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2012-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20120201120709

うそう。

元増田みたいな奴は、金持ちになったら幸せになれるとか細かいことは気にしなくてよくなるとか勘違いしてるんだよね。

そういうのは生まれた時から金持ちだった奴だけで、自力で金持ちになったり十分なキャッシュインが無かったりする奴は、

むしろ庶民より遥かに強い強迫観念や恐怖なんかのストレスに囲まれて生きることになる。

2011-12-27

出勤前に弟や友人や恋人とそして日本について思ったこと

最近日本ってやっぱり狂っていると思った。

なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡り競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。

 

職場はもちろん、親、兄弟姉妹配偶者恋人、友人、あらゆる人間関係安心できる場所が少ない。

もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、

今の日本社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?

 

仕事でつまづくと職場の関係は悪化する。

あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。

実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。

裏で働いているのは利害関係論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。

でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。

しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。

いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分

そして、自分自分の友人や親兄弟恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?

あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。

兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。

だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。

 

社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?

誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」

という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?

そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」

と感じているとしたらしたらどうだろうか?

恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。

この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。

こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒正当化される。

とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、

少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。

 

今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。

社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。

「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。

だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。

そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない

「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。

でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間孤立しなければならないんだろうか?

目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?

実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?

 

僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。

大企業就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。

驚いたことに、留年してもう一度本命企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。

挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。

僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。

 

だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。

共に氷河期就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。

失業きっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。

そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。

彼の失業離婚に心を痛める人間世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいいかのような物言いをするようになってしまった。

 

氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。

今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。

僕の恋人負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。

人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、

ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。

 

綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。

なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するからから足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。

ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。

こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。

綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの

 

今日、二度目の就職活動を始めたという弟にメール使用と思う。

「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。

そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。

彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。

多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。

 

少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。

きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。

そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。

いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。

これだけ厳しい時代なんだから経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。

 

あーしかし、週末も出社かと思うと会社行きたくないなー


http://anond.hatelabo.jp/20101119051301

「出勤前に弟や友人や恋人とそして日本について思ったこと」

2011-12-14

一生追い続けるのだろうか

ネットの普及によってワンクリックで簡単に情報が手に入るようになった。

毎日PCスマホを開いて一定時間ネットアクセスするようになった人は以前に比べて確実に増えただろう。

何か目的がある人も、ただの暇つぶしの人も、日々自分が気になる情報ネットから取得している。

中には毎日特定のサイトあるいは特定の「情報」をチェックする人も増えたのではないだろうか。

はてなブックマーク毎日見てる人、twitter毎日見てる人、ゲームアニメ情報毎日チェックしている人、ビジネス海外の話題を毎日チェックしている人・・

もはや情報を追うことが日常の一部分と化している。


みんな、それを一生追い続けるのだろうか?

死ぬ前日まで。


ネット情報を追い続けた人の中には、本来の目的とは別に情報を追うこと」「情報に乗り遅れないこと」が一種の強迫観念として体に染み付いてしまった人も多いように感じる。

「今更ネット依存症の話か?そんなのはネットが普及し始めた1997年から話題にのぼってるよ」と突っ込みを受けそうではあるが、

では、果たしてみんなそれについてどう思っているのだろうか?

人はネットが普及する前からテレビ新聞雑誌から日々の情報を得ているわけだから、それらの媒体ネットが加わっただけ、と思っているのだろうか。

それは確かに正しい。

でも、ネットとそれらとではやはり依存度が違うように思う。

ネット情報は日々更新される。特定の記者がそれを更新する場合もあれば、受け手側が自ら話題(情報)を作りみんなで共有する場合もある。

自分が追い求める情報ネットが途絶えない限り、日々更新される。

ある情報に飽きたとしても、すぐにまた違う興味ある情報がそこら中に転がっている。

ネットアクセスしさえすればそこには無限に近い情報がある。

情報を追い続けるという意味での依存度は確実に他の媒体より勝るのではないか

その「依存」は健康的なのか?

