「マシン語」を含む日記 RSS

はてなキーワード: マシン語とは

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2015-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20150116031439

viemacs新規言語作ったわけじゃない。

viqededexviと元々存在した別のエディタから派生している。

emacs採用したlisp世界で2番目に古い高級言語。(1番目はFortran。それ以前はマシン語アセンブリ言語だけ)

ちなみに昔はlisp計算機工学を学ぶ上での必須教養だった(つまり使い手が多かった)からマクロ言語として選ばれたのは必然

あとlisp以外の言語を使えるemacs亜流もあった(過去形)はず。

2010-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20101112174457

横だが、俺もその世代。

あのころはタダでゲームさえ出来ればなんでもよかった。

アルファベットの読み方もよくわからないのにIFだとかTHENだとかよく打ち込んだもんだ。

しまいにゃ「とにかく速いマシン語ゲーム集」のなにが書いてあるのだかさっぱりわからない16進数の羅列を打ち込んだよ。

MSXマガジン、MSXFAN、マイコンベーシックマガジン、わが青春

2010-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20100408195306

コンピュータ言語世界だと、ハードよりの方がメタな感じ気がする。

結局全部マシン語で実行されるわけだし!

ほらメタだ!

2010-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20100224234229

JAVAを最初に学んでその後に現場で実際に用いるであろう言語(例えばPHP+SQL)を習得するといったルート現実的なのだろうか?

できはするけど、最初からPHPいいんじゃない

いろいろ言う人はいるけど、PHPでも、問題ないよ。

ただ、欲をいえば、PHPモジュールC++で書く拡張機能あたりをちゃんと勉強しておいたり、ちゃんとコードチューニングして行けば勉強になると思う

SQLはただ使うんじゃなくて、データーの正規化やインデックスなんかをきちんとマスターしておくと、違う感じ。あとは、ストアードプロシージャ

 

>上記のケースで前段階として学ぶ言語はどの程度のレベルまで到達する必要が有るのか

というか、本気で学ぼうとすると、トランジスタから始まって、フリップフロップレジスタ、アキュムレーター、バスの配線、クロックというハードの構成がどうなっていて、

それに対応するマシン語があって、それがニーモニックに変換されて、

そこにスタックという概念が持ち込まれて、レジスタスタックに退避するという概念が生まれて、関数コールができて、C言語が生まれて、さらにそこにthisポインタコンパイラ自動補完して関数テーブルを保管することでオブジェクト指向というか、C++ができている。そこに(Cの世界に)BNFなどの構文があって、それを構文ツリーにするBisonなんかがあって、PerlPHPができている。

という、なぜC++オブジェクトポリモルフィズムができるのか?というソフトからハードまでを一貫して知る必要がある。

そこまで理解していると、コードレベルは確かにハンパないレベルにはなるけど・・・。正直、業務には必要ないというか、そんなクオリティーの仕事が少ない。

やりたければ、やってもいいけど、PHPからやったら?そして必要になったらPHPをCで拡張するという形でCに入ると良いと思うよ。

やりたい言語をやるのが一番だ。

でも、本気で知りたいなら、死ぬ気でアセンブラをやれ。それがすべての始まり。

わりといえば、普通に大学入って、授業を真面目に受けた方が早い。

 

>そもそも実際に現場で使用することを想定した言語で、今から学ぶのに本当に適しているのは何か?

PHPでいいでしょ。大差ない、むしろ、自分が気に入った言語で、どれだけコードを沢山書くか。日々の鍛錬。

もちろん、PerlでもRubyでもお好きなモノで。

金がほしいなら、むしろ技術力より営業努力

ちなみにWeb系といわれたから、ライトウェイトな言語を中心に考えたけど、つぶしが効くのは意外とJavaC++であることも。書いておく。

2009-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20090513123408

そういう最新ゲームを作っているのは、

PC-8001 やら FM-7 やらの時代からマシン語を直接入力してゲーム作成を覚え

今はゲーム作りを生業としている労害世代やその教え子・部下だ。

ガタガタぬかすゲームなんざ取り上げちまうぞ!

