2016年10月11日の日記

2016-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20161011161922

がんばれは Good Luck ! と言うらしいけど・・。

南海電鉄車掌アナウンス差別ではない

南海電鉄車掌には、差別意図は一切なかったと思うし、これを差別だと宣う連中は反差別運動価値を毀損するとすら思う。

なんでもかんでも差別だと叫ぶことで得られるのは、一般の人の呆れだけだ。

本件は、単に車掌が冷静さを欠いたというだけの案件だ。

http://mainichi.jp/articles/20161011/k00/00m/040/058000c

そんな、なんでもかんでも差別にしなくては気が済まない、自分では考えられない悪い連中のために

車掌がこのようなコメントに至った背景を考えてみたい。

  1. 外人日常用語である
  2. 車掌英語がしゃべれない
  3. クレーム処理と混雑によって処理がおいつかずテンパっていた

これらの要因が組み合わさった結果として、例のコメントになったことは想像に難くない


日本生活していたら、ポジティブな場面でもネガティブな場面でも、外人という単語を耳にしない事はないし

それが差別用語になるという共通認識は、日本社会には徹底されていない。外人という一語をもって差別というのは早計すぎる。

現段階では啓蒙を行うと同時に、使われた場合にはその背景を鑑みて批判を加えるべきだ



日本人欠点として、英語が明らかにしゃべれない。

その為、外国人旅行客に過不足なく丁寧なコメントで注意をアナウンスする自信がなかった、という事は十分に想像できる。

そこへヒステリーな客によるクレーム殺到していたとすると、英語アナウンスが出来ないから、

まず日本人向け注意喚起と協力を頼もうとした事も容易に想像できるはずだ。

さらにテンパっていたから、外人という単語ポロッと出て来て

日本人お客様にお願い申し上げます本日は、大きな荷物をお持ちの外人旅行者に、多数、ご利用いただいております

混雑の折、ご出勤・ご通学の皆さまには大変ご不便をおかけしておりますが、皆さまお譲り合って、ご利用いただきますようお願い申し上げます

と言うようなコメントになった事は、まともな頭があれば理解できる。差別意図なんてなかっただろう。

この後に英語メッセージが重ねられれば、問題ないとも思う。

例え英語が流暢でなくても、十分に冷静であれば

恥ずかしなら、英語で正確なアナウンスをする自信がございませんので、まず日本語の分かるお客様にお願い申し上げます

本日は、大きな荷物をお持ちの旅行者に、多数、ご利用いただいております

混雑の折、ご出勤・ご通学の皆さまには大変ご不便をおかけしておりますが、皆さまお譲り合って、

少しでも快適な移動となりますよう、ご協力お願い申し上げます

アナウンスした後に、下手な英語コメントすれば、笑われる事で和む位の効果はあったかもしれない。

外人客”と日本人客を敢えて区別する時、言語の背景と同時に、鉄道職員として

長旅を終えてこれから帰国しようとする、外国人旅行者最後のもてなしとして

少しでも快適な移動をしてほしい、最後の思い出が日本人と揉めた思い出になって欲しくない。

から日本人お客様にとっても、外国人観光客お客様なのだからおもてなし気持ちで見送って欲しい

そんな気持ちを込めて、アナウンスしていたのかもしれない。

そこにPCを声高に唱える阿呆が、お前もお前の会社差別主義である、と叫べば社会リアクションは悲しいものになる

今回の車掌アナウンス差別と言って批判してる連中は、本当に差別を受けている人間の敵である

馬鹿なのだから黙っててくれ。

3月のライオンを読んでると

海野先生離婚した旦那のことを相当根にもってるんだなって思う。

まさに自分の心境を示してくれている文章を見つけた

http://hitofuri.com/sinitai

>> 自分を取り囲む状況を変えることも出来ず、辛いと思う精神状態から逃れることも出来ない、この二つの問題を一気に解決できる手段として、「死ぬ」という解決先を思い浮かべるのが、死にたいと思う心のメカニズムになります。 <<