多くの人間情報を追い求めるという行為に対しては、特に取り留めもなく、私生活にさほど影響はないから問題はないという判断なのだろうか。

世の中の事を知るということは人間にとって当たり前な行為なのだから情報を追い続けることも当たり前であるという判断なのだろうか。


個人的にはどういった対象であれ「依存癖」というものは恐ろしいと思う。

ふと気づいたとき自分依存症に陥ってるという現実直視することはもっと恐ろしい。

みんな知らず知らずのうちに「情報を追い続ける」依存症にかかっていないのだろうか。

時間は関係ない。1日10分も1日3時間も同じことだ。

みんなはこれから何十年も毎日毎日毎日毎日情報」を追い続けていくのだろうか。

何十年も。

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日

死ぬ前日まで。


怖い。

http://anond.hatelabo.jp/20111214100113

モチベーション高いと永久競争し続けることになるから人生ほとんどが苦痛強迫観念になるよ。

ほとんど全ての時間苦痛を味わう代わりにごく稀に凄い達成感が得られるという感じ。

天才かつハイソサエティ出身の場合を除いて。

2011-11-25

常人自分目線から童貞アドバイスするな 「俺の」童貞病気なんだよ

トラバの指摘に基づいて「俺の」を追加しました。ご指摘ごもっとです。ごめんなさいね


見下す女よりこっちのほうが腹立つわい。


http://nice.hateblo.jp/entry/2011/11/25/023223

自分童貞であることが辛い人へ3つの提案

・接触欲をみたすため生き物に触れに行く

コンプレックス対策として身体を鍛える

・得ている愛を再確認するため親孝行をする

まず2だけど長年引きこもってる間ずっと鍛えてるから間違いなくお前よりはガチムチですが何か?

家に帰ってもやること無いから黙々と仕事して給料貯金国民平均よりは高いですが何か?

そういう問題じゃねーんだよ。


親孝行・・・だと・・・。「親こそが愛を与えてくれる基本的存在」って誤解はどうなってんだ。

親は愛を与えることも多いけど、それ以上にズタズタに引き裂いて踏みにじる存在でもあるよ。

接触欲とかもさぁ・・・ハリネズミのジレンマじゃないけど、こっちは呪い状態なんだよ。

触れたい以上に、触れれば相手を傷つける、相手が自分を傷つけるという強迫観念やばいから引きこもってんだよ。

自分たちがクズ有害存在って分かってるよ。おとなしく引きこもってるんだから引き摺り出さないでよ・・・

最低な女の人は、増田釣りっぽく書くんじゃなくて、直接親の前でいってやってよ。

あんたはただの売れ残りだけど、こっちは病人なんだよ。人外なんだよ。犬畜生だよ。

親にこの現実を理解させるには、健常人としての最低ランクである売れ残り言葉しかないんだよ。





童貞ってのは、世間で良いこととされていることをマイナスに変換してしま病気なんだよ。

お前らにとって良いことを押し付けられても吐き気しかしねーよ。

求めてるのはお前らはクズだけど一応生きて呼吸するくらいなら許すよっていう話だよ。

お前らみたいなクズを飼ってくれるor飼われたい女もたまにいるかそいつらみつけろよ、ってことだよ。

ぶっちゃけまちなかに童貞専用の精神病院とか建てればいいんじゃね?

まぁそれがソープだけど。商売女はお客様である自分を傷つけない可能性が高い。

2011-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20111122003536

http://anond.hatelabo.jp/20111121231026だけど。

いやほんと、東京バスって皆無言で無音空間なの?複数で乗って喋ってる人達とか居ないの?

そういや痴漢は訴えたら訴えた方が白い目で見られるとか意味不明だったけど、

喋る事がそもそも許されない空間から痴漢を訴える=声を出す→あいつ声出しやがったうぜえ!」となるのかそうなのか。やっと理解した。

何かもう超怖ええよ。映画館とかならいざ知らず、何でただの移動手段である電車バスでそんな完璧なる静寂を求めるんだ?

それって何らかの強迫観念にでも囚われてるんじゃないのか?

2011-11-20

積み重ねられない。

思えば僕は積み重ねというものができない。




スポーツ

高校の部活テニスは上手くなかったし

趣味ブレイクダンスも上達しなかった。

(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)

小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。

スポーツじゃなく音楽読書もそうだ。


好きな音楽といわれても特にない

高校時代流行った洋楽ロックメジャーなのと

浪人時代洋楽のエモとかスクリーモをあさったが

今はほとんど聞かない。

だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかからないアーティストだし

まわりに知ってるやつほとんどいないから楽しくなかった。

1年以上前友達に勧められたくるりビートルズ小沢健二

未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!

強いて言えば、声優林原めぐみの歌声が好きかなぁ

読書もたまに強迫観念というのか

何か読まないとダメ自分になると思い

てきとーに本屋に足を運んで

文庫化された小説を買う

金城一紀乙一、乾 くるみ

気軽に読めるものだけ読む

村上春樹とか東野圭吾とか読まなきゃとか思うとしんどくなった

せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。

小説が読みたくないとき自己啓発系のビジネス書を読んで

意識高く熱くなろうと頑張る。

でもインプットしたものアウトプットしたところで金にならず終わる。

何もやってないわけじゃないけど

何やっても単発でおわる。好きなことも

ジョジョとか仮面ライダーとか好きだけど

フィギュア揃えようとか最初は思う。でも途中でやめる

お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから

あと感想ブログも続かなかった。

絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。

からいつまでたっても中学生ときの絵。

3ヶ月もあわないと人の名前なんて忘れてしまう。

過去いじめっぽい経験を受けてからなのかな。

自分に関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。

人の名前はほんとにそれが原因かも。

かなりドライケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。


長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。

まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。

もちろん友達も少ない。


最初から結論が見えているとやる気をなくす。

これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。

実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。


将来とかもどうでもいい。

お金ためて世界回って。

みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?

でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾

何したら楽しいの。


何かを好きになるのは自分の自由なのに

それを好きと言い続けられる精神がない。

それはまわりの目を気にしているからだと思う。

何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。

一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。

論文やってるんだけど

ゼミ入ったときと違って関心がなくなたか全然すすまない。

他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。

もういっそ性格かえてくれる合宿

せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら

よろこんで参加するのになー。

2011-11-19

80年代からのともだち地獄は、ようやく折り返しの時期にきてるのかな

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109

ともだちだけが社会じゃない

おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。

ともだちだけが社会ではありません。人は、自分の興味があること、自分が専門としていることを通じて、もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています

ともだちではない人との出会いやつながりこそが、人生の転機になります

ともだちとのおしゃべりからは、連続的な日常しか生まれません。昨日までの延長です。

個人的には全くもって同意

で、これ、80年代は、これを全くひっくり返したことが言われてた。「もっとともだちを大事にしたり、友達を作らないとダメよ」「友達がすべてだよ」みたいなね。

生まれてこの方、この「ともだち第一」メッセージには心底うんざりさせられ続けてきたので、こういうメッセージはとても嬉しい。




「ともだち幻想友達がいないやつは人間として問題がある」や「ともだちについての強迫観念」が生まれてきたのは70年代の末ころだったらしいです。

なんでもそうだけれど、誕生した当初はそれなりに合理的な理由があるもんです。 だいたいそれをおかしな方向にねじ曲げちゃうのがコマースメッセージなわけですが。


最初はあまりにもこの時代日本社会仕事一辺倒で、仕事以外で人間価値をみとめられないこと、男社会への傾倒が急激すぎて、それへの反発が強くなったという話からスタートしてます

日本男優社会伝統でも何でもなく、敗戦後に作られたものであるって話も大事ね)

人間関係も全部仕事がらみ、家族ぐるみの付き合いといっても結局仕事に縛られる。女の人や子供はさぞストレスだったろうと思う。

この当時は、必要があったとはいえ、仕事頑張りすぎて脳がおかしくなった男性調子乗りすぎて、ソレ以外の人間犠牲にしてヒャッハーしてた時代だったということやね。

団塊世代の人とかが、「俺たちは毎晩徹夜する勢いでがんばってたのにいまどきの若いものは」とか言ってるのを聞くと、

 ああ、日本人ははやく複式簿記を必修科目にスべきだ、と思う。こういうバランス無視の考えだからバブルが起きたんだよ、責任取れとはいわんがちょっと反省しろボケが。

 ああ、彼ら的には悪いのは全部日銀政府アメリカ陰謀なんですよね。 本当に信じられないくらいにナイーブな方々だと思う。反省したくてもできない脳のつくりなのね)

