はてなキーワード: ネット言論とは
『「女はいいよな〜」っていう男、顔が良くて社会性のある女しか女として認識してなさそう。』っていうツイートに対して必死で
逆も同じだと言い張る引用が湧いているが、
逆は成り立たないでしょ
女の場合どんなに不細工だろうがコミュ障陰キャだろうが、男は男として認識しているし視界に入れているもの
寧ろそういう不細工コミュ障の男こそ「弱者男性」として注目され、同じレベルの非モテブスと違ってネット言論で注目されて同情されるという事に対して批判しているよね
引きこもりの調査対象が長年男性に偏っていた事とかもその一例だよね
女はちゃんと不細工で社会性の無い男の事も認識してるよ、男の場合とは全く違う
ていうか女が本当に「下位の男を男として認識していない」のなら、「フェミは叩きやすいオタクばかり叩く」という主張と矛盾してるんだけどそれはどう整合性をつけるつもりなのか
「めまいがした」「手が震えた」「目の前が真っ暗になった」「頭をガーンと殴られたような衝撃」
これってさあ、そもそも体調不良じゃね? そうじゃなかったら、鬱とか適応障害とか職場いじめとか発達障害とか、何かの精神障害レベルの苦痛が別に存在してね?
この抜粋部分だけならあくまで抗議内容に対して不当な揶揄が行われることにしか言及してないよね
色んな同じ問題でも起こってることだしそれぞれの訴えの内容が正しいかどうかは別
ここ取り違えてる時点で増田は元の問題を全く支持してないから署名しなかったという部分がある(元の問題と嫌がらせは別というエントリなのにね)
そして実際の仕事では全く関わりがないからアカハラではないもむしろ関わりが全くない別ジャンルなのに名前のある学者があいつは学者じゃないみたいなことをしつこく言ってたら嫌がらせにしかならないでしょ
ネットの言論人同士の諍いだから問題ないの逆でネット言論人のやるようなことを肩書きのある学者がやったら学者としての信用問題になるって話をしているのに
ネットのこの話題周辺の粗大ゴミのような感情論とイデオロギーの意見しかない中ではちゃんと筋が通っているというだけでだいぶマシだけど賢しらに差別的な言論への抗議に賛同しないことをここまでコーティングできるんだなーという別の嫌さを感じる、学者の世界って感じ
多くのスターを得たブコメをピックアップする。発言者個人を批判する意図はない。
asada_bao “前後のコンテキストを読まず鵜呑みにする人が問題なだけで” その通り、前後のコンテキストを取っ払った形で商品化してしまったから炎上したのでは……
2022/01/19 ★98
https://b.hatena.ne.jp/entry/4714217759261729282/comment/asada_bao
宇崎ちゃんと先輩の純情奥手な原作の関係性を無視してポスター一枚の表面的印象で女性蔑視とか炎上させたり
土地神である温泉娘を人間社会の尺度で断罪して炎上させるなど、それはフェミニストの一貫した態度のように見える。
でもそれはフェミの発言も文脈を無視して表面的な見栄えで断罪してOKということだろう。
dimitrygorodok 女が作った物をフェミニストが批判したら足の引っ張り合いになるという表層的な理解度や、どんな理路で批判されたか理解拒む様な姿勢を見てると世界平和の邪魔になってるのはどっちだよ?って思う。 business gender せ:性 さ:差別 サブカルチャー ネット言論 どっちがひどいという
2022/01/19 ★61
https://b.hatena.ne.jp/entry/4714182276380001122/comment/dimitrygorodok
君たちフェミニストは批判対象について理解しようとせず、表層的な理解で断罪してきたんだから、自分に同じことされるのも仕方ないじゃないか。
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGKKZO76055910V20C21A9EA3000/
日頃「弱者を助けよう」「格差をなくせ」「所得再分配強化を」との論調が強く、ネット言論空間の中においては比較的リベラル寄りなはてなぁだが、蓋を開ければ御覧の通り。
ご存じの通り日本の平均年収は436万円、中央値は男性425万円、女性315万円。
年収1000万円以上は人口の4.3%、世帯年収1000万以上は12.1%、である。
にもかかわらず、
に も か か わ ら ず、
「都民の支持を得るなら1500万は欲しいし地方でも1000万は共働きの天井になってしまうには低いと思う。」
だ と ?