死にたいというと責められる

甘えるな

その程度で

と。

ここまでどん底に追い込まれてなお、自分の願望すら罵倒される

正直パソコン検索するのは

消えたい

死にたい

楽になりたい

という言葉だけである

いい時に寄ってきた人たちはみんな離れていった

人を信用するというのはばかばかしい、無意味なことだと心底痛感した

このまま生きていていいことなんてあるのだろうか

仕事ももはや居場所もない

壊れた人間を構う人などいない

ましてポストなんて与えられはしない

ただただ摩耗していくだけである

もう死ぬのを待って生きているような感覚である

だったら早く死ねた方がいい

死ぬ気になって生きればいいと言われても、金がなければ何もできない

金さえあれば

海外に逃げる

仕事を変えるためにプログラミングスクールに通う

車を買う

バカにした連中を見返すためにすべてを変える

復讐する

たくさんできることがあるのに。

金が欲しい

でも手に入らない

寿命なんてくれてやるのに、こんなクソみたいな人生

毎日毎日鏡に向かって

こんな人生もう嫌だ

そう叫ぶ日々

消えたい

楽になりたい

死にたい

吐き出したい

ただそれを共感してほしい

このつらさを

過去に戻りたい

幸せに戻りたい

ダメなら死なせてくれ

もう楽にさせてくれ

ヒゲさら

わたしはそれほどヒゲが濃くはないが、

それでも首の「のどぼとけ」の両側あたりに、ちょろちょろとはえることがあり、

うっかり、剃り漏らしていると、朝から日中気になる。

爪でカリカリとつまもうとするが、大抵は周囲の皮膚ごとつまんだあげく、

血がにじむけど、ヒゲは抜けないという八方塞がりになることが多い。

そんな私の様子を見ていた後輩が「わたしが抜いてあげますよ」と言ってきてくれた。

彼曰く「ちょろっと生えたヒゲを見ると、抜かないと気持ちが悪い。それが自分のでなくっても」

なのだそうだ。

Win = Winの関係になった僕達は、朝、出社するやいなや、ヒゲチェックをするようになった。

「あ、ここはえていますよ!」

しまった、あー、でているね。頼む。』

しょうがないっすねー」

微笑ましい朝の風景となってきた今日部長から

ヒゲの抜き合いをやめろ」と言ってきた。

理由を聞くと「会社ヒゲを抜きあう場所じゃない」とのこと。

「それじゃお言葉ですが、ヒゲを抜きあう場所ってあるのですか?」

と聞くと、答えられない。

あげくに出てきた言葉が「見苦しい」と言い出した。

「頭をハゲちらしている部長には言われたくないですね。」

そうでかかった言葉を飲み込み、

私は首から生えるヒゲだけを伸ばすことにした。

結婚相手自己愛の低い人間がいい

自己愛の高い人間ほど価値観フィルターが独特すぎるから一緒にいて疲れる。

そして折れないから余計疲れる。

論理的な会話もできる人はいるけど、フィルターで歪んだ解釈をされてしまう。

おまけに、正当だろうがなんだろうが、自己愛が傷つけばそれを埋め合わせるためにあらゆる行為をする。

優越感に浸れる立場を作ろうと躍起になる。

から自己愛が低い人間というのは結婚に向いていると思う。

婚活市場で売れ残ってる人たちって、そもそも自己愛が強すぎるんだよね。

顔はある程度は関係あるけど、それよりも肥大化した自己愛客観性を無くして、動物のような機械のような存在に変えてしまってるんだ。

 

まあ、家族愛自己愛 であるまともな人間を探すのって結構難しけどさ。

穴があったら、

おちんぽ入れたい。

人類の反逆

はてなブックマークを利用していると各種の弱者マイノリティとされる人たち、女性高齢者病人障害者LGBTオタク貧困者・バカといった人たちに関する記事、及びその記事に付いたブックマークコメントをよく読むようになる

最近では(自業自得の)透析患者死ね、とかゲイであることによって差別されるとかだ

それらの話題他人を傷つける側に回る人が絶えないのは、その意見生物学的にいえば正しそうだからじゃないかと思う

まり生物学的には男女で子どもを残すのは疑う余地も無い生物としての使命。生まれながらに障害を持って生まれてきたような個体遺伝子を残すべきでないし、死病にかかれば死ぬべきで、弱肉強食、優れた強者が優先して生き延びるべきで、その結果劣った弱者を害したとしても残酷かも知れないがそれが正しい、自然なのだ、と言うことになる