2009-01-11

年明けに大掃除した。

年明けに大掃除したら、実家から持ってきた書籍の中に小学生の時に

初めて購入したパソコンマニュアルが入っていた。

サンヨーパソコンWavy6とか書いてある。

その中にチラシが入っていたのだが

「お知らせ

 本機は日本電信電話公社より認定をうけており、キャプテンユニットMPC-CAP1などの機器との組み合わせで

 ビデオテックスターミナルとしてご使用頂けます。」

とか書いてある。

キャプテンユニットってなんなんだろう・・?

CAPTAINシステムと何か関係あるんだろうか。

ビデオテックスターミナルってなんなんだろう?

当時はこんなチラシ見もせずにBASICとデーレコばかり操作していたからな。

このチラシが何を意味する物なのか今となっては謎になっている。

それよりも、その他にもBASICマニュアルなんぞ出てきたのだがEOFとかBSAVEとかON SPRITE GOSUBとか理論演算子とか掲載されてる。

おかしいなぁ・・小学生時代にはこれも覚えてスプライトを駆使してマシン語を16進数で作成、3色キャラクタなんぞを作ってBASIC

プログラムを作って遊んだはずなのに。今ではすっかり忘れてしまった・・。

あのままもっと色々とやっていれば勉強できたのかなぁ。


そんな自分も今では派遣切りに合い、正社員にもなれない無スキル無職男になってしまった。

自分の頭のスペックはZ80Aで止まっているに違いない。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081111053810

