はてなキーワード: 「時代」とは
プロカメラマンになるつもりがないならカメラは嗜好品でしょう。
いまだにフィルムカメラを使っている人もいるわけです。
「時代遅れ」とは一体?
「時代」だの「常識」だの言っても重要なのは「写りが気に入るか」でしょう?
だったら「作例」で調べてみるのが一番手っ取り早い。
「機種名 作例」で調べる。気に入れば買う。気に入らなければ見送る。分かりやすいでしょう?
それとも作例で比べられると何かまずいことでもあるんですか?
元記事ではフラッシュ(スピードライト)に触れていないのも不思議ですね。
「はじめての人」云々言うなら普通外すポイントじゃないでしょう。
元記事は「ミラーレスすごい」と「キヤノンとニコンへの攻撃」がメインに見えます。
本当に「はじめての人」というのなら適当なネオ一眼で十分でしょう。
ネオ一眼は一眼レフより新しいので一眼レフよりすごいに違いないですね。
シグマを薦めるのが害悪と言いますが、果たして本当にそうですか?
はじめから全自動でなんとなくうまくいくカメラを選ぶのも考え物でしょう。
PTA集まりの日に仕事休めないっていったら、「みんなやってきたことなのになんでできないんだ」だって。
役員なら仕事を休むの当たり前だろと。みんなやってきたと。じゃあ役員なんでなったんだ、できないならなるなって。
職場に今日PTAの役員会議がありまして、休ましてくださいっていったらクビにされそうな空気理解してくれよ
死にそう
安倍さんなんとかしてよ
なんで仕事休んでまでしないといけないの
パートか専業主婦とかある程度時間とれるひと以外絶対無理じゃん
誰でもできるとか、無理しなくていいとかいったやつ誰だよ
っていうか仕事休んでまでやらないといけないPTAの集まりの仕事、なんなんだよ
内職かって
プリントの誤字脱字チェックとかプリント作るとか掃除とか本来学校の仕事だろうがよ
学校がちゃんと国なり公的機関に申請して金出してもらうのが提だろうが
校長なにやってんだよ
っていうかそもそもPTA会費って何に使われてるんだよ
なんで全校生徒から年間3000円位あつめてたら、
全生徒で年間150万くらいあるんじゃないの
それでベンチ何台買えるんだよ
なんで父母が苦労して学校用品買いそろえてんの
おかしすぎるだろ
なにこれ異常すぎ
普通にまかりとおってきてることがすごい
ここまでやっても逆にお金払わないといけない始末
みんなしたくないんだろうがよ
制度見直せよ
そんで集まってするのは「夏祭りどうする?」
もうLINEでいいわそんなこと
クライアントぶちってそんなこと
夏祭りどうとかこうとか
話しに行く社会人いたら怖いわ
電話でいいわ
学校にいいように使われてるだけ
どれだけ大変だと思ってるんだよ
みんなおんなじ仕事じゃないんだよ
みんな平日休めるわけじゃないんだよ
国もそろそろ動いてよ
働きながら子育てなんてできない助けてよ
っていうかみんなPTAの役員なんかやりたくないから、押し付け合ってるんでしょ
こんなみんながいやがる集まりに
なんの意味があるの
だれがみてもやってる内容なんて
非合理的にもほどがあるでしょ
やらないやつを批判する
みんなやってきたことだからって、
平成終わるかもってのに
時代が違うんだよ
みんな働いているんだよ
それでベルマーク集めとか
ベンチなんかいらんわ
もういらないでしょ
時代にあってねーよ
PTAなくなれ、
なくしてくれ
もういやすべてをやめたいわ
4/20誤字修正
http://anond.hatelabo.jp/20170420011316
ライブドアニュースにまで掲載されててちょっと自分でも引いている。
twitter、facebookバズってる。ただの愚痴だったんですが騒がしてすいません。
ママ友等人づてに聞いたPTA活動の情報もあります。誤認があったらご了承を。
PTA活動に対しては賛否両論。もしでも同じような悩みや不満があるひとの代弁になれたら。
誤解とかされる部分や、PTAに対する不満や悩みがあるので、追記する。
「仕事やめたら?変えたら?」とかいろいろ意見あり。みんなで協力する仕事だから、一人へると他メンバーの負担が増える。あまり好きに休みの希望をだせるような環境じゃない。
っていうかPTAのために仕事を変えないといけないのか、がまず疑問。
病気で休みますって言ったら休みなよ!って言ってくれるだろうけど、PTAって言ったら「どうしても、日中じゃないと無理?」っていうのが職場の本音だと思う。
毎月平日、繁忙期。その職場のひとにも子供がいる。わたしが抜けた分、みんなの負担が増えて、残業も増えるかもしれない。わたしだけPTAだし休ませて、って言いにくい。