世帯年収1000万超は中間層ではありません、上位12%の富裕層です。
年収の中央値から言っても300万~1000万あたりが中間層ではないでしょうか。
「持てる者」として「持たざる者」に富を分け与えて然るべき存在なのです。
結局のところ、はてなぁはイイ人ヅラしたいからリベラルを気取っているだけなのだ。
己の身を削ってでも格差をなくしたいだとか弱者を救いたいだとかは思っていない。
(自分以外の誰かが救ってくれたらいいなあ…”自分より”めぐまれてる誰かが身を挺して救うべきだ!)とぼんやり思っているだけ。
だから富を差し出せと言われた途端、「いや、それはちょっと…」と言い訳をせずにはいられないのだ。
違う。文字通り、ホモ=単一の ソーシャル=社会 で、同質性がベースになった集団の事をいう。例えば村社会的な。
ジェンダー分野では男性だけの価値観が共有される共同性の事を言う。そこに女性が入ると外様、お客様扱いとなる。女性が女性同士の関係性を保持したまま入ると拒絶される。
そう言う関係性は「外部」を扱うことが出来ないから公共的ではない。
この男性同性愛者=ホモソーシャルという安易な連想は上野千鶴子もやっていた。
あと、好きなもの、擁護したいものを批評するにあたり批判的な感想を持ってはいけないというルールはこの15年のネットでのオタク批評だけの約束事が拡大されただけに過ぎない。
当初のオタクは社会からの迫害の意識が強かったのでそれがルール化した。それ故アンビバレントな感情を扱うという事が出来なくなった。
一番極端だったのは全共闘世代でわざわざ己らに対して否定的で挑発的な批評を好んだ。村上龍の「我々の前に道はない我々の後に道はある」なんてのが有名。
90年代ベンチャーの募集広告等でも好まれ、会社説明会で「この会社は明日にも倒産します」とぶつのが流行したりした。
文学者の福田和也は「血塗れた女衒の倅だる我ら日本人」というような言い回しを評論でして反日扱いされていたが、当然これも挑発的な批評だ。
昔……おそらく2006年くらいの自分は、家庭を持つ事に憧れていたし母親になりたいと思っていたと思うんだけど。
いつの頃からか、小さい子供を持つ「母親」というものは世間で無条件に持て囃され、何ら責任を負わずに済むようという風潮になってしまった。こんな世の中では世の「母親」というものに対して反発と敵対心しか持てず。母親は子供を虐待死させようが無条件で庇われ、肯定されるという世の中。とにかくそれが嫌で嫌でしょうがない。
ネット言論はどこを見ても、母親に多くを求めるな、三歳児「神話」なんてない、子育ては保育園に丸投げしていい、母性信仰の押し付けやめろ、といったものばかり。育休や子供の急な発熱による遅刻早退欠勤仕事で独身の同僚に皺寄せがいっている事を愚痴られても会社や経営者が悪いで済ませ、彼女達自身が会社を改善するために自発的に動く事などはない。独身者女性の声と違って聞き入れてもらいやすいにも関わらず。あなたたちの娘だって将来独身の成人女性になる可能性はあるのに。それに比べると父親に関しては虐待や育児放棄は叩かれ、多少はまともに親の責任を果たす事が求められている。とにかく小さい子供を持つ「母親」は全面的に肯定され、何ら責任を果たさずに済むようになっているもよう。
子育てに対する金銭的・精神的な支援も昔に比べれば格段に増えたのに、もっともっとと際限なく求める。日本の経済状況が悪化する中で、こと子育てに関してはじゃぶじゃぶお金を使えるんだから、その税負担が独身や子無しにいっている事はちょっと考えれば分かる筈なのに、感謝するどころか日本は子持ちに優しくない!と被害者面するばかり。
映画の『トゥモロー・ワールド』が2006年か。あの映画は好きだったけど、繁殖力が衰えて少子化が進んだ未来社会で妊婦と赤ん坊に希望を見出すというテーマ、正直今だと全く受け付けないような気がする。あの頃も「少子化」が叫ばれてはいたんだろうけれど、少なくとも今よりはまだ気にならなかった記憶なんだよな…。
東日本大震災での原発事故後の「子供を守れ」の大合唱や、その後の「保育園落ちたぞ日本死ね」辺りが契機だったように記憶している。
ただ2011年3月の時点では既に少子化悪玉論にうんざりしていたような記憶はあるな…その辺どうも曖昧。