同じくITで半端なWebデザインやってるもんだけど。

ああ・・ベーマガとかテクポリとか懐かしいな。

昔は円を一つ描くだけでも、だらだらとしたBASICマシン語が必要だったのにな。

でも、その苦労が楽しかったんだよな。

信長とか殆どBASICだったからLINE文でちんたらちんたら描画して、BREAKキーかなんかでプログラムストップさせたら

まんま、ソースコード丸見え。

で、まぁ・・そこで信長名前や表示コメント変えたりしてオリジナル信長の野望プレイした。

ハイドライドくらいまでくると、殆どマシン語なっちゃったからいじくれなかったけどPSG3和音

音楽は今でも耳につくな。

2008-10-11

私のプログラム

初めは小学生の頃か。

実物のスペースインベーダー記憶はない。

しかし、それを皮切りにアーケードゲームのみならず、ゲームウォッチ、ケームセンター嵐などを経て、ファミコンが登場する「ゲーム」の時代だった。

「ゲーム」コンピューターゲーム意味になった時代だった。小学生も「コンピューター」にワクワクした。

21世紀コンピューターにより人工知能ができる。そんな時代だった。

でも、アルファベットを知らない小学生BASICは難しかった。ぴゅう太がせいぜいだった。

中学生学校PC-9801があった。後のパソコンである。

PRINT」で文字を表示する。「GOTO」で行き先を変える。それは分かった。でも何をすればよいか分からなかった。

だから「ベーマガ」で16進数を打った。でも動かなかった。何度も調べ、直し、試した。デバッグした。

してようやくゲームが動いた。ゲームはつまらなかった。

でも動いた。自分の入れた文字で数字でコンピュータが動いた。自分で動かした。動かせた。

BASICで線を引きマシン語で文字を動かした。

高専に進んだ。Turbo Pascalコラムスもどきを作った。

初めてフルスクラッチで書いた。配列も使った。

小学生のころから6年が過ぎていた。

Turbo Cも使った。IDEで使うそれは、インタプリタのノリだった。

FM-Rレイトレースもした。一晩かけて、エラーが起きていた。

でも、構造プログラミングを学んだ。ポインタも学んだ。マシン語の知識が役立った。

Solarisも使った。EmacsやXも使った。オブジェクト指向も知らずC++にも触れた。

GC構造体を代入して使い回し、Xサーバを落した。

家のノートFreeBSDを入れた。rootになった。

awksed正規表現を学んだ。そしてperlに出会った。

コラムスもどきを作ってから6年が過ぎていた。

テレホーダイにした。Mewを使った。チャットをした。

perlで掲示版の書き込みをチェックし、madokaで遊んだ。CGIを書いたりした。

脆弱性を見つけた。作者にメールした。ドキドキした。

perlと出会ってから6年が過ぎていた。

オープンソースプロジェクトに参加した。

はてなに出会った。JavaScriptに出会った。

BookmarkletgreasemonkeyAjaxオブジェクトだらけだった。

初めはゲームだった。でも最初だけだった。

ハードを叩き、ライブラリを叩いていた。

サーバを叩き、ブラウザを叩いてきた。

気が付いたら24年が経っている。

今、pythonで書いている。

ようやく、言語の違いには慣れてきた。でも、まだLISPを使った事はない。

道はまだまだある。未知の世界につながっている。

作りたい物が本当は何かは分からない。作れる物が本当は何かは分からない。

でも、何かがあるような気はする。だからプログラムしてみる。

どんなふうに動くのかは分かってない気がするけれど、分かっている事もある。

今も「コンピューター」にワクワクしている。

それが今の私のstatusだ。

http://anond.hatelabo.jp/20081011173016

2007-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20071108162043

なんだっけ、「マシン語を知らないやつは人間じゃない」みたいなのあったよねw

2007-09-29

Web アプリケーションの本質っぽいもの

Web アプリケーションの作り方を教えてくれないか。

いま、自分でちょっとした Web アプリケーションなるものを作り始めたところ。プログラミングは前から趣味でいろいろやってたけれど、大学に入ってからはほとんど数値計算でしか使ってなかったから、とても新鮮な感じがしている。楽しい

ところがちょっとでも規模が大きくなると、とりあえず MySQL が必要になって、 Perl とか Ruby とか PHP とか Python とか ... なスクリプト言語をもっと詳しくしる必要が出てきて、そしてそれ上で動くフレームワークを選んで理解して、さらに HTML とか CSS とかで表示させて、JavaScript リッチユーザインタフェースを... なんて具合に、やらなきゃいけないことが急に増えてしまいます。どうしたらいいんですか?

HTML とか CSS仕事っていうのは、刺身タンポポを乗せる仕事なんですか?勉強するだけ無駄ですか?でもこの知識がなかったらみっともないデザインなっちゃいますよね。

フレームワークに頼って MySQL を学ばないなんて邪道ですか? Rails を信用しちゃだめですか? Django はどうですか?さすがにマシン語で書け、なんて言いませんよね。

それにセキュリティの知識も必要ですよね。SQL インジェクションとか、XSS とか CSRF とか、聞いたことあるけど意味なんて知りません。こういうのをちゃんとしてないと、悪用されたりしちゃいます?

C10K とか I17N とか L10n とか、もう許してください。

ここで書いたようなことが全部できないと、Web アプリケーションを作ることができないのでしょうか。

もしそうでないのなら、どの知識が必須で、どの知識は必須ではないのですか?

Web アプリケーションの本質ってなんですか?

っていうのを疑問に思ったけれど、そういう技術の寄せ集めでできているってところが Web アプリケーションの本質なんだろうなぁ。たぶん。

2007-09-23

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070921

マシン語の話

まず

バリバリアクションゲームエンジンプログラマ

組み込み業界についてはここでは置いておく。

残念ながらその辺は自分はあまり語る資格がない。

だいたいそういう人達は人ハードウェア知識云々をもとより人から言われるまでもないだろうし

shi3z氏が檄を飛ばす想定読者もおそらく俺のようないわゆる受託業務システム開発を

しているような人間たちだ。

べつに低レベルアーキテクチャの知識はあればあったで困らないのは事実だし

プロなら最低限は知っとくべきレベルというのは実際あるし

無駄だと言う気はまったくない。

ただ

もし、仕事でその知識を認められたい、あばよくば給料キャリアの足しにしたい、

などという下心があるのなら、下記のことは知っておくべきだ。
『少なくとも自分のいるチームのNo.1にならなければほとんど評価すらされない。』

はっきり言うと俺らの世界では

氏のいうようなレベルバイナリハッカーはチームに一人。

規模と場合によっては会社に一人か二人いれば十分なんである。

ある意味ではフルタイムで雇うほどの需要すらないとさえいえる。

たまに必要なときだけ相談したり調査を頼めればすんでしまうわけで、

そういうバイナリハッカーも普段は他のプログラマと一緒に

地味なプログラムを組んだりしてるのだ。

ましてチーム全員がプロファイラやデバッガを使いこなせる必要なんか全然ないんである。

上で書いた「プロとしての最低限のレベル」ってのは

バイナリハッカーに相談すべきときに相談できる判断力があるかってことなんである。

(故にそれはできて当たり前であって評価の対象にはならない。)

