はてなキーワード: 山岡士郎とは
http://netafull.net/kagurazaka-gourmet/058019.html
この記事で行きたいと思うくらい飲むのが好きなのだが、それ以上に嫌いになるのは、ワイン以上にウザい日本酒好きのせいだ
こちらの嗜好と財布に合わせた日本酒を教えてくれたりするなら大好きだが、大半の日本酒好きはムダに高い酒勧めて、知識を自慢して、飲み方を矯正して、挙げ句にこちらの失敗見届けてからマウント取ってくるような糞ソムリエか山岡士郎みたいなのしか居ない。そして自分の舌に絶対の自信があるのか、自分の美味しい日本酒は他人にも美味しいと信じており、仮に気に入らなかった場合はその人を日本酒飲む資格なしとまで言ってくる
Aちゃん「うん、一応」
僕「このチョコは出来損ないだ、食べられないよ」(山岡士郎のモノマネ)
Aちゃん驚いた顔をしたあと泣き崩れる
Aちゃん泣き止まない
普段からふざけ合う仲だからさ、ちょっとふざけただけなんだよ。
でも、この経験からちゃんと空気を読む事、ふざけるのは時と場合が有ること、そして「ふざけただけ」っていう言い訳は通用しないことを学べたね。
この時期になるといつもそれを思い出すんだ。
増田だと、この後創作で「で、Aちゃんは今の嫁です」みたいな事書くんだけど、そんなことないです。
てか、よく考えたらAちゃんなんて存在しない。
じゃぁなんで頭に浮かぶんだ?なぜ?
山岡士郎って、結局、父親に鍛え上げられた時代の技術や人脈を食いつぶしているようにしか見えないんだけど。
・士郎自身が新しい人脈を築いたシーンがゼロではないが圧倒的に少ない。
・最新の技術動向を学んでいるシーンが無い。
HuluじゃなくHappyonで美味しんぼのアニメが全話見れる
見ていて思ったんだけど山岡士郎って最高のプログラマの性質を持っているんじゃなかろうか
怠惰だし、海原雄山みたらすぐ沸騰する短気さで、本物を見せてやると豪語する傲慢さもある
ある時、倒れた栗田のおばあさんの食欲を戻そうと栗田達がソーメンを食べさせるがあまり美味しくない
「いよいよ誰かさんの出番ね」
栗田と同僚女性2人がうなずく
これって最高じゃないか
何だかんだ言って最高の信頼を得ている
「山岡をクビにして究極のメニューを完成させればいいんですよ」と言ったときも
なんだよ
普段寝ていても、同僚からも上司からも切り札のような扱いをされている
ヤバイ時はあいつに頼もうという立ち位置とか一番いいポジションじゃないか
経費も使い放題っぽいし
異常なほどたくさんの人脈も持っている
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1162964
小生と旧仮名遣いには近付かないようにしてる
旧かな使ひは見かけたら二つ向こうの山まで逃げる案件
確かに「正かなクラスタ」とその周辺はいっつも論争してて、巻き込まれたら面倒臭いから近寄りがたいイメージがある。
もし本気で歴史的仮名遣(旧かな、正かな)を布教したいのなら、そんな印象を撒き散らし続けてる時点で戦略的には失敗だよなあ、と前から思ってる。
個人的には、歴史的仮名遣は現代仮名遣いより技術的にまともだと思ってるから尚更。
「正かなクラスタのことは嫌ひでも、歴史的仮名遣は嫌ひにならないでください!」とでも言っとけば良いのかな。
「本物の旧仮名遣い」って何なんだろ? 山岡士郎さんに頼んだら見せてくれるのかな?
冗談はさておき、字音仮名遣を守ってなくても和語の仮名遣がきちんとしてるなら、広義の歴史的仮名遣に入れてあげてほしい。字音仮名遣も「春」は「シユン」か「スヰン」か、「共」は「キヤウ」か「クヰヤウ」か、なんて具合に何が本物か追求しだしたらキリが無いし、いろんな流儀に寛容になっとく方がみんな気楽。
「なるほど」
「睡眠にも周期があるとは」
海原雄山「お前はまたしても基本を見落としたようだな」
山岡「6時間は少なすぎる。9時間は長すぎる。ならば7時間30分しかないだろうが!」
海原「ふん…」
海原「お前が見落としているもの…それは昼寝だ」
「!!!」
海原「お前のことだ。調べもせず昼寝は身体に悪いなどという迷信に流されていたのだろう」
海原「私に言わせれば一日に一度睡眠を取り、残りは起きている方がよほど健康に悪い」
「なるほど」
「昼寝が健康にいいとは」
「お昼過ぎは眠くなるのよね」
海原「8時間だ」
山岡「俺の言った睡眠時間に昼寝の時間を足しただけじゃないか!」
海原「まだ分かっていないようだな!!!」
海原「私の理想とする睡眠時間は、6時間+1時間30分+30分の8時間だ」
「睡眠を3回に分けるとは!」
海原「そんなことはない」
海原「睡眠時間を分割しても合計の睡眠時間が十分であれば問題ないという研究結果が出ている」
海原「私の考える睡眠時間とは、夜から朝に6時間、昼に1時間半、夕方に30分だ」
「どういうことだ!」
「不可能だ」
山岡「流石にそこまでは寝ていませんよ」
山岡「海原雄山!昼に1時間半の睡眠が取れるのはフラフラしているお前ぐらいだ!」
海原「つまりお前は、働いている人間でも実現可能な睡眠時間でないから私が間違っていると言うのだな」
山岡「そのとおりだろうが!」
海原「はっはっはっはっ!皆さんお聞きになりましたか。語るに落ちるとはこのことだな士郎」
海原「お前のように会社人として働きながら可能かどうかは元々議論の対象ではない」
海原「何よりだ。理想的な睡眠を取ることよりも、会社で消耗することを優先しようというその発想が負け犬そのものだ。だからお前は駄目なのだ」
よくジャンクだったり、味が濃かったり(濃いだけだったり)、大衆向けだったりする料理が好きなやつってwebでは「舌バカ」って見下されてるじゃん。あまり詳しくないけど今だと油そばあたりがターゲット?
