はてなキーワード: 高所得者層とは
この増田に「きみも他人の金をいっぱい使って育てられたのだよ~」とかいう寝言にスターをつけられている意味がわからない。
昔と比べて、雇用が男女平等に近づく一方で、女はいっこうに下方婚せず、また、子どもを持つことができる所得ラインが男だけ年収400万付近に境界線がある現状はおかしいのではないか。
その上、男性の高所得者層に限ってはほぼ既婚者で占められ子を持てている現状もある。
「社会で育てる」と言うからには当然そういった親の生活とは関係なく育てるべきで、親は子を産む行為以外のメリットを一切排除されなければならない。
そうでなければパワーカップルにさらに金を与えていい暮らしを提供する一方で、結婚することもできない男女の独身者はさらに負担を強いられる不平等があるのではないだろうか。
「社会で育てる」というのは子どもは生まれたら親とは切り離し成人するまで施設で育てることであり、その他の意見はおためごかしでしかない。
ヒプノシスマイクの設定が話題になっている。世界観の設定が、また変わったらしい。
ぬるっと女尊男卑と言い出してみたり、そのわりに男性が差別や偏見を受ける描写がなかったり(あってもイチジク様からくらい)。
かと思えば、男性キャラからのホモフォビア発言やミソジニー発言はポンポン出てきたり(左馬刻様はヤクザキャラだからわざとなのかもしれないけど)。
男性も普通に医者や警察や管理職(ハゲ課長)になれていたり。しかもそれが珍しいこととして扱われてもいなかったり。
(これだったらまだ現実世界のほうがいくらかディストピアじゃない?)
一方でホビアニを求める人には雑味になる設定だったと思う。
既に言っちゃった税金10倍はどう決着つけるつもりなんだろう。
しれっとなくすのだろうか。
ただこの税金10倍設定、今後の展開によっては「非常に上手くて丁寧で意義のある」設定にもなりうると思う。
・女だけの政権はごく近年成立した
・それまでの社会は現代日本並み、もしくはそれ以上に女性の地位が低かった
・男性への増税と、女性の減税の結果、10倍の格差は出来上がった
「政権が成立する前の社会では、男女の平均賃金の格差が著しく、女性の平均賃金は男性の7割程度しかなかった。
政権は、男女の賃金格差が解消されるまでの暫定措置として、男性への増税と女性への減税政策を導入した」
上記の条件ならば、税金10倍というバカが直感で思い付いたみたいな政策を実現できた理由付けができるのではないだろうか。
女性の平均賃金が男性の7割程、というのはまさしく現代日本の現状だ。
実は、現代日本の男女別平均賃金で考えるならば、ここから男性の所得税住民税を2倍に増やし、女性の税を2割に減らしても、なお手元に残る額は男性のほうが圧倒的に多い。
このあたりを強調して政策の必要性を強弁されたのであれば、ヒプマイ世界の男性は不満を感じながらも、受け入れるしかなかったかもしれない。
ヒプマイに出てくるイチジク以外の女たちが無自覚な性差別をかまさないのも、男性が医者や管理職になれているのも不思議ではない。
政権ができたのは最近だから、まだ庶民レベルには女性優位の価値観が浸透していないのかもしれない。
政権ができる前に医者や管理職になれた人が、そのまま仕事を続けているだけかもしれない。
たとえ税金10倍に、この一見正しそうな理由付けをしたとしても、政権が悪でなくなるわけではない。
所得税減税というのは、必然、高所得者層が最も得をする仕組みになっている。逆にいうと、増税されれば損をする仕組みでもある。
おそらく政権に近しい者たちは、強い権力を持ち、所得も高い女のはずだ。まさかイチジク様の年収が200万円未満ということはないだろう。
そのためには、『男女の賃金格差が解消されずに永続する必要がある』。賃金格差がなくなれば、税制を続ける根拠がなくなるからだ。
政権の中枢の女たちは、私腹を肥やすために、あえて男女の賃金格差を固定する政策を取っている可能性がある。
女性の管理職登用や、産休育休制度の充実や、仕事復帰の推進など、本来とるべき是正措置をわざと後回しにし続けているかもしれない。
そのとき、政権は男性の敵であり、かつ弱者女性の敵でもあることになる。
こうなれば構図は、もはや「男対女」ではない。「不平等な社会を維持して利益を得ようとする強者マジョリティ女性」vs「不平等な社会によって不利な立場に置かれる、マイノリティ男性と弱者女性」の構図。
弱者女性が男性を下に見たり蔑んで溜飲を下げるのでなく、男性も女性全体を敵視するのではなく、共通の敵を倒すために合流し、ともに連帯し、平等な社会を目指す。
https://www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html
のブコメには
この「やむを得ない」はゆとりのない親の諦めかもしれない
6割ってことは、これ回答した保護者自身が必ずしも優遇された側ではないってことだと思う。一種諦めみたいなものがあるのだろうか……
という疑問が当然出てくる。こういう疑問が出ることは調査側も分かっているようで
https://www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html
そしたら今度は
「当然だ」と「やむえない」には、意識に大きな差があるように思えるが、大雑把に一括りにして、金持ちは容認してるとか、社会分断だとかと記事にするのはミスリーディング狙いにしか思えない。
なんでこの人らってちょっと横にある記事やすぐ下のブコメにすら目を通さないの?
