はてなキーワード: Moeとは
https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その3
鳥嶋が白泉社に移ってから、インタビュー等に答えるようになり、その内容を絶賛している業界関係者がいる一方、SNSやはてブを見ると、過去の実績で威張っている「老害」扱いしている人も少なからずいる。
しかし、上記のツッコミはご都合な証言は眉唾で読むべきだという意図からしているもので、証言や年配者の武勇伝自体を否定するものではない。
鳥嶋は実績は圧倒的である。
そもそも編集者を初めとする裏方の仕事をする人たちは、そのほとんどが証言を残さずに去ってしまう。
そんな中、証言を残してくれること自体、オーラルヒストリー的に価値がある。
コンサルのように、「俺とその出身会社は偉い」アピールのセルフブランディング()をして仕事を獲得することを目的としているわけではないので、メディアで発言しても鳥嶋が得しているわけじゃないのだ。
誇張とご都合が混じっているにせよ、貴重な証言であることには変わりがないのだ。
老害というのは、年を取ってもまだ自分は現状を理解していると勘違いし、現場を自分勝手にコントロールしようとしてかえって状況を悪化させるような権力を持った年長者のことを言う。
https://info.manga-lab.net/?p=146
と発言しているように、現役編集者を否定しているわけでもない。
だいたい前の世代の発言をすぐに老害扱いして却下する奴は、先の世代の経験則の蓄積の中から適用できるものを選び取り、技術継承していくことができないことが多い。
前世代を全否定していれば気持ちいいかもしれないが、技術継承無しで新しい方法論を築けるのは限られたの天才のみだ。
前の世代の発言に一々抑圧を感じてるのはコンプレックスに過ぎない。
また、鳥嶋が白泉社の社長に就任してから白泉社の少女漫画雑誌が変ったという意見があったが、上記の発言のように鳥嶋は今の自分が現場で活躍できるだけの感性を有していると考えてはいないので、雑誌の個別の編集方針や作品には関与していない
(していたらそれがまさしく老害だ)。
たまたま日本の"Moe"についての文脈での説明に使われていた・・・というだけのことです。大きなおめめに赤いほっぺ・・・といえば、その最たるものはピカチュウであり、ピカチュウを見て性的に興奮する人は、まず、いないでしょうね。 https://t.co/2hHfe5wL0W— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2018年11月4日
直接的猥褻表現のないtweetなので引用します…「ピカチュウに性的興奮を覚える人間は、掃いて捨てるほど」いるというのは、私にとっては驚きでした。皆さん、ご存知でした? 子どもたちが大好きなピカチュウが…だったら、ピカチュウの好きな子どもたちにも同じ視線が注がれているということか? https://t.co/zl4kUxLf77— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2018年11月5日
パンフレットのことを書いた増田だけど、ごめん、うろ覚えで書いたのでソースとしては不確かかも。
帰ってきて家の中ひっくり返してみたけどパンフレット見つからなかった。
代わりに雑誌「MOE」2014年9月号のマーニー特集号が出てきたのだけど、
この中の米林監督インタビューでは、鈴木敏夫Pから「日本で」という注文だったみたい。
宮崎駿監督も瀬戸内を舞台に、みたいな方向でイメージ案を出してきたとのこと。
あと、孫引きになるけど、
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/arrietty/link07.htm というサイト(たぶん個人の?)に
『Brutus』2010年8月1日号の宮崎駿氏へのインタビュー記事によると、(現状では)原作通りイギリスを舞台にしては描けなかったためとあります。すなわち、「泥臭い、田舎臭い、100年以上前のイギリスを舞台にしても日本人ができっこない」ことに加え、「麻呂(米林監督)も何も知らない」からという要因を指摘しています。中途半端に勉強しても「ゲタ履いて畳の上を歩いているような映画」になってしまう恐れもあるので、とてもイギリスを舞台には出来なかったというようです。また、宮崎駿氏は、「日本人の今の観客はもうヨーロッパへ気持ちが向いていない」とも述べていて、日本の観客向けに作るのであれば、日本を舞台にした方が良いという判断につながっているのではないかとも思われます。
と書いてあった。
http://anond.hatelabo.jp/20110424063737
自分は観測範囲が狭いということはよくわかった。
id:JSK、前回も書いたんだけど、ホントに残念ながら、これ釣りじゃないんだ…
それとid:babanshikaに
「こうはなりたくないって見本みたいなサブカル系中ニ病だけど、自分がならないためにどうしたらいいか、とりあえず好き嫌いはなくそう、そして何か一つの道を究めよう」
って言われて、改めて自分の前回のレスを見直したところ、確かに変なサブカルの人みたいなレスだった。そんなつもりは無かったので正直反省してる。
また弁明というか自己弁護させてもらうと、結局のところ自分は「娯楽」で「楽しみたい」。ジャンルとか枠とかどーたっていい。
だから笑ったり泣いたり考えさせられたり、とにかく自分の中で「おもすれーwww」が成立すればそれで良い。
そうすると、各枠で毎年1割程度は面白いと思える新作が出るから、それを少し遅れて拾っていくだけで一年の娯楽用時間を楽しく消化できる。
でも娯楽を極めるっておかしくね?