でも、そんなに「舌バカ」って悪いことなのかね。舌が肥えてない、洗練されてないってことは、逆に言うならその辺でお手軽&簡単に幸福感を満たせるってことなわけで。幸福のコスパが良いとでも言うのだろうか。逆に、舌が肥えたり洗練されたりするのって、そんな良いことなのかなーと。
いやわかるよ、ある種の味は訓練されて初めて良さがわかるってのはあると思うし、単純に好き嫌いの話ならそりゃあ嫌いなものがないほうが幸せさ。
たださ、そういうレベルじゃなくて例えば海原雄山みたいに「こんなものが食えるか!」とか、山岡士郎みたいに「これはできそこないだね、食べられないよ」みたいなところまで舌が肥え洗練されるって、本当に本人の幸福度を上げてるんですかね。そりゃあそのレベルになればこそ味わえる(わかる)旨さみたいなものはあるんだろうけど、恐らくそれは「舌バカ」たちが満足できるものよりもコストも手間も、出会う機会も減るわけで。季節外れのじゅんさいをぬるぬるしてて旨いですなーと笑顔で食ってる富井副部長より、雄山や士郎は幸せなのか?
いやまあ、世界には洗練されつくした舌のみがわかる圧倒的幸福を感ずる旨さが存在し、それがわかる人は、わかるまでに切り捨ててきた「マズいと感じてしまうもの」をまだ手にしていたら加算される幸福感など完全に吹き飛ぶほどの天国的快感を得るのかもしれんけどさ。
と、今日美味しんぼを読みながら「高級会員制料亭を経営する天才陶芸家でも一流新聞社の正社員でもない自分がこいつらの舌の基準に明日目が覚めた時いきなりなってたら半年で餓死だなあ」と思った次第。
震災後の美味しんぼでぶっちゃけがっかりなのは作品の世界観が崩れてしまったこと。
大臣だろうが大使だろうが美食倶楽部に呼びつけて言うことを聞かせる海原雄山も、食い物のこと以外は無関心で言ったん動くとどんな相手でも考えを改めさせる山岡士郎もすっかり消えてしまった。
今は無力な陶芸家と新聞記者に成り下がってしまった。もうズカズカ乗り込んでいったり、挑発したりという場面は見られなくなった。
美味しんぼは連載当初から実在の人物や時事ネタを扱ってはいたが、荒唐無稽なギャグやフィクションをうまく混ぜることで漫画的なおもしろさを出していた。いろいろ問題が起きて時々シャレにならないものもあったりして編集部が謝ったりしたこともあったが、それでも作品のマンガ的なおもしろさが失われるわけではなかった。
現実のハードルが高すぎてキャラクターが死んでしまうようなことはやってほしくなかったな、というのが正直な気持ち。
原作の雁屋哲と、作画の花咲アキラとで印税を半々にしても、一人辺り相当な額だろう。
しかし私は花咲アキラを心配している。
初期の「美味しんぼ」は絵が荒かった。
少し劇画っぽいというか、
それが、アニメ化の影響か知らないが、
どんどんアニメっぽい類型的な絵になっていく。
どこかで絵柄を進化させるのを、やめたようだ。
ストーリーも、山岡が栗田さんと結婚したりと、安定したものになっていく。
それっぽい料理うんちくを混ぜたりして。
楽な仕事だ。
エゴも満足させられる。
しかもオーストラリアで余生を楽しんでるし。
しかし花咲アキラはどうだろう。
自分のエゴを作品に織り込めれば、辛い仕事にも満足できるだろう。
しかし彼が求められるのは、アニメ的な類型的な絵だ。
こんなの、辛いに決まってる。
それを彼は二十年以上続けているのだ。
恐ろしい忍耐力である。
やめたくても、やめられないのだろう。
ビッグコミックスピリッツの部数にも影響するだろうし。
大金を得る代わりに、
大事なものを失った気がする。