自分の記憶だと2006年頃は、「貧困」「格差社会」「プレカリアート」が標語とされ、年齢を問わずに非正規労働や貧困の問題が語られていたような記憶。少子化は話題にされてはいても、その原因として貧困故に結婚できない若者の存在はちゃんと話題にされていたし、少子化対策として今のように「子育て支援」一辺倒ではなかったような記憶だ。それが今では「貧困」は「子供の貧困」になり、子供のいない成人の貧困は置き去りにされるようになってしまった。給与についても「若者の給料は低い」とのみ語られ、現在の中高年(かつての若者)だって給料は低いし上がる見込みもない事は無視される。
2000年代後半から震災前後にかけて、だんだんと年齢や子供の有無による選別が進み、生産性のない人間を露骨に虐げてよいという風潮になったのか…?と思っているけれど、どうだろう。
フィクションだと『TIGER&BUNNY』の主人公が、娘を郷里の母に預けていた事で育児放棄と叩かれていたのが印象的だった。これ、もし主人公が父親じゃなくて母親だったならこんなふうに叩かれたんだろうか?って思った。いやそもそも女性だったら主人公にならなかったのかもしれないが。
現実と同様にフィクション作品においても父親は叩かれるが母親は全面的に擁護されるという傾向、いつの頃からかあからさまになったなーって思う。
あと気持ち悪かったのが『おおかみこどもの雨と雪』に対するネットでの反応。母親に完璧を求めるな母性信仰を押し付けるなと、あくまで一人の女性を描いたフィクションであるにも関わらずそれを現実の全ての母親に対しても求めているかのような意見が異様に多くて怖かった。まああの作品は娘の視点から見て、息子と娘で差をつけすぎという感想も結構あってそれには納得したけれど。
昔の自分は漫画の『フルーツバスケット』のようにシングルマザーの子育てを描いた作品が好きで、自分もそんな母親になりたいという気持ちがあったんだけど。今は何かもう未成年の子供を持つ「母親」という存在自体が地雷で、見るに堪えない(明確に古い時代を舞台にした話ならばかろうじて大丈夫かもしれない)。好きだったんだけどなー。母親が愛情を持って子供を育てる話。今の母親はどこまでも自分が自分がで子供の事なんかアクセサリー程度にしか思っていないようなのばかりだし、フィクションでもその手のコミックエッセイが異常に増えて、もううんざりだ。
今だと『破壊神マグちゃん』とかも、これは一見母親が子供のために頑張って稼いでいるように見えても実際には税金で十分な支援を受け子無しから搾取してるんだろうなと思うと嫌な気持ちになる。
作品や作者に罪はないんだけどもう昔のような純粋な目では見れない。
何がしんどいって今生きてる子供達は皆、そういう我が儘で傲慢な母親から産まれてきたって事だよなー。だから子供を助けるような仕事をするのもそういう母親を助ける事に直結してしまうので嫌な気分になるというか。
子供のため、じゃなくてその子供達が大人になった時の、大人の人権を守ろうという発想ならまだ少しはマシかもしれないけれど。それでも今の「母親」世代を利するのかと思うとうんざりではある。
ブクマカー諸氏のやり取りを見るに「女をあてがうことだ」という意見は、それなりにメジャーなのかもしれない。しかし、仮にそれが弱者男性への救いであるのなら、それを実現できるのは現代の、少なくとも先進国では不可能であり、なれば現実的にそう主張する人は少ないのではないだろうか、と考えられる。過激な意見の方が目立つのは珍しいことではない。ネット言論で露悪的になることも。
しかし、より現実的な、具体的な'弱者男性への救い'が何であるのかは、諸々のやり取りや記事を読んでみてもあまりピンとこない。
なので、私は'弱者男性への救い'が何であるのか、具体的にどのような社会的状況が実現されれば、弱者男性は救われるのか、という点について意見を募りたい。
元の安原さんの文章も増田の文章も賛否両論あるけど、結局その受け取り方の差ってどこまでを下心と捉えるかの差が大きいんだろうなぁ、って思った。
実際、人間の行動なんて潔癖な視点で見れば一点の曇りなく誠実さ100%の場合なんてほぼほぼなくて、基本的には優しさに基づく行為でも相手がそれで自分に感謝してくれたら嬉しいなという気持ちが寸毫もないって場合は稀だろうし。
