はてなキーワード: 共通語とは
あなたや周りの人が話してるのは標準語じゃなくて関東方言、首都圏方言ですよ。
むしろ、他の地方から東京に来た人のほうがきれいな標準語を話すことが多い。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E6%96%B9%E8%A8%80
首都圏方言は、実際には共通語とは違い、あくまで首都圏地域で最も使用される方言の一種であるにもかかわらず、口語的なくだけた全国共通語として扱われることが多い。
そのため、首都圏方言話者は、自分達の口語について方言であると意識しないことが一般的であり、首都圏方言を方言として扱われることに違和感を示す人も多い。
実際、首都圏方言話者にとって共通語との区別を意識しにくく、両者の切り替えが難しいことから、むしろ非首都圏方言話者の話す共通語のほうが正しく綺麗であるとされる。
言葉 | もともと | 今 |
---|---|---|
バズワード | ネガティブ。曖昧語と似たニュアンス。みんなが意味わからず流行りで使ってて素人も使いだし定義もぐちゃぐちゃになってる様から。例:「AIとかバズワードになってしまって、言葉の一人歩きも甚だしい。」 | ポジティブ。流行っていて共通語として使える言葉。例:「シンくんすげぇ!ツイートするたびバズってバズワードメーカーだわ!!」 |
レガシー | ネガティブ。古くて改修したいけどもう触れないレベルのソースコード。レガシーコード。例:「ちょっとまって、このレガシーの改修が1週間で終わる前提で話し進んでない?」 | ポジティブ。いい意味としての遺産。例:「シンくんやべぇ!すべてのツイートがみんななの中に残ってレガシーとなっていっている! |
あとひとつは?
未来人の価値観は理解に苦しむところもあるが、翻訳の難しさは俺たちにでも分かる問題だ。
慣用句や、詩的な表現、そういった何らかのコンテクストが要求されるとき、別の言語に変換することは困難を極める。
該当する適切な表現が翻訳先の言語になければ、その時点で破綻するんだ。
そこを意訳したり省略したり、或いは開き直って直訳すれば最低限は伝わるかもしれない。
ガイドの時代でも試行錯誤はあったようだが、不可能という結論を先延ばしにする以上の意味はなかった。
100%正しい翻訳ではない時点で、100%正しい意思疎通もありえない、ってことらしい。
「結局は翻訳という工程を必要としない、新たな共通言語を開発することで対策をしたんだ」
「そういえば以前にどこかで話していたな。フエラムネ語だっけ」
「ヒューメレンゲ語じゃなかった?」
「いや、フュ○メッ△ゲ語だね」
それでも課題は残った。
言語そのものを最適化しようが、他種がそれを用いることができない時点で、。
「言葉というもの自体が、所詮はヒト向きのコミニケーション手段でしかないからね」
そして、その“ヒト向けのコミニケーション手段”でもって動物と“会話”をすることは、極めてヒトの恣意的な判断が介入することになる。
それは意思疎通ができているようで、実際は“分かっているつもり”の状態に近い。
むしろ中途半端な理解によって、新たな問題が発生する場合もある。
「つまり理念に反するんだよ。『人間の尺度で動物の意思を推し量ることは傲慢だ』という指摘が多くてね」
ガイドの時代は技術開発ばかり先行していると思っていたが、そういうことも考えている人も多いんだな。
自分が生きていない遥か未来のことなど大して興味もないが、俺にでも理解できる価値観が残っているようで少し安心した。
「あ~あ、つまんねえの。結局は何も分からないってことじゃねえか。未来って言っても、そんなもんかよ」
「体調を管理する機器を用いて、快・不快度などのバロメーターは分かるよ」
弟にとっては面白くない結果だったが、俺は内心これでよかったとも感じていた。
そりゃあ気にならないわけじゃない。
時々、思うことはある。
キトゥンの奴が日々をどのように世界を見て、考え、動いているのか。
それが、おこがましいって分かっているから、したくないだけでさ。
自分があのテの動物番組を無邪気に楽しめるタイプなら、こんな七面倒くさいことを考えなくて済んだのかもしれないが。
……あれ、いないぞ。
恐らく日課の散策に行ったのだろうが、いつもどこで何をしているんだ。
あいつの勝手とはいえ、飼い主という名分でもって把握しておくべきなのだろうか。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/053.html
「足りない」と「足らない」とでは、何か違いはあるのでしょうか。
現代の共通語としては「足りない」のほうが多く使われていますが、「足らない」も間違いではありません。大ざっぱには、「足りない」は現代語的、「足らない」は古語的であると言えそうです。