大抵すぐにソースを誰かが貼ってくれるし
https://berd.benesse.jp/up_images/research/Hogosya_2018_web_all.pdf
良く分からんな、と思えば少し検索してみりゃいいじゃない。いやもちろん面倒だからそこまでやってられんと思うのはいいよ。でもそうであるなら「まだ良く分からんから判断保留」とあなたも待とうよ。そんな大雑把な把握状態でコメント書いちゃうのもまたミスリーディングだろ。
調査の中身や一番言いたい点をきちんと理解しているブコメもあるんだからできないことじゃないよ。
この「やむを得ない」はゆとりのない親の諦めかもしれないと元データに当たったら、ゆとりがあると言ってる家庭の方がよりこれに同調してた
聞き方ガーは脇においても、「当然だ」が増えた、「問題だ」が半分から三分の一になった、ってのは問題だろ。やむを得ないが諦めなのか何なのかは読み取れないのでそこを問題にしても何の結論でないんやで。
問.『所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向があると言われます。こうした傾向について、あなたはどう思いますか』
「最低限の教育」のレベルを上げる話ならともかく、経済的に豊かであれば私的に教育に回せるお金も増える事実に対して「やむをえない」と捉えるのは当然
この問いは「経済格差は次の世代に連鎖し、貧乏人は貧乏のままである傾向がある」という誰でも知っている社会問題についての質問だ。
それを「お金持ちはお金持ちになるのは「事実」なんだから」と「事実なんだからやむを得ないよね」なんて答えてしまうなら、最近話題の「問題文が読み取れないから正しい回答ができない子供」と変わらないじゃないか。
問題. 社会格差の連鎖があり、経済的に貧しい人が教育のレベルをなかなか上げられないことが問題となっています、どう思いますか?
回答. 最低限の教育のレベルを上げる必要があります。社会格差があるのは事実です。事実に対して「やむをえない」と捉えるのは当然です。
ね、回答になってないでしょ。世の中のあらゆる問題は事実そこに存在するが「やむをえない」かどうかはその事実の"原因"によるんだから。
がんばってお金を稼ぐことが、子供に教育を沢山受けさせ、良い大学に入って良い会社に就職して良い人生を過ごしてもらうことに繋がるってのはとてもいいことだし、この良い連鎖は切れることなく続いてほしいと思う。
「やむをえない」が5割ということは、その中身は多様で、上記問題点など当然理解したうえで回答し「貧乏人は貧乏なままでいろなんて思ってるわけないじゃないか。5割をひとまとめに語るのはやめてくれ」って文句を言いたくなる人はハテナだけでもそりゃ沢山いるだろう。
問題が悪文で回答がこの三択って……となるのも分かる。明らかに誤答を誘う問題を指摘するのは正しいけど、今回のは分かるじゃん。「金持ちは貧乏になれって言うのか!」とかそういう突っ込み入れるんじゃなくて、なぜ近年「教育格差を許容する人の割合が増えてきているのか」の考察をしようよ。
経済的な不平等の問題はいまや公的な議論の最前線であり、その原因は多面的だ。日本においても世代・家庭・男女・所得間など様々な格差があり、それぞれに異なる原因がある。これらの格差を打開する為には、多面的な対応が必要である。従って私は、日本の格差是正の為に三つの政策を提案する。
一つ目の提案は、年金の給付方式に積立方式を追加する事だ。この政策の目的は、年金の世代間格差を緩和する事だ。現在年金は、既に受給が始まっている世代は納付額より受給額が多い一方で、将来的に受給額が納付額を下回りかねない状況にある。この不平等を解決する為には、国の年金を受け取る退職者が、賦課方式と積立方式のどちらでも受け取れる様にするべきだ。これにより、納付額が受給額を下回る事が無くなり、受給額の世代間格差が緩和される。少子化が進んだドイツでは類似したリースター制度が実施されたが、日本でも同様に制度改編を実施するべきだ。
