みんな同じ増田だったのか
まずウマ娘の技術で最新なモノは別にない、丁寧に高クオリティに創られてるだけ
美少女ゲームに無い斬新さというが設定的に言えば日本競馬界に限定したFateでしょ
斬新でもなんでもない使い古されきった手法
要は実際のサラブレッドに結びつけて難癖付けたいんだろうけど
枕で大した調べも想像もしてない隙があると読む気もしないよね
やり直し
退職届出しちゃう。でもやめグセみたいなのついてどこへ行ってもつらくて「そろそろ辞めようかな」みたいに思ってしまう。でもそれも年齢的に転職がキツくなってきたので限界かなと思ってる。どこへ行ってもつらいならその仕事じゃなくて自分の方に問題があるんだろうなとは思うけど。
控えめに言って…
どこが詰んでんだよっての。。
アドバイスとしてなにか言えることがあるとすれば…
みんながいいって言うことは実際にいいってことが結構多い
ってことかな。
何不自由なく甘ったれた環境でぬくぬくと育ってきた。いわゆる親ガチャには成功したほうだと思う。幼い頃から小説ならいくらでも買ってもらえたから、どこかに出かけるたびに本屋に寄るようねだり、1冊ずつ買ってもらっては読みほした。当然本好きに育った。中高生の頃ぼんやりと、自分はきっと本と関係する業界に就くのだろうと思った。大学生になってもその想いは変わらないまま、最近就活を迎えた。
愕然とした。
好きな雑誌?ほとんど本か漫画しか読んだことがない。やりたい企画?企画ってそもそもなんなんだよ。どうやって作ればいいんだよ。会いたい人?そもそも本以外の趣味なんてなく、TVもほとんど見ないのに芸能人のナニガシなんてわかるわけがない。
そして気づく。そもそも私より本をたくさん読んでいて、それ以外の趣味もたくさん持っていて、コミュニケーション能力があって、弁舌の立つ人間が、おそらくこの世界には五万といること。
正確に言うと、ずっとずっと昔からぼんやりと気づいてはいたのだ。編集者になるには多様な興味関心が必要だと、なんとなく察していたのだ。でも見ないふりを続けてきた。だって今まで苦労したことない甘ったれなのだ。最後にはなんとか帳尻を合わせられるだろうと踏んでいた。とうとうここにきて露見した。最早取り返しのつかない状況で、取り返しのつかない人生を送ってきたことをはっきりと自覚したのだ。
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
──岡野大嗣
やっと自分の愛が、こんなにもちっぽけでつまらないものであったことに気づく。
集英社も講談社もポプラ社もそもそもESすら出せなかった。今日なんとか新潮社を出したけど、書いている最中には小説を一番好きだと宣いながら好きな作家にはあまりにも有名な作家ばかりをあげる自分の情けなさにほとほと嫌気がさしていた。ねえ、俺は今まで文芸誌ひとつまともに読まずによく平気な顔で本好きを名乗ってこれたね?
文藝春秋を出したいけれど出せる自信がない。小学館を出したいけど受かるわけがない。
でも、ああ。
今自分が何も持っていないことに気づけてよかった。本当に何もかも手遅れになる前に自分がこんなにもくだらない存在であることに気づけてよかった。とにかく頑張ろう。内定を貰っている友人もいるけど、貰っていない友人もいるから。今切り替えればきっとどこかには繋がるはずだから。自分は一生本に携わって生きると確信していたから、今どうすればいいのかさっぱりわからないけど。でも何とかなるって信じたい。私の未来はまだ全部台無しになったわけじゃないんだって。今から、……新しい未来が開けるはずだって。
来週の合説を予約した。とりあえず小学館のESを書く。3時間ほど泣いたら何かの諦めがついたから今この文章を綴っている。1年後の自分が、10年後の自分が、これを見て笑ってくれますように。
そしてここまで読んでくれた君にどうか一つお願いがあるんだけど、こんな情けない実情は恋人にも友人にも言えやしないから、ここまで読んだよしみで罵倒なり励ましなり残していってくれやしないだろうか。私に人との繋がりを感じさせてくれないかな。
創作上のキャラクターの好きな属性としてのマザコンとか母性とかインナーチャイルドとかアダルトチルドレンみたいなそう言ったものについて考えてるんだけどマザコンは大きく分けて2種類あると思っている。
母親の愛情を過剰に受け取って育ったり母親を意識的/無意識にも神格化しすべての女性の基準が母親な人間。二言目には「うちママはこうだったけどな」とか言うタイプ。
わかりやすく既存のキャラクターで言うとドラえもんのスネ夫がそれである。
もう一つは『母親の愛情を充分に受け取れなかった為大人になっても母親の愛を求めているタイプ』
死別とかネグレクトにより本来子供のうちに得られるはずだった母の愛を得ずに大人になってしまい、いつまでも母の愛情を求めてしまう人間。