しかし別の面から見ると

shi3z氏みたいなバイナリハッカーだけでは全然足りないのだ。

SQLクエリがくそ遅くてどうしようもないとき

DBのインデックスパラメータ最適化や分散設定ができるやつは身近にいるか?

ネットの負荷が問題になったとき

Apacheルータ、ロードバランサの設定や専門家は回りにいるか?

先輩から教わったCVS(やSubversion)の使い方がどうもgoogle様の

ご宣託と違うような気はしないか?

バグだらけのExcelマクロから吐き出される設定ファイル

共通ライブラリやお仕着せのフレームワークの仕組みや動作に疑問はないか?

tracのようなBTSを導入、管理できる人はいるか?

Excelバグ管理はもういやだ)

OS,開発環境ミドルウェアの導入、設定、管理、

等など、、、

状況によっては

残念ながら上記のような専門家が全員そろった

ドリームチーム仕事ができないことも多い。

そんなとき、この業界で少しでもやる気があるのなら、

むしろ自分にとって手の届くニッチ(はまりどころ)があると喜ぶべきかもしれない。

上記のほとんど全部をこなせるような人間が稀にいないわけではない。

しかし臆することはない。

そんなスーパーハッカーでも一日は24時間であり、

目と手は2つづつしかついていない。

人の時間とモチベーションは有限かつ希少な資源であり、

この業界仕事は一人でやるものではないんである。

2007-09-18

Re: マシン語

なにをもって書けるとするかで(ry

Z80はもう記憶の彼方。8086レジスタ構成とか主要な命令は覚えてる気がする。しかし、なにより書く気がしない。

所で http://anond.hatelabo.jp/20070822235722 の2番目とかは不可かな?

マシン語

で、どうなの? みんなマシン語なんかもう書けないの?

2007-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20070915011326

でま、ここからマシン語とかプログラミングの楽しさを子供に教えるのはどうすれば、という話につなげようと思ってたんですが、ちょっと手間な感じなので、あきらめました。

そ、そこ聞きたいのにwwwww!

椅子作ったことあるか椅子

俺はあるよ。いや、でも、完成はしなかった。座るとぐにゃりと接合部が曲がってな。もろくも崩れた。それは作ったとはいわんか。

確か小学生のころの話だ。角材とベニヤ板と釘で作ろうとした。今ならもっとまともな椅子が作れるかな。いや、どうだろう。今も難しい気がするな。椅子は接合部に強度持たせるのが難しいよね。筋交いで補強すればいいのかね。角材の上にベニヤ打ち付けて箱にしちゃえばある程度丈夫になるか。あんまり美しくないなあ。

素人の設計って必ず現実の前に挫折するよね。あ、しませんか? 俺が頭悪いだけ? 自分が初めて釣った棚は見事に落ちましたが。

まそんなわけで工作は下手だ。下手だけど好きだ。なんかいろいろ作る。無駄な改造をしたがる。半田ゴテとかもたまに握る。ホームセンター行くと燃える。まあ、男の子はだいたい燃えると思うが。

でま、ここからマシン語とかプログラミングの楽しさを子供に教えるのはどうすれば、という話につなげようと思ってたんですが、ちょっと手間な感じなので、あきらめました。

2007-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20070914115225

駄文長文注意<

意識されている「きっかけ」が変なので報告してみる。

現在22歳、修士一年情報系。

プログラミング歴約6年。

小学校高学年くらいから、父の職場で使われてたPC98で、Notepadに文字を打つのが単に好きだった。

一文目は、「宇治お茶は美味しい。」

なんでだったかよく覚えてないけど。

で、別にプログラムなんか興味なくて、中学校ときに「技術・家庭」の授業でBASICをいじるのが一回だけあって、女の子数人に「すごーい!教えて!」って寄ってこられたのは気分が良かったが、特に面白いとは感じなかった。