二つ目の提案は、母親を対象とする児童手当の確立だ。この政策の目的は、育児環境の格差と、男女間の給与格差を是正する事だ。教育費や保育施設利用費の支援を行う事で、家庭間の教育格差や環境格差を緩和する。さらに母親を対象に支給する事で、男女間の給与格差を緩和する。日本は先進国の中で育児に対するGDP比支出が最も低く、育児における環境格差が大きい。東大の進学率と両親の収入が相関を示すという調査もある。男女の地位格差も先進国の中では大きい。これらの格差は、今後の社会保障を安定させる為にも、是正する必要がある。将来世代の担い手は、社会全体で積極的に支援するべきだ。
三つ目の提案は、累進課税の累進度の引き上げだ。この政策の目的は、前述した社会保障制度の財源を確保する事と、低所得者と高所得者の格差を是正する事だ。日本は上位一パーセントの所得階層所得割合が10%を超えている。応能分配の法則から見れば、現在の状況は不平等だ。累進度を引き上げれば、高所得者層の富は低所得者へ社会保障として再分配が可能となる。従って、累進度は引き上げるべきである。
これら三つの政策により、現在の世代・家庭・男女・所得間の格差を是正する。同時に、将来の担い手である児童の支援を行う事で、財政健全化を図る。これを持って、さらなる格差是正に向けた社会保障の拡充を目指すのである。
(979字)
助けられてばかりで嫌だから自立できるように設備が整えばいいのだと思いますよ。
あなたはこれまで自分が一人で、誰にも助けられず生きてきましたか?
あなたが毎日使う道路や鉄道は誰のお金で誰が作業して作ったものですか?
あなたが社会人だとして、これまで払ってきた税金だけでその道路や鉄道はここまで便利になったと思いますか?
どうか勘違いしないでください。
あなたもどこかの障碍者と同じように、知らない誰かに助けられて生きている事を自覚してください。
障碍者は健常者のお目こぼしで生きてるというのなら、あなたは日本の歴代高所得者層の恩恵で生きてるんですよ?
その人から「あなたが持つ能力でこれしか税金が払えないならこの公共道路を使う事はできません」と言われたとしてあなたは納得しますか。
この記事とかで
http://diamond.jp/articles/-/88551
三行にまとめると
こういう話なんだが、これ全く逆じゃね?
こう言われる人々が真っ先に淘汰されるだろうってのが今の流れだろ。実際には
大量に集められた情報をつなぎ合わせて、意味を推察する分析は、コンピュータが得意とするところだ。ここ4年ぐらいで爆発的に進化してきている。そう考えると、ここで挙げられている「微妙に高給取りの、中途半端な頭脳労働者」、つまり上の下ぐらいが一番淘汰される可能性が高いんじゃないか。
例えば販売員が不要になって、コンサルティングが残るという話があるけども、すでにネット通販では「あなたにおすすめ」「これを買った人はこれも買ってる」「この作家が好きな人はこの作家も好きだけどいかが?」とかおすすめするのが当たり前になってる。
これがリアルに持ち込まれなかったのは情報の集約と、顧客識別に問題があったわけだが、これはすでに技術はできた。
あと数年以内にTカード当たりがカード不要の顔パスサービスなどと言い始め、顔認識がコンビニのレジに搭載されて、店員側のレジ端末にその客に対する対応の仕方や、よく買うタバコの銘柄、●×の商品を勧めろ、と言った情報が表示されるようになるんじゃないかと思う。
こうなると、昔は研修に研修を重ねて経験によって案内していたような上級販売員の様なことを、一山いくらのパート従業員ができる様になる。同じようなことは、経営方針の分析などもそうだし、製造業などの方針決定や、製品設計の初期段階における実現性・妥当性分析などもそうなるだろう。
それから、この手の記事で一番抜けているのは、経営改善はコストが高いところから削減されると言うことじゃないのかと思う。そして「代替可能になる」と言うことと「実際に代替される」という所は大きく違うのだが、その読みが足りないような気がする。
改善活動で使われる手法に「パレート分析」って言う物がある。要求度を分析して、要求度の高い順番に並べる。これの目的は影響が大きいところから手をつける対象になる。ここだけみると、コストが高い部門がまず真っ先に改善の対象になるはずなんだが、なんで今まで対象じゃなかったか、と言うと代替不能だったからだ。それが代替可能になったとなれば、まずそこから片付ける事を考えるのでは。
と言うわけで、こういう所で「考える力を身につけて創造的な「職種」になる事ができれば生き残れる」というのは全く間違いなのでは。