そんで、仕事における負け組や、仕事オンリー人間関係に虚しさを感じる人達が、仕事以外のものをもとめたときにそれがともだちの存在だった、という流れ。

そういえば、この年代も、若者連続殺人犯とかが立て続けに発生して問題になってたな。

当時から社会的な問題があると、若者カナリアよろしくまず発狂し、ソレを見て年寄りは「最近の若者は」って言うのは変わらんかった、と。





で、そこはなんでも極端な日本人、なんでも二元論で考える日本人

日本人は、なにか新しいことを始めるときに、前のものを否定しなければ気が済まない上書き志向の持ち主です。

仕事だいいち」に見切りをつけると、どっと「ともだち至上主義」に流れ出した。女の子は「恋愛なんちゃら」かな。

で、こんどは「仕事がデキない奴はクズ」「学歴低い奴は賢い奴の奴隷」みたいなカースト復讐するかのように

友達がいない奴は人間のクズ」「いくら偉くなってもあい友達いないんだろうな」って言えばなんとなくスカッとする傾向が生まれましたとさ。




はいっても、おじさんたちは頭が硬いからそう簡単に変わったりはしません。つまり勉強仕事第一」主義も残ります

夫に全面的に依存して思考停止している母親も基本的には夫の方針に従って子供調教します。なので、勉強第一主義は根強く残ります

勉強仕事だいいち派」と「ともだち100にんできるかな」が勢力闘いをするようになります

まぁホント日本人くらいですよ、仕事プライベートを対立関係に置いて、どっちか片方しか取っちゃいけないと考えてるのは。

仕事と私とどっちが大事なの?って慣用句自体、日本人性格をこの上なく正確に表現してるよね。

不完全なものでも絶対の軸において、ソレにすがってないとアイデンティティ確立できないのは、やっぱり無神教国家からなのかねぇ。とか知ったかぶってみる。

そうやって、自分けが幸福になりたいばっかりに、それに適応しない人たちを踏みにじることを何とも思わないことがとっても生き物っぽくていいですよね。




こうやって仕事vsプライベートで対立しあって、お互いがお互いの素晴らしさを主張しようとハードルを上げ続けた結果、

もはや両立不能なレベルまでどちらも要求レベルが高くなって、両立できないからどっちか選ぶ羽目になってまたケンカする。アホかと。

両立するためには、超人的な体力を持つか、仕事時間自分コントロールすることが許されるくらい偉くなるか、

あるいはちきりん女史のように、全力で仕事頑張ったあと、途中で退職する以外に方法はないんだろうなぁ。いずれにしろ無理ゲー

自分無理ゲー作って、クリアできないとか言って文句言うのって楽しいのかなぁ。




ここで終わればまだ笑い話で済むんだけれど、さらに続き。

当然として「勉強仕事が出来ない」「友達もいない」人はベン図の外側に追いやられて、「かのものは人にあらず」と迫害の対称になります

まぁ簡単に言うといじめですね。いじめって人間を測る評価基準があれば必ず発生しますが、まぁ日本いじめ馬鹿馬鹿しいのが多いですね、クソッタレです。

でまぁ、いじめられたやつがどうなるかについて全く考えてない、フォローしないのも問題ですね。で、そのつけは当然数倍になって返ってくるんですけどね。

社会から切り離されたまま長時間放置されて、社会性を失った人が大勢います

人間以下の扱いを受け続けると、本当に人間であることを辞める人がたくさんいます

匿名で振る舞い続けていると、人間であることの節度を失う私のような人間もたくさんいます




で、そういう奴らはどうするでしょう。

隣人部作ってはぐれ者どうしで連帯する?そんなのフィクションです。サバイブSNSってのがありましたけど多分うまく言ってないんじゃないかと思います

はがないアニメしか見てないけど、あれはともだち教へのアンチテーゼだよね。「きみらがいってるともだちとかはどうでもいいし少ないですがそれが何か?」ってことやろ?)

社会性の訓練とか人間扱いとか、匿名から引き剥がして一個の人格として扱うとか、

そういうレベルから世話焼いてくれるとこがない限り、いちど脱落したものはよっぽどのことがない限り復帰できません。

結局人はひとりひとり自分でなんとかして助かるしかないでしょうね。

ほとんどの人間は、それぞれが「人間以下のなにか」として、ずっと劣等感抱えながら生きていくだけです。

あるいは「人間以下の何科ですがなにか?」と開き直って、twitterやら増田なんかで有名人からんだりなんなりと社会迷惑をかけながら生きていくしかない。

人間であるための条件として「友だちがいること」「勉強ができること」ってのがかっちりと決まっているかぎりはもう人間に戻ることはない。





というような感じなんですが、そういうともだち地獄に対して、

「ともだちともだちともだちってそればっかかかお前らは、そんな人生つまんねーだろ」ってのが当たり前に言われだすとまた話が変わってくる。

「ともだち地獄」のいく末は「22世紀少年」であり「原理主義者たちの祭典」ってのがようやくわかってきたみたいで、さすがにみんなうんざりしてきてるみたいです。

勉強もともだちも大事ですが、それを必要条件のように考えると、ほんとにしんどいだけなので、そろそろやめようぜ、って話になってくると嬉しいです。




生きるのは、ただでさえしんどいことだと思うので、そこにわざわざ重荷を載せないでもいいやんか。

別に俺はドMからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。

死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか、私にはよくわからんです。

阿呆な頭で平等主義を誤解したままお題目みたいに唱えるから能力ある人に引っ張られて自分たちもがんばらなきゃいけないハメになるんですよ。

阿呆なら阿呆でいいやん。 南無阿弥陀仏言ってたら幸せになれる頭の持ち主が、TPPのこととか考えなくていいよ。

あんまり他人のことを気にし過ぎないで、ともだちがどうとか言わないで、自分が好きな事やってりゃいいと思います





生きるほうを、選ぼう。

2011-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20111111212851

その女の子が最も身近にいる母親と同じような人生を送りたいと思う事はだめなの?

