2016-08-23

海原雄山幸福か?」問題

よくジャンクだったり、味が濃かったり(濃いだけだったり)、大衆向けだったりする料理が好きなやつってwebでは「舌バカ」って見下されてるじゃん。あまり詳しくないけど今だと油そばあたりがターゲット

でも、そんなに「舌バカ」って悪いことなのかね。舌が肥えてない、洗練されてないってことは、逆に言うならその辺でお手軽&簡単幸福感を満たせるってことなわけで。幸福コスパが良いとでも言うのだろうか。逆に、舌が肥えたり洗練されたりするのって、そんな良いことなのかなーと。

いやわかるよ、ある種の味は訓練されて初めて良さがわかるってのはあると思うし、単純に好き嫌いの話ならそりゃあ嫌いなものがないほうが幸せさ。

たださ、そういうレベルじゃなくて例えば海原雄山みたいに「こんなものが食えるか!」とか、山岡士郎みたいに「これはできそこないだね、食べられないよ」みたいなところまで舌が肥え洗練されるって、本当に本人の幸福度を上げてるんですかね。そりゃあそのレベルになればこそ味わえる(わかる)旨さみたいなものはあるんだろうけど、恐らくそれは「舌バカ」たちが満足できるものよりもコストも手間も、出会う機会も減るわけで。季節外れのじゅんさいをぬるぬるしてて旨いですなーと笑顔で食ってる富井副部長より、雄山や士郎は幸せなのか?

いやまあ、世界には洗練されつくした舌のみがわかる圧倒的幸福を感ずる旨さが存在し、それがわかる人は、わかるまでに切り捨ててきた「マズいと感じてしまもの」をまだ手にしていたら加算される幸福感など完全に吹き飛ぶほどの天国快感を得るのかもしれんけどさ。

と、今日美味しんぼを読みながら「高級会員制料亭経営する天才陶芸家でも一流新聞社正社員でもない自分がこいつらの舌の基準明日目が覚めた時いきなりなってたら半年餓死だなあ」と思った次第。

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