
まあ、どっちかよう分からんわ……いう人は、アレや、労道教を信仰した方が、所得は増えるで。
資本蓄積した後に、どう使うかってことを考えると、できる幅も広がるわな。
リーマンとか、そういう可処分所得が小さい人間やったら、所得を稼ぐ手段である、仕事を大切にすることは、合理的な判断やと思います。
ここが一番難しい。では、失敗例を検討してみる。
Doの分野で、俺が続かなかった例を記載する。
失敗1:帰宅して、9時から英語の教科書13ページやる、10時には国語の問題集に移行して、11時には数学のry
理由1:予定通り進みません。そして、やる気なくなる→「やっぱワイにはできへんかったんや!」と、できないと学習してまう。
そして、時間を空費する。
対策1:あそびを持たせる。予定ってのは、理想の状態やから、それをトレースするんは難しい。
一回約束を守ったら、もー守らんでもええかなーって、学習してまう。
守らんでもええ、という気持ちは、やる気の減少に繋がります。
失敗2:あれもこれもと、自分が使える時間以上のことをやって、結果何も身につかない。
理由2:まあ、ほんまかどうか知らんが、効果が出て来るまでこんだけ時間がかかるらしい((初級システムアドミニストレータ「150時間」 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51422676.html))
単純な話やりたいことを増やし「すぎる」と、投入出来る時間が分散されてしまう。
そんで、結果でるのは時間が遅れる、ってことは確実。結果が出ないとやる気が無くなる→「やっぱワイry」現象。
対策2:やることを厳選すれば、効果が出やすい。
最初は厳選して、それを高いレベルにすれば、必要な時間が短くなる。
この文章読んでるってことは、日本語の勉強特別にやらんでも、日本語読めるやろ。
そんで余った時間に、やれなかったことをやれば、できる総量は増えるんちゃうか?
失敗3:ダイエットは明日から~♪ダイエットは明日から~♪と、念じていれば痩せると思っていました
理由3:なんか目的を作ったら、満足してまう。目的の設定は、ナビを設定しただけやねん。目的地まで走らな、つかへんのや……。
対策3:具体的にやる方法を、計画・決定し、実際に行動する。((これがムズイんや!うまく自分を操縦してくれ!))
よく言われることだけど、やりだしたら結構、止まらないってことが多い。
だから、最初だけしんどいとおもう。具体的なやり方は、いろいろ議論されてる。
知らない人のために何個か()の中は個人的な感想
・机を綺麗にする(これは、掃除してまうと思う)
・時間を決める(これは、難易度高いと思う。残業でたり、うんこ行きたくなったりしたら詰む)
・何かの行動に続けてやる(トイレ→手洗い、飯→歯磨きみたいな)
ちなみに俺は「1日サボると、取り返すんめんどいなあ。後回しする方が、めんどいなあ。せやから、やったほうが得やな」って、自己洗脳してます。
またある時は「この時間を、勉強に費やした方が幸福度高そうやな。ここでゲームすると、今は楽しいけど、後で苦労するで!純幸福度はどうやろ……」とか、そんな感じ。
「じゃあ、俺のアクセルは、どうやったらかかんねん!」
普段どういうときにアクセルかかってるのか、考えてみたらええかもせえへん。
そこにヒントがありそう。
「もっと知りたいんや!」やる気 方法 で検索すればアホみたいに出て来るから、お知恵を拝借すればおk。
でもなあ、あんま検索せえへん方がええかもせえへんで。
というのも、実際アクセルかかれば、どんな方法でもエエんやから。
愚直にやればアクセルあったまってきたりする、これが一番の方法かも。
ところで、これ読んでる人は、一昨日何食べたん?
これ即答できへん人やったら、辛い思い出も覚えてない可能性が高い。
何が言いたいかっていうと「辛い思いもいちいち覚えてへんのや!」ってことです。
「あーだるいわー。でも、3時間後にはこのダルさ忘れてるしなー、よしやろう」
この考え方、8月31日は毎年地獄の俺には、ちょうどよかった。
ほんまに辛いこと覚えてるんやったら、毎年8月31日は地獄にならんて。
失敗4:時間は作らなできへんのちゃうか?これって、よく指摘されることだけど、俺の場合はなかなか気付かなかった。
対策4:なかったら作ればええんや!
