はてなキーワード: 邪道とは
3周年での新要素やサプライズに一切触れることなく、勝手にネット右翼ネット左翼バトルに持ち込んで盛り上がってんの、本当はてなユーザーの悪いところ全開って感じで滑稽
しかも開発者レターの記事じゃなくてコタツ記事に大量ブクマとか馬鹿の馬鹿みたいな馬鹿騒ぎとしか言いようがない
もっと3周年回のぱかライブTVの面白さとかドゥラメンテとかイクノディクタスとかオルフェーヴルとかジェンティルドンナとかスティルインラブとかラインクラフト世代のティアラ路線をメインに据えたメインストーリー新章とかで馬鹿騒ぎできませんか
ウマ娘って今や、日本競馬界の生産を牽引している吉田照哉・勝己兄弟ですら好意的に触れてくれてるんですよ
キャロットクラブがシーザリオの参戦を記念して会報でウマ娘特集を組むくらいなんですよ
加藤和宏調教師がウマ娘のシリウスシンボリ(騎手時代に騎乗しダービー制覇)で一喜一憂してるくらいなんですよ
JRA馬事文化賞をやってもいいのでは?って話も出るくらいなんですよ
「競馬ガチ勢に言わせればウマ娘は邪道!」なんて言ってたら「まだそこで止まってるんだ…」って呆れられるくらいなんですよ
そういうモチーフとの友好的な関係が出来上がっているからこそ、二次創作やるときは気を付けてねって念を押して触れているわけです
大半の人が守ってる一方、XでAIエロを軽々しく上げてるやつもいますからね
そんな背景もわかってないで明後日の方向でレスバトルしてるはてなユーザーの方々、どうか冷静になって静かにコンテンツを見守ってもらえると幸いです
日本を代表する世界的指揮者の小澤征爾さんが死去された。ご冥福をお祈りしたい。
だがよく分からないのは、なぜ小澤征爾が世界的に評価されたのか?である。
長年にわたってアメリカの名門オーケストラであるボストン交響楽団のシェフを務め、後に世界三大歌劇場の一つであるヴィーン国立歌劇場の音楽監督に任命されたのだから、欧米で高く評価されていたのは事実だ。
だが小澤征爾の演奏を聴いてもそこには指揮技術の巧みさは感じるが、音楽表現に個性が感じられないのである。音色的に白色に近い透明で、蒸留水のような無味無臭な感じがする。
例えば、クラシック音楽のオーケストラのメイン・レパートリーはまず第一にモーツァルト・ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーといったドイツ・オーストリアの交響曲であり、そこにやや邪道のマーラー(オーストリア)とRシュトラウス(ドイツ)が加わり、その周辺にチャイコフスキー・ムソルグスキー・プロコフィエフ・ショスタコーヴィチなどロシア・ソ連音楽、スメタナ・ドヴォジャークといったチェコ東欧音楽、グリーグ、シベリウスなど北欧音楽、ドビュッシー、ラヴェルなどフランス近代音楽で構成されている。
で、その最もメインのモーツァルト・ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲を聴くとき、その素晴らしさを味わうならばワルター、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、アッバード、ラトルといった指揮者で聴くのが普通だ。日本人指揮者で聴くなら、朝比奈隆や小林研一郎を聴くというのも分かる。
ベートーヴェンやブラームスの交響曲のような最も王道の曲目で、あえて小澤征爾の指揮した音源を聴くという人は、どこがどう良いのかを自分の言葉で説明して欲しい。
「ボストン交響楽団やヴィーン国立歌劇場のシェフに任命されたんだから欧米では高く評価されているんだよ。だから素晴らしいのは間違いない」みたいなのは一切禁止な。それは自分の耳で素晴らしさを認識したんじゃなくて権威の意をかる狐だから。
俺は下戸なので、ウイスキーについて何も知らなかったが、ウイスキーには味や香りの違いがあり、それこそワインのようにテイスティングを楽しむ、または楽しめるお酒なのである。
今、「楽しめる」という文言を追加したが、過激ハイボール派へのエクスキューズである。
