はてなキーワード: ボケるとは
最悪なことを言うけど、
「その銃をマスコミのトップに向けてりゃもっと社会は動いてた」
じゃないかな。
統一教会を腫れ物扱いして触らなかったのは誰よりもまずマスコミの報道姿勢にあるんだし。
で、そうすりゃ良かったのかって、んなこと無いわけよ。
いくら嫌いな相手が居るにしても、そもそもテロはダメだろテロは……
「味方を増やして選挙で勝つ」
より、
って言動はさ……
そんなものを「案」だというなら、政権がドコであれ内戦一直線なんだわ。
そういうヘタレの口ばっかし君で本当によかったなって思う。
下手に実行力があってひでえ結果になったのが山上容疑者の一件なわけでさ。
ところで、この増田はマジで記憶力が皆無みたいなんだけど、その後の選挙でどういう結果が出たのかは皆さんご存知の通りだ。
打倒すべき政敵にメチャクチャなバフかけて、自民党は議席を増やして、立憲共産党はボロ負けしてたじゃない。
それを、こうも綺麗さっぱり忘れられるのは逆に凄いよ。
弱女だけど静かなおばさんとして暮らしたい
普通の家(1Kとかの一般的な独り身規模)に住んで、持ち物も少なくする。
健康に質素なものを食べて、清潔な服を着ていられるくらいの収入の範囲で暮らす。
欲を言えば、たまに友達と会った時には好きなもの選べたら良いなと思う。
休日の趣味もほどほどで、体力とお金に折り合いをつけた上でのんびりやる。
おばあちゃんになっても体力があれば、贅沢をして寄席とか美術館とかは行きたい。
でも無理なら図書館で画集を見たりする。今は配信でも見られるから、そういうので代替することもある。
お散歩ルートにある公園とかを通りかかって、元気に遊んでる子どもを見かけて和む。
友達の子どもの話で爆笑して、立った歩いた進学したとかを一緒に喜ぶ。
そうやっているうちに親も歳をとるから、その時に合わせたお互いのQOLが保てる方法を見つけて、親が死ぬまでまあなんとかやっていく。
それが色々終わったら、上に書いた生活をもう少しおばあちゃんナイズドして静かに静かに暮らす。
友達の孫が結婚したのギャーおめでとうとか、気の晴れるイベントもたまにはある。
でも年々、ちょっとずつ体も悪くなるし頭もしっかりしないなあと思う。
こうやって書いたけどめっちゃ贅沢だね。
クラスでわちゃわちゃ話す場面があると、面白いこと言わないと混ざれない空気があったからだ
すべらない話まではいかなくても、ダウンタウンDXレベルの面白さが必要だったのだ
仕切り役のクラスメイトが浜田的な立ち位置でフォローしてくれるかは、そいつと仲かがいいかにかかっていた
ツッコミ要らずのボケ。もしくは、ツッコミをついついしたくなるようなボケ
ツッコミ役にはなれない。ツッコミはカースト上位しかできないからだ
下位グループが上位に突っ込めるだろうか?いや無理だ。ツッコミは上の者が下の者にするのが定石だからだ
お笑い番組を録画して何度も見た
お笑い本を買った
とっくの昔に高校を卒業し、笑いを取らないとカースト上位に入れない、なんて世界は終わっていた
それなのに気付かなかった
習慣が染み付いてしまっていた
戦争は終わったのに、銃の訓練をしているようだった
もう大喜利はやめよう
「大喜利で闘う」とか「面白いやつになる」とか、そんな考え方はやめよう
そう誓った
自分ちは本、PC、コンシューマと娯楽用具がたくさんあるけど久々に帰省したら驚くほど「生活に必要な基本的なもの」しかない。(調味料とか缶詰、ティッシュのストックなんかは死ぬほどあるのに)
加えてうちは寒い。寒い家だとは思ってたがまだこたつが出てるし、ムートンの絨毯敷いてあるし、でもこたつついてるくらいがちょうどいいってのはどういうことだ。4月だぞ。
風呂場も寒い。つーか一軒家寒い。実家ってこんな広くて寒かったんか。
うちの親もテレビとスマホだけで日々過ごす年寄りになっちゃってんだなぁ。とはいえなんかしないのか聞いても二言目にめんどくさい、疲れる、新しいことはちょっと…て感じだし。ボケるのも時間の問題か…。
ボーッと過ごすのが悪いとは言わないけど、友達も少ないし好きなことの1つくらいあった方がいいと思うけど、あれはどうだこれはどうだって人から言われたってやらない人はやらんもんな。
元自衛官で肉体だけが取り柄、借りた畑での野良仕事が趣味だった親父。
古希を迎えてすぐ、膝を悪くしてろくに散歩もできなくなると一気に衰え、
帰省するたびにどんどんショボくれていき、筋肉など見る影もない枯れ木のようなジジイになっていく。
関節だけでなく度重なる飲酒と喫煙のダメージで内臓もボロボロらしく、