よっしゃー、時間は作るでー。
ただ、「何時に宿題」とか言う、時間の作り方は、俺には継続が難しい。(業務とか、授業とかは別・強制力の働かない状況で)
ほな、どうするか。
俺の出した答えは、定石である「スキマ時間の徹底利用」だった。
人間の集中力は15分。つまり、最初の15分は、かなり効率良くトピックを頭に入れることができるということだ。
これを利用する。たとえば、受験生の場合なら、覚えたいトピックを、ノートに記して、すぐ取り出せる場所に配置する。
そして、授業の合間とかでも、先生が「今からプリント配るからー」とかの、空き時間に、ノートを開く。
5秒もあれば、そのトピックを確認出来るはずや。
そして、ソレに対する解釈をし、理解を深める。
受験生は暗記したがるし、実際暗記も大切。((暗記せな対応出来ない試験とか多いし))
でもなあ、大切なことは勝手に覚えるから、概念理解するほうが楽やで!
ただ、あくまでもスキマ時間の利用であって、また先生がお話始めたらちゃんと授業聞いた方がええで!
なんでかっていうと、内職よりも、教師との情報交換によって、トピックへの理解を深めた方が、おもろいとおもうから!
うまいこと自分なりに発見して、自分なりのやり方作ったらええんちゃうかなあ。
探すんもおもろいし、いい気分転換なると思います。
ポイントは
・簡単に参照できる
・すぐやめれる
この二つやと思います。
失敗5:なんだかんだ言って続かへん……
理由5:できへんもんは、できへんのや…
対策5:自分の中でやる理由を作る
要はドクトリン形成。このドクトリンは、他人からコピペしてもうまくいかん。
似てきてもええから、自分なりのアンサーを出すことが大切や。
ちなみに、俺のドクトリンはただひとつ。
重要なことは、蓄積をすること。
これを、俺の中で暗誦するんだけど、その度に、昔剣道の先生が言ってたことが思い出される。
「みなさん、私は1日どれだけ素振りをしていると思いますか」
剣道の先生やで、めっちゃ素振りしてると思うやん、せやから、そう言ったんや。
そしたら「お酒を飲んでしんどい時も、1日1回以上を目標にしています」当時は意味わからんかったわ。
でも、今なら、ちょっと分かる。
たった5分でもええ。
重要なのは、辞めないこと、毎日続けることやねん。
つまり、目標達成のための時間蓄積、時間蓄積のための行動、そして習慣化。例外を作らないことや。
できへん壮大な目標をぶちあげて、時間を空費することは、もう辞めたらええねんや。
5分でも愚直に蓄積すれば、0分より全然ええと思うで。
ほな、その5分を蓄積しまくればええねん。
>3.実際の行動を記録する。(PDCAのCheck or Study)<
やったことは記録する。
行動記録はモチベーションの維持の効果がある。
では、失敗例を
失敗1:正確に記録しようとする、やる気が失せる、ワイ略
理由1:記録が目的になってしまう
対策1:記録はかなりゆるい範囲でいい。3分しかやってなくても5分で記録すればいい。
重要ようなことは、蓄積することであって、記録することではない
失敗2:記録が続かない
理由2:めんどうだから、続かない
対策2:簡単に記録できるようなシステムを構築する。
エクセルとかで気合入れて作ろうとすると、結構つまずいたりする。
次の2つの条件を満たせばOK
条件1:簡単に記録できる
条件2:後から確認しやすい
これが達成出来るなら、パソコンにこだわらず、カレンダーに時間を記していってもいいし、シールを貼っていくのもいい。
英語を合計で30分やったら青いシールとか、1時間やったら☆とかそういのもいいかもしれない。5分毎にシールはるのもいいかも?
クエリで平均何時間とか本格的に分析して、細かい数字を出すのも楽しい。
でも、時間の蓄積計測は目的じゃなくて、時間を投資した中で何を自分のものにするのかが、目的だから、そんな精密でなくてもいい。
そして、記録は分析にも利用できる。
たとえば、「お、寝る前は効率良くやってるな」とか、「朝起きたときのほうが、はかどってるかもー」とか、そういうのを抽出できればラッキー。
その時間に積極的に、時間をつくっていけば、より短時間でたくさんのトピックを覚えることが出来る。
この辺の分析方法は、俺は、試行錯誤中。
たぶん経営学のあたりの範疇から、インストールできる概念多そうだと思うので誰か教えてください←主題
>4.改善点を見つけて、アップデート。(PDCAのAct)<
分析して、上がってきた課題を、次の計画に組み込む。
そんでアップデートすれば、同じ時間で、よりたくさんのことができるはず!
ってか、改善まで来てるってことは、三日坊主は脱却してるやろ!
もっと出来ること増やして、みんなが自分の理想を達成出来ればええね!
最後はあきっぽさ炸裂で、竜頭蛇尾や!!