例えば『歴史モノが好きで良作駄作含めて読み漁り、気がついたら結果としてその道を極めたような状態になる』ならわかる。
けど「極めるために色々読む」ってのは仕事以外じゃ無理。楽しみたいのに泥水をすするなんて無理。
アニメについて言うと…なんかしらんけど変な「入り辛さ」がある。
朝と夕方のアニメが低年齢層向けであるために自分が楽しめないのは仕方がない。
けど「深夜にやってる○○ってアニメが面白いらしいよ」って噂を聞いてそのアニメを見ると、何故か高確率で萌え。萌じゃない場合は厨二。
絵柄が時代の趣向を反映してカッコいい/可愛い絵柄なのは構わない。
けどストーリーがなぜそっち方面ばっかりになるのか分からない。
いずれにしても、萌えと厨二があると拒否反応が出る自分にとって、アニメは観測が困難な枠。
正直まどまぎ最終話ですっぽんぽんなシーンが出てきた時には危うくTVを消しかけた。
エヴァもリアルタイムで見てたときはいろんな意味で高難度な場面が多々あった。
いっそ「No Moe, No Tyu-ni」ってラベルが貼ってあれば観測ぐらいは出来るんだろうけど、
何だか深夜アニメは萌えか厨二を入れないと死んでしまう病気にかかってるみたいだし、きっと無理なんだろうと思う。
そうなると、「萌えや厨二がある程度入っていても、それでも『見たい』と思わせる内容」か、
「萌えも厨二もなく、『他の娯楽に手を出すよりもこっちを見たい』と思わせる内容」なら少なくとも見れる。
しかしその条件に当てはまるものを探そうとすると、萌えにぶつかって疲弊し、他の娯楽に手を伸ばす。
詰んだ…
ttp://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2010/03/post-eac7.html
たとえば『マトリックス』では、裏切り者、つまり悪役側のサイファーという人物がこんな言葉を口にします。
「俺はな、このステーキが存在しないことは知ってるんだよ。口に入れると、マトリックスが俺の脳味噌に、これが肉汁たっぷりで最高にうまいと教えてくれるんだってこともな。9年かかって俺がなにを理解したか、アンタわかるか? 無知の至福さ。」
現実よりも仮想現実を選択するという判断が「悪役」のものであるということ。この描写が象徴するように、「現実>仮想」あるいは「三次元>二次元」という価値観は、もはやハリウッド映画の強迫観念ですね。虚構産業の自浄作用のようなものでしょうか。まあそれはともかく。
『アバター』で、主人公ジェイクは、あらゆるハリウッド映画的伝統に逆らって、なんと仮想現実に生きることを選択します。この部分、あまりにもあっさりと描かれているので気づかれにくいようですが、これは二重の意味で画期的なことです。
前衛映画ではありません。超娯楽大作の主人公が、地球(=現実世界)に還らず、仮想空間(パンドラ)のヒロインと生きることを選ぶということ。なんともオタク的な「ネイティリは俺の嫁」宣言です。すいませんわかりにくかったですね。これは一般には、漫画やアニメのキャラクターにリアルな恋愛感情を喚起されてしまった漢(おとこ)たちが口にすべきテンプレートとされています。
さらにいえば、キャメロンはこの映画で「もう現実とか仮想とか区別しなくてもよくね?」と提案しているようにもとれます。アメリカでは本作を観た観客のなかに、「パンドラから帰りたくない」という思いが高じて、うつ状態におちいった人々がすくなくなかったと報じられています。もしこれが事実なら、キャメロンの目論見は見事に当たったといえるでしょう。なにしろハリウッド映画に連綿と受けつがれてきたプラトニズム(イデア>現実>虚構)の伝統を、根底からくつがえしちゃったんですから。
日本人の変態性を真っ向から否定するようなコメントがあったので、
場所を移してとことん反論してみる。
