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はてなキーワード: ステロイドとは

2023-04-10

anond:20230410164858

いやいや、身内に医者いるけどバイトしないとくいつなげないからどこでもいくから

ちなみに〇〇記念病院ちゃん医師交代制になってたけど〇〇さんという院長がいつまでも居座ってたんだろうね

看護師が耳元に日本語日本語翻訳してたわばくしょう

あとは献血で「喘息ステロイド使ってるの?あぶないよ」いったバカバイト医師ステロイドかわな喘息のほうがあぶないです)

健診で「うどんたべても下痢?じゃあ小麦アレルギーでは?」ってイレウスにむかっていったバカバイト医師

イレウスって毎年健診で訴えてるのに毎年の健診にしつこく胃カメラバリウム下剤)すすめてくるバカバイトのみの医療機関(世の中では内視鏡のほうが精度いいからきりかわってるっていうじゃん)

ちなみにマンモもクソ痛い マンモのせいで垂れてきたし変形してきた気さえする

ほんとにバカしかいないとおもう

AIにいれかわってくれ

2023-04-02

🤖猫動画おすすめだよ!→ありえないペースで子猫救出して虐待疑惑

🤖この社長いい事言ってるよ!→従業員トラブル

🤖たまには仏教系の動画はどうかな?→他の宗派トラブル続きの新興宗教

🤖筋トレ健康になろう!この人すごい筋肉説得力抜群でしょ!→ステロイドユーザー

🤖エヴァ好きでしょ?面白い話聞けるよ!→公式迷惑です・・・

youtubeおすすめアルゴリズム公開するべきだろ!!

2023-03-28

anond:20230328173622

ワイは36歳から筋トレはじめてステロイド打つようになってから性欲まったくなくなったやでというお話

2023-03-26

anond:20230326072222

そう。赤くなるけど、時間経つと嘘のようにおさまる

塗り薬(ステロイド)、痒み止め軟膏、強めの飲み薬

でやっと収まるぐらいひどいよ

いからって掻くと周囲に伝染してひどいことになる

2023-03-14

anond:20230314101808

どうしても筋肉痛が嫌ならステロイド打つかだなー

 

ステロイドを打って運動する>>>ステロイドを打って運動しない>ステロイドを打たずに運動する>>>ステロイドを打たないで運動もしない

 

っていう研究結果もある

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-13

ビッグアームさん、死亡!

ステロイドYoutuberとして「ステロイドパーソナル」を行っていると発言

「ステ禁止大会でも使ってる奴は俺のクライアントにもいっぱいいる」

「〇〇はステやってるけど、あいつはやってないと思う。見た感じ」と言った

界隈を無駄にかき回すだけの発言を繰り返し近年バズっていたが死亡した。 

 

去年は元新日ヤングライオンRIZINではボビーオロゴンとも試合をした北村克也も急死。

どちらも死因は明らかにされていないが、かなりハードな筋力増強剤の使用が疑われていた。

ビッグアームは20年以上やってて健康のためにもう辞めますと今年になって言い始めていた。

なお、間に合わんかった模様。

 

あんだけ「使い方を間違えなければ大丈夫」「独学で使うくらいなら俺のところに来い」って

言ってたのに……

 

これでステはヤバいって認識が界隈に広がれば二人の死も無駄じゃなかったかもしれんな。

anond:20230313155016

トップ選手ステロイド注射してるのでホルモンバランスが崩れて精神的に落ち込んだり攻撃的になったりする

でも別にリーマン趣味筋トレ始めるなら薬に手を出しさえしなければその辺は大丈夫

2023-03-07

ステロイドすげぇ

ハライタ難病持ちでここ最近体調最悪だったのでプレドニンx0mg投与開始。

いやぁ…朝5時までろくに寝れないレベルトイレに駆け込んでた腹痛どこ行った?って感じよ。

すげぇんだわステロイド自分には超効く。けど副作用もすげぇんだわ。

足めちゃくちゃ浮腫んで違和感凄くて結局寝れない。あと脳みそ活性化されちゃうから寝れない。結局不眠気味なのは同じ。

でもあの腹痛治まるならオッケー。

2023-02-21

首の傷

また湿疹で傷が出来たと思ってステロイド塗ったけど全然良くならない。

見えないところだからよくわからなかったけど今朝支度してて気がついた。これアイロンで焼いた火傷だわ。

2023-02-18

特定の界隈じゃ常識だけど存在自体全く知らなかった商品が多すぎて自分社会性のなさを感じる

トイレハイター←自立界隈では知ってて当然らしい。こどおじワイは「ハイター?手溶けるやつだろ?」の認識しかなく、トイレ用があるのなんて知らなかった


・液体絆創膏野球やってる人には常識らしい。一昨日この商品存在を知ってたまげた


グリーン車地元電車にこれ自体存在しなかったので社会人になって初めて知った。神奈川県民なら皆存在を知ってるらしい



こういうの皆もあるもんなの?