Rubyは、純粋オブジェクト指向と評されるHaskellの直系と遇されるのが常だが、私の見解は、むしろマクロアセンブラにより近い、というものなのだ。Rubyにおいて継続すなわちcontinuationの使用はもはや常態とも言えるが、一方のSchemeでは、Algol的な例外機構の残滓により、Unixシグナルに留まっている。
制御構造のみならず、データ構造の観点からも、RubyはSchemeよりはるかにポストモダンと言えるだろう。淵源へと遡れば、マクロアセンブラとPascalの対立の図式へと導かれる。私は、Schemeのデータ構造は、唾棄すべき要因を含むという思いを抱く誘惑に抗いかねるのだ。そうであるならば、民主党の政権交代は失敗であったと結論せざるを得ない。
もとより、アインシュタインの相対性理論からも、明らかにRubyに軍配が上がるだろう。SchemeをSchemeたらしめているブロックスコープ構造にしろ、今となっては決して珍しいものとは言えない。いやむしろ、真に純粋関数型を指向するなら、Schemeへの共用体の導入をこそ今真摯に検討すべきなのだ。演算子オーバーロードですべての問題が解決するわけではない。この実存的な課題をただ黙殺しているSchemeに、私は異議を申し立てる。
↓
むしろ、その「国際標準のドレスコード」を守れていないから叩かれているわけで。
式典ではきちんとして、移動はカジュアルダウン。守られています。
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スーツもブレザーもタキシードも着崩す時は普通にあります。むしろそういうのが「カジュアルダウン」。
↓
さ あ 話 が こ ろ こ ろ 変 わ っ て ま い り ま し た !
学校の校則と、オリンピックといういわば大人のルールが適応される場所での基準を同列に語るほうがおかしいだろ。
アインシュタインが「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」と言っていたが、まさにその通り、18歳(高校生)までに学校の服装検査によって身に付けられた偏見が、国母を叩いている人間の服装に対する考えの基準なわけだ。
まぁ一つ一つ潰していったら、そろそろはっきりしてきたことがあるな。
ドレスコードを逸脱したわけではない、JOCから服装についての具体的な通達があったとは考えにくい、ノーネクタイという「気崩し」は問題とされない、一体国母の何が問題だったのか…そう、まさにこの問題はそこなんだよ。
国母が叩かれている原因は、実のところは単に「腰パンが気に入らない」という感情論ということだ。
社会のルールやドレスコードといった明確なルール違反をしたからではなく、単なる気に入らない若者叩きにすぎない。
個人の好き嫌いの問題に過ぎないことを、いつの間にか多数派が勝手に「社会のルール」などと言って強制力を持たせて、よってたかって一人の人間に無理矢理謝罪や反省や式典自粛をさせる「多数派の威を借る狐」のほうが、国母の服装などよりずっと下品で卑怯だ。
そして、もう一つはっきりしたことがあるな。
国母を批判している人ほど、ドレスコードや装いについての知識が無いということだ。
逆に言うならば、ドレスコードや装いについての知識が無いから国母を批難するのだ。
それにしても、普段は「若者のせいにするのもいい加減にしろよ」とか言ってるネットの連中が、典型的な若者叩きの標的にされた国母を叩くとは、何か笑えるなw
ジェンダーの問題の次は何をやろう。朝鮮の問題にしようか、それとも派遣に対するセカンドレイプもなかなかいい。私は時々そのように言いたい感情をもつ。ジェンダー問題は、すごく大事なことだと私は思う。ネットは自由だから好きにしていい。でもね、リアルでのジェンダーの話は、これがすごくうざい。それが世界の問題のすべてとは言わずとも、それが問題で一番大きなことだという口調で言われると、ああそうですか、何も言わないから私には構わないでと私は言いたい。私が言いたいのは、あなたが世界で最大唯一だと考えている問題は、同じようなレベルで同じような理屈ものが世の中にはたくさんあふれてる。そもそもアインシュタインは言った。問題のレベルでいくら語っても解決があるレベルはその1つ上だと。しかしあなたの話を聞いていると同じ議論の蒸し返しであるが多い。聞いていてあなたは問題を本当になんとかしたいのかと疑問に思う。あなたはなぜなら男が何度も同じことを言うからだというかもしれない。しかしあなたも結論ありきで、自分の言ってることを理解できない男を根拠なくバカにしているだけだ。稚拙な理屈しかこちらには伝わらない。それでもリアルでは、男である私が強く言うと、すぐに泣いたりして議論をダメにする。私はそうなったら議論をあきらめなければいけない。なぜなら私は男であるから。私はあなたとまともに議論をできたと思えたことがない。あえて言おう。ジェンダー問題はネットでやれと。