はてなキーワード: 混沌とは
単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。
その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である。
たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジムに所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。
対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏で団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイドな生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。
でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。
持つ者はいいよな~?
それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから。
畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガンと綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。
金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。
じゃあどうする?
そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――
とても悲しい事だが、持たざる者が努力をすると、自律神経が乱れ、情緒が不安定になり、ノルアドレナリン(闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキーな毎日に突入しやすい。
怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。
そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。
しかしながら、試行錯誤――破壊と再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実を直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。
そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。
一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップのワードだろう。
ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生がでろでろに腐ってゆく。
だからこそ、ファイトクラブの名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしく、フルスイングで開き直って、「人生は自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫び、ハイリスクな一歩を踏み出すしかない。
というのも、代表的な弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。
そんな絶望の境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様の復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギーが必要になってくる。
寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。
そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。
であるから、ハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。
いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。
その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。
その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。
そして、精神的コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。
やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズに人生を渡り歩ける訳じゃない。
人類社会に立ち向かって、一所懸命に努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。
とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能で民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。
すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。
そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である。
というよりか、学歴も職歴も資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。
この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。
だからこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。
もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガイ人形のチャッキーに、「おめめパッチリで可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。
要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブな話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。
ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分の視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚』から始まるゆえ、思いつきの言葉を物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。
それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的な思考を止めるようにしている。
正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき、発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。
これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人の問題ではなく、社会病理――是正されない格差の問題だ。
たとえばアメリカでは、学歴の格差、経済の格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。
よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給の非正規がゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。
稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。
こうした現実を直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。
だからこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。
よく世間では、『中庸こそが幸せの秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。
統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。
――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。
だからこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。
ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人、ヘッドライトの町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVDの整理整頓をし続けている。
しかも、バイトとダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。
もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。
こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……
年齢的な厳しさ――など、
私は国家の解体と国境の廃止を訴えている地球市民の1人である。
私のことをアナーキストと批判する国家主義者(右派・左派問わず)が存在するが、私から言わせれば国家主義者ほどアナーキーな存在はいない。
彼らは国家の主権の絶対性を訴えるあまり、国際社会における無秩序・混沌から目を逸らすのである。
国家主義者はその国際社会のアナーキ性を正当化し、その中で秩序を構成するための自国の軍事力、経済力、発言力向上も正当化するのである。
そのようなことが許されるのであろうか。
国家主義者と言うと自分と縁遠い人間を想像する人もいるであろう。
しかし、自分が国家主義者である自覚のない無意識ナショナリストは溢れている。
一例を挙げよう。
我らのゆりかごは既に増えすぎた人間を抱え切ることができなくなっているのにも関わらず、相対的な人口数低下に危機意識を持ち、人口増加を願うのならばそれはナショナリズムによるものである。
他にも例を挙げればキリはない。
私はここ、はてな匿名ダイアリーに国境廃止委員会の本部及び国境廃止委員会日本支部の設立を宣言する。
国境は廃止され、国軍は廃止され、通貨も廃止され、現状の国家はローカルガバメントとなることを目指す。
我ら人類が保持することを認められた暴力装置は警察権力のみであり、軍事力の保有など決して認められないものである。
なぜならば、人の命を奪うことは究極の不可逆的行為であるからである。
国家と国家の争いにより政治権力のない庶民や子供たちが屠られたとしよう。
例えその後に国家と国家が和解しどれほど強い友愛が築かれようと、かつて失われた命が再び息を吹き返すことはもうないのである。
我ら国境廃止委員会を支持する世界市民主義者が過半数を超えた時にも、反世界市民主義者が率いる国家とそれを支持する国民が存在するであろう。
国境廃止委員会を支持する旧国家は国境廃止委員会にフォースプロバイダーとして旧国軍を提供せよ。
国境廃止委員会の下におかれる国家解体軍事委員会が提供された連合軍をフォースユーザーとして組織し国家主義者を破砕するのである。
最後に。
地球市民主義は欧米主導のグローバリズムとは異なるものである。
我らは地球における多様な文化を、それが個人の自然権を侵害しないものである限り否定しない。
しかし、だからと言って醤油仕立ての雑煮や餡子の入った雑煮を否定することはないのである。
我らは皆同じ地球の市民であるとともに多様なことなら文化を持つのである。
なんの権限も持たない一消費者としての戯言なんで、世のクリエイターや業界関係者の人は「無責任なアホだなあ」と思ってくれていいよ。
俺は漫画版のチート付与魔術が大好きだが、コイツが原作改変なのは間違いない。
原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。
漫画版チート付与魔術師はナーロッパが舞台なのにドラゴンがUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。
中世風の世界だったはずなのにパチンコが存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。
現代と中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与はインターネットで大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。
この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?
