4月14日って言っても今まで何十回もあった4月14日と何ら変わらない風情で参るべく泰然自若的な勢いでおりたいのです。
が、特別視したくないなあと思ってしまうってことは既に意識してるんでしょうね。
ご支援くださった方々、本当にありがとうございました。色々ありがたかったし今もありがたいです。五嶋みどりさんのバイオリン聴きに行きたかった。
× 原作やアニメきっかけで赤井と安室が腐女子に人気が出て腐に媚び媚びの映画が作られた
○ ガノタの青山が趣味でガンダムパロ満載の映画を作ったら今までそんなに人気がなかった赤井と安室が急に人気になった
こうなんだよな
たとえばプログラミングの技術のようなものについて、「道具として使うからそこまで深入りしない」というスタンスだったんだが、なかなか仕事や、成果みたいなものが前に進まなかったんだ。
で、最近気づいたんだ。「道具として使うには自分の能力は浅すぎた」んだと。
もっと早く気づけばよかったよ。
よほど俺に興味がないのかな。
そう誰にでも見せるような表情でもないと思うが、「隙」とも違うよな。
元々表情が豊かに動く人なだけ(つまり何の他意もない)だろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070414112142
http://anond.hatelabo.jp/20150106164328
結婚15年目。
最初に書いてから十年、前回書いてから二年経ったが、相も変わらず妻が可愛く見えて仕方が無い。
妻も40歳を過ぎて年相応に老けてきていると思うが、私からはよく分からない。二十代の頃と変わらない気もするし全然違う気もする。
まだ目尻のシワもほうれい線も出ていない。ちゃんとケアをしているからと言っているから頑張ってはいるらしい。
太ってきているのが悩みの種らしいが、私からは中肉中背に見えるしガリガリよりは健康的でいいのではないかと思う。
子どもたちも「お母さん綺麗ね」と言われるらしいので、私の目だけがおかしいわけではないようだ。
街を歩いていたらナンパでもされるんじゃないかと思ったりもするが、そう言うと「こんなおばさんに誰も声かけないわよ」と笑う。
言い過ぎると嘘に聞こえると言って減らした「可愛いね」も、結局元に戻って二日に一度は言っている。
妻の方は慣れたもので私に言われてもどうとも思わないようで、老けたのがイヤだとかこれ以上年を取りたくないとか唸っている。
周りの夫婦はぼちぼち離婚しているところもあるので、うちも不意に冷めてしまったりするのかと戦々恐々としているが、とりあえず今日のところはまだ大丈夫だ。
明日のことは分からないが、きっと今日とそう変わらないだろう。
可愛く見えるのがフェロモンパワーならもう一人くらい赤ちゃん出来てもよさそうだったが、年齢的にもう出来ないだろう。
奇しくも、今日は一番最初に書いた日と同じ日なのだが、特に狙ったわけではない。
春になると惚気てみたくなるのかもしれない。
「〜〜が大事だ」「〜〜が重要だ」という旨を、口に出したりSNSで投稿したり、あるいはそういった記事を用いて「わかる」と言ってしまう人間のうち、その「大事」なことを自分でできない人がいる。
初心者なので、1dayの使い捨て。コンタクトは使っている友達が多かったのだが、眼鏡に慣れてしまった私にとっては目にレンズを入れる行為は怖かった(スポーツのために仕方なかったのだが)。それよりも大きな問題はいよいよコンタクトを、眼球から外す時のことであった。眼球が二本指を怖がり上に逃げてしまうのだ。装着時は問題なく入って何ともないのだが...。あの外す時の恐怖は少しずつ克服していくしかないのか?と思った。さらに深刻な問題が居眠り癖だった。自分に甘いのか講義が退屈なのか(大体講義が退屈!)よく居眠りをしてしまうのだが、装着したまま寝るのは良くない、と眼科医に言われた。まさに私にとっては地獄。
異なる世界に別キャラとして生まれ変わるのは二次創作からの発想だからな。
「私が」ではなく、「周囲の人が」困ったり、迷惑をする時の感情に思いを馳せる力。それはすなわち、他社の感情に寄り添う「共感力」に他ならない。
これは「定型」発達者が、成長の過程でおのずから身につけてゆく力だ。
最近は、職場で発達障害の疑われる同僚に接するようになり、障害の様々な態様について関心を持つようになったのだけれど、
そんな中、発達障碍のある人の手記を読むと、この力がポロリと欠け落ちているように感じられることがある。
「私」がこう思った。「私」は、こんなふうに苦労した。だから「私」は今、こんなふうな生き方をしている、等。
論証の視座が自己に偏っていて、どこか一人称小説を読んでいるような気分になる。