でもそんな残酷かも知れないが生物としては正しく自然社会を、人類は来たるべき未来として選ばなかった、なぜか?と考えた

思ったことは、人類の知性が生み出してきた社会というのは、究極的には自身生物である事への反逆なんだなと言うことだ

話はちょっとそれるけど生物の中において、オスからメスに対する反逆があると思う

生物は増殖性(子を産む)があるものから生物の基本形はメスのはずだ。元々はメスがメスを生み、自己増殖を繰り返していた。遺伝子的な多様性を持つためメスとメスの間で遺伝子を交換し合う総百合生物を経て、もっと効率よく遺伝子的に強い子孫を得るための方法としてオスを分離することを編み出した

すなわち、オスはお互い同種のオス同士で競い・殺し合い、それに打ち勝ったその地域で最も優れたオスが多数のメスと子をなして強い子孫を残すシステムだ。この方法なら百合生物がメス同士競争しあうより、増殖する機会を損なわず効率的遺伝子の選別が出来る

でもそれのシステムに反逆するオスも出てくる

たとえば単純なケンカの強さで無く、羽根の鮮やかさやキバの長さといった勝手自己ルールで勝ち負けを決める方法だ。捕食者に目立つ鮮やかな羽根や、肥大しすぎて獲物を捕る用途に使えないレベルまで伸びきってしまキバ、といったもので優秀なオスを決めるルール下では、その種族はいつか進化の果てに滅ぶかもしれない、でもそれでいい、それしかないんだというオスたちの自分種族に対する反逆を感じる

現在歴史上の人類社会の多くがオス中心なのも、本来殺し合うために生まれたオスという存在を最大限幸福にする経験則を重ねた結果、メスに対する反逆の社会が生まれたんじゃないかとも思う

話を戻すと

人類はより多くの個体幸福を求めてきた、それは結果として自分という個体幸福としても現れる

死にたくない、ずっと若く健康でいたい、安心のもと快適に暮らしたい、おいしいものをいつでも好きなだけ食べたい、他者からみて特別でいたい、美しく、優れた存在でありたい、理解し合える仲間と認め合いたい、望みの配偶者を得て理想の家庭、優れた子を得たい、金持ちの親からまれたい、年下のお母さんが欲しい

実際には生物とは生まれたら死ぬものだし、老い衰えることから逃れられず、病気になることもある。また争えば勝者と引き替えに必ず敗者が生まれ、親は選べず、飢え、孤独ララアの死から逃れることは出来ない

生物として生まれた以上仕方の無いこと、そこを人類は知性により社会を築くことで可能な限り克服してきた。これからもしていく

病期を治療し、低所得者に機会を与え、労働できない個体の衣食住を保証障害を持って生まれ個体不自由ない暮らしができる(ようになる)、生まれとき性別に縛られず、同性同士で結婚し家庭を持てる。そのうち必要労働はすべて人類以外の存在が行い、望んだパートナーを好きなだけ所有できる時代になる。自己実現も思いのままで、みんなこの世界の置き換え不可能特別存在として尊敬を集めることが出来る。死ななくなる、生物で無くなる

人類がそう望んでいるからだ、そして知性はそれを絶対に叶える

できれば人類が、その知性が、自身生物であることへの反逆を成し遂げたときに立ち会いたい

とは言ってもそこまで長生きできそうにないか

障害とか延命治療とかLGBT問題でそんなことは不自然だ、とか言うやつに、うるさい、人類のものが不自然なんだよ。そして人類の知恵はそんなもんだって乗り越えてみせる!って言ってやろう、と思った(現在結論

アホなことばっかりブログに書く社長は、会社では社員にどう思われているのか

はてぶでちょくちょく見かける度に気になる。

給料さえもらえていれば気にしていないかはてななんて見ていないので知らないか、むしろその変人さに惹かれているのか、実は陰でボロクソ言われてるのか、嫌気がさしてやめていくのか。

社員以外に取引先なんかにも見られる可能性あるよな。あまりにアレな事ばかり書いてるとどんどん株は落ちて敵は増えていくと思うんだけどどうなの?

源氏物語葵の上が好きっていう人

大抵、原典じゃなくてあさきゆめみしか読んでない

「頑張る」という言葉日本語しかない。だから日本という国はブラックになる

よその国では頑張るって単語がないから、問題解決方法として「結局頑張るだけ」という選択肢が出て来ない。

日本人非科学的ですぐ精神論に頼る特性言語構造にも表れている。

どうしたらいいんだろね。

20代前半にて髪が危なげだったらしく、

ぼーっとしていると「生え際見てた?」とうるさいし、

口がすべってハゲなんて言ってしまった日にはしばらく口を聞いてもらえなかった。

気にしてるのかわいそうだなぁと思って、おしゃれそーな育毛剤買ってきて、

頭皮がこってると思うからこれつけてマッサージしてみたらどう?ってプレゼントしたけど面倒臭がってるのか、全然使わない。

別に私は気にならないけど、そんなに気になるなら何かしらしてみれば?と聞いてみると面倒だと。

なんじゃそれ。

私の作ったドラキュラ

私の通っていた保育園には、よく分からない部屋があった。

2階なんて概念のないかと思えた私の保育園で、長くて細い、行き先の見えない空間はより記憶に残りやすい。

その中間地点は、雑多に置かれた、用途が明確でないもので溢れていたのだ。

いま思えば、倉庫として兼用されていたのだろう。

この中間地点では、先生がたまに皆を連れて紙芝居をする。

ここで静かにさせるために、先生はみんなに呪いをかけた。

この部屋の近くには、とある男が眠っている。

誰かが「ドラキュラ」と言う。

私がドラキュラ存在を知ったのは、この時が初めてだった。

もちろん、聞いたことのない固有名詞理解できるほど察しのいい人間はいない。

先生は誰かの言ったドラキュラに合わせて話を盛っていく。

鋭い牙、鋭い目つき、語られる陳腐で断片的な表現は、私たちにはむしろ効果的だった。

想像力常識なんていらない私たちは、隙間を勝手に埋めていき、それぞれのドラキュラを作り出すからだ。

その後の紙芝居は、先生の声以外は全く聞こえなかった。

もちろん、いくら私が子供だったとはいえ、先生の話を全面的に信じていたわけではない。

なぜ保育園ドラキュラがいるのか、いたとして、なぜわざわざそんなところで紙芝居なんてやるのか。

そんな疑問は当然出てくる。

けれどもその疑問の解消に努めなかったのは、有り体にいえば怖かったということなのだろう。

あの手この手保育園内を一通り探索した好奇心旺盛な私でも、その欲求を満たそうとは思わなかった。

今の私は、当然ドラキュラなんて信じていない。

でも、今なお保育園の近くを通るともの思いにふけるのだ。

あそこで、私の作り出したドラキュラは眠り続けたままなのかと。

やっぱり、あの部屋も探索しとけばよかったという未練が、意外にも燻っていたんだなあ。

はてなー

いまだにcookie clickerやってんの自分だけだろうな。

辞めるタイミング見失った、助けて。

My Doctor

ふだんあまり笑わないMy Doctor

微妙にそっけないし面倒見もあまりよくない

でもそんなDoctorでも笑顔を見せるときがある

それは私の病状が悪くなって先の見通しもたたないようなとき

ふだんは見せない笑顔を見せてくれるのはそんなとき

心配させまいとして安心させようとして笑顔を見せてるんだろうなとは思うけど

悪気はないのはわかってるけど

でもこのタイミングでその笑顔不適切だと思う

ちょっと発達障害が入ってるのかもしれないMy Doctor

これからも彼とうまくやっていかなきゃいけない

母親貴方より私のほうが息子のことをよく知っているだと?」

世の中の男性母親は息子がアラサーになって「結婚を考えています」と彼女を連れてきても

母親貴方より、私のほうが彼のことをよく知ってるという態度が気に入らないのよ!!」とか思ってるの?

いや、そりゃ母親ほどじゃないけど、これから世帯主になってもらうわけなんだから

ある程度彼氏のことは知っておかないといけないのではないか?は思うんだけどな…

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