昔、最先端の花形職業として「タイピスト」というのが合った。活字を直接指定するような特殊な日本語タイプライターを操り、漢字混じりの文書を直接作成する仕事だった。タイピストはみんなのあこがれで、専門技能者として給与も高かったそうだが、電子ワープロの開発できれいさっぱり消えてしまった。
彼らは創造的な仕事かどうかという話ではなく、彼らが高給取りだったからこそ、そこを改善する為の装置は高く売れるだろう考えられ、資本が投資されて開発されたという面があると思われる。
そう言う面では、安全だと言われる筆頭格の医者なども技術さえ開発されたら危ない。高給取りなので、1人の医者に3人分の仕事をさせる装置を1人分の医者の給料で売れよく、医師一人分の給料が高ければ高いほど開発に投入できるリソースが増えるわけだから。
資本家にもなりきれず、給与所得者という「使われる」立場から抜け出すことができず、一方で単純労働者よりもコストが高い、こういう所が真っ先に狙われるのではないか。
そしてその結果どうなるかというと、職がなくなる、んじゃなくて、給料が安くなると言うことなんじゃないかと。
高価なセミナーを受講して、苦労して身につける必要があったスキルが、今後はコンピュータの支援を受ければ低賃金のバイトでもできる様になる。このとき、低賃金バイトの給料+コンピュータによる支援システムの総合計とコストを比べられることになると言うことになる。
今だって製造ラインのかなりの部分はコンピュータとロボットで代替だ。最先端の映像認識技術と、ロボットアームを扱えば一瞬で魚の大きさを判別して分別することもできるし、大きさと形状を認識して三枚に下ろすことも可能だし、そう言う装置は販売されている。でもそれが現実に使われないのは、そんなものを頑張って入れるよりも、おばちゃんたちを最低賃金で雇った方が安いからだ。
あるいはあらゆる物を数値制御で作り出すマシニングセンタや、立派な研究開発施設をもって一品物ならばあらゆる物が作れる設備がある大企業が、町工場のおっちゃんたちを職人職人と持ち上げるのは、お金をかければラインに入れられるが、それよりも彼らは安く挙げるからだ。職人さんたちは頭を下げて依頼しに来る大企業の担当者よりもずっと給料は安い。
と言うわけで、中途半端な知能労働者、それこそダイアモンドとか東洋経済とかプレジデントとかそう言う経済ポルノ雑誌をありがたがって読んでいるような層が一番危なくて、彼らは実家住まいでないと生きていけないような薄給で働かされている中の下以下の貧困層と競争を強いられる時代になるのでは。
しかしその貧困層は途上国の労働力と戦うことを迫られるわけだが、10年後にはまだあるだろうと思う。その頃には政治体制がいろいろな変革を迫られる状況になるとは思うが、その後も、今から20年後、30年後というスパンでみたときも、今と同じく社会に最低限の人権が残る程度だと仮定すると、それでも貧困ビジネスのような物は残るかなと思う。
そのとき(30年後ぐらい?)上流階級になるには、普遍的な価値を独占する資本家になるか、時たまおきる新商売の中で先行者利益を独占できるような「強運」(実力ではない)に賭けるか、そんな金持ちの彼らにかわいがられる芸術家や宗教家になるかぐらいしか方法がなくなってくる、ような気がする。
結局、に中間層が消え去って貧富の格差が増大するが、今の流れだと自分は高所得者層に入れるだろうと思っている人々の多くが脱落してくるんじゃね、と言うありきたりな結論になっちゃうわけだけど、ただそんな社会はいろいろと持たなくなって、経済的な面でも持続的成長は止まるだろうと思うので、額面通りのインダストリアル4.0が来るとしてたらここらの前提になる部分はどこかでひっくり返るんじゃないだろうか。
あの日も、東京に雪が降る、そんな予報が流れていた日だった。当時俺はとある芸事の女師匠に弟子として使えていた。稽古場兼住居に住み込みをし、師匠の身の回りから何から何まで
を管理していた。師匠には妹がおり、その妹さんと資産相続の件で揉めていたのだ。師匠の親はもう80を超える年齢で、とある上場企業の創業一族。都心の一等地に屋敷を構えていたらしく、
その屋敷と土地の分け方で姉妹がうまく行っていないというのが専らの噂であった。十数年前の寒い日だった。ニュースでは翌日から関東にも雪が降り、交通の便が乱れるだろう、そんなことを