ウイスキー派とハイボール派の区別の仕方であるが、ウイスキーを炭酸で2倍から3倍で割り、氷で冷やして飲むことをハイボールと呼び、ウイスキーを基本ハイボールで飲むことを好む者をハイボール派と呼び、それ以外のウイスキー愛好家をウイスキー派と分ける。
この対立は、コーヒーのブラック派とミルク・砂糖派と同等である。ただし、一点違いがあると考えている。
どういうことかいうと、ウイスキーを飲み、動画やブログで情報発信する者は、その味や香りの違いなどを楽しみ、個人の感想を発信しているのである。
ウイスキーにはワインのような味わい、香りが千差万別のお酒なので当然であるが、ハイボール派は炭酸で割って薄めているのである。
ワインを薄めて飲んで、その味や香りを批評するものがいるだろうか。
勘違いしないでほしいのだが、ハイボールという飲み方を否定するわけではないのである。多くのハイボール者は、「好きに飲んで何が悪い」と反論してくるのだが、そこを否定していないことを断っておく。
仰せの通り、好きに飲めばいい。
ただし、味や香りの違いを楽しんでる風に発信するのはおかしいだろうと言っている。
ハイボール派が好きなのはアルコールであり、飲酒行為であり、ジュースのようにゴクゴクと飲みたいからハイボールを飲んでいるだけで、味や香りがどうこうの門をくぐってはいないだろう、という点を指摘したいのである。
むしろハイボール派はウイスキーを薄めなければ飲めないのであろう。当然である。概ねアルコール度数は40度のお酒をゴクゴクとは飲めやしない。舌も喉もキツイ。ウイスキーが飲みたいのではなく、ゴクゴクと喉に流し込むアルコールが飲みたいだけなのであるから。
それはそれで良い。それは正しくビールの飲み方であり、ビールは大正義のアルコールである。それを批判する者はいやしない。
しかし、香りや味の違いを感じたいとは思ってはいないであろう?
冒頭でコーヒーの話をしたが、私はコーヒー党である。飲むたびに豆を挽き、ハンドドリップで飲んでいるが、別に砂糖ミルクを入れる飲み方を否定しない。カフェオレを邪道とも思っていない。
ただそれは、ブラックで飲まない者たちが豆に拘っていないからである。僅かな味や香りの違いを気にしていないからである。
単にカフェインを接種したいだけの者や、お茶という気分ではない時の飲み物として選んでいるだけで、ドリップの仕方、豆の煎り具合、挽き具合、そのような点に、言及しないものたちが多いからである。
しかし、ことウイスキーになると、なぜか炭酸で割りながら酒の品種にこだわる。
味はどうだ、香りはどうだ、と。
ハイボールは飲めばいい。冷えた炭酸でゴクゴクと飲める素晴らしい飲酒である。だが、あなたはハイボールを飲んでいるのであってウイスキーを飲んでいるわけではない。
ふわとろみたいなクソ簡単な邪道やんないで漢なら王道いけよ。王道巻けないババアのキラキラオムライスなんか作ってんじゃねーよ。
https://parlour.shiseido.co.jp/img/restaurants/traditionalmenu/menu_06_main_pc.jpg
犯罪とかではない。しかし人道にもとるし、なのに誰にも言えないままだと実行してしまいそうなので増田に捨てさせてほしい。
自分には彼女がいる。もう2年同棲していて、結婚の約束もしている。とある事情でもう数年ほど籍は入れられないが、実質的に婚姻状態にある。
この彼女と出会った時の関係は、彼女が配信者、自分が視聴者という関係だった。
配信の参加型企画みたいなもので認知されるようになり、ちょっとした相談から個人的に話すようになり、仲良くなって会うようになり、付き合うようになってこうなった。
この彼女と付き合い出してから自分が背負った性癖(あるいは昔からあったのに気付かされたのかもしれない)に、「NTRやBSSの加害者」がある。(BSSは加害しているかというと微妙だと思うが)
冴えない主人公が想いを寄せるヒロインが、コミュニティの外の人間にさらわれて染められていく様子がたまらない。この時、主人公が情けないほどよい。
明言するまでもなく、自分の境遇を投影している。つまり実在する人間を当て馬のように扱ってオカズにしている訳で、とてもたちが悪いと自認している。なので、性癖を語るようなオープンな場でもあまり明らかにしていない。