彼らからしたら「だめ」でしょ。



フェミニストって母親否定する人がやたら多いよね。自分母親に対する文句ばかり垂れてる人がやたら多い。

フェミニストから母親を否定したいのか、元々母親との関係が上手く行っていない人がフェミニストになりがちなのか、鶏と卵か。

それに何だか母親」になってはいけない(子供を産んではいけない、産んだとしても「母親らしい」母親になってはいけない)という強迫観念があるっぽい。

実際フェミニスト子供産むと子供放置バリキャリにでもならない限りフェミニスト仲間からハブにされるらしいしなー。

2011-09-27

脱オタ」=おしゃれじゃないことについて

http://anond.hatelabo.jp/20110925204621

が盛り上がっている。ジーンズ??ベルト軽視???つか、1着だけwwwとかあるけど、

この記事で出来上がった元オタは、脱オタできているのは確実だし、おしゃれレベル偏差値55位?)ですらあると思う。

から、彼は幸せだと思うね。そこに着地するまでにB系ファッションにいったり色々しちゃう可能性があったわけだし。


けど、みんなユニクロで十分だろwwwって叩いているのが不思議

多分、この5,6年くらいのネットの風潮で、「脱オタ」=おしゃれじゃないってことが固定観念としてできた結果、

脱オタ」とは「オタクを脱すればそれだけでよい」ことが強迫観念として今度は出てきたんだろう。

けどさ、文脈読もうぜ。合コンユニクロきていったら、そりゃいくらなんでもだってwww

やっぱある程度高いものは多少手が込んでいたりして、ユニクロとは違うんだよ。

んで、晴れの舞台ではやっぱりそういうのをきていった方が無難ユニクロの方がチャレンジャーなんだよwww

そこんとこ理解してほしいね

2011-09-21

心安らかに「オバサン」になんてなれるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20110921091821


オバサンって「失った人」ってことでしょ。

体力が落ちてきてかつてできたような無茶はやれない、筋肉が衰えて脂肪がつくからかつて着れたような服が合わない。

新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んでいかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。

対処としては「渦中外の自分」に慣れてその立ち位置を受け入れること、自分がどういう風に自分以外と接する(接したい)のか把握しておくこと、そのために欲望は整理してコントロール可能なものにしておくことくらいしか思いつかない。

でも無理だよ。個人差が大きすぎて消費「スタイル」に落とし込みようがないでしょそんなの。

雑誌特に女性向けファッション誌なんて基本的に何かの渦中に巻き込んでとにかく商品に接させてそこで生じた欲望を使って人を振りまわすためのツールでしょ?

どう考えても「オバサン」スタイル構築して文化として根付かせるよりも、オバサン敵視して反オバサンに人を走らせる方に向いてるよ。

まり高齢女子を発生させる方向に。




話がずれるけど、事前にちょっとずつ欲望を整理するのに失敗したタイプの高齢女子が、己の「オバサン」化に直面したその時には覚悟するくらいしかテがないという事実がこわい。

ある意味不治の病と似てる。心安らかにガン患者になれるやつなんてどんだけいるんだ?

つうか、そもそもそういう覚悟を煽る雑誌なんて原理的に作れないんじゃね?

煽られた覚悟なんて脆すぎて覚悟にならんわ。恐慌とか強迫観念の類の域を出られない希ガス



そういや文学とかでオバサン化に関してはちょっと前からいろいろ試みてるようだけど、それでも現実に対して周回遅れの感はあるよね。

2011-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20110913230412

ちょっと落ち着いて。枝つきすぎて把握しきれてないけど元増田の発言は全部読んだと思う。

まずその後輩君はカスだ。

で、あんたはそのカスぶりに気づかなかった。

そのせいで強迫観念に駆られ、思い出したくない過去まで表に上がってきた。

とりあえず今はこの山を耐えるしかないよ。いいカウンセラーが見つかればそれがいいけどさ。

繰り返すけど後輩君はカスだよ。

別にあんたを慰めるために言ってるんじゃない。

表面上がどんなに良く見えたって、自分に好意を寄せて告白してきた人を複数の前で侮辱するような人間が優れていると思うか?

あと粘着トラバつけられすぎ!

無論つけた奴が悪いに決まってるけど、「弱ってるやつを叩きたい是が非でも叩きのめしたい」って奴を引き寄せるオーラが出てるんだよ。

でももうついちゃったもんは仕方ないんだからほっとくべきなんだよ。いちいち相手しなくていいよ!!

増田なんかクソの集まりなんだと思ってればいいよ、自分もクソな代わりにみんなクソでいいじゃんかよ。

あとはババアの件だけど、しんぱいすんな、あたしもババアだ。

ババアになるのも悪いことばかりじゃない。ツラの皮が厚くなって神経が図太くなる。

十代二十代を思い出して、あああのころはあれっぽっちのことで世界の終わりみたいに思ってたなあってなるもんだよ。

それがあんたにはできない。

そしてそれはあんたのせいではない。

「原因はどうでもそれを克服できない自分が悪い」って思ってるんだろうけど、そんなわけあるか!