世の中に3日後PTAで休みます、有給使いますっていってすんなり休める職業がどれくらいいるんだ?それは職場や立場や役割によって、やっぱり違うわけで。日本って有給とれるところもあるけど、とれないところもまだまだたくさんある。でも職業によっては、やっぱり難しいと思う。
自営業、教職、医療職、職場でも指導する立場、管理職、一人しかいないポジションの仕事とか、お客との打ち合わせもろもろ・・その役割の代わりがきかない日とか時間帯とか役割ってある。
今回でいろいろ調べてPTAが退会できること、加入は任意であることを知った。学校とはまったく関係ない違う団体であることも。PTAって学校の一部と思ってたけど、正式には普通の任意加入ボランティア団体。
今PTAやめたら100%ボロカスに言われだろう。怖いのは、子どもがその標的になること。ママ友間のトラブルは子どもを巻き込むことだってある。だから人間関係が絡んで、PTA無理→すぐ退会っていうわけにもいかない。
一回ママ友トラブルで、子どもがモロに標的になったのを間近で見た。過激派なんてどこでもいる、ママ友の中にもいる。注意しないといけないのはそういうひとって弱いものを狙うから。だからいやです、やめます、がすぐ通用できない。うまく付き合いざるおえない。
入学当初は「PTAに入らないと行事とか参加できないことがある」みたいに聞いてたから、絶対入るもんだ、って思ってた。きっとそういうパパママ多いと思う。入らないと子どもが学校で教育を受けられない、みたいに言われたらそら誰もが参加する。PTA入らないと学校教育受けさせないぞって今思えば子ども人質の脅し。
おまけに役員とかの免除申請に介護とか仕事、ひとり親は理由として許されない。うちはPTAの規約で決まってる。免除してほしいなら、会員全員の前でその理由を言わないといけない。さらしもんみたいに。で、全員に承諾を得る。その時の異様な雰囲気ったら、まるで公開処刑みたいだ。
確かにみんな同じ仕事。でもその人一人で生計を立てている「仕事」と、パートタイマーでちょっと生活の足しにするための「仕事」では、その家庭にとっての「重み」が違う。みんな仕事は一緒っていうけど、その中身や責任の大きさや役割は違う。
もうPTAって狂信カルトレベル。人の生活に必要なものまで支障をきたすんだから、すでにボランティア団体ではない。そうなる原因はやっぱり、強制力だろうと思う。集団心理だね、したくないのにやらされる。次はお前がやれよ、理由とか関係ねーよ、ってなる。参加する・しないの「選択肢」がない。これが保護者のストレスになるし、人間関係にも影響する。
PTAは組織として任意団体であることをもっと正しくしっかり説明してほしい。
団体としてそこが一番問題。上がおかしいから下が苦労するんだ。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4D32GHJ4DUTIL007.html
通ってる学校がPTA会費を何に使ってるかはもちろん知ってる。気になってるのはPTAより上のPTA協議会。実はPTA会費はPTA協議会という団体にも徴収されるらしいんだけど、その会計報告の内容が理解できない。旅費で何十万とか、広報のコンクールや大会とかで何十万とか、、。協議会の役員の報酬は50万、賞与5倍なんて情報もあった。
ちょ、そんな経費いらなくね?何を協議してんだか知らないんだけど。
それはちょっとhttp://anond.hatelabo.jp/20170420011316にも書いた。日本PTA協議会なんか会計からみても1億以上のお金が動いているが、何に使っているか、サイトからだけではよくわからない。ひとつ言えるのは、一般人にわかりにくくしているんだろう。詳細は見えないようにしている。
おまけにPTA協議会は問い合わせ先がない。頻繁に会議はしているみたいだけど、実態はあるのかないのかわからない。お金回収してるのに問い合わせできないって、たぶん日本ではPTAとオレオレ詐欺くらい。
ある雑誌の記事では、PTA協議会のお金の使い方に懇親会にコンパニオンがきたり、高価なホテルでの交流会等、派手なお金使いについて指摘している。https://dot.asahi.com/wa/2017040700040.html?page=2
事実なら本気で腹立つ。
一部はPTA会費の徴収によるお金。そこに使ってる金をもっと見直せば、いろんな問題がなんとかなるはずじゃないの。教育に使うお金がないんじゃなくて、誰かが無駄遣いしてるんだと思うけど、違う?