この嗜好に関連したものとして、オタクが女性声優などに対して繰り広げるセクハラチキンレースや、コミュニケーションを取ったつもりになろうとしている思いやりの押し付けリプライなどを見たときにも、背筋がぞくぞくとする感覚がある。これらの行動を取る人間を前述のような作品における「優れた主人公」として勝手に見ているのだと思う。
話は変わって、『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームがある。2年前くらい発売の超話題作だが、自分は最近プレイした。
これは、プレイヤーが精神的に不安定なところのある女の子の「ピ」になって、その子が一流の配信者になるよう導くゲームだ。
ノベルゲームのようなゲームシステムではあるものの、唯一無二なコマンドの内容や衝撃的な展開が話題となって、かなりの有名作品になっているゲームだ。
自分はこの作品の魅力の一つに、「インターネットへの解像度の高さ」があると思っている。
ゲーム内に登場する配信のコメント欄やSNSの書き込みは、ステレオタイプ的でもなく古すぎたりもせず、完全に見慣れたインターネットそのままといった様相だ。
インターネットを主題に据えているゲームということもあり、この部分の質の高さは、このゲームの魅力の相当な部分を構成していると思っている。
そして、このゲームの主人公配信者の女の子。そうなると当然、前述したような「BSS主人公適性の高いオタク」の書き込みもたくさん作品内に登場する。そして、それらの再現度も非常に高い。
なので、そもそも作品として自分と同じような嗜好を持つ人間にはよく刺さるゲームであると言えると思う。プレイヤーは「ピ」、つまり彼氏のような存在という設定なので、オタク相手の大量無差別BSS気分を味わうのにとても良い。(もちろん、作品の楽しみ方として邪道ではある)
ところで、話をかなり戻すと、自分の彼女は「元」配信者と書いたが、実は正式な引退宣言を行っていない。
休止宣言を出したまま年単位の時間が経っているというような状況で、休止の理由もしっかりとは語っていない。なおかつ、自分との関係は全く公表していない。
そういう状況なので、未だに彼女には「ファンコミュニティ」のようなものが残ったままになっている。discordサーバーとか。そして、今も時々動きがある程度に人がいる。
自分自身も、元々ファンコミュニティから企画に参加した経緯があり、今もそこに参加したままになっている。さすがに彼女の復帰だなんだという話題に入れるほど厚顔ではないので、ほとんど書き込みは行っていないが。
そしてこのコミュニティ内では、おすすめのゲームや最近プレイしたゲームをメンバー同士で共有し合うことがある。というか、どこのコミュニティでもよくあることだと思う。それに対して既にプレイしていた他のメンバーが反応したり、影響されてまた別のメンバーがプレイして後日感想を話していたりする。
この増田の題として書いた行為というのは、このコミュニティに、そういったなんでもない「ゲーム紹介」的な投稿として、このNEEDY GIRL OVERDOSEをポストする、というものである。
話題作でもあり、コミュニティのメインの話題とも親和性が高いゲームなので、既にプレイしていたり、紹介を見てプレイしようと思うメンバーはそこそこ多いように思う。
そして仮にプレイしたとすると、「特に理由も明言せず」長期休止をしている女配信者のファンということで、この「ピ」に感情移入して遊ぶメンバーも多いだろう。
コミュニティの主を勝手にメンヘラ視して歪めてこのゲームの主人公に投影し、そうしてプレイした感想が自分にリプライされるかもしれない。
このゲームは「マルチ破滅エンディングアドベンチャー」と形容されるようなストーリーを持つこともあり、どう頑張っても衝撃的な展開に出くわしてしまうのに心を痛めながら、必死になんとか主人公の女の子を幸せにしようともがくかもしれない。「俺がこの子を幸せにしなきゃいけないんだ」というふうに。
