日曜日、朝刊におまけのように付いてくる日曜版に掲載されていた「あたしンち」を読むのが好きだった。
あたしンちは、どこにでも在るような父母と姉弟の何気ない家族の話しだ。
どこにでも、というには立花家のお母さんの性格が個性的だけれど、「両親と2人の子供」という家庭は、ごくありふれたものだろう。ありふれたものだと、世間知らずの子供だった私はそう思っていた。
あれから20年近くが経ったけれど、私にはまだ子供がいない。将来的にもいないままな気がする。結婚したら、子供は産まれて母親になるものだと思っていたけれど、そういうものでもなかったらしい。
今になって思えば、何故「結婚したら子供が産まれて母親になる」と思い込んでいたのだろうと首を傾げてしまうのだが、確かに「あたしンち」を読んでいた頃の私はそう思っていたのだ。
養子という手もあるけれど、健康的な理由で子供が育てられないのだから養子を育てるのも難しい。
それを悲しいと思うことはあまりないのだけれど、時折、言い表しようもない虚無感に襲われることがある。
友人や知人が子供の話をするのを聞くのは好きだ。
育っていく子供たちが健やかなのは嬉しい。予想もしないような言動も、聞いていて楽しい。苦労を分かち合うことは出来ないけらど、話を聞くのは好きだから、どんどん話して欲しいとは思う。
けれど、やはりどこか他人事だ。育児エッセイを読んでるようなそんな気分。
ああ、私はあたしンちの娘のまま、あたしンちのお母さんになれなかったんだなと、「あたしンち」の漫画を久しぶりに読んで思ったのであった。