はてなキーワード: 鬼畜とは
いじめで自殺した生徒に「明日からの研修楽しみましょうね」と書いた担任教師、実は偏向報道の被害にあった良い先生だった模様
http://jin115.com/archives/52088728.html
自殺した生徒とのやりとりの一部が切り抜かれ、鬼畜女教師と誹謗中傷された教師に、ネット民はごめんなさいできるの?
問題のやり取りにも「先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もう少し頑張ってみます」とあるわけなんだが
つーか、「死ぬ場所決まってる」に対してなんて返せばよかったの?死ぬなって?それで思いとどまるなら自殺なんてこの世からなくなってるわ
あぁとりあえず前向きになったんだなと判断しての返事だろうに
ちゃんとヤッタゼ!嬉しい!って言ったのか
そんで故人になんてことを言うんだという当然出てくる批判に真正面から向き合ってるか?
言ってなかったら、お前あの時死ねって言ってたよなぁってダル絡みされるのちゃんと受け入れてるか?
もしくはそういう絡み方されることちゃんと覚悟しながら死ねって言ってたか?
あなたの旦那が死んだからこれで日本は良くなりますよ!ザマァねぇな!
って顔合わせて、目見て言えるか
いえねぇよなそんなん可哀想すぎるし、自分が悪者になっちまうしな
夫婦ってことは俺らのしらねぇとこで色んな会話していろんな思い出作ってってしてる2人って事で
そんな2人の、片割れがいなくなっちまった片方の心中察したら、死んでよかったですなんて言える鬼畜はそうはいねぇよ
言えるって奴は、まぁ想像力がない馬鹿か、本当に覚悟できてる一線超えた奴だろう
前者は多くても、後者は一握りもいなさそうだな
人に向かって死ねって言うのってそう言う事だぜ
ヤンキーは戦争の後遺症を改善できなかった結果であって子供の遊びとは違うな
兵士の訓練というのは、換言すれば、「人を殺すために、人権を無視する訓練をすること、人格を破壊すること」なんだよね
そのために軍事訓練には、上官に絶対服従させるとか口汚く罵るとか色々な共通の特徴がある
戦争というのは、「相手は鬼畜だから戦争をしてるのだ、自分たちが正義なのだ」とデマや情報操作で思い込ませる技術によって可能になった
そうしないと戦場で、相手も人だ、どうして罪もない敵兵を殺さなければならないんだ、俺は人を殺せない、って戦わない兵士が出まくって兵士が使い物にならないから
その大日本帝国軍のマインドセットを治癒できないまま、デマを思い込ませるための訓練に適応した世界観のまま、民主主義になりきれないまま、軍国主義の人殺し人権無視訓練のマインドセットを改善できないまま、軍国主義を社会や文化や価値観が吸収してしまったということ
今も日本にはその人殺しをさせるための戦争マインドセットの名残はいくつも言葉や風習や価値観の中に残っていて、社会を存続させる共存していくという世界全体の価値観とズレてしまっている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote71/
父親はどこにいるの?「家族」が出てくるのが療育に反対する時だけなのがホラー過ぎる。これで母親が子供に手をかけたら母親だけが罪に問われるんでしょ?
【詳報】重度の障害があった8歳息子を殺害「死んで楽になりたいと心中を…」母親が裁判で語る【岡山】(OHK岡山放送) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/2f968848e2077209f4b45c556c46f238f3c196d2
詳細見ると、余計に夫が悪いとしか思えない。不妊治療までしても子どもが欲しかったはずなのに障害者なら捨てるって…。共同親権になったらこういう夫を罪に問うことができるようになるのだろうか。
障害児の家庭、特に脳の障害の児童の場合は母子家庭が圧倒的に多いといわれている。
逃げるだけならともかく、今回の事件のように熾烈な結果をもたらすケースも少なくない。
障害児の父親の逃げ得を許している現状は、児童と母親に対する人権侵害と言っても過言ではない。
リベラリズムとフェミニズムの考え方に立脚したブックコメントでも既に指摘されている通り、現在の日本の法律に大きな不備があることも一因となっている。
単独親権制度を頑なに守ろうとする日本政府の姿勢が国際的に批判されているが、まさにこの単独親権の仕組みにより、離婚後の母親が障害児の扶養を強制される状況となっている。
欧米諸国が人道的観点から要求している通り、日本も共同親権を導入すべき時期に来ている。
たとえ離婚しようとも、生涯にわたり、障害児の父親が自分の子の人生に責任を持つ社会に生まれ変わるべきだ。
リベラリズムとフェミニズムの立場からしても、母子家庭の悲劇的な事件の発生をこれ以上黙って見ているわけにはいかない。
共同親権を導入しない限り、守れる命も守れなくなる。