その時そいつらが頭の片隅でその主人公に投影している女の子は、僕の隣で幸せそうに寝ているのである。
もちろんこんなもんは妄想で、自分が紹介を投げたところでやらなかったり、やっても普通にフィクションとして楽しんで「しんどいゲームだったなあ」と思うメンバーがほとんどだろう。
でも、こんなふうに妄想が進んでしまうせいで、「紹介の投稿をする」というだけで脳に軽く電気が走るような気持ちがある。もしも狙い通りの感想が1個でもリプライされてきたら、卒倒してしまうかもしれない。
ただ、さすがに気持ち悪すぎるし、すごくよくない行為だとも思うので、実行はしないつもりでいる。
やらないために、吐き出してしまおうと思ってここに来た。多分、ここに書いたことで、しばらく経てばこの欲求を忘れられるようになると思う。
以上。非常に自分勝手かつ胸の悪くなるような長文投稿、大変失礼しました。
読んでしまった方、ご迷惑をおかけしました。本当にすみません。
ちなみに、ファンコミュニティにいるメンバーの中に、確かにガチ恋勢がいることは確認している。公の場で温かい呼びかけをしたり、心ないファンをたしなめてナイトをやっているタイプと、DMでちょこちょこ心配の意思を示したり、以前の配信や動画を褒めて「次への繋がり」を作ろうとしているタイプがそれぞれ何人かいる。
犯罪とかではない。しかし人道にもとるし、なのに誰にも言えないままだと実行してしまいそうなので増田に捨てさせてほしい。
自分には彼女がいる。もう2年同棲していて、結婚の約束もしている。とある事情でもう数年ほど籍は入れられないが、実質的に婚姻状態にある。
この彼女と出会った時の関係は、彼女が配信者、自分が視聴者という関係だった。
配信の参加型企画みたいなもので認知されるようになり、ちょっとした相談から個人的に話すようになり、仲良くなって会うようになり、付き合うようになってこうなった。
この彼女と付き合い出してから自分が背負った性癖(あるいは昔からあったのに気付かされたのかもしれない)に、「NTRやBSSの加害者」がある。(BSSは加害しているかというと微妙だと思うが)
冴えない主人公が想いを寄せるヒロインが、コミュニティの外の人間にさらわれて染められていく様子がたまらない。この時、主人公が情けないほどよい。
明言するまでもなく、自分の境遇を投影している。つまり実在する人間を当て馬のように扱ってオカズにしている訳で、とてもたちが悪いと自認している。なので、性癖を語るようなオープンな場でもあまり明らかにしていない。
この嗜好に関連したものとして、オタクが女性声優などに対して繰り広げるセクハラチキンレースや、コミュニケーションを取ったつもりになろうとしている思いやりの押し付けリプライなどを見たときにも、背筋がぞくぞくとする感覚がある。これらの行動を取る人間を前述のような作品における「優れた主人公」として勝手に見ているのだと思う。
話は変わって、『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームがある。2年前くらい発売の超話題作だが、自分は最近プレイした。
これは、プレイヤーが精神的に不安定なところのある女の子の「ピ」になって、その子が一流の配信者になるよう導くゲームだ。
ノベルゲームのような体裁だが、唯一無二なコマンドの内容や衝撃的な展開が話題となって、かなりの有名作品になっているゲームだが、この作品の魅力の一つに、「インターネットへの解像度の高さ」があると思っている。
ゲーム内に登場する配信のコメント欄やSNSの書き込みは、ステレオタイプ的でもなく古すぎたりもせず、完全に見慣れたインターネットそのままといった様相だ。
インターネットを主題に据えているゲームということもあり、この部分の質の高さは、このゲームの魅力の相当な部分を構成していると思っている。
そして、このゲームの主人公配信者の女の子。そうなると当然、前述したような「BSS主人公適性の高いオタク」の書き込みもたくさん作品内に登場する。そして、それらの再現度も非常に高い。