相手の可愛い可愛くないで態度を変えない人間だって、心の中で美醜を思うことが全くないなんてことはあり得ない。
そういうほんの僅かな非誠実(不誠実だと言葉が強いように思うのであえて"非"と言わせてもらう)な感情さえ許されざる邪悪と思う人には安原さんの言動は下心に満ちていると感じるし、そういう小さな雑念があってもそれは普通だよねと許容できる人には安原さんの言動は十分素晴らしいモノと受け取ることができるんだと思う。
さらに言えば、この許容できる邪念がもっと広い人は安原さんの言動は潔癖過ぎると感じるのだろうし。
とかく、今のネット言論空間だと潔癖な意見でも誰かがそれを嫌だと思ったら相手を邪悪認定できるような風潮があるし、増田もそういう厳しい基準が内面化されているから安原の記事に違和感を覚えたんだろうけど、俺個人としてはそうした邪悪を安原さんからは感じなかったな。
木走正水さんがお亡くなりになった。
今はもう廃刊となったJANJANでデビューしたのは2002年か03年頃でしたでしょうか。
はてなに活動の場を移されてからも、ご縁があって、いくつかご意見を交わさせていただきました。
時にはちょっと熱がこもってしまったこともありました。時に本当に失礼なことも言いました。申し訳ありません。
懐かしく思い出されます。
僕のほうは、Bewaadさんがブログをおやめになった2010年頃から
自分のブログにも実名を詮索する動きが活発になってきたこともあり、うんざりして
自分自身もはてなダイアリでの発言を控えるようになっていました。
2000年代初頭、JANJANは、創成期のネット言論空間を多少なりとも担っていました。
JANJANは、実名匿名のはざまで安定した言論空間を確立できず、数年で消滅してしまいましたが、代わりにはてなが登場し、
しかし、僕の中で、市井の人がネット空間で発信していこうという熱い思いは少しずつ変質していき、
はてなとの付き合いも、はてブでガス抜きするだけになり果て、そのことに気が付いたときに、
ついにはそれもやめてしまいました。
ブログからもフェイドアウトし、平穏な日々を送りながら、木走さんがアゴラでご活躍になっているのを時折、拝見していました。
ある日、木走さんの記事のなかのふとしたヒントから、木走さんの素性に気が付いてしまいました。
意外なことに、実世界の人間関係・仕事につながりがある人だったので驚きました。詳しくは書けませんがニアミスどころの話ではありませんでした。。
木走さんのほうは、多分ぼくの存在には全く気が付かなかったと思いますが。。
なので、その後は、木走さんの実社会での環境の厳しい変化も風の噂程度に耳に入るなか、
記事を拝見させていただいていました。
訃報を受けたときに、思い出したのは、JANJANの頃のフレッシュで熱い木走さんです。
そのことを懐かしく思い出すのが、ぼくにとっての木走さんへの追悼です。
https://note.com/vetement/n/nbfc0099c8456
内容については確かに問題は多そうだが、このことについては、ハヤカワ氏も対応、修正などをしており、今後の対応を見守ってから結論を下すのでもいいと思っているが、今回問題にしたいのは
ということだ。
たとえば、イケハヤ氏は、若返りに効く、という触れ込みのサプリメントを発売し、1日で数百万円の売上をあげた。しかし、はてなでもほとんど話題にならず(彼の話題はすでにほとんど話題にあがらなくなってしまっているため)、そのままスルーされてしまっている。
https://ytranking.net/blog/archives/41254
もちろん、何人かの識者が突っ込みをいれたり、問題視はされたものの、イケハヤ氏は特に何も話題にしないまま、そのままになっている。
少し炎上したところで、そのあとに燃料がなければ沈下してしまうのだ。彼のサプリを買った人たちはどうなったのか、健康被害はなかったのか、薬機法倫に抵触したのは問題なかったのか、などについては語れることすらなくなってしまった。
結果として、イケハヤサプリ事件はほぼ話題にならず、知っているものもほとんどいない状態になっている。