高校は世界系とかファンタジーラノベばっか読んでた。オーフェンとかブギーポップとか、好きだったのはDクラッカーズ

プログラムと何の関係があるの?」

と言われそうだけど、こういうのが原点だったと自覚している。

小説って世界を数百ページの紙の中に構築するわけだ。

僕は想像力が豊かっていうか、ちょっと”イタイ”人っていうか、

読んだあとはラノベの世界がかなり身近に感じられてもうワクワクがとまらない人だったから、

自分も作り手になりたいと思った。

ほどなく、プログラムも、

「世界を作る」ツールだって認識して興味がわいたのね。

その時分は作れるものがかなり限定されていたけど、

大学もVirtual Realityに興味がわいて工学部に入ったわけで、

VR空間をプログラミングできたら!とか思ったんだ。

まあ多くの方はご存知のとおり、そんな段階じゃないんだよねあの分野は。

大学入ってすぐは社会学に興味もったりしてたわけで、興味はプログラムから離れていた。

一年Javaプログラミング授業とかやったけど、別にそんなに楽しくは無かった。

書き忘れたけど、高校とき図書館の本でHot Soup Processorに触れている。

英単語覚えるのが苦手だったので、学習ソフト作っただけ。

”日常を変える”プログラミングの楽しさをはじめて知ったのはこれだった。

そんなこんなで苦手ではなかったけど、大学3年のときプログラミングとかも、

ちんたら遅いし、できることは大して増えないし、面倒だし嫌いだった。

ってか今でもそうだけど、光る箱に一人でカタカタやるってのが性に合わない。

        *'``・* 。
        |     `*。
       ,。∩      *    こんな感じで
      + (´・ω・`) *。+゜
      `*。 ヽ、  つ *゜*
       `・+。*・' ゜⊃ +゜
       ☆   ∪~ 。*゜
        `・+。*・ ゜

プログラム組みたいわけだ。僕は。

で、卒論になって、指導教官希望順の関係でばりばり情報系のとこに配属されて、

Perlでやることになって、まためんどくさいなぁと思いつつやったわけ。

モジュールを使うことを覚えた分、ちょっと理想に近づいたけどね。

昨日まで彼女がいたりした僕は、大学入って4年間でちょっとはリア充さを身につけたので、

”(虚構)世界を作る”から”日常を変える”ほうに興味は移り、今に至る。

そうそう、高校は家から通学だけで2時間半かかる男子校だし、友達も少ないし、「非リア充」だったから、その状況では、”日常を変える”ことで幸せになるより”世界を作る”ことで幸せになるほうが簡単に思えたのね。

今は逆。

だらだら喋ったけど、結局プログラムは僕にとって手段でしかありません。

最近ホットエントリにあがってるマシン語わかんなきゃいけないとか「はぁ?」って感じ。

        *'``・* 。
        |     `*。
       ,。∩      *    こんなプログラミング
      + (´・ω・`) *。+゜
      `*。 ヽ、  つ *゜*
       `・+。*・' ゜⊃ +゜
       ☆   ∪~ 。*゜
        `・+。*・ ゜

が理想なんだから。

自分の手で作りたい何か、変えたい何かがあるって方が、

手段たるプログラミングに興味持つことより重要な気がします。

http://anond.hatelabo.jp/20070914144835

人権擁護法案騒動の時に

安倍ちゃんが後押ししてくれて助かったこと、

助かったと思ってた層と

総理就任からずっと叩きまくってて、辞めたら辞めたで喜んでて

安倍を叩いてる層

2ちゃんねらに多いし、まとめて話すのは別にいいんだけどさ、それぞれが同じ層とは匿名だからわかんないんだよね。

別の層だったら何も矛盾はないし酷いこともない。

個として扱うから無意味に怒り出す。意味ないんだよ、マーケッティングしてるわけじゃないんだからさ、あの層がこれだからどうだとか言うのはさ。

男女論争もそう、マシン語を知らない子供たちもそう、この層はこういう人でっていう個を与えるのは意味が無い。

伝えたければ、もう語るのをやめてください。

d:id:shi3z:20070913

言いたいことはわかりますよ。スタックを知っていれば、レジスタを知っていれば、メモリ管理の仕組みを知っていれば… そういう知識があればあるほど、問題に遭遇したときの解決が早くなる。