保護者の多くがPTAをなぜ負担に思って、「いやなもの」として捉えるのか。
昭和時代は子ども多い、だから保護者も多い、専業主婦多いで、PTAのマンパワーは強かった。子どもの数がピークより半数くらいになった現代、保護者の数も半数くらいになっているわけで。
保護者数が減ってるのに、ほとんどの世帯ががっつりな共働き世帯になったから、PTAのマンパワーが弱くなってる。だけど時代や保護者の状況が変わっても、PTAの役割自体はそんなに変わってない。だからPTA役員と会員の各家庭の負担はさらに大きくなる一方。
「みんなやってきたこと」のキメ台詞でもみ消されるけど、その「やってきたこと」が今の「時代」に本当に現代必要なのかって言ったら、すべてがそうとはいえない。PTAに関しては。
人口や保護者の状況を鑑みても、実際PTAの負担は昔と比べて大きくなってると思う。
PTAって学校のお手伝いサークル、みたいに捉えてるひと、いますか?わたしはそう思ってた。
たぶん趣旨すら知らないで、お手伝いサークルと思って、しぶしぶ参加しているママパパが多いんじゃないだろうか。
でも実際は違う。PTAの本来の目的は親と学校が協力して社会教育をすることらしい。その時代にあった教育を親と学校が模索して開拓してきた歴史があるらしい。。
それだったら子ども食堂とか、そういった活動のほうがこの時代の「社会教育」によっぽど理にかなってる。あれこそ現代の親と学校が埋められない教育の穴を埋める、重要な「社会教育」だと思うから。
それと比較して、PTAの活動。学校内の掃除とかベルマークとか社会教育の一環じゃない気がして仕方ない。そんなこと言い出したら、窓ふきだってPTAの役割になる。掃除とか家でも自分の部屋の掃除自分でやれってこどもに教育しないのか?
PTAは、国が用意できない教育産業の労働力を、PTAの保護者が「子どものため」っていう善意で押し付けられて担っているだけにすぎない。
雑用係じゃない。
個人情報や権利がうたわれる中、学校は率先してPTAが任意団体であることを説明したがらない。
保護者に無償で、いやむしろ会費を徴収して働いてもらわないと、教育ができないし必要用品を購入できない。
「子どものため」っていう言葉は親をどうにでもできる魔法の言葉。
やらざる終えなくなる異常な状況は、親の善意に付け込むオレオレ詐欺と仕組みはかわらん。
でもPTAはよくわからないことにお金使ってるから、腹立つ。で、無償労働つき、ここは奴隷地区か。
今のPTAは「子どものための社会教育」じゃない。「保護者の無償労働団体」みたいなもん。
本当に子どものためって実感できる団体なら、誰からも不満はでない。
日本PTA協議会の会長は、PTA委員の負担について「協力し合えばなんとかなる」って言ってる。
そうなってるなら、こんなにネット上に不満や裁判の情報、あがらないでしょ。
とかいう考えや不満を自分の小学校でそんなことダイレクトに言ったら、みんなにボコボコにされると思うので、怖くていえません。
誰か挙手して言ってくれ。
もう仕事やめようかな、いやでもこれから子どもにお金もかかるし無茶な行動できない。体ふたつほしいドラえも-ん。
PTAの役割をしたくないっていうより、生活に最低限必要な収入源である仕事や、またその職場に負担かけてまで、PTAってしないといけないことなのか、ってことが腑に落ちてない。
もちろん有給とれるべきって意見あるけど、とれる環境じゃないし、時期によって繁忙期とかあるから。なんともいえない。
はっきり言ってわたしは天秤にかけたらPTAより仕事が大事で、正直仕事を選びたい。だって生活の源だから。
だからPTAはやらないってのか!って反感買うだろうけど、じゃあそのPTAの活動すべては子どもの教育にどれだけ必要に応じたなものなのか、示してほしい。たぶんそれを説明できるひとは少ない。同時に仕事は私を養ってくれるが、PTAはそうではない。
もうPTAなんて趣旨にあった機能はしていない。今の在り方を廃止して、改善してほしい。
職場が休めないって問題もあるけど、そもそもPTAの活動そのものが、必要かって前提で。PTA協議会なくなって困るひといたら何人くらいいるのか教えて。
入会のときの脅しも意味不明、PTA協議会とか会費の使い道も意味不明。PTA広報コンクールにPTA会費から予算何十万って、誰がそのコンクール見たいと思う?どの広報が一番いいか、なんて大人の能力争いで、子どもの教育関係ね-。
PTAの親の協力ないと学校教育できないって、じゃあ親は半分職員化してるんだから、PTA活動に対して賃金があってもいい。税金とか会費とかなんのためにあるのさ。
もし小学生の子どもがいる家庭にも時短が取りやすい制度があったり、PTAとかの学校行事はどんなことがあっても絶対休ませなければならない、みたいな、もう少し踏み込んだ育児支援的な法律あったら、喜んで受けるけど、世の中ってそうじゃないから。小学生ってまだ手にかかる子ども。ワーママにもっと行事参加すべきっていう意見が強いなら、親が働きながらと子どもの教育や学校に関われる制度を作ってほしい。
・PTA参加しない=悪
の世の中の風潮が、時代にあってない。
女性は働けとかやっぱり休めとか、あぁ意味わからん。どっちかにして。日本人やめたい。
ってまとめて言いたいのはやっぱり、
PTAってほんといるのかこれ。
PTAなくなればいいのに。
協議会って1億とか掛けてなに協議してんだ。報酬50万くらい設定して協議した結果がこれですか。
貸借対照表っていうのが読めない。詳しく読めるひといたら、この内容について教えて。
http://www.nippon-pta.or.jp/about/rkra7f0000000f8z-att/6b17e1c5da23905fc786dadeed7099e1.pdf
都道府県のPTA協議会なんか旅費50万とか、いや、あちこちいかなくていいから地元で働こ。
で下っ端の各小学校PTAは役割なすりつけ合い。おーい。なんでやねん。
コンクールも研究発表会も、何百万もかけてしなくていいから、登下校時だけパトロールのおばちゃん雇ってくれ。
PTA会員の負担減る。子ども安全守れる。定年のおばちゃん、儲かる!WIN WIN WIN!