追記

kenchan3

逆に増田けが知っていて、一般人が知らない知識を教えてくれ

月刊BAN……警察官しか買えない雑誌

・きんざい……金融マン絶対に受からないと上司からシバかれる民間資格FP主催してる出版社財務省外郭団体ビックリするくらい待遇が良いらしい

・二度引き……野球打者トップを作ってからもう一回反射的にバットを引いてしま動作。この癖に気づけないと強打者でも突然打てなくなる

ロイドレイジ……ステロイド副作用で異常なほど怒りっぽく暴力的になること。90年代にある有名ボディビルダーが外出先でロイドレイジを発動して2人殺害したあと自殺する事件日本であった

2023-01-26

筋肉増強剤の依存性について

ステロイドプロホルモン、SARMSなど様々な種類があるが

まとめて筋肉増強剤とさせてもらう

 

私は筋肉増強剤の使用者、いわゆるユーザー

経口タイプのものから始め、今では週に2,3回程度の注射を行っている

筋肉増強剤を使用する人間は大まかに2種類に分けられる

1種類は健康を損なってでも筋肉を大きくしたい、筋肉人生をかけている人間

もう1種類は、楽して結果を得たい人間

私は後者

 

筋肉増強剤ユーザーとして、筋肉増強剤に強い依存性を感じている

もろちん麻薬たばこアルコールのように

筋肉増強剤が切れると禁断症状が起きる、というようなことはない

肉体的な依存度は低い方だと思う

 

筋肉増強剤は基本的には男性ホルモン強制的に分泌、もしくは外部から注入して

筋合成を強制的に高めるという仕組みになっている

ただし男性ホルモン受容体長期間酷使に耐えない

また強制的男性ホルモンを分泌させることから人間本来が持つ男性ホルモンを生成する能力が極めて低くなる

そういった諸症状をケアするために、筋肉増強剤の使用期間を4~8週間

筋肉増強剤を使用せずに不妊治療薬などを飲んで身体ケアする期間を同期間取る

まり筋肉増強剤の使用を止めることは可能なのだ

 

だが、多くのユーザーしかもそれで金を稼げるわけでも何でもないような人までも

ケア期間が終わるとまた次の筋肉増強剤の投与に入る

 

これにはいくつか理由がある

 

まず筋肉増強剤の効果の高さ

筋肉増強剤を使用して行う筋トレで得られる筋量は、使用しないで行う筋トレの数倍にも及ぶ

研究によっては筋肉増強剤を使用して筋トレを行わなかった人が

筋肉増強剤を使用せずに筋トレを行った人よりも筋量が増えたという結果まであるほどだ

一度、筋肉増強剤を使用した筋トレを行ってしまえば

筋肉増強剤を使用しない筋トレをすることが馬鹿らしくなる

 

次に筋肉増強剤を投与して得た筋肉の維持の難しさだ

筋肉増強剤は筋合成を非常に高めるだけではなく、筋力の向上、筋繊維の回復力の向上の効果がある

筋肉増強剤を投与している期間はより高負荷のトレーニングをより高頻度で行えるということだ

その結果、より筋量が向上する

その筋量を維持するためには筋肉増強剤の力を借りた高強度のトレーニング必要になる

まり筋肉増強剤を投与して得た筋肉を維持するためには筋肉増強剤が必要になるということだ

 

また筋肉増強剤を投与することにより、人体が本来持っている男性ホルモンの分泌機能が弱る

ケア期間を取ったところで完璧に戻るとは言えない

まり筋肉増強剤を使って、辞めると筋肉増強剤を使っていなかった頃に比べても筋肉の維持が難しくなる

筋肉増強剤の投与をやめた場合、2~3年の間に筋肉増強剤で得た筋肉の50~100%近くを失うとも言われている

筋肉を大きくすることで得た満足感や自己肯定感喪失していくことに多くの人は耐えられない

 

最後に、筋肉の量に正解がない

君がとあるグレーな方法お金を稼ぐことが出来るようになったとする

その方法リスクがあり、どれだけ稼げばそのリスク顕在化するかはわからない

はいくら稼げば満足するだろうか

100万円?1000万円?1億円?10億円?

筋肉の量もそれに似ている

100万円相当の筋肉を稼いだら、1000万円相当の筋肉が欲しくなる

1000万円相当の筋肉を稼いでも1億円相当の筋肉が欲しくなる

そしてそれを稼ぐには筋肉増強剤というリスクを孕んだグレーな方法を使わなければあまりに道は困難

 

こういった様々な要因が重なって筋肉増強剤は強い精神依存性を持つに至っている

私の周りにもユーザーは多いが、ユーザー卒業した人間は限りなく少ない

筋肉よりも大事ものを見つけられた人間リスク顕在化して筋肉よりも命を選んだ人間

それくらいのもの

 

アメリカでは100万人以上が筋肉増強剤を使用重篤健康被害があり

医師の処方なしでの使用法律禁止されている

日本でもそう遠くないうちにそうなる、なってほしいと思う

2023-01-25

身長179cm51kgのヒョロガリ増田ステロイド筋トレで74kgまで増量する

何かの間違いでマチアプでマッチングした人と3回デートした

結婚できるかもしれない……

 

内臓はもうボロボロ

2023-01-20

anond:20230120114745

俺は普通にステロイド打ってるけど投薬中はキンタマーニが小さくなる

触ってわかるくらいにはちっちゃくなる

 

なので必ず

1.外部からステロイドを入れる期間

2.ステロイドを辞めて不妊治療薬飲んで自前のテストステロンを復活させる期間

3.それも辞めて完全自前でテストステロンを作る期間

を作る

で、自前の精子製造能力が戻った時点で必要なら1に戻る

これを怠るとインポになるし、自前のテストステロンが出なくなるので筋肉がすごい勢いしぼむ

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