そういった事の体験学習の道具としてマシン語(というかアセンブリ)を薦めたい気持ちもわかりますよ。

でもね。煽りすぎなんです。あなたの文章は、「これは、こういう仕組みになっています。これの意味は、こういう事です」の後に必ず「こんな事も知らない奴は」「絶対に知っておくべきだ」という脅しをかける。だから攻撃的でイヤミになるんですよ。

あなたは、その文を読んだ人が「チクショウ!」と思って勉強することを期待しているんでしょうが、現実は「こんなイヤミな奴の言うこと聞きたくない」の方じゃないですか? そうして若い人たちがマシン語に背を向けてしまったら悲しくないですか。

思い出してください。マシン語プログラミングの主役だったあの時代、なぜ人々はわざわざマシン語を選んでいたのか。“オールBASIC”のプログラムでは逆立ちしても実現できないことが、マシン語ならできる。家のPC-8001ギャラクシアンが動く。それに感動して、あのスパイ乱数表みたいなリストを打ち込んだんでしょう。どこかのイヤミな野郎にケツを叩かれて始めたわけじゃないでしょう。今はそれがRubyだったりJavascriptだったりするわけです。

マシン語を知らない子供たちも、プログラミングの喜びは知っています。だから、もうやめてください。

かつてのマイコン少年より。

id:motomachi24

匿名相手じゃなくてもキツいことは言えるみたいですね。というか、キツいことを言えるのが嬉しいんですか?

2007-09-12

A+D=Pを知らない子供たち

あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、マシン語を理解したからって「書ける」ものではないのです。

プログラムが書ける、という状態は「物事の仕組みを抽象化する」という状態の延長線上にあるべきで、それを理解していないということは仕組みを理解していない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。

最近はLLと呼ばれる、いわゆる軽量スクリプト言語メインになってきていますし、僕も普段はRubyプログラムを書くことが増えてきましたが、このおかげでますます、コンピュータというのはマシン語で動くものではあるが、プログラムマシン語というバッドノウハウの塊から脱却して、やりたいことそのものを表現できるようになったと思いを強くしています。

その意識がないと、たとえRubyJavaScriptコードを書いていても、不可解な動きをしたり、あとから自分や他人がコードを見直したときに「なぜこんな風に書いたんだろう?」ということがピンとこないことになります。

まだ大学に入って無くて、趣味プログラミングを楽しんでいる若い人たちには、ぜひアルゴリズムデータ構造を勉強してみることを勧めます。

最近は素晴らしい時代になったもので、ごく初歩的なアルゴリズムデータ構造は言語の標準ライブラリでも使うことができます。

しかし本格的にこれらで遊びたくなったら、内部実装を読んだりポインタだけで書いてみるのがお勧めです。

(中略)

さらにいえば、これらのさらに下のレイヤーである数学を理解しているとさらに理想的です。

最後に参考文献をまとめておきます。

ただ読むだけでもとても面白い本ばかりです。

アルゴリズムイントロダクション 1〜3巻

SICP

・解析概論

2007-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20070911184508

マシン語が終わって 僕等は生れた

マシン語を知らずに 僕等は育った

おとなになって 歩き始める

平和の歌を くちずさみながら

僕等の名前を 覚えてほしい

マシン語を知らない 子供たちさ

若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が薄いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙をこらえて 歌うことだけさ

僕等の名前を 覚えてほしい

マシン語を知らない 子供たちさ

青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の すてきな人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

きれいな夕日が 輝く小道を

僕等の名前を 覚えてほしい

マシン語を知らない 子供たちさ

マシン語を知らない 子供たちさ

http://anond.hatelabo.jp/20070911184508

マシン語ぐらい知ってても確かに損はしないな、と思うけど

勉強に薦めるならx86は止めて欲しかったよ。

MIPSがいいよ。命令セットが簡潔できれいだから。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん