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はてなキーワード: 抵当権とは

2017-02-10

[] H25民法コメント

設問1

◇①の検討顕名代理権に触れているので、請求原因に④顕名、⑤代理権も追加しちゃってよいと思う。

事実がたくさんあるので、もっとじゃんじゃん事実を適示して行ってよいと思うんだけど、意外と上位答案もあっさりだった。

設問2

◇上位答案もあんまり書けてなかったんだけど、ここは通説(我妻説)で書いていくと事実が拾いやすい。

(1) まず事案を、①FがHを履行代行者として使うことが禁止されている場合、②許諾されている場合、③どちらでもない場合、のどれに当たるかを認定する。

(2) 本件では②に当たる((ⅰ)そもそもコーヒーショップを開くと言っている時点で内装工事をするのは織り込み済みのはず、(ⅱ)実際に説明を受けて許諾をしている)ので、その場合はFの選任・監督過失があるかを認定する。

(3) Fは(ⅰ)元医療機器事業をしていて今はコーヒーショップ経営者から内装工事については素人、(ⅱ)亀裂も専門家のEが調査してはじめて分かるものだった、というのだから監督は期待できず、監督過失はない、とか。

(4) (2)を争うとかが出来たら超上位答案だけど、さすがに1位の人しかできていなかった。

設問3

◇やべぇ俺ここ問題読み違えた。すいません。

◇ここ書き方が趣旨実感にはっきり書いてないので上位答案からの推測になってしまうんですが、判例規範に当てはめている答案が上位に来ていた。

 つまり、Dの丙建物に対する抵当権設定登記平成23年9月14日で、必要費償還請求権を取得したのが平成24年9月9日であると。自働債権の取得が登記より後なので、相殺抵当権者に対抗できませんよ、と一応認定していた。

◇射程外とする議論は卓抜だと思った。ばっちりだと思う。

2016-11-25

[] H22民訴コメント(アンサー)

H22民訴

全体として項目があってすごく読みやすかった。

・設問3

代理要件については、顕名がないという点だけど、加藤解説では、顕名なき訴訟代理の可否という項目立てて論じてた。この論点論理の流れは、顕名趣旨は、当事者本人が誰であるかを相手方に示すもの代理人が本人の名で訴訟行為やっているか趣旨妥当する。また、法定代理場合と異なり、訴訟代理人の氏名は訴状必要記載事項ではない(133条2項1号後段対照)から民事訴訟法は、訴訟委任に基づく訴訟代理要件として訴訟代理人の氏名の表示を要求してない。よって、民事訴訟における顕名なき訴訟代理も認められる。

こんな感じだった。④の書面の話は解説では触れてなかった。

・③の弁護士代理の所は趣旨から論じてて読みやすかった。

当事者の確定を論じるときになぜ、当事者の確定を論じるかを書けるとよかったかもしれない(俺もできてないけど)。具体的には、被告がGとされると、訴状の表示の訂正を要するだけで、Gのし訴訟行為の効力がEに及ぶ。対して、被告がEである場合は、Gがした訴訟行為被告ではないGが被告として行ったものとなるから原則として無効となる。そこで、EGいずれが被告かが問題となる、といった感じか。

設問4

(1)

・この問題長所短所というのは、法律上の主張として裁判所に認められるかどうか、という意味での長所短所らしい(採点実感)。ただ、多くの答案がそのように書いてなかったらしいから、問題が悪いような気がする…

そうすると、法律構成①の長所記述では点が入らないかも。加藤が書いていたのは、信義則という一般条項を用いることなく既判力を遮断できるから法律上の主張として裁判所に認められやすい、ということだった。

法律構成①の短所は、既判力の正当化根拠整合しないことと処分主義に反する、といことらしい。ただちょっと解説聞いても意味がよくわからなかった・・・すまん・・・

この辺の所は、藪口連載で出題されてたような気がする(問題みて困難でねーだろと思って解説は読んでないが)

(2)

・条件付給付判決は将来給付判決なので135条必要さらっと加藤は流してた。

・135条のあてはめでは、Fが第1訴訟の時点から被担債権金額を争っているため、これを先決問題とする抵当権設定登記抹消登記手続請求義務存在も争っているといえるから、Aが同義務の履行を求める時期においてFが即時に同義務を履行することが期待できない、というあてはめをしてた。義務者の対応問題として認めているってことかな?

・246条違反の話だけど、これって原則例外の話なのかがちょっと気になった。あんまり質的一部認容判決の話で原億例外っていう感じで論じているのを見たことがないので。違ってたらごめん!

被告の防御権を侵害するかのところで、加藤は、残債務500万円のところに既判力が生じない、という点を論じていた。ただ解析とかでも訴訟で争えったから不意打ちではないって書いてあったから、ここまでかけた人がどれだけいたのか疑問ではある。

2015-12-15

金に振り回される現状がすごく嫌だ。俺の借金じゃないのに。

親父が事業をしてたんだけれど、今借金に追われている。

親の借金なのに、クソ親父が入院しているせいで24の俺が事業仮引き継ぎみたいな感じで面倒見てる

1件だけ金融機関電話教えたら、当然のように催促の電話してこられるのかなり不愉快。俺の借金じゃねぇわボケ

今の借金

住宅ローン2千万、メイン金融機関900万、サブ金融機関100万。車のローンが30万、それにカードローンも100万ほど借りてるらしい。

事業やってると普通なのかこれ?カードローンの時点でかなりお察しな感じだと思うんだが。アホかよ。

しかも、俺に60万の借金させて、母が100万ぐらい保証人になってるらしく、抜け出せない。

迂闊だった。



「今苦しいから・・・今だけ!」って言って当然のように金借りさせてる時点でおかしいと気づくべきだった。





そもそも、金融機関が「貸さない」って言った時点でおかしいことに気づくべきだった。

自身預金残高分しか借りさせないことだけは死守して出させたけど、結局半分だけ払ってあとの35万は俺にぶん投げてドロップアウトか。おめでてーなクソ親父。

まぁ、俺の借金は返せる。問題母親借金だ。


金に振り回されてる、今のこの感覚が物凄く嫌だ。

そもそも、何でも後回しにしすぎなんだよあのクソ親父。

年金も貰えるっつーのに、何も手続きしようとしねーし、役所の支払い期限過ぎた督促状を、封筒すらあけない。クソが

今回で、「何もしない」ってのは本当にクズのやることだなって思い知ったよ。

近々、弁護士相談して破産させようと思ってるけど、母の借金もある手前、どういう行程を経て破産させるか迷う。

とりあえず3ヶ月他の借金全て踏み倒してでも、母の借金だけはなんとかしてやりたい

が、クソ親父名義の口座から差し引かれてるので、その口座に入金すると先に他の借金が落ちる。どうにもできない。

口座変えればいいって言ってるけど、同一口座・同一日から2つ併せて月35万ぐらい引き落とされてるからダメなんだ。

母の借金のほうが額面が少なければ、それだけ口座に入れとけばいいけど、そうじゃないからもう一つのほうが先に引き落とされちまう。

あと、今俺名義の借金って一括で返しとくべきなのかな?心情的にはもう借金ってだけでウンザリなんで返してしまいたいけど。

どう舵取りしたらいいのか教えてくれ・・・増田

【追記】

抵当権とかのアドバイスありがとう。見てみるよ

それと、親父はまだ死んでないw 死ね生命保険出るっちゃ出るけども

相談場所間違えてるって確かにそうかもしれないけど、弁護士相談する前に、とにかく誰かに聞いて欲しくて仕方なかったから書いた。

もうね、いっぱいいっぱいなんだ。

下請けさんには絶対に言えないし、リアルの友人だってそうだ。

今日も帰ったら役所自動車ローン銀行から督促状来てて、もう嫌になる。

2015-04-17

 自分法律上有利な事情があって請求してもそもそもカネがない上に弁護士裁判所キチガイから有利な結果は出ないだろ。差し押さえだか抵当権だかなんだか知らんが正当法律上過去判例自分に分があったところでそもそも裁判所弁護士やカネというもの存在すれば苦労はせんわな。そんなのがないから問題なんだろ。というかあるというような体のものじゃないしな。

 例えば今居る弁護士正論を口で述べたところでそのとおりにするのか?そもそもカネを奪われているしな。何訳の分からないこといってんだよ。というかなんで新司法試験委員会人間の屑みたいな奴を検事弁護士にしたんだ?

 あんなもの弁護士でも検事でもないよ。ただの屑だよ。殺した方がいいような存在だ。俺はいつでも殺しに行く用意はあるがな。殺害に供する武器も既に準備しているし,後はタイミング問題

http://anond.hatelabo.jp/20150417133901

国税債権(租税債権)による差し押さえはあるよ。

あるけど、国がお前さんのどの財産を何を差し押さえるかはわからない。

その土地で滞納があったとしても、その土地差し押さえるかどうかは別問題からね。

売れるかどうかわからない土地差し押さえをするより、他の売れそうな財産差し押さえたほうが国は嬉しいでしょ?

国税債権私人債権よりも差し押さえの優先?があるから

国としては不動産抵当権があろうとなかろうと選び放題なんだ。

お前さんが一番楽なのは裁判所に請求するか、売買もしくは持分放棄で持分全部移転登記するか(買い手がいる場合)。

お前さんたちが一番楽なのは裁判所に請求。

ただし死ぬのは案件も受け持つ先生

裁判所に請求するならかなり費用はかかるでしょうね。相続人とか相当いるみたいだから書類やばい

持分全部移転だと、登録免許税とか報酬も含めて10万いかんくらいじゃね。

(追記)ああ、ごめん。国に寄付できるようだ。

https://www.mof.go.jp/faq/national_property/08ab.htm

費用はしらぬ。事務処理の煩雑さもしらぬ。

2015-04-15

福岡高等裁判所昭和32(ラ)47競落不許の更正決定に対する抗告事件昭和33年4月16日)「農地につき、強制競売の申立の記入登記により差押の効力を生じた後に、農地法第一五条及びその準用する規定により国が差押農地を買収し、相手方にこれを売り渡し、国及び相手方において順次所有権移転登記を経由したとしても、かかる第三取得者の存在は、差押農地について、執行裁判所強制競売手続を続行するの妨げとなるものではな」い