特にアスペルガー症候群と診断された人の手記には、この傾向が色濃く出ている。
「アスペルガーの私が、マルチタスク命!のコンビニで働いた結果…」
https://h-navi.jp/column/article/35026205
→著者ヨーコ氏の他の記事も参照
敗れた側のスポーツ選手はいう。「こんなに応援してもらったのに、応えられなくて申し訳ない」と。
オリンピックやワールドカップで、また欧州のサッカー選手や監督がそういった反省の弁を口にしているのを見ることがある。
だから、この「申し訳ない」という感情は決してこの国特有のものではないのだろう。
そして、このような反省と悔恨を述べた後、選手や監督が次に口にするのは「だから、次はもっと努力したい」という言葉だ。
このとき「申し訳ない」気持ちは、周囲に迷惑をかけないために、または、誰かの期待に応えるために、その原動力として働くようになる。
こうすまい、ああすまいと、「自分以外の誰か」にとってよくない結果を避けようと努力し、自らを発達させるエネルギーを生み出す。
自分のせいで落胆したりや辛酸を舐めることになる他者への共感=「申し訳ない」という感情が出発点となり、人は成長・発達を遂げることができる。
こんなことを書くと、発達障害で苦しんでいる当人に、さらに罪悪感を持たせようというのか、という意見もあるだろう。
それは確かにそのとおりだ。
このような「申し訳なさ」に至る=気づくためのメソッドや治療方法があるとしたら、それは前出のような手記を書くことのできる状態の発達障害のある人にとって望ましいものだろう。
少なくとも、自分がこの世に存在することが申し訳ないというような、極度の抑うつ状態にまで達している発達障碍の人には、すでに禁忌である。
私のような素人が、決して軽々しく日常生活に応用していいものではない。
しかし、こちらもまた感情ある人間であって、ふとした瞬間に、相手に対して非難めいたことばを掛けることを制御しきれないのも事実だ。
ここで主張したいのは、こういった発達障害のある人から「申し訳なさ」を引き出すような問いかけ・コミュニケーションを一概に否定するのではなく、
時には負荷をかけることが有効な場合もあるのでないか、ということだ。
罪悪感という負の感情を克服するために、克服したいという意思を持つがゆえに、人は自らを発達させようともがく。努力する。
「申し訳ない」という感情に含まれる、他者の存在と距離を感じるところから視野が拓かれ、自らの発達障害に深い理解が及び、ひいては、その克服に至ることがあるのではないか。
以上のようなロジックで「申し訳なさ」を引き出すことが発達障害のある人のためにもなるという主張をしてみたいと思う。
望むべきは、私自身がもう少し発達障害の疑われる同僚に気を使ったり、自らを押し殺したりすることなく、時に軽やかに時に遠慮なく、モノを言えるようになることだ。
発達障碍のある人の周囲の人間の負荷。
まったく陽のあたらないこの負担を担ぎながら、私もまた、私自身を視座の中心に据えて、こんなレントシーキングまがいの呟きをしている。
発達障害を望ましい個性であるとか、多様性の発露であるとかいった主張だけは受け入れられない。発達障害が克服・改善されない限り、かならず誰かが負担をこうむるのだから。
以上。徒然おわり。
バオバブ(英名:Baobab、学名:Adansonia)はアオイ目アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではパンヤ科)バオバブ属の
総称のこと。
「バオバブ」の名は、16世紀に北アフリカを旅したイタリア人植物学者が「バ・オバブ」と著書に記したのが始まり。
もとはアラビア語のブー・フブーブ(種がたくさんあるもの)から来ているという説がある。
原生種がマダガスカルに6種、オーストラリアとアフリカに1種ずつ存在する。
アフリカの諸言語ではそれぞれ呼称が異なり、ズールー語では「ウムコーモ」、ハウサ語では「クーカ」、スワヒリ語では「ムブユ」、
フルベ語では「ボッキ」、バンバラ語では「シラー」、モシ語では「トゥエガ」などと呼ばれる。
サバンナ地帯に多く分布する。幹は徳利のような形をしており、高さは約30メートル、直径は約10メートルに及ぶ。
最大のものは南アフリカのリンポポにあり、高さ47m、直径15mである。葉は幹の上部につき、乾季に落葉する。花は白色で大きい。
果実はヘチマのように垂れ下がり、堅い。果肉は食用・調味料とされ、セネガルでは「サルのパン」と呼ばれる。
ビタミンCがオレンジより多く、カルシウムも牛乳より多いと言われる。さらに種子からは油が採集できる。