文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能な心理状態と察せられる。
本人の知覚さえ不可能な無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。
20年前とあるラノベのアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。
貴重なスタートダッシュの第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議が生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームのWIKIを更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)
そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化の台本を書いてくる作品なんて。
これは絶対だ。
キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。
部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作と小道具が原作と比較される。
似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。
良くも悪くも。
原作改変の善悪を決める権利が原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。
だが消費者からすれば、個人的な好き嫌いや楽しめたかどうかだけが、原作改変の良し悪しになる。
面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死に原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。
好きにして欲しい。
トランプはなぜこんなに強い?言動は問題だらけ、でも有権者は「違う部分」を見ていた…既に事実上の共和党候補に【混沌の超大国 2024年アメリカ大統領選①】 | 47NEWS
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1124563166125818331
この記事のブコメを読んだんだけど、なぜトランプが支持されるのかについてはみんなで自分の思うところをあーだーこーだ言うよりもベースとなる認識を共有したほうがいいんじゃないかなと思ったので、以下の記事をオススメしたい。
2016年大統領選挙に関する実証研究の知見と2020年大統領選挙
https://www.jiia.or.jp/research-report/post-16.html
2020年の記事なので少し古くはあるけれど、今でも大きく変わったところはないんじゃないかと思う。
読むのが面倒な人向けに一部抜粋すると、
「それよりもトランプ投票に決定的な影響を与えたのは、人種的マイノリティに対する反感である。」
ということが書いてある。
『technocutzero 「トランプ」に本体はなく、リベラルが掬いあげてない層があげてる呪いの塊、がしゃ髑髏クラスの怨霊みたいなもんなのでその呪いそのものを解かない限り何度でも復活するよ 攻撃は効かない』
について言及すると、ここで言う「呪い」というのは人種問題と言えるし、「リベラルが掬いあげていない層」というのはマイノリティを嫌う白人層ということになる。
リベラルを支えているマイノリティ層や反差別意識を持つ層と、このマイノリティ嫌いの白人層とは水と油なわけで、両方にいい顔をすることは原理的に不可能と言える。
よって、リベラルがちゃんと白人の不満も掬い上げていないがためにトランプが台頭したのだというような論に対しては、「無茶言うな」と言うより他にない。
俺が「schizoposting(以下糖質投稿)」と呼ばれる文化に惹かれたのは、陰謀論的な投稿を信じて投稿するときに生じる一種の混沌とした論理を認識したときだ
糖質投稿は、患者や医師が「ワードサラダ」、パラノイア、無秩序な思考として知っている症状に関連して「統合失調症」という用語を借りて、精神状態を模倣するSNS投稿のパターンを説明するサブカルである
これは世界中で人気があり、Facebookグループ「schizophrenic order of the piss of dawn」には現在50 万人以上のフォロワーがいる
この投稿行為は、Redditや4chanなどで始まり、ユーザーが自分の投稿を通じて、軽度の感情を示唆するミームや会話を投稿することで、実際に統合失調症であるかどうかについてオンラインの仲間から疑問を投げかけていたらしい