         主    文 

原決定を取り消す。

         理    由 

一 抗告趣旨及び理由は別記のとおりである。 二 (1) 記録によれば、執行債権者たる抗告人は、調停調書の執行力ある正本に基き、貸金債権一六万円の弁済を求めるため、昭和三二年四月一一日熊本地方裁判所に、執行債務者A所有の別紙目録記載の田に対し、強制競売の申立をなし、同裁判所は、翌一二日付で強制競売開始決定をなし、同月一八日その田につき強制競売申立の登記がなされ、(本件田には、先取特権質権抵当権登記存在しない。)ついで、本件田は農地法第一五条及びその準用する規定により、昭和三二年七月一日の買収の期日に国において買収によりその所有権を取得し、昭和三三年二月四日農林省名義をもつて右買収による所有権取得の登記がなされ、続いて、農地法第三六条規定による昭和三二年七月一日付売渡を原因として、昭和三三年二月四日相手方Bのために所有権移転登記がなされていること、一方、抗告人は、原審のなした民事訴訟法第六六二条の二による売却条件変更決定に副い、熊本県知事農地買受適格証明書を提出し、昭和三三年一月二四日の競売期日において、最高価競買人となり、所定の保証金を納めた上、同年同月二九日付をもつて、あらかじめ、熊本県知事から、本件田の所有権を取得するにつき、農地法第三条第一項の規定による許可を受け、該許可書を原裁判所に提出したので、同裁判所は、同年同月三〇日午前一〇時の競落期日において、抗告人に対し本件田の競落を許す決定を言い渡したところ、相手方Bにおいて、これに対し即時抗告申し立てたため、原審は、いわゆる再度の考案に基き、「農地法に基く買収処分による国の農地所有権取得についても、民法第一七七条適用があるけれども、強制競売開始決定による農地差押は、債務者(所有者)の任意処分制限するにとどまり農地買収処分のように、債務者処分行為意思)とは無関係に、第三者(国)がその所有権強制的に取得する場合は、差押の効力はこれに及ばず、第三者は完全に有効所有権を取得する。従つて、本件不動産は、競落許可決定の言渡後に、確定的に債務者の所有圏外へ逸しさつて、本件強制競売手続は、続行し得ざるに立ちいたつた。」旨説明し、先になした本件田の競落許可決定を取り消し、競落を許さない旨の更正決定をなしたことが明らかである。 よつて、本件において、法律上競落不許の原因があるか否かを検討しなければならない。 (2) ところで、抗告人は、論旨第二・三点記載のような事由により、本件田の買収及び売渡は、ともに違法無効処分であつて、これにつき、農地法の定める効果付与すべきものではない旨主張するので、考察するに、記録中の執行吏の賃貸借取調報告書、相手方B提出の抗告状の記載並びにそれに添付の証拠書類と右(1)の認定事実とをかれこれ合わせ考えると、本件田は、旧自作農創設特別措置法(以下自創法と称する)第一六条規定により、Aが昭和二五年三月頃、国から売渡を受け、所有権取得の登記を経た上、昭和三〇年五月頃所定の許可を受けないで、その世帯員以外の者である相手方Bに売却して引き渡し、Bは所有権取得を経ないまま、以来これを耕作してきたので、国は、所有者A及びその世帯員以外の着たるBが、本件田を耕作の事業に供したもの認定の上、農地法第一五条及びその準用する規定により、Aの所有として、昭和三二年七月一日を買収の期日と定め、同年五月一八日頃買収令書を同人交付し、買収の期日までに対価を支払つて、これを買収し、同法第三六条以下の規定にしたがい、Bに売り渡したものであることは推認するに難くないけれども、論旨のような事由により右買収・売渡が違法無効ものであるという証拠は、記録上存在しないので、これが、違法無効であるとの所論は、採用に値しない。 (3) しかし、論旨全体の趣旨を善解すれば、その言わんとするところは、要するに、右の買収・売渡は、本件田の差押債権者たる抗告人の権利に消長をきたさないので、執行裁判所は、強制競売手続を続行しうるのであるから、原審が、先になした競売許可決定を取り消し、競落不許の更正決定をなしたのは違法であるというにあるので、以下この点について判断する。 (一) 農地法第一三条(第一五条において準用する場合また同じ)は、農地の買収によつて、買収地の上にある先取特権質権抵当権が消滅し、国は、この三担保物権負担をともなわない農地所有権を取得する旨明定するにとどまり、未墾地等の買収の効果規定する同法第五二条(第五五条第四項・第五八条第二項・第五九条第五項・第七二条第四項において準用する場合を含む)や、自創法第一二条(同法第三四条・第四〇条の五等において準用する場合を含む)に見るように、買収によつて、買収地等に関する所有権以外の権利が、消滅する旨規定していない。すなわち、未墾地等の買収にあつては、農地法第五四条所定の権利を除くの外、買収当時存する未墾地等に関する権利例えば、各種制限物権・買戻権・仮差押仮処分並びに差押上の権利所有権移転請求権保全の仮登記権利者権利等は、すべて消滅すべきことは未墾地等買収制度目的に照らし明瞭であるけれども(この点土地収用法における収用の効果に類する。同法第一〇一条参照)、農地の買収にあつては、買収当時存する農地の上の先取特権質権抵当権の三種の担保物権にかぎつて消滅せしめるをもつて足るとの立前をとり、しかも、これら権利者の物上代位権の行使を容易ならしめるとともに、買収手続の便宜のため、市町村農業委員会は、これら権利者に対し、買収の代価供託の要否を二〇日内に都道府県知事に申し出るべき旨を通知すべく(農地法第一〇条第二項・同法施規則一二条)、これら権利者は、農地の代位物たる供託された対価に対し、権利を行うことができることを明らかにしている(第一二条・第一三条民法第三〇四条・第三五〇条・第三七二条参照)。したがつて、これら権利者の申立に基いて、農地競売手続進行中、買収処分がなされたときは、利害関係人は、競売の基本たる担保物権が消滅した一般の場合と等しく、その消滅を理由として、競売開始決定に対する異議、競落の許可についての異議、競落許可決定に対する抗告申し立てうるし、買収による国の所有権取得登記がなされた場合は、執行裁判所民事訴訟法第六五三条により、競売手続を取り消すこともまた、妨げないのてある。すなわち、右のような担保物権に基く農地競売手続は、その農地の買収によつて、続行し得ないこととなるので、もし、本件競売手続がこれら担保物権に基いて開始されたものであるとすれば、前説示の理由により、農地所有権供託された対価に転化代表されることとなるので、まさに、原審のように、一旦言い渡した競落許可決定を取り消し、競落不許の更正決定をなすべきものである。 (二) しかし、競売目的たる農地に、前記の担保物権の存しない、本件のような強制競売にあつては、以上と<要旨第一>趣を異にするものがある。農地法第一三条第一項に「その土地所有権は、国が取得する。」というのは、国 は農地所有者(被買収者)の意思に基く場合である(同法第一六条参照)と否とを問わず農地所有者から買収地の所有権を承継取得するという趣旨であつて、いわゆる原始取得ではなく、この点において、強制任意競売公売処分による所有権移転におけると選を異にするところはない。(民事訴訟法第六四九条・第七〇〇<要旨第二>条・競売法第二条国税徴収法第二八条不動産登記法第二九条・第一四八条しか農地に対し強制競売申立の記入登記をなして差押の効力を生じた後は、たとえ、第三者差押農地につき権利を取得するも、これをもつて差押債権者に対抗することができず(民事訴訟法第六五〇条)、右第三者の取得した権利執行債務者任意処分に基くと否とにかかわらないのは、同条が差押債権者利益を計るために設けられた趣旨並びに差押の法的性質よりして容疑の余地がない。しかして、差押農地に対する農地法規定による買収・売渡処分によつて、差押の効力が消滅する旨の規定はなく、また消滅すると解すべき合理的理由も存しないので、本件におけるがごとく、差押農地に対し、買収及び売渡処分がなされ、買収・売渡を原因として、順次国及び売渡の相手方(B)のため所有権移転登記がなされても、差押の効力は依然存続し、差押農地の第三取得者たる国及び相手方Bは、いずれもその所有権の取得をもつて、差押債権者たる抗告人に対抗できず、かえつて抗告人は、右第三取得者(農地買収による国の所有権の取得は、前示のとおり、承継取得であるから差押債権者たる本件抗告人に対する関係においては、一般第三取得者と選を異にしない。)の権利を無にして、有効競売手続を続行しうるものと解すべきである。このことは、未墾地等に対する強制競売場合において、その未墾地等につき差押の効力を生じた後に、右差押の日時前の買収処分を原因とする国の所有権取得登記並びに売渡処分に因る国から売渡の相手方への所有権移転登記がなされた場合、買収当時に存する差押の効力は、消滅するが、買収後になされた差押の効力は農地法第五二条適用を受けないので消滅することなく依然存続し、競売手続を続行することの妨げとならないことと対比することによつても領解しうべきところである。 (三) 農地法第一七条規定を援いて、買収令書の交付は、交付後の買収さるべき農地所有権の一般及び特定承継人に対してもその効力を有するので、本件の事案においては、競落人は、右の特定承継人に当ると解し、国したがつて国から売渡を受けた相手方Bは、農地所有権の取得を、競落人に対抗できると説く者があるか <要旨第三>もしれない。しかし第一七条は、農地買収手続過程において、農業委員会が買収すべき農地の上にある三種の担保権利者に対し、対価供託の要否を申し出るべき旨を通知した後、または、知事農地所有者に買収令書を交付した後に、通知を受けた担保権利者または交付を受けた所有者に承継(一般及び特定承継)があつても、その通知・交付は、承継人に対しても効力を有することを定めたもので、それは買収手続の敏速簡易化のため、その進行中に権利者が変つたからといつて、手続最初からやり直すことを要しないとする趣意以上に出ない規定であつて、これを買収令書の交付と承継人との関係について説明すれば、買収令書交付の日と買収の期日との間には、相当の日時を要する(農地法第一一条・第一三条参照)ため、右期間中に所有者に承継があつて新所有者が所有権移転登記を経たとしても、改めて新所有者に買収令書を交付することなく、(買収の期日までに対価の支払または供託をしたときは)、国は、買収の期日に、買収地の所有権を取得するという点に意義があるのであつて、右期間経過後換言すれば、買収期日に国が所有権を取得した後の承継人をも、同条の適用を受ける承継人と解することはできないのである強制競売申立人(差押債権者)が、第一七条の承継人でないことは、同条及び第一〇条第二項・第一一条の文理解釈上容疑の余地がないばかりでなく、未墾地等の買収手続において、第五二条の外に、第一七条に相当する第六〇条の規定の存することからも確論されうるところである。 (四) されば、(1)に認定のように、農地につき、強制競売の申立の記入登記により差押の効力を生じた後に、農地法第一五条及びその準用する規定により国が差押農地を買収し、相手方にこれを売り渡し、国及び相手方において順次所有権移転登記を経由したとしても、かかる第三取得者の存在は、差押農地について、執行裁判所強制競売手続を続行するの妨げとなるものではなく、適法な最高価競買人が、当該農地所有権を取得するについての、同法第三条第一項所定の知事の許可を受け、その許可書を提出した本件においては、執行裁判所は、最高価競買人たる抗告人に対し、競落を許す決定を言い渡すべきである。 (4) 原審が相手方のなした抗告に基いて、一度正当に言い渡した競落許可決定を取り消し、競落を許さない旨更正決定したのは、競落不許の原因がないのに、競落を許さないとした違法があり、論旨は結局理由があるので、原更正決定を取り消すべく、当裁判所のこの取消決定により、本件強制競売事件は、原審の更正決定がなかつたと同一の状態に復帰するので、原裁判所のなした競落許可決定及びこれに対し、相手方が原裁判所になした抗告は、ともに存続している筋合であるけれども、右抗告事件は、いまだ当審に係属するにいたつていないので、当裁判所は、これについて判断をなすべき限りでない。 よつて主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 鹿島重夫 裁判官 秦亘 裁判官 山本茂)

 (別紙目録は省略する。)

2015-04-14

したり顔で住宅金融公庫からカネを借り自宅に第一順位抵当権をつけたとか嘘こいてた平成オヤジ

法務局

 心神耗弱者のキチガイが嘘を言ってただけというのが真相

2015-04-02

 私見を言えば、俺はどうでもいい。なぜなら、抵当権を設定したこともないし、抵当権の効力VS他人所有権という事象に遭遇したこともないし、そもそも経済関係当事者同士の合意が優先され、合意がないとき民法適用されるだけだから。確かに民法日本人にこういうふうに活動すべしという指針を与えているだろう。それよりもまず、そういう制度日本はあるということが肝心で、みんなそういう綺麗な制度に従っているのに、なぜ悪いことをする奴が居るのだろう。みんなそういうきれいな制度を見習って真面目に生きているはずなのに、何で悪いことをする奴が居るのだろう。

 戦前の実務界では結局日本制度としてはガラス戸以外の畳建具には抵当権が及ばないので競落したYはその所有権を取得できず、和解所有権を取得したXに所有権があるとするのが合理的としただけ。これに対してガラス戸は経済効用観点から抵当物の附加一体物なので競落と同時に所有権はYに帰し、Xの其の部分の所有権は、競落によって失脚したとするのが合理的とした。

 そもそも美的観点から言えば、従物が附加一体物なのかどうかについては、ドイツ法とフランス法で分かれており、包摂説と非包摂説がある。

 戦後最高裁、学界も、一致して抵当権の効力は従物にも及ぶとし、370条をその根拠にして判例変更されている。とにかく、主物従物の経済関連性が高いので、何が何でもそうしたいらしい。