また、若葉を野菜として利用する。樹皮は煎じて解熱剤に用いられるほか、細かく裂いて編めば強靭なロープを作ることができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%96
てか、昔は「そもそもは異世界の住人だったのが、この現実世界に生まれ変わった」的なのが多い
……と、思ったけど、今もそこそこあるなw
楽天カードニュースの配信停止をしてから、ひと月経つが未だに届くのはシステムの不具合ですか。
とりあえずメルマガ止めたいな。
私の意思と無関係にメルマガを受信し、私の意思で停止できないのですか。
回答 2017/03/19
楽天e-NAVIっていうのは楽天カード会員用のオンラインサービスなんだけど
家族カードを私は認知していない、従ってカードの追加登録はできません。
メルマガが届くメールアドレスは(家族が)家族カードを作った際に登録したのか。
あるいは私名義のカードに関連して私が登録したメールアドレスが、家族カードに勝手に紐付けられたのか。
回答 2017/03/27
詳細を調べるので下記項目を知らせて。
■受信日時:
■メールの件名:
家族カードを解約すれば家族カード宛てに配信しているメールも停止する。
ナビダイヤル0570-○○-○○○○ に掛けて。
■送信元:cardnews@mail.rakuten-card.co.jp
■送信先:hogehoge@hogehoge
また、家族カードの解約方法を教えてもらっても、カード番号がわからないので解約できません。
調べたところそのメルマガは家族カード会員宛てとして配信している。
家族カードが楽天e-NAVIに登録されているかどうかに関わらず、
確認したところ、 1月17日に、(私名義の)本カードを楽天e-NAVIに登録したので、
また、ナビダイヤル0570-○○-○○○○ に掛けて
「0」その他を押せば、直接オペレータにつながり
私はメールアドレスが共有される件について、同意をしたのですか。
いろいろな規約のどの箇所に示されているのかおしえてください。
それ答えになってないし。
規約読んでもそんなこと書いてないし。
他のカードとも登録情報を共有する旨明示されているのでしょうか。
その規約の条項はe-naviの登録情報にも適用されるのですか。
回答 2017/04/14
■第22条(届出事項の変更)
■1.会員は、当社に届け出た氏名、住所、勤務先、連絡先、メールアドレス、
■支払口座、暗証番号、年収、債務、家族会員等の情報に変更が生じた場合は、
なお、届出事項は、会員ごとの管理となる。
本カードを申し込んだ際に、届出事項として、家族カードも合わせて更新している。
何度も問い合わせをもらっているが本件についてすべて案内したので、 今後の回答は控える。
( ゚д゚) 振られた。
今日コールセンターに電話して私名義のカードと、勝手に作られていた家族カードを解約したから
メルマガ来なくなると思うけど、こんなものなんですかね楽天カードマン。
※カード会員規約 https://www.rakuten-card.co.jp/agreement/card_member/
日曜日、朝刊におまけのように付いてくる日曜版に掲載されていた「あたしンち」を読むのが好きだった。
あたしンちは、どこにでも在るような父母と姉弟の何気ない家族の話しだ。
どこにでも、というには立花家のお母さんの性格が個性的だけれど、「両親と2人の子供」という家庭は、ごくありふれたものだろう。ありふれたものだと、世間知らずの子供だった私はそう思っていた。
あれから20年近くが経ったけれど、私にはまだ子供がいない。将来的にもいないままな気がする。結婚したら、子供は産まれて母親になるものだと思っていたけれど、そういうものでもなかったらしい。
今になって思えば、何故「結婚したら子供が産まれて母親になる」と思い込んでいたのだろうと首を傾げてしまうのだが、確かに「あたしンち」を読んでいた頃の私はそう思っていたのだ。
養子という手もあるけれど、健康的な理由で子供が育てられないのだから養子を育てるのも難しい。
それを悲しいと思うことはあまりないのだけれど、時折、言い表しようもない虚無感に襲われることがある。
友人や知人が子供の話をするのを聞くのは好きだ。
育っていく子供たちが健やかなのは嬉しい。予想もしないような言動も、聞いていて楽しい。苦労を分かち合うことは出来ないけらど、話を聞くのは好きだから、どんどん話して欲しいとは思う。
けれど、やはりどこか他人事だ。育児エッセイを読んでるようなそんな気分。
ああ、私はあたしンちの娘のまま、あたしンちのお母さんになれなかったんだなと、「あたしンち」の漫画を久しぶりに読んで思ったのであった。