…TEATIME、ゲーム世界と現実がリンクする新技術「フェイストラッキング」システムを発表
http://guideline.livedoor.biz/archives/51192905.html
※274. Posted by 2009年04月12日 01:18
一部のオナニー野郎を根拠に、日本人が変態だの性に対して旺盛だの言わないで欲しいな^^
まともな人間にとって変態呼ばわりされることはちっともうれしくない上にみっともないことだし、そもそも日本人は大して変態な民族ではない。
西洋人の方がずっと変態なのは常識だし、性に対して旺盛だったらセックス回数最下位なんてことにもならない。
西欧(野外露出・レズ)http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele2.html
日本(ただセックスしてるだけ):http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/shunga.htm
↑と比べれば日本人の春画なんて特別なもんじゃねーことはすぐ分かる。どちらも19世紀の絵だが。
お前らが密かに自分達の下品な性癖が民族の特質的なものだと信じたがる根拠に、蛸に犯されてる触手ものの春画を持ち出すことがあるが、あれだって日本特有のものでもなんでもなく、西洋人は普通に描いていた。
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/rops/rops10.html
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele5.html
江戸時代の日本人はフリーセックス的な「性に大らかな民族」なのであって、それがむしろ抑圧や罪の意識への反動から生まれる「変態性」とは無縁の文化だということは言うまでもない。ノーパンと言うのは、「女はパンツを履くべき」という抑圧を設けることによって初めて意味を持つが、当時の日本人はあっさりした着飾りしかせず、下着なんてつけてなかったんだから、抑圧が少ない分変態性も少ないんだよ。
まず、ひとこと言わせてくれ。
江戸時代までの日本には、庶民に変態が少なく、キリスト教的モラルの制約が強い西洋の方に
村祭り(ハレの日)の夜の乱交、夜這い文化を代表するようにフリーセックス社会であり、
嫁入り年齢が若かったことからもわかるように、10代前半の女性も身体が性的に成熟さえ
だが、それは西洋の幼児性愛、ロリータコンプレックスのように処女性を不必要に尊ぶことなく、
むしろ身体の個体差に合わせた、生物学的に見ても健全なものだった。
このように性に奔放だった農民や町民に比べ、上級武士の世界では性に対してストイックで
しかし、このように奔放だったのは江戸時代までの町民、農民にかぎった話。
明治維新後の日本には、一気に西欧化の波とキリスト教的モラルが流入した。
西欧文化に追い付くために、一気にマジメになることを余儀なくされたのだ。
この文化的な抑圧の時代に、エログロナンセンスのサブカルチャーが花開いたのは、
偶然ではない。
その後、世界大戦の時代に突入し、徴兵制が広がり、軍部の力が強化したこともあって、
日本は一気に一億総サムライとでも呼ぶべき、ストイックな国民性になっていった。
この猛烈な抑圧が、戦地での残虐行為、陵辱行為につながった例も多くあるだろう。
だが、それはいつの時代、どこの国の軍隊でも良くあること。
日本とドイツばかりが未だに叩かれるのは、最も直近の世界大戦における敗戦国だからである。
そして、太平洋戦争での敗戦により、日本は米国進駐軍による文化とセックスでの蹂躙を受ける。
日本中にあった売春宿などの赤線地帯は縮小・管理され、米軍兵に好んで身体を売るパンパンと
その悔しさをバネに、追い付け追い越せの高度成長の流れで、世界一勤勉な国民になっていった。