夕方、突然師匠の妹さんが訪ねてきた。俺はお茶を準備し応接間にお持ちしたが、二人の険悪な様子は鈍感な俺にも伺い知れた。後から分かったことではあるが、妹さんは親の屋敷に住み、父の介護をしながら、
その屋敷で地域の子供相手にピアノ教室を開いていた。しかしながら、師匠はその屋敷を取り壊し、大きなマンションにすることに固執していた。勿論それは相続税上、賢い策ではあったため、
妹さんは決して反対ではなかったのだが、せめてピアノ教室のスペースをマンション内に設けてほしいと依頼していたらしい。しかし、師匠はそのお願いを断り、妹をマンション計画から追い出そうとして
いたのだった。
話し合いは平行線に終わり、妹さんは去った。師匠は俺を呼び、「清次郎(仮名)、塩をまいときなさい」と命令した。私はしょうがなく、玄関に塩を撒いたのだった。師匠のそういう部分がとても嫌いだったで、
イライラして沢山の塩を、えいっとまるで水戸泉の真似をしながら撒いた事は覚えている。
さて、翌日俺はいつも通り朝6時に起き、箒を持って、近所の掃除に向かおうとした。近所付き合いも兼ね毎日行っていた習慣だった。引き戸の玄関を開けて俺は気を失いかけた。何と師匠が玄関に
倒れていたのだ。顔に生気はなく、口から血が出ている。俺は気が動転しながらも、師匠を抱きかかえた。身体は冷たくなっていて、呼びかけにも殆ど反応が無かった。すぐに救急車を呼び、俺は近所の知り合いに
助けを求めに一旦外へ出ようとした瞬間、つるっと滑ってしりもちをついた。全く師匠と同じ場所で。雪の予報は外れ、雨が降った程度だったが、冷え込みは激しかった。扉を開けた一面がまるで
アイスリンクの様になってしまっていた。痛めた腰を摩りながらよく見ると、凍っていたのは昨日俺が師匠に言われ塩を撒いた一部分だけであった。そこだけが、まるでそこが死の世界に繋がる入り口のように、黒く艶やかに光っていた。
救急車の中で師匠に呼びかけながらも、俺の手のひらに出てくる脂汗が師匠の容体からではなく、自分が撒いた塩に関しての生体反応であることは気づいていた。師匠はその後入院をしたが、脳内出血をおこしており、
意識が戻ることはなく、数週間後にこの世を旅経つこととなった。
さて、そこから意外な事になる。俺は、そもそも、師匠の冗談で師匠と養子縁組をしていたのだ。師匠には子供はなく、まだ50代であった事もありそれほど深い考えがあって俺を養子にしたとは思えない。
しかしながら、すでに師匠はその土地の一部を生前贈与していたらしく、その土地の相続する権利が俺に発生していまい、師匠の一族(といっても殆ど死去しており、また、子も少ない一族であったので数人)、
と話し合いをすることになった。俺は勿論その相続が単なる冗談の様なものであったことは理解していたので、放棄する手もあったのだが、妹さんと話していくうちに、何故かこの人を守りたいという気持ちになり、
一部の権利は確保することとなり、マンションの建築計画に参画をすることになった。
少ない知識ではあったが、マンションを建てることで相続税も最小限に抑えることができ、勿論そのマンションの一部をピアノ教室にして、更には何とその妹と、お互い50代ではあったが慎ましく結婚をした。
一族も皆無欲な人々で、株券だとか、車だとかそういうものは皆で分けたが、土地の権利は我々夫婦で全てをもつこととなったのだった。
ピアノ教室はその素晴らしい立地もあり、多くの高所得者層のご子息が多く通う教室となり、経営は成功した。優秀な講師をどんどん雇い入れ、レベルがある程度高い割には、
牧歌的な雰囲気もあったことが成功の秘訣であった。また、数年後にはそのノウハウを生かしフランチャイズ展開も行った。今では全国に20か所の同じようなピアノ教室を運営し、
我々は経営の一線からは退いたが、妻は相変わらず子供たちにピアノを教え、俺は趣味でかつての芸事をやったり、日本全国の登山をしたりと悠々自適な晩年を送らせてもらっている。
しかし、こんな寒い日になると、俺はあの日、手にもった塩の感覚が蘇り、汗がじとっと出て一人布団で震えているのだ。人間の運命とはかくも不確かで、不安定なものである。それは、ただの偶然の積み重ねだったのだろうか、
それとも、神が定めた運命だったのだろうか。いや、きっと人間一人の人生など、大きな宇宙のうねりの中ではまるで人間にとって小さな蚊が叩いた手からすり抜けていくか、はたまた潰されてその一生を終えるのかの如くであろう。