DeNAのキュレーション問題のときもそうだった。DeNAのWELQはたしかにひどいサービスだった。問題も大きくあった。しかし、一番まともに記者会見もし、責任者が責任をとり誠実に対応をしたDeNAだけが歴史に残り、未だに言及されるのに比べて、他の大手企業のキュレーションメディアのことは殆どふれられない。
サイバーエージェントについてヨッピー氏が問題視したというものはあったが、これもDeNAほどの話題にはならなかった。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/spotlight
ほとんどの人は「キュレーション問題といえば、DeNA」となっているだろう。未だに、DeNAに関する記事ではWELQ問題が指摘されやすいが、サイバーエージェントの記事で、キュレーション問題にふれるものはほとんどいない。
ネットウォッチャーのotsune氏は自身が炎上したときに、徹底して沈黙を守り、大事にいたらなかったことがある。ネットウォッチや炎上のプロである彼がそういう対応をするということは、今のネット言論では、何が起きても、自分にいかなる非があろうと、ただ沈黙をするのが賢い選択ということになる。
私は、ハヤカワ五味氏やDeNAのほうが誠実で正しい対応だと思っている。しかし、今のネットでは、誠実に対応したほうがバカを見るようになっている。
どうせ毎日のように炎上ネタが降ってくる世の中なので、何も燃料を投下しないほうが賢い、ということだろうか。
みんながどう思っているのかを知りたい。
https://note.com/vetement/n/nbfc0099c8456
内容については確かに問題は多そうだが、このことについては、ハヤカワ氏も対応、修正などをしており、今後の対応を見守ってから結論を下すのでもいいと思っているが、今回問題にしたいのは
ということだ。
たとえば、イケハヤ氏は、若返りに効く、という触れ込みのサプリメントを発売し、1日で数百万円の売上をあげた。しかし、はてなでもほとんど話題にならず(彼の話題はすでにほとんど話題にあがらなくなってしまっているため)、そのままスルーされてしまっている。
https://ytranking.net/blog/archives/41254
もちろん、何人かの識者が突っ込みをいれたり、問題視はされたものの、イケハヤ氏は特に何も話題にしないまま、そのままになっている。
少し炎上したところで、そのあとに燃料がなければ沈下してしまうのだ。彼のサプリを買った人たちはどうなったのか、健康被害はなかったのか、薬機法倫に抵触したのは問題なかったのか、などについては語れることすらなくなってしまった。
結果として、イケハヤサプリ事件はほぼ話題にならず、知っているものもほとんどいない状態になっている。
DeNAのキュレーション問題のときもそうだった。DeNAのWELQはたしかにひどいサービスだった。問題も大きくあった。しかし、一番まともに記者会見もし、責任者が責任をとり誠実に対応をしたDeNAだけが歴史に残り、未だに言及されるのに比べて、他の大手企業のキュレーションメディアのことは殆どふれられない。
サイバーエージェントについてヨッピー氏が問題視したというものはあったが、これもDeNAほどの話題にはならなかった。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/spotlight
ほとんどの人は「キュレーション問題といえば、DeNA」となっているだろう。未だに、DeNAに関する記事ではWELQ問題が指摘されやすいが、サイバーエージェントの記事で、キュレーション問題にふれるものはほとんどいない。
ネットウォッチャーのotsune氏は自身が炎上したときに、徹底して沈黙を守り、大事にいたらなかったことがある。ネットウォッチや炎上のプロである彼がそういう対応をするということは、今のネット言論では、何が起きても、自分にいかなる非があろうと、ただ沈黙をするのが賢い選択ということになる。
私は、ハヤカワ五味氏やDeNAのほうが誠実で正しい対応だと思っている。しかし、今のネットでは、誠実に対応したほうがバカを見るようになっている。
どうせ毎日のように炎上ネタが降ってくる世の中なので、何も燃料を投下しないほうが賢い、ということだろうか。
みんながどう思っているのかを知りたい。