週休1日、深夜残業当たり前のサラリーマンの激務を支えたのは、目覚しく発達していった
ここでも、ストイックさの陰に変態の萌芽あるのがわかるだろう。
敗戦から40年足らずで世界一の経済大国へと復活を果たした日本は、バブル景気に沸いた。
大学生は車を持ち、社会人は会社の経費で豪遊し、トレンディドラマのような恋愛が流行した。
ディスコ・お立ち台ブームなどで、江戸時代のように陽気にハメを外しかけたが、
バブルはすぐに崩壊してどん底へ。
むしろハメを外すとバチがあたるという、トラウマになってしまった。
バブル景気の前後でもセックス面での格差の激化は続き、世間の恋愛路線から外れて
ロリコン趣味を密かに楽しんでいたオタク層は宮崎勤事件で徹底的に糾弾された。
一方で、不倫ブームが表面化したのも、この頃からである。
勤勉な夫が稼ぎに出ている間、家を守る貞淑な専業主婦という幻想が崩れ始める。
さらにバブルの残党が女子高生を買いあさった「ブルセラ・援助交際ブーム」が過ぎると、
後にはビッチなセックス観を持つギャル達と、児童ポルノ規制の強化だけが残った。
これらの流れは、今でも女の自己満足に過ぎないアゲハ嬢ブーム、児童ポルノ単純所持の禁止や
ダウンロード規制、出会い系サイトの排除などで、おおらかなセックス文化から一般男子を
遠ざける方向へと邁進し続けている。
その結果が、年間セックス回数の世界ランキングでの最下位である。
しかし、その陰でエロゲーを始めとする、二次元の性文化は目覚しい発展を遂げていった。
何故なら、二次元は決して裏切らないからである(と思ったら、かんなぎが...)。
このように、本来は性に自由だった国民性が、明治以降に徹底的に抑圧され、
解放されかけてはどん底に突き落とされ、の連続で萎縮しまくった結果が、
そして、世界不況の今こそ、日本はこの変態力で世界に向けて反撃の狼煙をあげる。
いいか、OTAKU、HENTAI、ANIME、MOE、KAWAII で、日本は天下を取るんだよ!
おいおいすごいなMoEサポ。
プレイヤーなのにそのことを知らなかったよ。
そういえばMoEでこの間、GMとユーザーとの座談会というのを夜を徹して行っていたが、
そのときのログの量が1M越えだとよ。
とりあえずMoEをやってみてはくれないだろうか。
F○かラグナ○クかな・・・
しかしMoEのスタッフはすごいな。日本製のMMOでそんな対応する所があるとは思わなかった。
当然の対応だと思うんだけど、今やそれが当然じゃなくなりつつあるからな・・・。
MMOの場合「人が多い」ってのも重要な点だから、単純に自分のやりたいゲームやればいいじゃない。ってのも通らないのが辛いね。
そのミニゲームの塊をMMORPGだと思ってる人が増えてるからな。世界的にみたら終わってないと思うけど殆どの国産と韓国製MMORPGはそういう面ではオワテル。
MMORPGに限らずWebサービスでもソフトウェアでも、日本はユーザーに成長することを求める商品は売れにくいんだよ。MMORPGなんて中の人が成長することが楽しめる要素なのに。
自由な世界(何をするかはユーザーの勝手)←→ミニゲームの塊の遊園地(だってなにすればいいかわかんないし)
中庸な管理(ユーザー自身のコミュニティが成長すれば自治が自然発生する)←→監視された世界(どうせコミュの成長が期待できないし)
自己責任の上での自由(悪い事をすれば報復がある。それがわかってるなら悪役を演じるのもまたよし)←→めんどくさいことは禁止
GMはユーザー間の揉め事に干渉しない(ユーザー間で解決するのも仮想社会の一環)←→ユーザー間で話あうより先にGMコールするユーザー
RPを楽しめるユーザー←→ゲームキャラと自分が直結していて、何を言われても本気にとるユーザー
(この対比はMMORPGだけじゃなくてSNSやはてなにもいえそう。はてなは他のブログサービスに比べると古きよきMMO的なところがあるな)
