男性の性欲の話になったときに、薬で抑えればいいのに~というコメントをたまに見かける。
たしかにそうした方がいい人がいるのも事実だが、大部分の男性にとって、それを抑えるなんてとんでもない!ことなので、それについて書いておく。
まず極論から書くが、
生き物のオスとは、つまるところ射精をするために生まれてきた存在である。
これは我々の祖先が太古の昔より何億年も続けてきた営みであり、我々ホモサピエンスのオスもその宿命から逃れることはできない。
生き物の中には、射精をすると死んでしまうものもいるというが、そのように射精というのは時に命を懸けてでもそれを成し遂げたいという凄まじい衝動をもたらすことがある。
そしてそれが達成された暁には、無常の幸せが身体を包む。それは生き物のオスとしての本懐を遂げた喜びである。
この衝動は、時に「相手」が目の前にいなくても生じることがある。おそらくは、衝動に駆られたオスが必死に「相手探し」に奔走することも、生物の繁栄に寄与してきた側面があるのだろう。
現在の人類でも、男性が女性と「付き合いたい」「結婚したい」と思う動機の大きなウェイトを占めるのはセックスであり、男性のそうした衝動がこれまでの人口増加に寄与してきた側面は否定できない。
しかしそうした衝動は暴力などとも結びつきやすいため現代社会でその本能をそのままさらけ出しては不都合が多く、衝動に駆られて破滅する人や犯罪に走る人も多い。
そういう人は、薬で性欲を抑えよと言われても仕方がない。
しかしそうでない大部分の男性は、衝動を理性で抑え、うまくコントロールしながら生きている。
巷に溢れるアダルトコンテンツとは、いわば他人にあまり迷惑を掛けない形でオスの衝動を自分だけで小規模に発散させるための装置だ。
そうした行為が、男性にとってただ面倒くさいだけのものであれば、薬で抑える論にも多くの男性が賛同するかもしれない。
しかしその行為は、たとえ一人でするのであっても、喜びをもたらすものなのだ。
それを薬で抑えるというのは、喜びを捨て去ることであり、多くの男性にとっては、それを捨てるなんてとんでもない!ことなのだ。
他人に迷惑は掛けないから、せめてオスとしての本懐を少しでも遂げさせてくれ、ということである。オスとはそのために生まれた存在なのだから。
こういうメンズリブの観点が大事よな
雄鳥天に舞い、衝動は潮の如し。 命賭して営む者もあり、喜びは秋風に舞う葉の如し。 理性の舟で衝動の海を渡り、孤高の楽土にて欲を発散す。 薬にて喜びを封ずるは、色なき花を愛...