人類の半分は女なんだから、少なくとも人類の半分はあんたの味方だ。

「克服した被害者だってたくさんいるんだからお前も克服できなきゃおかしい」なんて女は言わんよ。

最後にもう一回言うけど、自分でもわかってるだろうけど、問題は老いることじゃないからね。

心ない発言には誰だって傷つくけど、あんたは日常生活に支障が出るほど傷ついてる。

それを摩り替えて「老いこそが今の状況を作った元凶」と思い込んでる、それが問題だよ。

いいカウンセラーに巡り合えることを祈ってる。

あ、それとネットすんのはいいけど人の黒さが前面に出てるようなサイトは見なさんなよ。

2ちゃんまとめサイトなんかは結構な頻度でムカつくwので猫ブログでも見てなよ。

2011-08-21

彼女とかは20代前半までに作っとくべきだった

加齢でがくんと

モチベーションが落ちる、

もっと言えば性衝動が落ちるんだよね。

こんなに早く。




衝動が落ちるっていうのはつまり

彼女をゲットしてもその楽しさとか快楽とかも減るってことでさ。

性的なことに関わる何をしてても楽しくない。そんなこともういいよっていう状態。




こうなるんだってわかってれば

20代前半までに一生分やっておけばよかったなーっていうのだけが心残り。

これは精神的な、理性で感じる心残りであって、感情とか肉体的にはそれすらどうでもよくなってる。




人によっては風俗好きの人とかもそうだろうけど

そういうのも若いときに金銭的な無理をしてでも行くべきもの

20後半以降になってからいってもしょうがないんだよね。




もう少し若いころは

ジローラモとか石田純一みたいな人のことがよくわかってなかった。

あいう、すごいおっさんになっても女女言ってる人って

ただの「スケベなオッサン」だと思ってたけど、そんな訳無いんだね。

あれは物凄く人間的なもの自分に終生課した所作、もしくは強迫観念、もしくは信念、

もはや物凄く文化的な「マナー」でやってるんだってことがわかった。




不倫は文化」ってそういうことだったのか。

衝動や欲望でやってるんじゃないんだよねあの人達

すげえ。

2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812125507

むしろ平均的なオタク寄りネットユーザー像だろ。

誰もが「今期アニメだいたい見てます!」ってな人間だと思うなよ。

つか、ネットユーザーアニメを繋いでる時点で、視点がそもそもおかしいだろうにな。

「好んではいるわけではない」と宣言しなくちゃいけない強迫観念自分の中にあるんだろ?とか思ってしまう。

ある意味典型的な「ネットユーザー像」だとは思うよ。

2011-07-29

長い。まとまりがない。

http://anond.hatelabo.jp/20110725043637

http://anond.hatelabo.jp/20110726030356

http://anond.hatelabo.jp/20110726173709

http://anond.hatelabo.jp/20110726234210

http://anond.hatelabo.jp/20110728124112



悶々としていたのが、少し落ち着いてきた気がする。

昨日の朝の行動を顧みたことが大きいかもしれない。



長く付き合ってきたことから強迫観念だったということに、落ち着かせようとしている。

付き合ってる当時の、自分が頑張って来たことや相手を想う行為とか、

いろいろやって来たのに裏切られた、という気持ちが自分おかしくさせていたんだと。

そりゃもちろん、相手も頑張ってくれた部分も相当多いだろうが。



このままずっと一緒にいると腹をくくっていたが、どこかしら決めつけていた部分もあったと思う。

これだけ長くいるんだから、そのままいくだろう。長くいるための努力をしてきた、だからそれを崩すのは考えられないと。

結局は、見返りを求めていた自分勝手な想いだったんだな、と。




相手が悪いとか、自分が悪いとか考え始めると、すごく難解な迷路に陥ってしまう。

悲しみや怒り、後悔や絶望。いささか自虐的すぎるが、自分がこんなにも感情豊かな人間だったのかと驚くほど、

意思とは関係なく、次から次へと生まれてくる。そして終わりがない。

何気ない行動でふと思い出してしまい、一日に何回か、そういう迷路が現れ苦しめていく。




から、いまは考えることから逃げようと思う。

寄りを戻そうと考えても、許せないと考えても、結局は自分をえぐることになってしまから



我ながら、すごく弱い人間だ。でも、弱いなりに前に進むしかないのだと思っている。

2011-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20110725172733

増田ですが、エゴはその通りだと思います

好きだという感情はもちろんあるんですが、

別れちゃいけないという強迫観念を持ってるかもしれない。

どこまでが愛情で、どこからエゴかは、相手のとらえ方次第ですね。



いま現在は完全にエゴです

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。



翌日。Aはどこにもいなくなっていた。



あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20110525125037

労働者全体が何かおぞましい強迫観念に駆られて働いているように見える。

一方でその強迫観念に耐えられない人が過労、鬱、自殺ニートひきこもりになるなど出るわ出るわ。

なるほど、頭の良い奴は一般の労働市場には決して行かない(戦わない)わけだ。

2011-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20110422162305

煙草