例えば、上であがってるMoEは国産MMOの中では異色だ。そのMoEで以前こんなことがあった。PvP可能エリアで、いかにも二流悪役風の台詞を吐いてきた奴がいた。ここで楽しむ余裕のあるひとなら調子を合わせたり、RPが肌にあわないなら割り切ってスルーするところだ。しかし知り合いは、散々そいつのことを頭がおかしいやら自分が不快に思ったからBANされるべきやら言い出してとまらない。いくらなんでもそりゃないだろ、と思ってたらそいつはサポートにメールした。帰ってきたメールは次のような内容だったらしい。(うろ覚えなのでかなり要約)
「ネットゲームでは相手も人間です。ゲーム内でどのような立場を演じるのかはユーザーの自由です。 中略 ゲーム内で起こったできごとはユーザー同士で解決して下さい。GMは公平性の為にも、ユーザー間の揉め事には介入できません。」
基本的にMoEは自由主義でユーザーの裁量に任せているので、これを聞いて俺は当然の回答だとおもったのよ。もし、GMがユーザー間に干渉するような前例をつくればきりが無くなって一気にバランスが崩れるし言葉狩りが推奨される世界になるから。(社会的に問題になるような差別的発言や規約違反行為は当然別で罰せられる)
そしたらそいつときたら
「こんなサポートはありえない。GMは俺に不快な思いをさせたユーザーを即効BANするべきだ。」
の一点張り。そいつは道端でオープンに和気藹々と話してる人たちがいるだけで「目障りだ」という奴だったのでMoEの空気にはあわなくてもとのゲームに戻ったが・・・(勘のいい人ならこれだけでやつの元ゲーがなにかわかるだろう)
まとめると、お子様向けのサービスばかりになってきてるという話さ。
MOE-K-MCZ。萌えとラップを融合ということで また萌えで商売か などと叩かれた。
俺もそう思ってたんだが メジャーの企画でやってるわけでもない。商売になっていない。
”ねえおにいちゃん”なる曲が目立ちすぎているが ほかの曲で萌えに媚を売っているわけでもない。
”ねえおにいちゃん”だけが特別なことに気づいた。
以前MOE-Kのmyspaceに書いてたことが 気になった。
「日本人が黒人の真似をしてもHIPHOPにならない」の様なことが自虐的に書いてあった。
日本語のラップは差別を受け続けてきた それでも日本のラッパーはラップを続けた。
今はMOE-Kが日本のラッパーから差別されている。同じ構図だ。
タキシットが早くから反応していたらしい 納得できる。
ライブに何度か行ったけど 他の何処にでも居そうなラッパーより
youtubeの動画はスキルは低いが 今はもっと向上している。
彼女達がやってるのは 今の日本における HIPHOPの解釈の一つだ。
理解できない人は 彼女達を肯定できない。
本当にHIPHOPが好きな人は 理解しているはずだ。
当てはまったからって怒るなよ。狭い観測範囲内での俺調べだし。
あと、フランス語のidの奴は神経質でちょっと病んでるっぽいイメージ。
他にも何か痛いidの特徴があれば教えて欲しい。参考にする。
少しだけこのエントリの内容を変更。上にあった追記を元エントリにまとめる事にした。更にTB分のみ追記。反論等等まだまだ募集中。
以下はこのエントリに対する補記。つまり面白い物ではない。
21世紀、恋や仕事やセックスなどにおいて「人間力」の重要性はますます高まるばかりだ。しかし、同時に私たちは「人間力」の奴隷と成り下がることは避けなければはいけない。『人間力』を出版したばかりのモハメド・サファリ・ビデ教授(社会学)に話を聞いた。
―――昨年暮に、ビデ教授は『人間力』(ごま書房)をお出しになったわけですが―
ビデ はい、おかげさまで。
―――ですが、昨今の「人間力」に対しては批判的なスタンスを堅持しているように見受けられるのですが。
