はてなキーワード: 金言とは
マイメロママのグッズが発売中止になったのはただの「経営判断」ですよ?
サンリオのブランドイメージを総合的に考えた結果であって、クレームはその一因に過ぎません。
サンリオレベルの大企業ともなれば常日頃から、ありとあらゆるクレームに晒されます。
ほんとうにくっだらないものから、傾聴の価値がある金言まで様々なものが寄せられます。
そうやって寄せられた一つ一つのクレームにどう対応するかは一企業の判断であって、法や行政によって強制されるものではないんですよ。
今回のサンリオの判断については消費者の中でも是々非々あるでしょう。
ですが、そこで問われるべきは「サンリオが下した判断と対応の是非」であって「クレーム内容の是非」ではないんですよ。
そこを勘違いしないように、ね。
歳取るごとにこの金言の重さに気付かされる
まずはこの読み切りを読んで欲しい。
読んだかな?
じゃあ感想も読んでね。
さて、君はどう思った?
まあ基準をどこに置くかだよね。
私が同じレベルのを描けって言われたら一生描けないかも知れない。
そもそも頑張って絵の練習をしないんだからそりゃそうなんだけどさ。
10年以内に出来なかったら殺すって言われた場合に必死に抗うよりは諦めたほうが楽かなってラインぐらいは超えてると思う。
まあこれより絵が汚い漫画ってたくさんあるし、ジャンプに載ってる新連載の半分以上は単なる絵柄の問題を超えてこれより下手かなって思う。
でも漫画の絵として考えると自分なりの絵柄を持ってれば下手でも成立する部分はあるから絵のレベルで負けてるのは半分ぐらいかな。
漫画業界全体で考えると問題はもっと難しくて、絵柄は完全に捨てて内容で勝負するタイプだとヘタウマですらなく単にやる気がないだけのも沢山あるよね。
もちろんすっげーうまくてこの漫画は足元にも及んでないのだって沢山ある。
今回の場合は「新人の読み切りとしては」って考えたら上位2割ぐらいには入ってそうだし、上から三等分で高いー普通ー低いのラインを引いてくなら「高い」にカウントしていいだろう。
でも世の中には「あらゆるものは上位1割以外はカスである」っていうSF界じゃ金言とされているような考えもあるんだな。
この理論だと上位1割に入れるのが普通のラインで、そこから上位1割に入ってようやく本当の上位になるらしい。
そうなると「高い」のラインは「全体の1%」に引かれてしまうわけだ。
その基準で考えても乗り越えられる漫画家、画力の化け物としか言えない漫画家は何人か思いつくよね。
流石にそのラインじゃなくても、描きたいものを表現するのに全く不足を感じさせないレベルの人、驚異的執念と緻密さで描こうとすることが狂ってるようなものを描いてしまう人もウジャっといる。
画力系漫画家のレッドオーシャンっぷりってのは本当意味不明なレベルでここ20年ぐらいの間にだいぶ進んでしまったと思うよ。
同時に画力が低くても漫画家として成立させる技術みたいのも確立されていったから全体で中央値を取ると昔とあまり差はなさそうなんだけど。
そもそも漫画の画力って「手段」と「目的」で変わると思うんだよね。
「手段」っていうのは「表現したいものを表現しようとしたときの減衰を防げる」かどうかが重要。
「目的」っていうのは「絵の上手さそのものに商品価値を見出してもらうことが出来る」かが重要。
この2つは似ているようで結構違っていて、漫画に対して読者が求めるものでも変わるんだよね。
漫画に対して求めているものがストーリーである人にとっては、「作者の画力の高さをアピールするためにストーリー展開や読みやすさの優先度を下げてまで用意された画力アピールコーナー」なんてのは評価対象外にさえなるんだけど、漫画に絵を求めている人にとってはストーリーはそういった絵を際立たせるためのマクガフィンでさえあり得るわけだよね。
まあ「手段」としての画力が高いことは一般に「漫画力が高い」って表現の中でストーリー構成とかと纏めて括られてしまいがちだけどね。
そうなると「画力が高い」って表現をするときはやっぱり「目的」になりうるレベルが求められるのかな。
この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境、文脈、空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルールや常識、慣習があるけれども、それらをストレートに適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。
アブラハム・マズロー(欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。
‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日の問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130
‟さらに範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132
マズローは、物事をありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。
イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃんの彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメンに公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。
これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶や炭酸水やチーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。
そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。
違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子に腰かけていたことだ。リッツの普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。
別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。
でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかわからない。人間は言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。
10分ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているものが時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察に被害届は出さないという内容で決着した。
最後に店長は言った。「リッツ君。今日が最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。
当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。
・当日遅刻 5,000円
・当日欠勤 10,000円
・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記の慰謝料)
リッツは規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。
当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか。
①リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応)
②リッツが立命館大学の学生課もしくは先輩もしくは親に相談する
④罰金は減殺される可能性が高い。警察に通報されたら逮捕リスクあり。
上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか。
店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。
今回の件だと、警察に被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツが問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。
※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町で風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツは警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ。
憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。
一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプの社会人だった。だから、ルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規の罰金を課す)のが正しかった。
私は今、地元の広島で地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに、市民や企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功のキーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。
上記の「成功のキーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政内組織で要職に就けたりする(教育委員など)。
一般市民や企業を不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間も下の人間も判断したからそうなっている。
反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。
キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンはものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。
でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。
この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。
この辺りから、シフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験の勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。
時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。
私には小さい名誉があった。木屋町や先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。
バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ(京都風俗情報掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子に接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。
今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。
そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から、自分のパフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから、調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。
11月になった頃だった。M主任が退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。
トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。
この時のM主任の言葉は脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは、大学生当時の日記をベースにしていることによる。
「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん、仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」
呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。
その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか。店長ともう1人、灰色のスーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと今時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。
このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。
部長の話には説得力があった。説得力の要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力が生まれる。
・公務員はこれから厳しい時代になる。お金の問題ではない。本質的な意味で割に合わなくなる。
・あなたが就職する自治体の初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。
・S店での働き次第では本社に来てもらう
・日本の芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。
・お客さんも仲間もあなたを支持している
今思えば典型的なリップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。
でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元で公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。
特に最後にやつ。あれにはやられた。部長はソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢からの手紙であることがわかった。
「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」
ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。
「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会があなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」
『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。
右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。
私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。
その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。
手紙のほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。
私に対するポジティブな言葉も、ネガティブな言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。
彼女はハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。
一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。
あの部長の姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ。
私は地元で公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。
最後の勤務日は静かだった。普通の職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールとキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。
最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。
(次が最後です)
コロナ騒動の中、突如として存在感を増したのが「医師会」なる謎の集団です。実態は開業医の団体で、医学の進歩に関与するというよりは、自身の既得権益を守ることを主とした政治家への圧力団体。日本医師会の中川俊夫会長、東京都医師会の尾崎治夫会長が頻繁に会見を開きました。彼らは常に国民に対して「自粛しろ!」「医療を逼迫させるな!」と命令し続けた。
これらの発言はまぁ~、テレビも新聞も通信社も取り上げるわけですよ。「医師会からの切実なるお願い」的文脈でね。これを受け、バカ国民は「ははぁ~医師会様、ありがたい金言をたまわりありがとうございます!」となった。中川氏も尾崎氏も自民党議員の政治資金パーティに出席したり、中川氏に至っては自粛要請していたというのに女性と寿司デートでシャンパーニュですわ。
この2人のお陰もあり、「医師会=立派な方々」というイメージが定着し、医師会が言うことはすべて立派ということになった。そんな中の茨城県医師会のロッキン中止要請。「ワシらも日本医師会や東京医師会のように存在感見せて仕事してる感出さなくちゃな」とばかりに中止要請をした。
おい、お前ら! 鹿島アントラーズの試合にもそんな要求していたのか!
結果的にロッキン側は中止要請を受け入れ、声明を発表。私は渋谷氏のこの判断、実にロックだと思います。多分、医師会は「ワシら、ちゃんと仕事してるもんね~。一応要請出したよw」みたいな気持ちだったろうに、本当に渋谷氏が「じゃあ辞めます」と言い放ち、「えぇぇぇ? マジぃ?」となったのではないでしょうか。結果、茨城県医師会は大炎上。渋谷氏のすさまじき胆力により、医師会の横暴を世間に見せつけたのでした。
ここまで五輪とロックフェス、2つの中止例を見ましたが、賢明なる皆様はもうこのダブルスタンダードが分かるでしょう。「なんか五輪とロックフェスってヤバそう♪ でも、プロ野球とJリーグは安心だよね♪」という単なるフィーリングの問題なのです。これによって多くの人がこれまでの準備・努力・自己研鑽・友情・愛情をぶっ壊されたのです。
酒を飲んで騒ぐやつが居るからだ。
職場での飲み会というのは、断りにくい。断固断るという姿勢が必要だった。
職場の上の人間が、新型コロナウィルス感染拡大を尻目に「特に自粛要請はないから大丈夫だろう」ということで今週の月曜に決行することとなった。
正直、皆もいい大人なんだし、平均年齢40代の飲み会だから皆わきまえているだろうと思っていた。
甘かった。
新型コロナウィルス対策は、入店の際のアルコール消毒だけである。
「え? 皆マスクを外したまましゃべるの? この至近距離で……」と、驚いた。
密集密接密着の三密状態で皆大声で喋りだした。
換気などはされていない。
狭い部屋に密集した状態で皆叫んで笑っていた。
酒が入ったらもう止まらない。誰も新型コロナウィルス対策など守りはしない。
自分の箸で直接食う。
酒を回し飲みする。
大声で笑い、叫び、会話をする。
どうしたらいいのだろうか。
とりあえずトイレに逃げた。他の部屋はどうなのだろうかと思った。
他の部屋も全員マスクを外して大声で笑って叫んでいた。
逃げたい。
逃げ出したい。
「酒を飲むなと言ってるわけではない。少人数で短時間。会話をするときはマスクをして。換気をして。座席は斜向かいに」
と言ってた。
しかし結局二時間エンドレスで飲み会は終わらなかった。皆座席を移動して密集し、マスクをせずに喋りまわった。
本当は「お前らが酒を飲んで騒いでるから感染者が増えるんだ馬鹿野郎どもが。基本的な感染対策も守れないなら酒なんか飲むんじゃねえ」と言いたかったに違いないのだ。
そして、木曜の今日、尾身先生の言うことを無視した結果、全国で最大の感染者を出してしまった。
そして体調が絶不調に悪い。
ビクビクしながら体温計を毎日見ている。
そうしないと中止できないのです。
お願いです。
それが心からの願いです。