あぁ何回考え直しても今のPTAっていらない。
古くてトラブルが増えてきた家は、一回つぶして立て直したほうがいいじゃない。
PTAも古い家と同じ。つぶれろ、今すぐ。立て直せ。古い家も立て直したら頭の黒いねずみだって、でていくさ。
「もうここには住んでられない!」って。
Permalink | 記事への反応(15) | 04:49
ハリウッドと日本なんてパクりパクラれが最も激しい関係だから。
ジョージルーカスは日本の黒沢明の時代劇のようなチャンバラ映画が撮りたくてスターウォーズを撮った。だから「ジェダイ」っていうのは時代劇の「時代」をもじってるんだよね。
それまで映画で(ハリウッド映画じゃなくても)あんなに剣をぴゅんぴゅん振り回して戦うのなんて日本の時代劇しかなかったわけ。だから「ジェダイの復讐」の冒頭で砂漠を歩くR2D2とC3POってのは「隠し砦の3悪人」の冒頭と同じシーンなんだね。
で、この剣がレーザーになってるやつすげーいいじゃんということで「機動戦士ガンダム」にはビームサーベルというのが登場する。
「宇宙刑事ギャバン」もレーザーブレードという名前であの剣をパクるんだけど、その宇宙刑事ギャバンは「ロボコップ」というハリウッドのパクり作品を生む。ロボコップはライダーマンも混じってるんだけど。
ということがとんでもない数あって、その辺をまとめて「パクりの系譜」を書いた本もある。
http://img01.hamazo.tv/usr/iij/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%EF%BC%92.jpg
「新しい」ってのはお前にとって新しいってことだよ…
お前の人生で『リウイ』を読み始めた歳からアラフォーの現在までの間に獲得した
なんで2012年に「リウイ」とか「ギンエイデン」とか言ってんのってこと。
アラフォーにもなって十代の頃に開発したもの以外の趣味や興味がなんにもないっつーのは何事?って言ってんの。
っていうか年上の人間にこんなこといいたくないけど
他の奴とのやりとりを見ても
お前は本当に頭の回転が鈍いっつーか言うことが頓珍漢っつーか
ただ、若い奴が全員って話じゃないし、中高年が全員て話でもないぞ。
逆に言えばIPhoneとかは、出た当初から追いかけてるが・・・まぁ、当初は飛びついちまったが・・・今はもう、って感じだな。
「iphoneでこんな面白い自分独自のことをやった」みたいな話だろう、最低限持ち出すなら。
別にお前の脳が40を前にして老化が進行しまくってるのはお前の勝手だけど
周りのいろんな中高年と比べてもお前の老化具合は実年齢よりかなり進んでるよ。
最近おかしくなったんじゃなくて20代30代の過ごし方が悪過ぎたんだろ。
でなきゃラノベとスマホよりもっとマシな自分を語るキーワードがある筈だ。
なんでお前にムカムカするかっていうと
自分の20年ぐらいの行いの末に迎えた人より早い老化を
こういうのって「どんな(立場の)人」が「どのような目的で」学ぶかによるよね。
単なる知識欲を満たしたい人ならば教科書を通読するのは苦じゃないでしょう。
教員になりたいとか試験があるって人ならば、通読はした方がいいと思う。それだけじゃ駄目だけど。
ただまぁそういう人はごく少数派だろうと思う。
大体の人は知りたいと思う「現代の事象の原因」や「時代」、「人」が居るからこそ学びの姿勢を取るんじゃないだろうか。
例えば日本史だったら大河ドラマの「新撰組!」を見て江戸末期についてもっと知りたいと思う、みたいな。
知りたいと思うポイントを中心として、そこから前後に知識を広げて行くことになると思う。
そんな時に教科書は役立たずかと言ったらそうではない。
教科書の目次、題材の並びはちゃんと考えられて作られている。
だから知りたいと思うことを目次や索引から引いて、そして読んでいけば良いのだ。
そこで更に「この事象の前に何があってこうなったんだろう?」とか「この事象の後はどうなったんだろう?」って興味が湧けば、自然と知識の幅は広がるし、興味もない所まで読まなきゃいけない通読よりは肩の力を抜いて取り組めるんじゃないだろうか。
社会人になって仕事の事も考えなきゃいけなくて、そこに更に勉強への強迫観念が付与されたら鬱になるわ。
社会人になったらね、仕事に必要な勉強以外は、自分で選んでいいと思うんだ。
自分なりに必要だと思ったら仕事以外の事でも学ぶし、興味が沸いたら他人のやり方なんかさておき自分で楽しく学べる。
そんな私は今、清末あたりを勉強中。
蒼穹の昴、最高ッス!