ビデ そうですね。「人間力」は現在、特にヒューマンマネージメント界隈で濫用されている言葉ですが、もともとは社会学、とくに歴史社会学の厳密な議論の中から生まれてきた概念であることをまったく考慮されていない点は大変危惧していますね。
―――進化論を語る人の大半が、ダーウィンの原著を読んだことさえない、みたいな状況でしょうか。
ビデ ああ、それに近いですね(笑)。「人間力」というのは、まあ、直感的にわかりやすいでしょう?「人間」の「力」ですから。そこに、そもそもの誤解が生まれる余地があったのでしょう。
歴史的に見ると、「人間力」は、フランス系移民でありムチャパッカ王国の民俗学の権威、プロフェッサー・アナール de オナール氏(1915-1960)によってまず最初に提唱されました。非常に複雑難解な理論だったそうで、しかもかなりの攻撃的・先進的な性格を持った内容であり、当時の学会からは異端視され続けたことが明らかとなっています。
―――オナール氏の「人間力」理論が生まれた背景はどのようなものだったのでしょうか?
ビデ 数々の史料が明らかにするところによれば、ある時オナール氏が友人と風俗店に行ったときの出来事が直接のきっかけとなっているようです。2 人で行った風俗店で彼の友人が「Et mov li’nouvi moe favos noch…(特別なサービスがあったデヘヘ…)」と充実した顔で出てきた時、「Cheuvi oi montre favos noch o va monte! (同じ金払ってんのにオレには無かったぞッ)」と怒り狂い、オレには何が足りないのか?勉強もコイツより出来る、ルックスもそう悪くない、ナゼ?ナゼなんだ?オレには一体何が足りず「特別なサービス」が受けられなかったんだーっ!?と、風俗店の前で悩んだ事がキッカケで、人間の本質を見極めるべく彼の一生を賭して挑んだと証言されています。
―――なるほど。
ビデ その後ムチャパッカ王国はムツゴロウ王国と併合(ムチャゴロウ紛争1962??63年)、それに伴い論文「人間力」は歴史の裏側に葬られてしまっていました。しかし彼の論文に感銘を受けた一部の科学者が政府の目を掻い潜りながら秘密裏に「人間力」理論を元に個人の「人間力」を算出するマトリックスを確立、現在に至ります。近年では情報機関「A.N.A.R.U」をはじめ政府機関、一部の世界的トップ企業などで人材採用時に使われています。
―――その人間力「マトリックス」とはどのようなのものなのですか?私たちも利用可能でしょうか。
ビデ 「人間力」マトリックスは非常に複雑であり、正確な算出には困難が伴います。しかし勉強ダメでも仕事がデキる(どうして?)、ブサイクなのにちんこがデカイ(いつ使うの?)、バスト90でウエスト80(巨乳なのか?それは巨乳なのか?)等、いいのか悪いのか?何が足りないのか?目には見えないスキルを持っているのか?という事を人間として総合的に一目瞭然で判断する事の出来る素晴らしい公式であるという点では、非常に精密であり強力な理論です。
―――それは恐怖ですね(笑)。逆に言えば、支配権力によってに容易に利用される危険性もあるのでは―
ビデ そのとおりですね。したがっていま我々がすべきことは、人間力を批判的に読み解くこと、つまりA.N.A.R.U.リテラシーの育成のです。そして、そのためにはアナル教育が切に求められています。
―――今年もビデ教授は、アナル=アナリストととしてますますご活躍されることでしょうね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
[Acknowledgements]
This interview is inspired by and based on http://d.hatena.ne.jp/nosweat/20051202/1133514330.