本件について

理論よりもどちらかというとXAYが、自己所有建築物件に抵当権を設定したり、附加物を設備したり、それの為に売渡抵当(売渡抵当とは担保目的とする所有権移転)や、その売渡抵当物を更に賃貸するといった社会経済現象が生じていることの方が重要である。こういうもの本来当事者合意でどうとでもなるところだが日本人は醜悪頑固なので合意ではどうにもならないから民法必要になる。Yは抵当権の効力で絶対自分に畳建具全部の所有権があるといい、XはAとの和解で売渡抵当かつ賃貸していた畳建具所有権自分にあるという。さて勝敗はどうやって決まったのだろうか。それは結局畳建具のどの部分に抵当権の効力が及ぶかという制度解釈であり、本件は、多分、差し戻された原審で、ガラス戸以外の畳建具についてはXに所有権があるが、ガラス戸にはYに所有権があるとしただろう。

建具ガラス戸含む)は従物か

昭和5年の判例は、物理的にみるな、経済的に見ろ、という観点で、一般の畳建具は取り外しが容易なので従物だが、ガラス戸など内外遮蔽物は建物の一部(附加一体物)ではないかと判示した。

 これは、Aが自己建築建物にYの為に抵当権を設定し、その後に、ガラス戸と畳建具を備え付けた。その後AがXのためにこの畳建具を売渡抵当に供し、しかもXはAにこれを賃貸した。Aの賃料不払いのため、畳建具を引渡しを求めて提訴した。

 Yが抵当権を実行して競落し、当該建物所有権占有権を得た。AはXに和解により畳建具を返還した。そこでXがYに対して所有権に基づき畳建具の返還を求めた。

 原審は、畳建具は従物に過ぎず、抵当権の効力が及ばないので、Yにはこれに対する所有権が無いとした。大審院は、畳建具のうちガラス戸は附加一体物の可能性があり、従物なのかどうかは経済的観点からよくよく考慮せよといって破棄差し戻しを行った。

2015-04-01

昔は普通に経済現象があった

銀行と割賦弁済契約を締結し、利息を年9分3厘、土地抵当権を設定した上、保証人をつけて、その保証人が一部弁済をしたので、法務局に付記登記をしに行ったが、債務者が償還に応じないので、保証人抵当権の実行を徳島裁判所に申し出たところ、銀行無視してはできないとされ、徳島地裁抗告しても認められず、大審院まで行ったら認められて破棄差し戻しの判決が得られたとかい経済司法現象があったのだが。

田舎では経済現象が起こらない

土地担保に金を借りるとか、そういう融通とか一切起こらない。犯罪は起こるがもみ消される。そもそも経済現象存在しないから民事法を論じる機会もない。あれば論じられるが、無いのだから論じられるはずもない。田舎では、抵当権ってなんですか、という話になる。ましてや商事留置権とか先取特権とか永小作権とか、どこにそんなものがあるのといいたい。

法務局登記簿をみると

この家には10年前に所有者が居て、東京住宅金融公庫から1000万円を借り入れたとき抵当権をつけたが、4年前に弁済で消滅したとかなんとか書いてあるが、大嘘で、この家はボロボロ空き家だったのを俺の努力で家に意味づけして、神から所有権を与えられた。むろん抵当権などついていない。土地も家も俺のもの水道電気ガスは神の特別意思により使用権が与えられただけ。

一部弁済と代位なんて問題があるくらいだから

抵当権競売執行妨害罪を処理するに過ぎない警察調子に乗れるわけないだろ。警察は飽くまで行政であって、帝国憲法の下に法意を実行する為に置かれた機関に過ぎないのだから

一部弁済と代位

銀行保証人債務者の金銭消費貸借契約のために一個の土地に共同抵当をすることがあって、保証人債務者の代わりに一部弁済をすると、法務局抵当権登記に代位の付記登記ができる。こういう一部弁済の場合に、保証人は、抵当権である銀行無視して、抵当権行使できるかという問題ローマ法以来ずっと議論されているが、日本大審院は、これを認めている。

抵当権というのはネタじゃねえんだよ

抵当権てのはただ貸した金を返さなクズがいる場合抵当権を設定した土地建物をもらいますよ、応じない場合には執行官強制的競売を実行して、その邪魔をすると刑事罰が科されるので警察が来ますよ、強引に努力させますよ、ということだ。

2015-03-31

もともと

日本民法フランス法ドイツ法の規定を盛り込んでるから滅茶苦茶なんだよな。学者は、抵当権は従物に及ばせた方が経済的と主張しているが、司法は、明治時代から、及ぶとか及ばないとか変遷を繰り返した挙句戦後にはそもそも民法自体がない。色々終わっている。

抵当権は従物に及ぶのかどうかで見解が分かれている件

建具のついている建物抵当権設定や売渡抵当賃貸借を繰り返した挙句抵当権が実行され建物占有した奴が畳建具所有権を求めた裁判で、はっきりしないことになっている。

2014-05-09

俺、不動産業者。

悪りぃーけど、そんな年収じゃ融資降りないからwww

あと、払えなくなったら任売とか競売になるって知ってる?

不動産買うならもっと勉強しなきゃ痛い目見るよ?

煽られて買って痛い目見ないようにね♡

あ、あと投資マンション買う人もちゃんと勉強しなよ?

どーしよーもないの買ったら売却すんのもアリだけど、その時は一括弁済だからね?

売る時は抵当権抹消するんだから一括弁済は当たり前。

そんなことも知らない訳ないよね?笑

ローン払えないからって売却して、その後もローンは分割で返すなんて虫のいい話ないからね?笑

無知な人は不動産を買わないよーに。

2014-02-07

三重野さんの場合

昔の三重野さん

破産JM牧場三重野丈一【抵当権

http://www.logsoku.com/r/market/1212766612/

【緊急招集JM牧場経営危機??

http://fx-history.com/2ch/market/1206350628/

最近三重野さん

会社概要玄米米屋

http://www.yakigome.com/user_data/home.php?top=companyinfo&sub=&html=&site=home

有限会社 日本一安い罠の店

http://nihonichi.info/company/index.html#03

マヌケ投資家を集めて黒豚オーナーを募っていたが破たんさせて集めていた資金殆ど返却せず、

新たに会社を興して、現在は同じ場所で色んなお米やら罠の店を作って頑張っておられるのですね。

日本投資される方はお金持ちで、大人しい方が多いという事でしょう。

有限責任にする為に会社組織にするのでしょうが、まぁ、そういう事ですよ。

2013-08-09

自信がないんだ

オヤジと母さんは物心ついた時から仲が悪かった。

学校から家に帰るとオヤジに投げ飛ばされ失神し倒れていた時もあった。

でも母さんも強気オヤジと取っ組み合いするくらいの気性。

俺は二人とも好きだっただけに辛かった。

家族四人(姉がいる)揃った楽しい思い出は数少ない。

2度ほど旅行に行ったくらいか

多くの思い出は夫婦喧嘩ばかり。近所に住んでいたおばちゃん(母の姉)に「すぐきて~っ!」て呼びに行ったことは数えきれない。

原因は親戚関係にあった。

オヤジ長男。墓守として仏壇もウチで管理

オヤジ兄弟姉妹は好きかって言う。

誰かに病気や不幸があれば「仏壇管理が悪い」とイチャモンと付けに来る。

オヤジにではない。母さんにだ。

そんな親戚を私は今も恨んでいる。

そして母を守らなかったオヤジも恨んでいる。

母方の兄弟姉妹もぐちゃぐちゃだった。

母の母、ばあちゃんがボケてからというもの、良くある話が頻発。

「誰々の家ではご飯を食べさせてくれない」

「誰々が誰々の文句を言ってる」

ばあちゃんをたらいまわしにした挙句責任は母へ。

ウチはオヤジ仕事の都合で転勤があってばあちゃんを引き取ることができなかった。

その他兄弟姉妹も多くが教員事情は同じだ。

短い間ではあったが面倒を見ていた母の兄の転勤を機に病院へ入れることに。

ばあちゃんは「・・・・(母さん)と一緒に住みたい」と言ったらしい。

しかしそれはできなかった。

そのとき、母の乳がんが発覚していたからだ。

なぜかは分からないが母は兄弟姉妹入院するまでそれを言わなかった。

おばちゃんにだけ伝えていた。

母は袋叩き。母対一番下の妹との取っ組み合いの喧嘩も見せつけられた。

私が小学2年の頃。40過ぎた今もはっきり情景が焼き付いている。

そこから親戚関係はぱったりと疎遠になる。

母の手術後もだれも見舞いにすら来ない。

回復後も同じ。

オヤジ方もそう。

おばちゃんだけが拠り所。

親戚関係がないということはお年玉に影響する。

それを気遣ってか、親もおばちゃんも1万円くれる。

から毎年2万円。まあ友人たちよりは少なかったが不満はなかった。

私が小学6年の時、母の癌が再発する。

から聞いた話だが、オヤジには医者から余命2年と告げられていたらしい。

でも私もある程度悟っていた。

退院を繰り返す。

その度に痩せていく。

私がギターが欲しいと言ったら母の同級生からギターをもらってきてくれた。

普通なら反対するだろう。厳格な母だったから。

しかすると自分でも分かっていたのかもしれない。

中学2年の頃、思い切って、エレキギターが欲しい、と言うと「いいよ、上手くなったもんね」。

当時は高価だったエレキギターギターアンプを買ってもらった。

おばちゃんに「私は反対だな」と言われたとき冗談で「何かあるのかな?最近全然反対しないんだよ」といったらおばちゃんの血相が変わった。

明らかに動揺していた。多分おばちゃんも悟っていたのだろう。

「ま、まああんたは勉強部活も頑張ってるからじゃないの・・」とだけ言われた。

退院を繰り返す。

入院きっかけは呼吸困難。私はたまたま直面しなかったが、姉が2度救急車を呼んだ。

そして2,3週間で退院

もう確定だ。母さんの体は小さくなり、顔や肩にこぶができ始めていた。

この頃すでに家事は残された家族で分業。

ご飯は自分で。洗濯自分で。家の掃除は気が付いた人がやる、という暗黙のルールができていた。

私が中学3年に上がる頃に再入院

たまたま友達が腎炎になり数か月入院していたので見舞いがてら学校帰りに病院に遊びに行っていたようなものだ。

それでも母は喜んだ。友人も母といろいろ話せるようになっていた。

しかしこの頃から急激に体が弱り始め、会話もやっとの状態になった。

4月に入り、急に疎遠だった親戚連中がやってくるようになる。

「ごめんね、ごめんね」と泣きながら話しかける奴ら。私にも「久しぶりね、元気だった?大きくなったね」

鳥肌が立つ。なんだこいつら。

同時に母の死期が近いことが分かった。母を見て明らかだ。そして個室へ移された。これは常識的に「最後であることを意味する。

姉と冷静に話す。

「もうそろそろなのかな・・・

「そうかもね・・・

その3日後、早朝に電話が鳴る。

すでにオヤジはいない。

姉を起こし、自転車で二人乗りして病院へ急ぐ。

「来たな」

「来たね」

その言葉しか交わさなかった。今思ってもあまりに冷静だった。

病院に着くと呼吸困難の発作が出ていた。

ほとんど口をきけなかった母が叫ぶ。聞いたことのない大声で叫んでいる。

先生!私まだ死ねない!子供らが!」

そう叫びながら処置してくれている先生白衣をぐいぐい引っ張っている。

先生も大声で「大丈夫大丈夫から!ちゃんとやってるからちょっと離して!注射打てないでしょ!」

ヤバかった。見ていられなかった。計器の音と叫び声だけが響き渡る病室。

小一時間ほどで状態が落ち着く。その日は日曜だったが私の部活の催しがあった。

オヤジに「落ち着いたようだから行って来るわ」と言い残し、家に行って道具を持って体育館へ。

着替えていると体育館の職員さんが大声で呼びに来る。

「親戚の人が来ているよ!急いで!」

事情を聴いたんだな。それよりも「あちゃ~来たか」という感じだった。

仲間に聞かれても「いや、そのうち分かるから」と言い残して病院へ急ぐ。

到着したとき、母さんは亡くなっていた。

タイミングよく集まった親戚中が泣いている。

この時初めてオヤジの涙も見た。

でも私は不思議と涙が出なかった。「やっと楽になれたね」という気持ちが強かった。久しぶりに見る母の安らかな顔。

人とは不思議もので、毎日痛みに襲われ続けると表情や顔のカタチすら変わってしまものなのだ

昔の結構美人な母さんの顔に戻っていた。

手を握るとまだ温かい

私は一言、「お疲れ!」。

周りは煽る。私を泣かせようと煽る。なぜ泣かないのか、悲しくないのか、とまで突っ込んでくる。

いい加減、ついに私がキレる。

「おめぇらに何が分かる?!うるせぇんだよ」

病室の外でも言い合いが。

オヤジと私を迎えにきた親戚だ。

「なぜ(私を)行かせた?!誰が許した!」

「俺だ!何か文句あるか!」

胸ぐら掴みあってる。

私が割って入る。

「アンタに何が分かる?俺は見ていられないから行ったんだよ!ドラマみたいな場面作られても満足するのはオマエらだけだろうが!母さんは分かってくれてんだよ!」

で、全員に

「つうか、てめえら急に兄弟ぶりやがって何様だおらぁ!」と壁パンチ一撃。看護婦さんに止められる。

中学3年のガキとはいえすでに身長は180cm、体格は大人、しかヤンキーときた。誰も止められない。

シーンとする。

遺体に寄り添っていたおばちゃんが冷静に一言

「アンタのムスコ、やっぱり立派になったよ。いい子だねぇ。育て方間違ってなかったよ。あれだけ辛い思いさせても大丈夫だったんだよ」

「お母さんね、いつも私に言ってたんだよ。教育上良くない場面を何度も見せてきた、母親らしいこと何もできなかった、一番母親必要な時までいてやれるかな?って」

兄弟姉妹たちはぐうの音も出ないで押し黙る。私はその一言で涙腺崩壊した。

その後、通夜告別式の間、私は一度も涙を見せなかった。

通夜には大勢の人が訪れた。クラス全員、姉のクラスも。そしてオヤジ金融機関勤めだったのでその関係者。豪勢な式になった。

遺族席でいるとひときわ号泣して要る奴がいる。あの母と同時期に入院していたアイツだ。

聞くと、私がいない時も母の病室に行き、母と話をしたことがあったらしい。

その時に「あの子をよろしくね。これ内緒でね」と毎回言われていたそうだ。そいつ退院が決まった時も車椅子で声を掛けに来てくれたという。

そいつもそんな人前で涙を流すような奴じゃない。この話を後から聞いた時の方が参った。アイツも参ったらしいが。

親戚は帰るときも「これからはちょくちょく連絡取ろうね」と言い残したが、

「いや、遠慮しときます」と答えた。呆れた様子だった。

おばちゃんから伝え聞いた話によるとその後も親戚関係はぐちゃぐちゃだったらしい。

母と取っ組み合いの喧嘩をした妹は旦那会社の金を横領、その穴埋めができずに旦那夜逃げ

家を取られまいと抵当権を外すために兄弟じゅうに借金子供の学費の工面で借金

もう何年も前に話なのに誰にも一銭も返していないことでいまだにモメているという。

誰でもどこの家庭でも何かしらの問題は持っている。

しかしウチの親戚連中は結構ひどいな。みんな仕事は立派なのだが。

今はおばちゃんも亡くなり、長兄も亡くなり、オヤジ方を含めみんな年老いた。

生きていても、離婚した人、精神病院に入ってしまった人、奥さんが自殺した人もいる。

子供らに関しては50歳にして就職経験なし、という人もいる。

携帯キャリアの開発部門で立派にやっている人もいるし、教員も多い。みんないろいろなんだ。

親族間のつながりの希薄化が言われているが、悪いことばかりじゃない。

遠くの肉親より近くの友人。

的を得ている。

でも親族が円満な人たちがうらやましくなる時もある。

母さん、おばちゃん、俺はこの生き方でいいのかな?

事あるごとにどちらに進むべきか聞いてきたけど、言う通りにしてきたぜ?

自分なりに全力も尽くしてきた。

母さんに言われた通り「どんなことがあっても女性に手を上げてはいけない」も厳格に守ってる。もちろんムスコにも同じように伝えてる。

最近いろいろ考えるんだ。

今、心を病む寸前かも知れない。声が出にくくなってきた。震える。人と会うのが怖い時が多くなった。

でも無理矢理「これでいいのだ」と言い聞かせている。

これでいいのかな?

そっちの世界に行く時に悔いなく死ねるかな?

やりたいことはたくさんあるんだけどな。

上手く行かないことばかりでさ。

オヤジももうすぐそっちの世界に行くかもしれない。

そうなったら俺一人になるな。

一人でやって行けるかな?

子供らを巣立たせることができるかな

なあ、どうして最近出てきてくれないんだ?