吸わない方が健康的でいいじゃないかあんなもの

肥満

これは強迫観念ダイエットしすぎなだけ

2011-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20110418020911

福島野菜放射能検査を経た上で市場に出ているんだけどね。

チェルノブイリとは前提条件が全く違うんだけどね。

強迫観念で冷静な判断力失っているよね。

2011-04-13

断頭台への行進

震災からひとつき。復興への行進が始まる。

菅直人首相はこれを「復旧」ではなく「創造であると述べた。想像という青写真現実に打ち込む。

ときあゆみをとめない。文明穿つ災は、民に自省を促したかのようにも見える。

ときあゆみをとめない。


震災からひとつき。停滞への行進が始まる。

Fukushima の名は世界へ波及する。福島日本へと通ずる。

忌避の念を持つものが、いずれわれらを蔑もう。

それでもときあゆみをとめない。こころを鎖す壁は、常に暗がりから這うように滲み出す。

それでもときあゆみをとめない。


震災からひとつき。平和への行進が始まる。

平和とは軋みである。いずれ避けられない衝動がかならずわれらを包む。

しかときは なおあゆみをとめない。歩みをとめたものを無常にも見放す。

からあるかねばならない。強迫観念にも似たそれはわれらの調和をいつか乱す。

しかときは なおあゆみをとめない。


そうしてわれらは自然のなかに力なく伏し倒る。

そこでわれらのときは とまる。

それでもときあゆみをとめない。

2011-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20110408151930

ありがとういろいろ。

僕は予言者がいた!っていうのでワクワクしてたり騒いでたわけじゃなくて、

むしろ

「あれが空見とかだったら、おれ予知能力あんじゃね?」

っていう。

そっちでワクワクっていうかビクビクしてました

ビクビクっていうのはだって、もし万が一そうならこれから日常の中で現れるちょっとしたサインを見逃さないように!みたい

宗教じみた強迫観念に追われて生きることになるかもしれん!

っていうビクビクです

そうじゃなくてよかった。

最近海外ドラマLOSTをずっと見てるせいかそういう啓示的なアレにちょっと過敏になってただけだす。

2011-03-20

二浪したのに東大落ちた

ここで引いたら一生・・・みたい強迫観念を原動力に苦節一年頑張ってきたのにまた落ちた

やっぱり高二ぐらいか勉強に本腰入れだしてみたにわかには無理だったのか

受験は所詮解法パターンの暗記時間をかければ結構誰でも~みたいな論調にのまれた

思えばそうしておいた方が都合が良いに決まってたのだ受験本出して不安受験生をカモにしてるあやつらは

あーあ現実ってこんなもんかよ結果が出ないとマジで駄目だな 新卒カードも逃したことになるしあーあ

2011-03-15

勘違いされ続けるリーダーシップ

http://anond.hatelabo.jp/20101207000153

そしてあれから三ヶ月、ここまでの国難に見舞われることになるとは、正直なところ想像すら出来なかった。



しかし、メディアだけでなくリーダー自身ですら、未だに「リーダーシップ」に対する幻想を正せていないらしい

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110313/plc11031323370035-n1.htm

 だが、肝心の原発に関しては「憂慮すべき状態が続いている」と言いながらも「後ほど枝野幸男官房長官から詳しく報告する」と述べるだけ。これに限らず首相地震発生以来一度も記者団との質疑を行わず、テレビカメラの前で一方的な発信を繰り返すばかりだ。

個別の事案の詳細まで、全てリーダーが把握していて当然と言わんばかりの「万能なリーダー幻想。『リーダーは指針を示してリソースを確保し、個別の実施方法はセクションの責任者と部下(=専門家)に任せる』という方法論は、組織仕事を進める上では当然のことなのに。

リーダーシップ」に対する誤った理解が広まっている原因の一端は、明らかにマスメディアにある。



さらに問題なのは、当のリーダー自身が、誤った「リーダーシップ幻想内面化しようとしていることだ。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110315-OYT1T00086.htm

首相東電技術者をことあるごとに官邸に呼びつけてどなるので、現場対応邪魔になっている」。政府関係者は嘆いた。首相避難所視察も希望したが、「迷惑をかける。時期尚早だ」と枝野長官が止めた。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103150229.html

 菅首相は15日午前5時半前、首相官邸記者団に東電との統合本部発足を発表し、「憂慮すべき状況は続いているが、何としてもこの危機を乗り越える陣頭指揮に立って、やり抜きたい」と強調。その足で東京内幸町東電本店2階の統合本部を訪れ、「テレビで爆発が放映されているのに、官邸には1時間くらい連絡がなかった。一体どうなっているんだ」「あなたたちしかいないでしょう。撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」と述べた。

「怒鳴ってばかりのワンマンリーダー」を絵に描いたような光景。これまで組織マネジメントに縁の無かった者が、突然人を率いる立場になったときに辿る典型的な末路ではあるが。

事態を全て自分自身で把握していなければ気がすまない状態というのは、マスコミによって植えつけられた強迫観念という面もあるので同情しなくもない。しかし一方で、これは部下を信頼していないことの現われでもある。そのようなリーダーに、心から付いていこうとする部下などいるはずがない。