透析寸前で好きなものも食えないということで精神的にも弱っているようだ。
とはいえ、昔気質で亭主関白な親父、昭和生まれの元自衛官なんて、
今風に言えば「有害な男らしさ」を煮詰めたような環境でサバイブしてきた男だから、
かといってリハビリに精を出すわけでもなく、座して死を待つがごとく寝たきりに近い生活になっているらしい。
この間話した時は頭がまだはっきりしていたのが幸いだが、そんな生活を続けていればボケるのも時間の問題な気がする。
体がダメになるのが先か、頭がダメになるのが先か、いずれにしてもあと数年で今生の別れがやって来そうな予感がする。
そんな予感をヒシヒシと感じつつも、じゃあ生きてる間にたくさん親孝行だ、とはなかなか思えない自分がいる。
まだ小さい子供と、ウチの実家を敬遠している妻、安月給なのに忙しい仕事を抱えて、自分の生活を維持するので精一杯な部分も大きい。
しかし、それ以前に俺は父親のことを人間として知らなさすぎた。
それは父親自身の気質ゆえに、父親というロール以上の人間性を自分にあまり見せてこなかったというのもあるかもしれない。
あるいは、俺自身が父親に人間としての興味をそこまで持たずにここまで来てしまったからかもしれない。
母親曰く、父親は息子である俺にいい面だけを見せようとしていると。
俺には、借金だけはするなと言っていたのに。
でも俺は俺で、父親のいい面だけを見ていたかったのかもしれない。
母の苦労は想像するにありあまるが、それでも愚痴を聞きたくはなかった。
18で家を出て以来、実家に帰るのは多くて年に二度。酒を飲める年齢になっても、結局父と2人でゆっくり盃を交わしたことはなかったな。
どこかで腹を割り切れないというか、親父は親父、倅は倅、そういう立場を超えて本音を話したことがなかった。
今からでも遅くない、という思いもあるし、いや、このままでいいんだと思う自分もいる。
息子にいい面だけを見せようとしていたなら、いい面だけを思い出にして綺麗にお別れしたいと思う。母親には悪いが。
あと数年、年老いた母に父親の介護を押し付けて、老々介護を見て見ぬ振りして暮らすのは忍びないが、せめて役所手続きしたり保証人くらいはやるので勘弁してくれ。
父も母も、一人の人間としてみれば、毒親とは言わぬまでも問題の多い人たちだったと思う。正直友達にはなれなかっただろうな。
でもやっぱり自分も親になってみて、二人の子を育て上げたことのすごさは尊敬に値するし、感謝の念は抱いている。主に苦労したのは母親だと思うけど。
でもレールを敷こうとする過干渉気味の母親を制して、父が生きたいように生きることを支持してくれたことは心底ありがたかった。
そういうとこが母からしたらいいカッコしやがって的にムカつくポイントだったんだろうけど。
学生の頃、仕送り散々もらって、働き出したら返すなんて言って、結局全然返せなくてごめん。
大学まで行かせてもらって、好きなように生きて、結局大して稼げなくてごめん。
15年ぶりに実家に戻って2ヶ月くらいたつ。
ずっと一人暮らしだったので、家に自分以外の存在がいるというのになかなか慣れない。
で、父がおそらく65~68歳くらいなのだが…「ボケてはいないけど、近所のうざいおっさん」くらいになっててしまって非常につらい。
昔から少し怒りっぽいところがあったが口に出る前に抑え込めていたのが我慢できないようになってしまったみたいで、
「自分が理解できない話をされると機嫌が悪くなる」「自分の意見が聞き入れられないと怒り出す」という加齢かなあと思うものもあれば
「深夜に掃除機をかけはじめる」などのわりと痴呆症入ってきてるんじゃないかという行動もするようになっていた。
あと母に暴言…とまではいかないが喧嘩腰で話すことも多くなっているように感じる。
おばあちゃんが非常に穏やかな人でボケずに大往生したのもあり、身内がこんな風に変化してしまったのに驚いている。
兄と弟もいるのだが、この二人はずっと実家にいたので、こんな状態の父とは冷戦状態で勢力図が父・母弟・兄・の三国志状態になってしまっている。
このまま加齢が進んでいったらテレビでよく見る暴言をはいて周囲に当たり散らす老害になってしまうのではないかと不安だ。
自分にできることはなんだろう…と考えてみたものの、一刻も早く家を出て遠いところで働き始めるしかないという結論がでてしまった。
育ててもらった恩はもちろん、ありがたいと思うけど「近所のうざいおっさん」の面倒を見る気にはどうしてもなれなかった。
無理に辞めさせると、一気にボケるよ