はてなキーワード: 政治形態とは
患者の妄想タイプその1: レベルが高いコードが書かれていればレベルが高い(進次郎)
記事からは、コードを書いた人が誰なのか証明する方法がない。アウトソーシングした可能性、コピペした可能性、アレオレ詐欺している可能性などがある。技術力を証明したければ競技プログラミングで証明するので、記事でわかると考えるのは病人。
患者の妄想タイプその2: 肩書が納得できればまともなことを書いている可能性が高い
某外資系企業のデータサイエンティスト()のRのコードとか酷いし、それを酷いとわからない時点でお前は肩書に騙される低能とわかる。
現実社会の大抵の問題は政治的な問題であり、政治的言及をしたければお前のいうポエムという形式になる。技術の部分は所属している会社の中で発揮すればよい。仮にオープンな何かがあるなら、完全な善意であるケースもあるが、それをオープンにすること自体に少々の政治があるケースが多いと考えて良い。ポエムか技術記事かは、どのような政治形態を取るかという違いでしかない。
コロナ下の日本におけるトップダウン型の政策は、不明瞭な感染対策と歩みの遅い経済対策を生み出した。
この不安定な情勢で出てきた「検察官定年延長問題への抗議」は、ついに現代政治の限界を露わにしたように思える。
政権とそれに寄り添う人々は「定年延長決議自体は何も問題ない」というが、
国民が怒りを露わにしているのはそうした局地的な法律問題ではなく、今まで少しずつ溜まっていた「政治への不信感」によるものだ。
今の国民は、「与党vs野党」「保守vs革新」「自由主義vs社会主義」なんて図式には一切興味がない。
求めているのは、その政党が取る行動が強権的なのか協働的なのか、透明性が高いのか低いのかという「安全・安心感」という目線でしかない。
強権主義に陥らず、国民に説明責任を果たし、反対勢力に敬意を持って接しさえすれば国民は納得すると私は思う。
様々な政治形態がある世の中で、ポピュリズムが一定数の支持を集める理由はまさにこれであり、
現在のローテクで時代遅れな政治形態では、倍々で膨らむ経済と加速するグローバル化に対処できないことが分かっており、
目の前の魅力的で人々に寄り添う(ように見える)リーダーに、どん詰まりの状況を解決してもらいたいからである。
だが「強い」の意味が昔と違う。
現代の「強さ」は相手を言い負かす能力ではなく、相手と手を取り合う能力だ。
現在の日本の政治は、与党であれ野党であれ、それが出来ているだろうか。
https://globe.asahi.com/article/11530020
思うに、民主主義を素晴らしいと思えるかどうかという問題は、他人(もしくは大衆)の理性や道徳を信用できるか、という点につきるのではないか。
もし、他人の理性や道徳が信用に足るならば、投票によって選出された政党や政治家を受け入れることができる。
そして、選出された政治家の理性が十分なら、独善的な政策ではなく、野党とも議論を交えながら政治を行うことができるだろう。
当然、野党となった政治家の理性が十分ならば、建設的な反対意見と与党側との議論により、いわゆる少数意見をある程度なりとも反映する政策を与党側に提案し、説得することもできるだろう。
これは理想。
だが、現実的にはそんなことは成り立たない。
政治の場面では、例えば与党が他者の意見に耳を傾けず独善的な動きをすれば、野党側もヒステリックに反応することで、その対立は時間を経るごとにエスカレートする。
他国のことはわからないけど、少なくとも日本では上述のような理想は絵空事だ。付和雷同の傾向が強く、議論が成立しない日本人にそのような理想ができようはずがない。
そんな歴史的なことを言わなくても、Web上でも片方が極論ともいえるような内容を声高に主張し、他者はヒステリックに反応するか、無視をするという光景はよく見る。とくに現在は、Webなどの発達により意見を主張するハードルが下がっているから、そういう光景が多くなり、両者の間の溝は大きくなるばかりである。
Webの発達した現在では、そのような他人との精神的な溝を自覚しやすくなっている。つまり、他人の理性や道徳を信用しにくくなりやくすくなっているのが、現在なのではないか。
現在のような状況では、民主主義に対する疑問が出てきてもおかしくはないと思う。とはいえ、他者の意見を軍事的に潰すような政治形態は論外だ。
第1の差別 ⇒人種、性別、身体障碍、容姿の美醜などの【外見(肉体の構造)】による差別
第2の差別 ⇒思想、信条、出自(階層)、精神疾患などの【内面(主体の構造)】による差別
第3の差別 ⇒一発勝負の「筆記試験強者」が優位とされる公認された【知能】による差別
「第1の差別」「第2の差別」の超克のために導入されたのが「第3の差別」!?
差別根絶は不可能なので、公認(容認)された「第3の差別」によって他の差別を相対化(弱体化)させる?
「毒をもって毒を制す」? 007の殺しの許可証(ライセンス)ならぬ、「差別の許可証」!?
ドラッグ根絶は不可能なので「大麻解禁」するという発想に似ている?
SNS環境では、高学歴のインテリやリベラルの皆様が「第1の差別」「第2の差別」をする者を激しく
罵倒していらっしゃる場面に遭遇しやすい。「第3の差別」は《最悪の差別形態》と言うことが出来る!?
https://ja.wikiquote.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9
>これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で
>試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、