なので、そもそも作品として自分と同じような嗜好を持つ人間にはよく刺さるゲームであると言えると思う。プレイヤーは「ピ」、つまり彼氏のような存在という設定なので、オタクアイテムの大量無差別BSS気分を味わうのにとても良い。(もちろん、作品の楽しみ方として邪道ではある)
ところで、話をかなり戻すと、自分の彼女は「元」配信者と書いたが、実は正式な引退宣言を行っていない。
休止宣言を出したまま年単位の時間が経っているというような状況で、休止の理由もしっかりとは語っていない。なおかつ、自分との関係は全く公表していない。
そういう状況なので、未だに彼女には「ファンコミュニティ」のようなものが残ったままになっている。discordサーバーとか。そして、今も時々動きがある程度に人がいる。
自分自身も、元々ファンコミュニティから企画に参加した経緯があり、今もそこに参加したままになっている。さすがに彼女の復帰だなんだという話題に入れるほど厚顔ではないので、ほとんど書き込みは行っていないが。
そしてこのコミュニティ内では、おすすめのゲームや最近プレイしたゲームをメンバー同士で共有し合うことがある。というか、どこのコミュニティでもよくあることだと思う。それに対して既にプレイしていた他のメンバーが反応したり、影響されてまた別のメンバーがプレイして後日感想を話していたりする。
この増田の題として書いた行為というのは、このコミュニティに、そういったなんでもない「ゲーム紹介」的な投稿として、このNEEDY GIRL OVERDOSEをポストする、というものである。
話題作でもあり、コミュニティのメインの話題とも親和性が高いゲームなので、既にプレイしていたり、紹介を見てプレイしようと思うメンバーはそこそこ多いように思う。
そして仮にプレイしたとすると、「特に理由も明言せず」長期休止をしている女配信者のファンということで、この「ピ」に感情移入して遊ぶメンバーも多いだろう。
コミュニティの主を勝手にメンヘラ視して歪めてこのゲームの主人公に投影し、そうしてプレイした感想が自分にリプライされるかもしれない。
このゲームは「マルチ破滅エンディングアドベンチャー」と形容されるようなストーリーを持つこともあり、どう頑張っても衝撃的な展開に出くわしてしまうのに心を痛めながら、必死になんとか主人公の女の子を幸せにしようともがくかもしれない。「俺がこの子を幸せにしなきゃいけないんだ」というふうに。
その時そいつらが頭の片隅でその主人公に投影している女の子は、僕の隣で幸せそうに寝ているのである。
もちろんこんなもんは妄想で、自分が紹介を投げたところでやらなかったり、やっても普通にフィクションとして楽しんで「しんどいゲームだったなあ」と思うメンバーがほとんどだろう。
でも、こんなふうに妄想が進んでしまうせいで、「紹介の投稿をする」というだけで脳に軽く電気が走るような気持ちがある。もしも狙い通りの感想が1個でもリプライされてきたら、卒倒してしまうかもしれない。
ただ、さすがに気持ち悪すぎるし、すごくよくない行為だとも思うので、実行はしないつもりでいる。
やらないために、吐き出してしまおうと思ってここに来た。多分、ここに書いたことで、しばらく経てばこの欲求を忘れられるようになると思う。
以上。非常に自分勝手かつ胸の悪くなるような長文投稿、大変失礼しました。
読んでしまった方、ご迷惑をおかけしました。本当にすみません。
ちなみに、ファンコミュニティにいるメンバーの中に、確かにガチ恋勢がいることは確認している。公の場で温かい呼びかけをしたり、心ないファンをたしなめてナイトをやっているタイプと、DMでちょこちょこ心配の意思を示したり、以前の配信や動画を褒めて「次への繋がり」を作ろうとしているタイプがそれぞれ何人かいる。
俺は叔父の会社で働いていたんだが、俺には親が早くに亡くなり居らず、
叔父も実子が居ない為、何れは俺に後を継いで貰う、と常々言ってくれていた。
両親を亡くし孤独となった俺を親代わりに育ててくれた叔父を、父の様な存在だと思っていた。
会社の方で大きなプロジェクトに取り組む様になり、俺もそれなりの大役を任された。
もしこのプロジェクトが成功すれば、名実共に俺を叔父の跡継ぎにしてくれると約束してくれた。
「(会社としての)体面、矜持」「社会的な意義」等を重視する人だった。