間違ってるなら間違ってるって言ってくれよ。

あの頃あったはずの自信がないんだ。

2010-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20100624135447

借金の担保としては、いろいろな物が認められています。

不動産抵当権などを担保として取る事を通常「物的担保」と言います。

保証人連帯保証人と呼ばれるモノを「人的担保」などと呼んだりします。

担保自体は悪ではないが、人的担保は悪だねとして禁止しようとしています。

2009-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20090422102526

解釈の必要性はあるけど、抵当権に基づいて妨害排除請求できるかとか、そういうとこも解釈によらざるを得ないっての、すごく不安定だと思うのよ。使う人から見れば。

特に刑法なんて、罪刑法定主義なんていってるけど、あれだけ学説が対立してちゃ処罰の予見なんて出来ないじゃないのって思う。

「あそび」をあえて残すことが、いいのかなあ。

2009-04-04

大人になるとか

なんかこの界隈で色々とあれみたいなんで思うところを書いてみる。

多分取りとめがなくなると思うが、いやなら読まないで次いこ、次、ってことでよろしく。

この前の誕生日で、46歳になった。

イタイ大人なのかもしれないし、大人になれないオトナコドモなのかも知れない。

こんなところに出入りしてROMったりDISったりしているのはオトナのすることじゃないのかもしれない。

これを読む若い人たちには夢も希望もない話に聞こえるかもしれない。

もとい、自分にとって大人になることとは自由になることだった。

親や教師や社会ルールや、自分を縛る何もかもから逃げ出すこと。尾崎豊みたいだなあ。

少なくとも経済的に自立しないと自分の好きなものは手に入らない。好きなところには行くことが出来ない。

好きな人と好きなようにあって好きなだけいちゃいちゃすることも出来ない。

だから、まずある程度経済的に独立した状態、それが自由の基本だ。

そのための手段としての仕事をどうしたか。

安っぽい言い方でほんと申し訳ないんだが、好きなことを仕事にした。

好きなものを作る業界で、自分の得意な分野での仕事に付くことができた。

2回転職してのことだけどね。結果収入も増えた、と思いたいが、日本給与制度には永年勤続に対する退職金というすばらしい制度があるので、

生涯収入としてはどうだったのかはよく分からない。

新卒大企業就職していたら、そのまま一生留まるのがお得なのが日本社会なのだ、とも思う。

これは時代背景やら経済状況やらとのからみで、上手いこと波に乗れたので運がよかったのだと思っている。

こればっかりは人の話はさっぱり参考にならないと思う。巡り合わせ。色々と一期一会

んで、だ。

自由になって何がしたかったのか。

楽がしたかったんだ。好きな時間が欲しかったんだ。おいしいものが好きなだけ我慢せずに食べたかったんだ。

この夢は未だに叶っていないけどね。

その夢と引き換えにして(経済的には)家族を得た。パートナー子どもが二人。

家を手に入れた。借金のかたに取られるかもしれないけど(普通住宅ローンには普通抵当権設定されるのが日本の標準)

はたから見たらごく平凡な、いや平均以上の家庭に見えるだろう、と思う。

そんな自分は大人なのだろうか?

子どもの頃、可能性は無限にあった。何にだってなれた。

けれど可能性はだんだんと減っていき、残ったものを得意なものと決めざるを得なくなる。

協調性もなく、空気も読めず、頭も悪い。

それに気付いて、残った僅かな可能性を握り締めて何とか仕事に繋いできた。

結果、必死で仕事をし、良いことも悪いことも色々あって、

成長なのか、鈍化なのか、

技術を習得したのか、変化に順応したのか、

ともかく仕事は続いている。

子どもを一応大学までは行かせてやりたいと思うから、仕事を放り出して逃げたい時でも頑張って仕事をしている。

仕事そのものは嫌いじゃないが、正直、矛盾だらけでしがらみだらけの会社ライフに嫌気が差して、

一人でどこかへ行ってしまいたいと思いながら、会社帰りに部下とカラオケしたり、コンビニ立ち読みしたりする程度で発散しいる。

こいつは小物だ、雑魚だなあ、と思うけれどもそれが自分だからしょうがないな。これを矮小化というだろうか。

これは大人のやることだろうか?

さっきまで教育テレビアルゼンチン生まれのユダヤ人バレンボイムの指揮するウエストイースタン・ディバン・オーケストラを聴いていた。

ロシア作曲家チャイコフスキーの悲壮を、アラブイスラエルの若い音楽家で構成されたオーケストラ演奏している。

輝く音楽指揮者は早々に(高校生の判断を早々と呼ぶのならだが)諦めた可能性の一つだけれど、音楽は美しい。民族人種を超えて美しい。

なにか、分かり合えなくても共有できるのではないか、永遠に続く錯覚ならそれでも良いではないか、と思わずにいられない。

世界平和を願い続けることをばかげているという人たちもいるけれど、自分はそれを信じたい。

大人になったからそう思うのではないと思う。

そういえば高校生の頃、別マを愛読していた。くらもちふさこは今でも好きだ。最近のだめカンタービレが好きだ。

子どもにつられて読み始めたワンピース大人買いして、今も毎週立ち読みするのも自分だ。コミックス自分が買う。

そういえば小さい時から徒競走がとにかく苦手で、いっつもお前は本気で走っているのか?と訊かれていた。ああ、本気だったとも。

だから走るのが速くなれば女の子にもてると本気で思ってたぞ。今も心のどこかで思っているな。マッチョ信仰だな。

いや、ないものねだりか。大人には足の速さって価値がないな。プロスポーツ世界でもない限り。

昔から、軸がぶれていて、定まらなくて、今もぶれている。コンプレックスの塊だったから、早く大人の男になりたかった。

強く、揺るがない信念を持った大人の男。

今の自分はそんなものとはかけ離れている。

流れてゆく時間の中で、今を生きていくことだけを追いかけてたら、こうなった。とにかく、ここまで生きて来た。

これを流されたというのだろうか。

今まで生きて来て分かったことは、自分の自由は自分で決めて自分でやるしかないということ。

自分のしてきたことを認めること。後悔することもある。でも認める。それは自分であると。

過去何がしかの決心で分岐を選んだ自分を認めること。だからといって他の道を永遠に諦める必要はない。それは夢だから。

可能性が0でない限り、持っていてもかまわない夢だから。

こんな浮ついたことを言いながら多分50になり、還暦を迎え、だらだらと意地汚く行き続け、願わくばあっさりとひっそりと死んで行けると良い。

こんな自分は大人なんだろうか。

だらだら書いてすまなかった。もう終わりにするよ。

まあ、こんなオヤジもそれなりにいるのではないだろうかと思うのだ。

大人になりたい人は自分にとっての大人を決めるといいよ。

死ぬまで追いかけるぐらい遠いことに気が付くのは多分死ぬ時なんだと思うけれどね。

ああ、本当に大人気ないなあ。

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