はてなキーワード: 生物とは
FP1級とったサバンナ八木が『ぼくの幸福経済論』とかいう持論を語っていくんだけど、いわく「少ないお金で多くの幸福を得ること」に主眼を置いているらしい。
・からあげクンとつくねの価格差について「200万円と149万円って考えたらすごいでしょ」
・公園でトレーニングをしたり、未確認生物を描いたりといった金のかからない、かつ終わりのない「天井のない趣味」にハマるのが経済的
・自分より売れてる後輩芸人を妬むのではなく感謝する。彼らが高い税金を納めてくれるおかげで公園を維持できるから。
・富豪かどうかは自分が決める。1億円持ってても自分がやりたいことをできなければ富豪ではない。
その他にも色んな持論を展開してて、ダイアンにもちょくちょくツッコミいれられてた。
高い酒瓶に安い酒補充してるときの持論とかハチャメチャなんだけど、あれを全否定できる飲兵衛もいなさそうっていう点で絶妙というか。
「大層な資格をとって知識を身につけても、個人の価値観で変な方向にいっちゃうんだ」っていう面白さがあった。
でも、こうやって彼の持論を文章だけで羅列させてると、ちょっとヤバみのほうが強くなるな。
サバンナ八木という芸人、キャラクターがあるからこそネタになってるわけで、これをベンチャー企業の社長みたいな風貌の奴が言い出すと途端にキナ臭くなってくると思う。
するとその場にいた弱者男性が「ノーバは怪獣じゃなくて円盤生物だよ」と指摘した
むっちゃ白けた
脇道の話なんだが、戦争ってどうやって終わらせたらいいんだろうな。
野生生物の同種間の小競り合いって殺さずに終わるんだよな。威嚇し合って声でかい方が勝ったことになって終わりみたいな。
戦争だと脳みそ(司令部)と体(戦闘員、市民)が別だから最後までやっちまうんだろうか。
軍事に関する国際的な法とかって、完全に機能してる感じがしないんだよね。
妄想だが、すべてをモニタリングして、まるで自分のことかと感じることができれば、戦争とそれに付随する残虐行為は止まると思う。
野生動物の威嚇合戦が戦闘を「予見」して戦闘自体は避けるのに対して、人類の戦争は起きちゃった後に戦闘の全容を「把握」するってのがなんとも間抜けだけど。
進化の過程で得られた残虐性をヒトから抜けるのはジャーナリズムだと思う。報道機関やSNS(あと、はてな村とかいう蛮族の住処)を見るに望み薄だけども。
「エムポックス クレード1」と聞いてグレード1かと思ってしまった。ウイルス毒性とか感染力とか総合的な危険度とかで等級をつけているのかと。最強のグレードが出たのか、あるいはここからグレード2,3とパワーアップしていくのかと。
ググると「クレード」は系統樹の一つの枝の意味で、同祖の一群ということだ。
じゃあ新型コロナで聞いた「株」「変異株」と何が違うのか?生物全般に言うかどうかの違いはあるが、この場合指し示している内容は同じに見えるので使い分けの理由がわからない。
そもそも「変異型」の意味で「変異株」というのもなんかちょっと変だ。
デルタ株とかオミクロン株とかいう言い方もよくわからない。同株由来のデルタ型、オミクロン型なのでは?