陰謀、劇的な結論、そしてほとんど読めない単語のサラダを好んでいる
投稿の多くは銃乱射事件(統合失調症と誤って結び付けられている)に関するジョークや、視聴者から笑いを誘う品位を傷つけるミームについて詳述している
最初は無害に見えるかもしれない
これらのグループは、人々が犯罪化や検閲を受けることなく、奇妙で曖昧な行動や思考を探求できる安全な場所を提供しているという考えに共感できる
しかしそれは重要な点を提起している「糖質投稿は根本的に受け入れられているのか、そして神経発散的な癖を称賛しているのか?それとも、病気の症状であると主張することが、精神異常行動についての知識に悪影響を及ぼしている可能性はあるのか?」
大衆文化は、精神疾患には特定の有益な、そしておそらく望ましい性格特性が伴うと信じ込ませてくる
なぜなら、それらは思いやりや忍耐の特性を「教えてくれる」からだ
精神疾患とポジティブな性格特性が結びついているため、業界全体が精神疾患と創造性の関連性の分析に注力している
つまり、病気がなければ、創造的な天才は存在しないだろうということである
しかし、その考えは、私たちが行動を病気として分類する理由そのものの本質を損なうことになる
医師が古典的に「障害」と定義するものについて、精神疾患として定義されるためには、その症状が罹患者の日常生活に重大な障害や苦痛を引き起こす必要がある
実際、患者が人生を十分に楽しむためには、この障害に伴う認知障害に対処するための的を絞ったプログラムが必要であり、多くの科学者や臨床医が開発に時間を費やす
努力にもかかわらず、統合失調症の研究者が模倣しようとしている認知的な欠陥のせいで、ホームレス、労働力からの孤立、または失職などの苦悩から精神病患者を更生させることができる状況には、望んでいるほど近づいていない
反精神医学運動は、実際に苦しんでいる人々からこの区別を奪い、適応戦略や風変わりな性格特性の形として症状を流用することは、伝統的な定義では声をあげることができない人々のグループを消去することに寄与している
統合失調投稿の場合、明確に考えたり、一貫した文章を作ったりしないという特性が称賛され、「オンライン」な人々に特有のユーモアブランドが奨励されている
そのユーモアは風刺として分類されることもあるが、実際には、文化があまりにもとんでもないものになってしまい、陰謀を信じたり統合失調症のように見えることが一部の人々が選んだ道であるとからかっていることがある
病気の実例となることを選択することは、ユーザーが気づいているかどうかにかかわらず、障害に対するある種の倒錯した嗜好を示しており、真の精神疾患患者の場合、患者は統合失調症のポスターとまったく同じ症状を回避しようと最善を尽くしているように見えるだろう
表現の自由が称賛される社会において、文化がアイデアの意味を探求し、あいまいな人口統計を日常の語彙に組み込んでいるのを見るのは素晴らしいことだ
しかし、糖質投稿という行為は不正確に使用されている可能性があり、ハロウィーンで老人の仮装をしたり、同じ休日にネイティブアメリカンやブラックフェイスの衣装を着たりすることに近いかもしれない
つまり、これらの流用の対象者は明確な生計を立てている(しかし、ほとんどの場合、生計手段が欠如している)が、大衆文化によってさらに誤解されている
糖質投稿は、表面的には楽しくて無害なことのように見えるかもしれないが、実際には退行の兆候であり、精神異常者になること、または「正気を失う」ことが何を意味するのかを実際には理解していない可能性があり、その結果、苦しみをさらに孤立させることになる
https://www.s-manga.net/reader/main.php?cid=08874548874548315501
今回の議論について「漫画とドラマの関係」と主語をデカくして語っている人が大勢いる。
だが、本当にそうか?
あくまでこの事象は「セクシー田中さんの原作者」と「ドラマ関係者」の間で起きた出来事でしかないはずだ。
もし、もしもだ。
ポセイドン学園がドラマになり、その原作者が「これでは原作の持ち味が台無しだ!」と文句をつけたとして、ここまで支持されただろうか?
恐らく、恐らくだが「ポセイドン学園の原作者」であるというただソレだけの理由で「お前なんぞが口出ししてんじゃねえ!テレビ様に黙って従えよ!」とネット中が罵ったのではないか?
私にはそう思えてならない。
あくまで芦原妃名子というネームバリューがあった結果、このような複雑な自体が生まれたのだ。
ネームバリューのあるものの発言力の強さが、自体を混沌とさせた。
作者のネムバリューがもっとずっとしょーもなければ「は?原作通りに作ってつまんねードラマにしてなんの意味があるの?メディアの違いとか分かってる?」でネットは一色だったのではないか?
