ネトウヨ嫌いではてサも嫌い、という自分のような人は多いと思われるが、twitterとかで「ネトウヨ嫌いではてサも嫌いでさあ…」とブツブツ言ってる人を見ると親近感より嫌悪感を感じて、お前みたいのが一番ダサくて愚鈍で糞じゃあと自分を棚に上げて罵倒したくなる。しないけど。
★強いていうなら自分のブログがエントリーしたら他人のブログを別カテゴリに追い出しとけ。
自分のブログではなく、他人のブログを操作するという逆転の発想ができない人間は生き残ることはない。
SEOは新時代へ – パンダ・ペンギンに続く新たな鉄槌 - わかったブログ
http://megalodon.jp/2013-0808-1547-40/www.wakatta-blog.com/google-autherrank.html
今日のわかった
「利益とは『信用』である」という言葉が、身にしみてきますね。
〜引用ここまで〜
参考
http://anond.hatelabo.jp/20130724220149
http://www.sinseihikikomori.com/2013/01/blog-post_22.html
カテゴリー別のフィルタを作り、カテゴリー別に新着エントリーを読むようになった。すると、そこでは、奇妙な出来事が起こっていた。
本来ならば、「生活・人生」というカテゴリに入るはずの、クックパッドのレシピや、生活の知恵、あるいは食材や料理のサイトなどが、他のカテゴリに時々紛れ込んでいた。
いったい誰がそんな無意味な行為をしてるのだろうか。疑問に思った僕は、少しだけ調べてみた。そうすると、犯人はすぐに判明した。「わかったブログ」というブログの、かん吉と名乗る運営者である。
http://digimaga.net/2013/07/spam-site-golfgo
なお、はてブでのスパム行為については『わかったブログ』様がそれはそれはもうせこい手をお使いですので、そちらにご教示願うと良いでしょう。
妹の生活を羨んでるわけでは無いでしょ、親が死んだら強制終了の生活だし。
年100万貯金できるなら、そのうち20万でも小遣いにすればいいじゃない。
それは自分のために使わないといけない金。
かなり以前に「戦争は会社が始めた」というトゥギャッターがあった。
自分もその意見に同意で、「戦争は財閥が始めた」と言い換えた方がより文意は伝わると思った。
(それも三井三菱住友の在来財閥よいうより、鮎川や中島のような新興財閥が始めた)
戦前は企業人がそのまま多数閣僚や代議士になってたりしてるし、
当時の関係者の日記や回想録の類を見たら企業人と軍人政治家の「近さ」を実感できる。
で、この背後にあるのが、
「戦前はエリート層(財閥幹部・軍人・官僚・学者)の人数自体が現代よりも遥かに少なくて、
全員が『知り合いの知り合い』に収まっていたからでは?」と思う。
感覚論だか、戦前はエリート層人口が1万人程度だったのが、現代では100万人程度に肥大化しているんじゃないか、と思う。
人間、知人友人の数は100~200人程度が上限らしいが、戦前のようにエリート人口が1万人に収まっていれば、
「●●さんは▲▲さんの知り合い」という感じで、割とエリート同士で「一体感」が醸成されていたと思う。
しかし、戦後日本が農業国家から工業国家、企業国家に転換し、技術者や中間管理職が多数必要になったから、
エリート層の人数も増えてきて、1万人じゃ収まらず100万人程度は必要になってしまった。
こうなると、戦前の「旧き良き時代の、エリートインナーサークル」という訳には行かない。
100万人ともなると、「知り合いの知り合いの知り合い・・」という感じ程度でしかなくなる。
一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大の学生数を比較したい。
今の方が相当学生数多い気がする。
で、最近「低学歴と高学歴じゃ、住む世界が違う」的ホッテントリがあるが、
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
高学歴側(エリート側)がいまいちこの内容にピンと来ない一因として、
「エリート層が肥大化してしまい、戦前のような一体感が喪失しているから」じゃないか、とも思う。
戦前も現代も、「エリート層とそうじゃない層だと文化も言語も違う」という点では割と共通しているが、
その1000万人に1人の青色LEDの発明者を冷遇したから、技術者が幻滅したんだろ。
俺らはボンクラだからいいとしても、1000万人に1人の青色LEDの発明者を冷遇するなら、もう関係ないだろ。
世界的に見て40億以上の価値と言われてるものに、1億しかわたさず、1億でも厚遇とか言い始めるなら、もうスケールファクターがオカシイんだから、何を言っても無駄
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
溝、ねぇ。
ある。あるよ絶対。ない訳がない。
自分はかなり高学歴だけど、若い頃に大病して「純粋培養の高学歴者社会」にいられなかった。
これも自分の人生やむなし、と受け止めてその後10数年いろんな場所で社会人やってきたけど、最近やっぱり高学歴者のみで構成されてる世界に戻りたいなーとよく思う。
どっちが上か下かじゃなくて、単純に常識や感覚や社会通念や…が違うんだよね。カルチャーが違う。
それって、かなりしんどい。
常に「自分の皮膚感覚や自然な考え方が間違ってる可能性」を検証しながら、波風立たないように人間関係つくって維持するのって、ものすごく疲れる。
すっごい神経使ってやるんだけど、それでも何かの拍子に「は???」と思うようなポイントでキレられたりして、でも相手は相手のカルチャーでの常識が一枚岩の正義だと思ってるから「何か分からんが、また自分の知らない/見えてないナニカが相手(の常識)に沿わんかったらしい…」と落ち込んだ後、分析して取り込んで、次回からは検証に組み込む。
そうやってまたブラッシュアップしてやるんだけど、いくらやっても疲労の程には満足や充実は得られないんだよなぁ。
自分の性格が悪いのかといっつも思ってたけど、ところが自分と同等の学歴(そして、元増田の書いてるような「そこに行かせてもらえ得る環境」)の人と触れ合うと、楽な上にものすごく充実して、その上普通に人間関係がつくれる。
自分が普通に自然に考え付くだけの配慮の中で、何も問題なく普通にスムーズに流れて、その上感覚や考えを理解し合えて共有し合えるのって、心から感謝したくなるくらい楽だし楽しい。のびのび呼吸ができてる気分になれて、大げさでなく「生きてる」と思える。
「この方が良いよね」とか「こうしたいよね」も、「これはナシだよね」「これは酷いよね」「それは思ってもしない言わない約束だよね」も、「社会的価値観」てやつが大体同じ。かつ、「他人同士なんだから、価値観が合うか合わないか、どこで合ってどこは合わないかをちゃんとすりあわせよう」という心構えも普通にお互い持ってる。持ってない人でも、こちらが「すりあわせよう」という意志表示を会話に混ぜれば乗ってくる。
人間存在、別にどれが上か下かとかは思わないんだけど、ただ自分に合う場所合わない場所ってあるんだな、というのがこの10数年で身に染みた。
もちろん、沢山の人と出会ったから、それこそ「学歴関係なくすごい人」っていうのも何人もいたけど、場所っていうのは集団の母数だから。
自分の場合は、自分が「高学歴者社会カルチャー」の純粋培養過ぎたんだと思う。
ローソンの冷凍庫勃起事件を発端とした一連の若者による炎上騒ぎ。
精神に異常でもきたしているんだろ。彼、彼女らに正常な判断力がないからこうなるんだ。
東洋経済の記事で「流山市が若年人口流入のため、市長が旗振りして地域ブランディングしている」
という記事があり、「これは凄い」的コメントがはてブやツイッターで溢れてた。
不動産屋の自分から言わせれば、流山市の人口流入の99%はTX開業で説明が付く話であり、
1.そもそも、首都圏民が「どこにマイホーム買おうかな?」と検討する際に、行政サービスの充実度を参考資料にする人なんて1%もいない。
99%は物件自体の利便性広さ価格で決める。流山市が人口増えたのは都心距離の割にマンション安いから。行政政策の寄与度は少ない
それを「人口流入は市長の手柄」という記事を書くからには、「市の政策と若年人口増に相関がある」ことを、東洋経済自身が行う必要がある。
例えば、ここ数年で流入した人に、ネット経由でも何でもいいから「なぜ流山市に流入したのか?」アンケートを東洋経済が取ることだ。
おそらく「通勤に便利」「マンションが安い」辺りが選択肢上位に来ると思うが。そのようなアンケートを東洋経済は実施したのか?
「東京は郊外から消えていく」の三浦展氏は、ちゃんと首都圏各地の各世代住民に大規模アンケートを実施して、自説の裏づけしている。
東洋経済も流山市民にアンケート取ったり、ナマの声を取材すべきだったのでは?
そういう相関関係のデータを挙げてない時点で、東洋経済のこの記事は「ダメ記事」である。
「ホットスポット問題が発生したから、適度な人口流入にとどまった」という側面がある。
(因みに市のHPを見ると、3・11以降もじわじわと人口は増えている)
多分、「おおたかの森」辺りの駅前分譲マンションに1都3県から2000人流入し、
一方で南流山辺りの賃貸2DKマンションから赤ちゃん連れファミリーが放射能忌避で埼玉とかに1000人流出し、
もし3・11が発生してなければ、交通インフラの割に地価(マンション価格)の安い流山市は
もっと人口が集中してしまい、江東区や武蔵小杉みたいにインフラ整備が追いつかずにパニックになってしまったのでは?
それ位、行政が「人口増加幅や家族構成、年代構成をハンドリングする」というのは難しい。
「流山市の望んでる人口増加率に偶然収まっている」のが実情では?
例えば人口密度日本一の豊島区は、単身者比率・ワンルーム比率が高いことに業を煮やしてワンルーム規制を実施してるが、
にもかかわらず建てられるのは相変わらずワンルームが多い。それ位人口流動は「行政の手に負えない」のである。
3.ツイッター見ると「自分の街も流山市を見習え」的ツイートが多いけど、
一般消費者向け(G To C)にアピールして人口増やすのは至難。
事業所を誘致して、雇用の場を作って、それにつられて人口が増える、という格好が王道だと思う。
一旦事業所を呼び込んで、結果的に一般消費者を増やすのだから、G To B To Cだ。
4.流山市長は「30代ファミリーの流入目指す」と胸張ってるが、バランスを考えなきゃ、
世代間バランスが取れた街造り、という観点なら、一気に街を作りこまなかった
はてサ
「赤羽板橋エリアや東大阪門真城東区辺りの中小企業集積のルーツは戦前の陸軍造兵廠」と言うエピソードを聞くと、
日本の「モノ作り中小企業文化」は、陸軍により育まれた気がする。
もっと言えば、
「全世界を敵に回して戦争した為に、フルセットで国内に全産業を揃えざるを得なくなり、
逆に言えば、韓国に「技術力がある中小企業が少ない」一因は、韓国が全世界を敵に回して戦争をした経験がないからでは?
戦前は日本の、戦後はアメリカ&日本の工業従属圏になってたので、一部の工業分野は進化したが、フルセットでは工業進化しなかった。
日本は明治以降、鉄道を「国力の象徴」として、初等教育現場で積極プロパガンダした。
戦後、「軍艦や戦車への憧れ」は「タブー」となった(一部のミリタリーオタクを除く)が、
鉄道への憧れはタブー視されることなく継続し、新幹線は戦後の復興の「象徴」になった。
日本人に鉄道ファンが多い源流は、富国強兵への憧れがあったのでは?と思う。
一方、中国や朝鮮やインドの民衆にとっては、鉄道は「列強侵略の象徴」であり、
日本人にとっては「満鉄」は憧れでも、中国国民にとっては「打倒すべき存在」となる。
これらの国に今でも鉄道マニアが少ないのは、
「鉄道に対するイメージが政治的にネガティブ」だった点も影響してるのでは?