しかし、現場で命がけの作業を続ける勇気ある人々がいる一方で、震災発生以来の東電自身の対応がかなり微妙なのも事実だ。メディア東電叩きに正当性があるかはともかく、「東電はがんばってるんだから批判するな」という擁護は、やはりおかしいと思う。「東電の高い技術力」というが、運用力も技術のうちだ。運用において稚拙ミスを繰り返す組織を、「技術力が高い」と称するのは疑問がある。もちろん、今は彼らを信じて事態の収拾を待つしかないわけだが。)



はいえ、今回の事態における枝野官房長官仕事振りは、なかなか良いものに見える。彼があのような堂々たる会見を行うことができるのは、多くの技術者文官に支えられているからこそだ。そして、質疑応答においてよどみなく回答できているのも、よく専門家コミュニケーションが取れていることの証左ではないか。個人的には、今後の彼の動向にはかなり注目している。

まぁ、「危機の中を導いた英雄」が、後に国を誤らせるということもないわけではないだろうが。。

2011-03-10

自己防衛の最先端

自分にとっての自己防衛の最先端は"諦める"です

今日死にたいエントリは、昔の事を書きます

文を書くのは、いつだって自分の為なのだと思い、筆を取ります



から自分は人との関わりに薄暗いものを感じていました

目の前で話している人物がその実、こちらに敵意があるのではないかと疑うのです

「笑ってるから楽しそうだ」「眉を潜めているから苦しそうだ」「涙を流しているから悲しそうだ」

感情感情として、理解は出来るのです

ただ、その表情一つ一つに裏が見えるのです(たとえそれが自分だけの錯覚に過ぎないと理解していても)

私が話した事を足掛かりに、少しずつ私の警戒を解いて、気を許した所で全てを持って行ってしま



傷付きたくないから、壊れたくないから、人は防御をしま

いものに触れれば手を引っ込め、大きな音がすれば耳を塞ぎ、痛ければそこを抑える

心も身体と同じだ

怒られれば耐えるし、イライラしたら発散しようとするし、寂しかったら人に寄り添う

嘘を吐かれたり、見たくない部分を見てしまったり、裏切られてしまった

傷付けられてしまった人は、二度と同じ事が起きないようにしま

自分にとっての防御は、疑い壁を作り、社交用の自分を作る事でした



人間社会で生きていく人間です

少なくとも、自分はその中でしか生きられなかったし、今でもそうです

から、辛くとも関わりを持たなくてはならなかったのです

から、傷付いても痛くない自分を作る必要がありました

理想的な人格

明るく、社交的で、誰とも対立しない聖人君子

その自分を繕っていれば、私は安全だったのです



私は愚かでした

自分の後ろで、安全な日常を送れば良かったのです

ある時、私はすべてを話してしまったのです

自分が本当はどういう人間で、どうして自分を作っていたのか、その理由さえ

私は我慢が出来なかったのです、寂しさに

昔の傷の痛みも忘れて、寂しさに任せてすべてを話したです



それは暖かく向かい入れられました

私はその事に舞い上がりました

信じる事は素晴らしい

本気でそんな事を思っていました

その時の私は確かに幸せだったのだと思いま




長くは続きませんでした

関係は壊れてしまったのです

要因は、重要でなかったように思いま

男女関係、距離感の取り方、依存と信頼、自分の委ね方、他人の受け入れ方

そんな所でしょう

壁を作っていた為の経験不足と言われても反論はできません

悪い相手に会ったからと言われても否定はしません

自分にとって重要だったのは、関係が壊れてしまった事だったのです

どれだけ取り繕っても、その上で自分を出しても

結局は壊れてしま

それが自分の所為であろうと、他人の所為であろうと、もはやそんなことは関係なく

関係を結ぶ事自体が、もうどうしようもなく嫌になってしまったのです




人間である以上、関わりたいという気持ちを消すことは出来ませんでした

それでも、壊れてしまうという強迫観念は消すことが出来ないほど大きくなってしまいました

自分を守りながら、それでも人と関わる方法

私にとってそれは、諦めることでした



傷付くことも、裏切られることも、壊れることも

何もかも諦めて、自分にはどうしようもない事だと

そう信じれば、言い訳に出来ると思うようになりました

判断することを放棄してしまえば良いのです

考えることをしなければ、諦めてしまえば、どれだけ辛くても掛け算してゼロに出来る

生きる事を辞めてしまえば、何も感じなくなります

自分が居るから苦しければ、自分を消してしまえば良いのです

諦めた結果自分は、だから今日も"死にたい"と言うのです

生きているのは、死ねいか

"死にたい"と言うのは死ねいか

死のうと準備をして、首に縄をかけるのも死ねいか

生きる事も、死ぬ事も諦めて

その矛盾を考えることも諦めて

何もかも諦めた先に、今の自己防衛の最先端があります



今日死にたいエントリした

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