犯人捜しどころか脚本家の殺害予告まで出てきてる始末。引用リプは殺害に同意する投稿が多数上がってる。
マジで地獄。さすがに今のXヤバすぎだから殺害を煽るツイートする奴は全員逮捕するとかやらないとダメだよこれ
https://anond.hatelabo.jp/20240129201124
過剰な脚本家叩きが良くないのは分かる
でもこれまで原作クラッシャーで叩かれてた相沢友子さえ消えてしまえば次の被害者は出ない
分かるか?
https://x.com/zrjkhwwutbb6ppv/status/1751919319691542544?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
1.5万いいね
→別に誰も困らない
次に使い勝手のいい外注先をみつけるまでプロデューサーが不便を感じるくらい
原作者が消える
→大損失
今回は特に、原作者があれほど守ろうとした物語の結末までが喪われてしまった
もはや、犯罪だよ
脚本家に罪がないと言うなら日テレと小学館は第三者委員会を置いて経緯を明らかにすべき
まあ絶対やらないだろうけど
相沢友子を殺すか
あなたならどうする?
https://x.com/athousandwing/status/1752180049565127082?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
これ。
何がこれ以上誰かを攻撃するなだよ。
3
憎しみを流し込め。怒りを連鎖させろ。
過激な事を言ってるけどかなりその通りだよなぁ…
そう、その人さえ消せば、だよね〜😇
https://web.archive.org/web/20170710060639/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201202
https://anond.hatelabo.jp/20240122050801
2012.02.27 Monday08:35
「家から一歩も出たくない病」(怠け癖)発動中なので、下絵しながら、
以前作って冷凍しておいたロールキャベツを、2~3時間コトコト煮込む。
うちのロールキャベツは美味しいよ。
なぜなら、有名シェフの料理本のレシピを、基本そのまんまだから。
たまに焦がすけど。
私、レシピ見ないと八宝菜すらろくに作れないレベルなんですけど、
洋風煮込み料理とパンとお菓子だけは、やたらマジメに作るのです。
なんでかな?と、探ってみたら。。。
多分、この3つが「母の苦手分野だから」なんですよね。
実家ごはん、基本和食中心で、どれもこれも美味しいんですけど、
お商売してて時間に余裕が無かったせいか、洋風煮込み料理の煮込みが甘い。
「おかあちゃん!ロールキャベツのキャベツが子供用ナイフじゃ切れないよ、、!」
幼い頃満たされなかったちっぽけな欲求までも、人は大人になって自力で
満たそうと邁進するのでしょうか。仕事して、得たお金でルクルーゼとか買って、
と、同時に、母のロールキャベツも、ちょっと懐かしく思い出す。
料理してると、こういう事が多いです。
味覚以外の色んな感覚が刺激されるというか。
そんなこんなどうでも良いことを、日常生活の合間にあれこれ思うんですけど、
これを掘り下げて書いたら漫画のネタに出来なくなるじゃん!とか、躊躇する事多いです。
気になってきた。
1
ごはん---
すっかりブログほったらかしてしもうたー。
近頃、知り合って間もない方に、「キミ、気分屋でしょ。」とか
ツッコまれること多いよ。気を付けないと。
でもがんばるよ!ということで、下絵のお供に「スカパラ」のライブDVD。
スカパラ好き。踊りたくなって困るけど。
一見、正反対に思える言葉を繋げると、なんだか自由な感じがしていいな。
バレンタインデーでしたね~。(遅っ)
2~3年前、チョコ好きで有名な作家友達に、美味しいチョコレートのお店を
いくつか教えて貰って、食べ比べてみたのですよ。
どれもとっても美味しかったけど、私は「フランク フレッソン」のチョコが
特別大好き♡
あまりに美味しくて感動したので、普段甘い物をほとんど食べない友人にも
プレゼントしてみたら、「美味しい!美味しい!」と喜んでくれて、
美味しいモノは、幸せを運ぶね。
ちなみに、日本に出店してないので、イベント時にしか買えないのですよ。
写真は去年の。今年買えなかった。残念だなーっ。
下絵やるか。
1
日記---
パンを焼いてみたよ。
飽きなくて一番好き。10%全粒粉。
焼き色つくの早い。楽しい。
ガスだとブレーカー落ちないしね!3日に一度は落ちてるんだけど!