既存のキャラクターを使って例を挙げると、その中でも母の愛を配偶者とか恋人に求めるタイプがガンダムのシャア、母親本人に求め続けるタイプがブレンパワードのジョナサンだと思う。2作とも富野由悠季ですまなない。
私はこの後者の母親の愛情を充分受け取れなかったタイプのマザコンキャラクターが好きだ。女性キャラクターだとエヴァのアスカも好きだ。
普通子供は親から与えられる愛情を受けて育ち、成長とともにそれを受け取らなくなる。そしてそれを今度は恋人や配偶者に貰ったり、自分が愛を与える側になったりして大人になってゆく。
しかしこのマザコンは年齢だけを重ねて見た目は大人になったけれど中身はいつまで経ってもママの愛を求める子供だ。
現にシャアは(ロリコンも発症している為)年下の少女ララァを母になってくれるかもしれなかった存在として死に至るまで彼女の幻影を求め続けたし、自身に父親を求めたクェスのことは受け入れられなかった。30も半ばをすぎていてこれだ(見た目は頼り甲斐のある大人の男性のシャアの中身がアムロにも引かれるくらい子供を拗らせているというギャップが好きだ)
ジョナサンのほうはもっと悲惨だ。彼は幼少期に多忙な母親と過ごす時間を充分に得られなかった為大人になってもいつまでも母を求めている。ジョナサンの有名なセリフ「クリスマスプレゼントだろ!」にそれは凝縮されているが、大人になって自ら母親と離別してからもずっと子供の頃のクリスマスの悲しい思い出をひきずっている(彼の方は母親にも問題がありそれを指摘されたことで母親までも発狂してしまうのだが)
そんな悲しきマザコンたちが私は好きなのだが、この愛情を与えられた者、与えられなかった者、正反対の2者がどちらも「マザコン」という雑で大きなくくりで呼ばれるのが少し悲しい。かと言って別の呼称も思い浮かばない。
マザコンというとマイナスイメージが強い印象があるが、この悲しき愛を得られなかった大人たちは創作上のキャラクターとしてはとても魅力的だと思う。
十中八九実施すると思うけど、参加する国の数がモスクワオリンピック並になりそう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54450
新幹線たけーよって記事なんだが、高価格に擁護派がいるのにうんざりする。
東京と新大阪の区間で14kってのは明らかにたけーだろうがよ。社員かよ。
これに限らないけどさ、世間にある割高な価格のものって必ず擁護派がでてくるのなんなのよ。
「適正価格」「妥当」とか、自分の経済力を暗に誇示してマウントしてんのかよ。
個人単位では安い方が嬉しいに決まってるのに、こういう時だけ経済学者のマクロな視点(笑)で物を語るなよ
俺はとろくていつも怒られてて毎日つらいなしんどいなって布団の中で思っててある朝起きれなくなってそのまま退職届を内容証明で提出しちゃうんだけど、みんなこういう時って休職届とかだしてるの?休職って休んだ気しなくない?皆どうやって生きてるんだろう。
ふと中学の時のことを思い出したので書く。
学校行事のたびに、「クラスメートの全員分の下の名前をひらがなで書くのが好きな女子」っていなかっただろうか。
体育祭の時の黒板とか、学級旗とか、遠足のしおりとか、寄せ書きとか。
スペースのあるところをみんなのファーストネームで埋め尽くす系女子。
ウチらのクラスは仲がよくて、気軽に下の名前で呼び合えるようなアットホームなクラスなんだよね~っていう「絆」の表明だと思う。
自分が中二の時のクラスに、それが好きな女子がいた。(Aちゃんとする)
Aちゃんは、クラスの中心的な存在で、行事が好きで、「クラスみんなで取り組も~っ」ていう感じの陽キャな女子。
宿泊行事のしおりの表紙の作成を任されたときにも、Aちゃんはいつものようにクラスメートの下の名前で空白を埋めていた。
でも、Aちゃんはそのときはやらかしてしまった。クラスの中の目立たない系の女子の名前を一人書き忘れてしまったのだ。
そのことが発覚したとき、Aちゃんは自分のミスにすごくショックを受けていた。泣きながら何回もその子に謝っていた。
書き忘れられたほうの女子は、Aちゃんがあまりにも泣きじゃくるので、逆にAちゃんのことを心配して慰めていた。
その子がクラスの中で、嫌われたり、いじめられていたというわけではない。
Aちゃんと仲が悪くて、意図的にハブられたというわけではもちろんない。Aちゃんに悪意なんて本当になかった。
Aちゃんは行事に向けてみんなの一体感を強めようと努力していたけど、
その「みんな」の一員として、その子の名前を思い出すことができなかった。
Aちゃんが大好きな「クラスのみんな」のなかに、その子の占める場所がなかっただけだ。
この騒動が起きた時に、自分がある種の爽快感を感じたことを思い出した。
結婚するまで気づかなかったのが疑問でなかなか難しいのかなー