また、自身が一番働くタイプのトップだった為、部下らにもハードな労働を半ば悪気なく強いていた。
ブラック残業で部下が潰れて討ち死に状態になっても「(会社としての)大義の為ならば仕方が無い」というスタンスだった。
昔はそんな一本筋の通った叔父を尊敬もしていたが、叔父の懐刀となって働く内、段々疑問が芽生えてきた。
「本当にこれで良いのか?」と。
付いてくる同僚、部下達を、会社の大義の為に使い潰して良いのかと。
疑問は確信に変わり、従来のやり方を革新する方向でどんどん仕事を進めて行った。
同僚、部下の配置は適材適所。
それを逆手に取り更にこちらが有利になる様に取引を進め、相手企業の利益をシェアを削り、こちら側のシェアを増やして行った。
人心掌握術、営業、切った張ったの駆け引き等、やれる事は時には強引に何でもやった。
そうして、ようやく自社がシェアに大きく食い込み、プロジェクトの成果も目に見えて上がってきた。
しかし、叔父は俺のやり方を認めず「邪道」「真っ当な道に反する」と反対した。
だが俺も、叔父が今まで切り捨てて来た部下の為にも、このプロジェクトは成功させないと必死だった。
叔父との対立は激化していき、部下らにも知られる程ともなったが、とある相手企業との取引において、
相手企業の知り得た内部情報を上手く活用し、内部での混乱に乗じる形で取引を有利に進めた。
それが遂に叔父の逆鱗に触れ、俺は後ろから撃たれる形で叔父の会社を追い出された。
不幸中の幸い、俺に付いて来てくれる同僚・部下達もおり、
後で彼らと新たに集めた仲間で会社を立ち上げ、
叔父と時には対立、時には協力する形で、他社としてプロジェクトを進めて行った。
そして…叔父と、叔父会社の悲願だったプロジェクトは成功したが、俺の強引なやり方のせいか、
叔父の真っ当な仕事人としての名誉は穢れてしまった。叔父は意気消沈し、自ら責任を取った。
今は俺も会社を畳み、フリーランスの様な仕事で糊口をしのぎながら、
小さいながらもマイホームで趣味を細々としてささやかながら楽しく暮らしている。
元部下で、今も仲が良く俺なんかの世話を焼いてくれている女友達もおり、孤独でも無い。
しかし、今でも思う、もし俺が積極的に行動しなかったら、叔父主導のプロジェクトは失敗に終わり、会社は悲惨な事になっていただろう。
叔父は引退したが、会社は残り今でも残った者達だけで頑張っている。
だが、親父代わりだと本当に思っていた叔父を追い込み、叔父は息子だと思っていた俺に引導を渡された。
俺はこの先、何を思い生きていけば良いのか……
それとも、細やかながらも家庭を持ち、静かに暮らしていけば良いのか。
こんな日は午前6時眠れなくて、朝方まで考えても、答えは出ない……
AI絵を嫌う反AI達は「AIを使った作品は心がこもっていないから禁止するべきだ」と繰り返し主張している
既に生成AIのクリーン化は実施されており、合法の学習において絵師たちが蛇蝎のごとくAIとAI活用者を嫌う政治的思想の根底にあるのは
「手描きでなければ心がこもっていない」「手抜きである」というオカルト的な手描き信仰に基づく
しかし少しでも冷静に考えてみれば分かるはずだ
イラスト界隈はそのような新しい技術が出る度に「これは絵ではない」「使う人間は邪道だ」と
排他的な姿勢を露わにし、活用者を徹底して差別してきた歴史がある。現在のAIイラストも全く同じ状況に置かれている
しかし上記のツールはいずれも浸透し、今AIを親の仇かのように憎悪している絵師達も日常的に使っているものだ
彼らも過去に幾度となく新しい物を否定する適応できない層から差別を受けていたわけだが、
過去の無知な老人達に学ぶ事なく差別と排除運動を繰り返しているのは愚かと言う他無い
僕が3DCGを始めた頃もCGが心がこもってないとか言われてたけど、今はAIが同じこと言われてる。CGは許されたのだろうか?— 奥 浩哉 (@hiroya_oku) November 29, 2023
奥 浩哉 @hiroya_oku
僕が3DCGを始めた頃もCGが心がこもってないとか言われてたけど、今はAIが同じこと言われてる。CGは許されたのだろうか?