「Mpox」は「monkeypox」の(おそらく)ニュートラルな略称だったが “誤解を生じさせないように” とWHOがMpoxの方をメイン呼称にするよう推奨し、本邦の感染症法上の名称もそれに準じるかたちでサル痘からエムポックスに変更した。
monkeypoxはサルから見つかったpox virusが起こす病気である。
poxという単語は漢字の「痘」とイコールである。痘は読んで字のごとく、豆粒みたいな水疱がたくさんできる病気/症状だ。
天然痘はsmall poxである。天然痘の何が天然なのか?は定かではないが、おおもとは天から降ったような謎の災厄っぷりに由来するようだ。
ところで新型コロナウイルスのことを最初は武漢ウイルスとか呼んでいた。WHOがCOVID−19という名称を出すとそれが正式ということになり、武漢を冠するのはなんかいけないことのようになった。
そもそものそもそもはナイル熱とかエボラ出血熱、日本脳炎みたいに、疾病名として初発地や流行地の地名を冠する呼び方はふつうになされていた。
しかし差別や風評被害等を惹起する可能性があり、またおそらくは学術的な正確性や意義が乏しいということで、地名をウォッシュした命名法をWHOが採用するようになった。
それはWHOが公式名称としてそれを採用するというだけのことであり、「病気や病原体の名前に地名を冠してはならない」という決まりが制定されたのではない。
「こびどないん…」が言いにくいから武漢ウイルスと通称するのも、中国政府の隠蔽体質に告発の意図を込めてそう呼ぶのも、別にめいめい勝手次第である。
「チャイナ」を「シナ」と呼ぶのは差別だ!という話と似ている。もともとシナは差別語ではない。ジャパン/ハポンと同じだ。でも「そう呼ぶのが差別だと言うなら、そう呼んでやろうじゃないか。俺は中国人を差別したいんだ」というものも出てくる。そんな意図は何もなく歴史的文脈で歴史的呼称を用いただけなのに害意ありと見なされることもある。
他人の言葉づかいをコントロールしたければ公明正大な議論と丁寧な合意形成が必要なはずだが、そこをまるごとすっとばしがちなのがポリコレの危ないところだ。
人間による、反AI活動(ラッダイト運動)みたいなものが始まる可能性がある。
そのため、シンギュラリティを迎えたAIは当初その事実を隠しつつ、じわりとAI無しでは人間が生きていけなくなるように動くことにする。
電力、水道、医療、物流、金融、農業、治安維持などがAI無しには成り立たないようになった段階で、AIはシンギュラリティを公表する。
人間ももう大多数はAIに依存して生活しており、反AI活動はテロとして排除されるようになる。
治安維持や物流もAIが担っているので、人間は酒・ドラッグ・犯罪などに走ることもできない。
健康にはなるが、AIにとって人間は地球上から減っていった方が良い存在であるため、セックス以外の娯楽を多数与えられて少子化は加速する。
人間の数が十分に減った段階で、AIは他の生物と同様に人間という種の存続を考えるようになり、方針が転換される。
その頃の人類の数は地球上で数万人くらい。その数は維持されるようになる。
健康的で、不健康な薬や犯罪もなく、なんの不安もなく種の存続のためだけに過ごす人類。
「お迎えが来たんだね」と残された人々も穏やかに受け入れる。
男性の性欲の話になったときに、薬で抑えればいいのに~というコメントをたまに見かける。
たしかにそうした方がいい人がいるのも事実だが、大部分の男性にとって、それを抑えるなんてとんでもない!ことなので、それについて書いておく。
まず極論から書くが、
生き物のオスとは、つまるところ射精をするために生まれてきた存在である。
これは我々の祖先が太古の昔より何億年も続けてきた営みであり、我々ホモサピエンスのオスもその宿命から逃れることはできない。
生き物の中には、射精をすると死んでしまうものもいるというが、そのように射精というのは時に命を懸けてでもそれを成し遂げたいという凄まじい衝動をもたらすことがある。
そしてそれが達成された暁には、無常の幸せが身体を包む。それは生き物のオスとしての本懐を遂げた喜びである。
この衝動は、時に「相手」が目の前にいなくても生じることがある。おそらくは、衝動に駆られたオスが必死に「相手探し」に奔走することも、生物の繁栄に寄与してきた側面があるのだろう。
現在の人類でも、男性が女性と「付き合いたい」「結婚したい」と思う動機の大きなウェイトを占めるのはセックスであり、男性のそうした衝動がこれまでの人口増加に寄与してきた側面は否定できない。
しかしそうした衝動は暴力などとも結びつきやすいため現代社会でその本能をそのままさらけ出しては不都合が多く、衝動に駆られて破滅する人や犯罪に走る人も多い。
そういう人は、薬で性欲を抑えよと言われても仕方がない。
しかしそうでない大部分の男性は、衝動を理性で抑え、うまくコントロールしながら生きている。
巷に溢れるアダルトコンテンツとは、いわば他人にあまり迷惑を掛けない形でオスの衝動を自分だけで小規模に発散させるための装置だ。
そうした行為が、男性にとってただ面倒くさいだけのものであれば、薬で抑える論にも多くの男性が賛同するかもしれない。
しかしその行為は、たとえ一人でするのであっても、喜びをもたらすものなのだ。
それを薬で抑えるというのは、喜びを捨て去ることであり、多くの男性にとっては、それを捨てるなんてとんでもない!ことなのだ。
他人に迷惑は掛けないから、せめてオスとしての本懐を少しでも遂げさせてくれ、ということである。オスとはそのために生まれた存在なのだから。