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はてなキーワード: 古代ローマとは

2020-09-21

anond:20200921132602

居酒屋で飲み食いしてトイレ電信柱で吐く文化として残っている。コロナで打撃を受けているが。

現代日本の平凡な学生サラリーマン文化水準は古代ローマ貴族と同等以上なのだ

anond:20200920164453

古代ローマ貴族の間でメジャーだった腹一杯まで食べ、吐き気を呼ぶために孔雀の羽で喉奥をくすぐり、そしてまた食べる娯楽

2020-09-16

anond:20200916123723

それナチス障害者とか殺す正当化の為に本来意味真逆にして広めたらしいよ

↓以下コピペ

健全精神健全な肉体に宿れかし」(古代ローマ時代詩人ユウェナリス言葉)『あんなに素晴らしい肉体を持っていて・・肉体は健全なのだから、その中にある魂も健全であるべきではないか。』という意味で、ローマ帝国政府蔓延していた汚職軍人にも浸透しその状況を見たユウェナリスが発した言葉です。

健全な魂は健全な肉体に宿る』というのは、ナチス軍国主義を強化させる為ユウェナリスが発した言葉を歪曲してプロパガンダに利用したものです。ナチスの極悪優生思想の核。

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-08-28

anond:20200828105349

古代ローマでも古代ペルシアアラブアジアにも少年愛普遍的存在して、文化の一部になってたぞ

日本でも州道なんかは都市部文化になってたし、西洋文化ルール流入によって嫌悪されるようになったんだぞ

枝葉の話、しかも間違った思い込みに基づく話にこだわるあたり、現実から逃げてるだけだな

2020-07-09

anond:20200709160301

お互い戦争して潰し合ってもOKって理屈にしちゃうヨーロッパ連邦みたいなことになるぞ

あっちも各国間でコミュニケーション取れてるわけだし

からってドイツが「古代ローマ建国紀元前753年から続いてる」って言い出したら、「はあ?」ってなるだろ

2020-07-03

映画テルマエロマエ

現代人の女が古代ローマに行ってタイムパラドックスがどうのこうの言ったり

なんか泣いたりする部分いらないな

風呂の話で乳出さない女とかなんなの

木の実ナナ呼んで来いよ

2020-06-20

ルビコン川?

いつも思うんだけど、ルビコン川のたとえってピンと来ないのって俺だけかな?

ルビコン川とは、古代ローマ時代ガリアイタリアとの境をなした川で、ルビコン川より内側には軍隊をつれてはいってはいけないとされていた。

違反すれば反逆者として処罰されたが、ユリウス・カエサル大軍を引き連れてこの川を渡りローマへ向かった。

カエサルは「賽は投げられた」と叫び元老院令を無視して渡河したという故事に基づく。

このことから、もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすことをいう。

出典を読んでもピンと来ない。

それよりヨルダン川を渡る方が有名な気もする。

イムジン川は渡らないんだったか五木ひろし信濃川、じゃなくて千曲川か。ていうか川て。渡るて。

2020-02-23

anond:20200223200531

からたとえば「部下に調べ物を頼むときなんて言う?」みたいな話で

シーザーについて調べて」とだけ言う奴は論外、

「caesarについて海外資料を調べて」はさすがに仰々しい、

ローマシーザーについて調べて」くらいが普通

語弊を防ぐため慎重に言うなら「古代ローマのあの有名なジュリアス・シーザーについて調べて」くらいかな。

まあ概ね「ローマ シーザー」で事足りるであろうという感覚を持つべきだろ。

2020-01-17

anond:20200117182217

2020-01-14

世界史日本史の学び方

興味はあって大きめの本屋に立ち寄ると

つい活字主体の堅めの歴史本を買うのだけど、

毎回、序盤も序盤の古代で匙投げちゃう

文明が栄えてきて宗教が乱立して、

色んな派閥勢力争いし始めると、

途端に頭がショートして睡魔に負ける。

学生時代と同じく事実の列挙だと全く楽しくない。

やっぱ小説映画マンガゲームの方がいいのか。

なにか良い方法ねえですか?

古代ローマ史に詳しい奴とかたまに居るが、

どうやって知識を会得したんやろか。

2019-12-28

anond:20191228162430

古代ローマゲリラ戦との遭遇で重装歩兵から小回りの効く剣での散開を重視するようになったこ

当然それらは他の時代地域でも当てはまること

これだけで君の発言の全てが否定される

歴史も知らないのにリアルじゃないとか言い出すアホっぽい人どうにかして欲しい(キッズは免罪する)

2019-12-03

anond:20191203153843

古代エジプトとか古代ローマとか日本草履みたいなのもあるし、いわゆる「ローマサンダル」みたいなのもあるから別に絶対違う」って言えるほどでもない

2019-11-22

anond:20191122091657

え? 何? 古代ローマの話なのになんで日本人を出すんだ、ってか?

anond:20191122091657

ついこないだ、こんな記事があったのにな

https://www.nanigoto.net/entry/2019/11/19/131011

中世どころか古代ローマ時代の段階で

ヨーロッパには多様な人種民族が混在していた

ことにローマ地中海で対岸のエジプトは縁が深かった

ローマ人は大量にアレクサンドリアだのチュニス移民して現地民と混血してる

エジプトからさらちょっと奥に行けばもう黒人がおる

フィレンツェだのヴェネツィアだのイタリア半島諸国による地中海貿易の全盛期には

北アフリカ出身者もさかんにヨーロッパに来ておったらしい

まあそのへんになるとルネサンス期の15世紀ごろの話になるが

8世紀人間だったカール大帝中東イスラム王朝と国交を持ってた

西欧中東の間に挟まってるビザンツ帝国に対する牽制意図もあった)

からアラブ北アフリカから外交使節が来ることはたびたびあった模様

ヨーロッパ人にはアラブ北アフリカ出身者との混血も確実におったろう

2019-11-15

anond:20191115224110

まあ実際人間ってその方が幸せだよね。

古代ローマがまさにそんな感じの社会だったわけだし。

労働奴隷仕事市民パンとサーカス無償で与えられる。

これを機械で実現してはじめて現代社会古代社会を越えられる。

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