(落ち過ぎ)
2
パン---
ベツコミ2月号の読者プレゼントで、「Piece」の切手を作って頂いたのですよー。
実際に使えるんだって。嬉しいな!
1
お仕事---
しばらく風邪っぴきで、寝込んでましたよ。あーあ。
こないだ「風邪ひきにくくなった」って、書いたばかりなのにな!
風邪ん時は、お粥よりうどん派です。味覚鈍ってても、美味しいから。
ずっとグダグダしてたんですけど、復活したので
担当さんに、お芝居に連れて行って頂きましたよ。
お芝居って、アレですよね。
コンサートや映画とかもそうですけど、閉じた空間で大音量で矢継ぎ早に訴えかけてくる
音楽やセリフに集中していると、一種トランス状態になるっていうか。
制作サイドの思惑や感性を、裏から表から欲張りに全部受け取ろうと
風邪でぼんやり鈍った脳みそを、他人の手でカパッと開けられて、
勢いよく掻き回された、今回特にそんな感じ。
下調べして行けば良かったかなー。
正直、理解しきれない部分も多かったんですが、良い刺激になりましたよ!
藤原竜也さんの立ち居振る舞いが、妙に色っぽかった。テレビで観るよりずっと。
少年っぽい方だと思っていたのに、いつの間にやら凄く男っぽい。
色んな人のおケツを沢山見たよ。
周りの人が「カーネーションが面白い!面白い!」というので、HP見てみたら。。
脚本・渡辺あやさんなのね。しまった。観とけばよかった。(すでに手遅れ)
去年作った「鬼っこ巻き寿司」載せとこ
全部酢飯なので、美味しくはなかったです。
クックパッド見て作ったんだっけ??
去年描いたイラストも載せとこ。
(おうどん飽きたよ!)
そうじゃなくて「A盲の人だけがBを知覚可能」「B盲の人だけがAを知覚可能」みたいな状態になる知覚が発見されて欲しい。
できれば50%ずつで分かれる感じで。
だって「これめっちゃ面白かった!でもA盲の人はわからないんだろうなwwww」みたいなのが世の中に溢れるじゃん。
混沌とするぜ~~~~
歩くと危ないという話と、輸送効率の話がまず二つあり、それとエスカレーターの故障率の話がある。
最初の二つに関しては相反する主張だろう。
歩くと危ないという話は、物ではなく人として扱うことだ。
つまりどちらかの主張を選ばなければならないが、
私たちはエスカレーターでは歩行してはならない理由として一括りに受け取っている。
歩くと危ない系の話としては
左手で手すりをつかまれない人がいるとか、左側に立てない人がいるとかであって
そういう人を見たことが無いし、右手でつかまっている人は見たことがあるのでそうすればよいのではないだろうか
なぜなら彼らが左側に並んでいた場合、右側と交換しなけらばならず
歩くと危ない系の話はあまりに少数側に配慮しすぎているし、事情がある場合に右側に立ってもらって構わないということを周知すればよい。
通常時に右側に立つことがマナー違反ということであるなら、限定付きで解放していけばいい話である。そしてそれを拒否する人はいないだろう。私も拒否しない。
急いでいる人がいるのにあえて両側に人が立つことで防波堤の役割をさせようという考えもいけ好かない。(それは急いでいる人を強制的に歩かせない方法である。)
大阪万博等でそういった片方開けを抑止し、両側に立たせるシステムをアピールしていたがこれも微妙な気持ちにさせてもらった。欧米ではディストピアだと話題になること間違いない。
この混沌をもたらした全ての黒幕である、エスカレーターの故障率の話だ。
輸送効率の話がでた恐らくの原因だと思われる。(鉄道会社は違うように見えた。)
エスカレーター会社にとって、片方乗り、またはエスカレーターを歩く、走るという行為はエスカレーターの故障率が上がる原因である。
それを抑止するために輸送効率の話を持ち出し調査したのではないだろうか?
それに鉄道会社、市区町村、大学等、この歪みを正すことなく輸送効率という呪縛にとらわれてしまっている。
おそらく解呪されることはないだろうが、両側に立つことが当たり前となった際には私も守ろうと思う。