久しぶりに酒を飲んで酔い心地になって、勢いで何故かBluebellsの動画をYouTubeで探し始めたのが運の尽き。BluebellsがAztec Cameraに、さらにOcean Colour Scene、Trash Can Sinatras、そして何時の間にやらパーフリに。Friends Againを聴き始めた頃には既に涙が止まらなくなっていた。今もCamera Camera CameraのギターポップバージョンをBGMに、止めどなく流れる涙をこらえつつ、酔いに任せて書いている。鬱屈した日常を送る高校時代の僕にとって、この上なく純粋でこの上なく美しい、この上なく真実なのにこの上なく嘘くさい、自分にとっての「青春」の象徴、それが彼らであった。
その頃の僕は今でいうオタクやヒキコモリに近い、都会的だけど暗くて内気な自己顕示欲の塊だった。小沢と小山田に対する忠誠心は誰よりもあると自負しながら、親が出してくれる金で彼らのCDを購入するのがせいぜいで、かれらの音楽をどんなに愛していると信じていても、そのライブに赴く勇気も行動力も欠如していた。
誰よりも早く彼らのCDを購入し、CDショップでのイベントに出向き、MTVはエアチェックし、FM横浜は毎週欠かさず聞いていた僕にとって、その瞬間はあまりにも突然に訪れた。無機質な女声が語る彼らの解散の知らせを、僕はその瞬間には何の感動もなく、だが次の瞬間に訪れる限りない混沌とともに聞いた。
エンディングに流れるTokyo's Coolest ComboのFriends Againはその後永遠のレクイエムとなって僕の中に焼き付けられた。Friends Againに見たはずの大学時代を、彼らとは全く別の意味で理想的にすごし、周囲に迎合してそれを幸せと感じた大学時代を経て、気がつくと僕は高校時代に最も嫌悪していたような、平凡で退屈極まりない人間になっていた。
悲しいことに、それが平凡でも平均でもないこともわかっていた。それがオトナになるということなのかもしれないけど、かつての僕が死ぬほど忌避していたことには変りない。尾崎とピチカートの両方を評価するようになった僕にとって、もはやあの輝かしく危うく誰よりも純粋でまがい物である二人のOは、決して近づくこともできなければかといって忘れることも許されない存在となった。輝かしい未来の象徴は、決して叶うことのなかった美しい過去の遺産となった。
僕は今彼らの歌を涙なしに聞くことができない。再結成して欲しいアーティストとして彼らの名を挙げる人たちがいる。その安直で単純な思考を理解しないわけではないが、あの時別れたあの道は、もう決して交わってはならないし、また交わることもないだろう。
未来と革新と反抗と青春の象徴であった彼らの楽曲も、そう信ずる僕らの思いとは裏腹に、かつてなく反体制的・非倫理的であったビートルズと同じように、今では当時の「時代」を解釈するための科学的な要素して評価されてしまっている。
でも僕らは覚えている。それが決して健全な目的に余するような、誰もが求める優秀な生徒ではなく、皆が忌避しかつ心のどこかで憧れる、それは大人すらもまきこむような、この上なく嘘くさくて、でもごまかしのきかない姿であったことを。
アイドルについては、んー、グラビアアイドルなんかはまあ好きだけどw、
ここでは関係ないので除外する。
歌って踊ってバラエティやドラマ出て、みたいないわゆるアイドルについてだけど、
うん、たしかに俺はテレビを見ないので、アイドルは詳しくない。
知らないのに語ってみたわけだが、不快に思ったのなら謝る。申し訳ない。
で、申し訳ないついでに、さらに知らないのに語ってしまう。
ミクについては、「アイドル」としても捉えられるんじゃないかと思うんだ。
単純に割り切っていえば、もちろんただのソフトウェアだ。「楽器」だ。絵だ。
でも、「初音ミク」というブランドとして、キャラクターとして、完全に一人歩きしている。
誤解を恐れず言えば、今、同じ楽曲を中川翔子と初音ミクがそれぞれ同時に出せば、
初音ミクの方が売れるだろう。
それはさすがにない、というかもしれないが、少なくともいい勝負にはなると思う。
それは何故か。
初音ミクが、「楽器」としてではなく、アイドルとしての商品価値を持っているからだ。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp
最初から「アイドル」として明記してある。
初音ミクは当初、どちらかというと、「ボーカロイド」という「新しいソフト」、
もう一歩進んで「バーチャル・シンガー」として認識されていたかも知れないが、
当初から「アイドル」として設定されているのだ。
多少歌が下手でも、そのタレント性、スター性、かわいらしさで許される「アイドル」。
ただここにきてsupercellの躍進で一気にメジャーに殴り込みをかけ、圧勝して見せた
(もちろんlivetuneの活躍もあったが、今センター街を見てみれば、supercellの凄さが分かる)。
「歌って踊れるカワイイ女の子」ではなく、偶像としての、「時代」としての「アイドル」だ。
初音ミクの登場以来、何が起こったか。
ニコ動でのボーカロイド旋風、はちゅねの登場、ねんどろいどやfigmaの爆発的ヒット、痛車コラボ、
星雲賞受賞、グッドデザイン賞を受賞、「桜ノ雨」旋風、そして、supercell。
もちろん「人間」ではないし、「アニメキャラ」ともいえないので、
単純に比べられないが、社会現象としての「初音ミク」は発売2年が過ぎようとしても、まだ続いている。
ブームではない、まったく新しい現象。
今までも声優がアニメキャラ名義でCDを出して売れる、てのはいくらでもあったが、
当然ファン自体が作った曲ではない。
たとえファンが勝手にイメージソングを作ったとしても、声優が歌うわけではない。
その意味で、「アイドル」のために歌を作って、その「アイドル」に歌わせることが可能な初音ミクの存在は、
音楽の教科書か(「桜ノ雨」は載りかねない)、社会科の教科書かわからないけど、
日本だけでなく世界中のクリエイターを刺激して、もっと面白い革命を起こしてくれると思っている。
ビートルズが音楽のアイドル=偶像だったように、初音ミクは21世紀のネット界のビートルズになる。
さすがにこれは言い過ぎか。
大して違わないんだけどねー。さて
後藤によれば、ある世代に生まれたことによってすべてが決まってしまうという考え方は「宿命論」であり、シニシズムやニヒリズムに通じる。
世代論そのものがもはや用済みなのだ、とかれはいう。その代わり後藤が持ち出すものは、古くて新しい文明の利器、科学である。統計と学術的分析をもちい、客観的かつ実証的に事実を導き出すこと。
『おまえが若者を語るな!』がいろいろとすごい。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080914/p1
ですが、色々勘違いしてるよね、という。そもそも「時代」というのはアプリオリに存在する客観対象ではなく『論じるという行為によって生み出されるもの』であることは、その本で批判されてるような人らの間では大前提なわけで、「時代なんて幻想です」という批判は彼等からすれば全く痛くないどころか冷笑の対象でしかないと思う。彼等が痛いのは「自分の切り口がもはや有効ではない現象の前で立ち止まっている自分たちに気づいた瞬間」くらいだよね。東浩紀が(あれほど賞めていた)村上隆批判をしていたときは結構痛々しくて気の毒だった。
まあ理系的発想で社会学ぽい言説をぶった切りしたい欲望は分からないでもないけど、それって一歩間違うと単に「物事の繋がりや文脈」が理解できない人=アスペルガー的症状にしか見えないんだよね。自閉症スペクトラムには入らない程度でアスペルガーな人って、ある種の超理系的人間=モヒカン族に多いと思うし、自分も幾分その気があるから分からないでも無いんだけど。また社会学が大概いかがわしいという言説も、もはや使い古されているわけで今更そんな話したくもないんだけど、もしそういう話を全然聞いたことがないなら「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ、ちくま文庫)でも読むといいと思うよ。