プロであるクリエイターからもイラスト界隈の村ルールには辟易しているようで、
リプライでも奥氏に賛同する形で反AI達に多くの批判が殺到している
前回のコミケでは反AIと反AI絵師達はあらいずみるい氏への一方的なAI使用疑惑をかけ(そもそもAIを使っていたとしても何の問題も無いのだが)
犯罪者呼ばわりなどの誹謗中傷を集団で浴びせ、同氏から手描きの証拠を提示されるという事態に至った
その事件はYahooニュースなど大手ネットメディアでも取り上げられ、反AIの異常な攻撃性と非論理的なお気持ちが世に周知されたが
未だに反AI達はあらいずみ氏への誹謗中傷をしつこく続けている
このような振る舞いはもはや技術に適応できない老害どころではなく、一種のカルト信仰に近いものと言える
既にAdobe FireflyやDALL-E3により「イラストはAIを使って作る」という認識は一般化しており、
Windows搭載のペイントにもAIが導入される事が決定している
○ご飯
朝:お椀で食べるチキンラーメン。昼:カロリーメイト。夜:にんじん、エリンギ、もやしのスープ。たまごやき。ナポリタン。間食:チョコ。柿の種。
○調子
○慟哭、そして…
セガサターンで1998年に発売された美少女ゲームと脱出ゲーム(当時こんなジャンル名はなかったかもだ)を組み合わせたアドベンチャーゲームのニンテンドースイッチ移植版を遊んだので感想を書きます。
奇妙な館に閉じ込められた数人の男女が殺傷能力増し増しな仕掛けに挑みながら脱出をはかりつつ、美少女ヒロインとの関係値を築いていく構成。
細かい分岐は無数にあるものの、ヒロイン固有の恋愛的なシナリオは十数クリックで読めてしまう短いボリューム。
縦筋となる、何故この館に閉じ込められたのか、という謎に関するストーリーもかなりあっさりしている。
なので、このゲームの醍醐味は物語というよりは、館の中を探索し、ポイントアンドクリックでのアイテムを探し、複雑なフラグを管理するところにあるのだろう。
主人公とヒロインを生かしつつ脱出するのは、かなり試行錯誤しながらフラグとアイテムの管理をする必要があった。
残念ながら死なないことに精一杯で、全員生存で初めてクリアまでは一人で頑張ったが、以降は攻略サイトに頼りまくってしまった。
ストーリーよりもゲーム性に寄っているタイプのアドベンチャーゲームで、攻略サイト頼りで遊ぶのは邪道なんだけど、悪い意味でタイムパフォーマンスという流行り言葉で自分を納得させてしまった。
そんなわけで用意された内容を100楽しめたとは言い切れないので、ゲーム性やシナリオに関する感想は今回は抑え目にしておく。
なお、イラストレーターが大レジェンド横田守さんということで、ヒロインたちのCGは最高だった。
ニンテンドースイッチで遊べるため当然全年齢向けのゲームなのだけれど、下着が見えるシーンは沢山あるし、下着の向こう側を想像させるイラストやテキストもあるし、ヒロインが積極的にアプローチを仕掛けてくれる魅力さがあいまって、実用性ありありのエッチさだった。
他のヒロインたちはかなり迂闊に下着を見せてくれるのに、この方はなかなかガードが堅い。
しかし、なんとそこには、かなり攻めた設定が隠されていて、大興奮してした。
続編のRevive 〜蘇生〜も是非とも現行機(もうそろそろこの言い回しも使えなくなりそうだなあ)に移植していただきたいなあ。
子どもが保育園に行き始めたタイミングでパートを始めたんだけど、時々パートのみんなや社員さんも交えてファミレスとかに行くことがある。
で、この前職場の人たちとマックに行ったんだけど、社員の二十代の男の子がダブルチーズバーガーのセット(だけ)を頼んでて凄くびっくりした。
というのも、旦那はマックに行くといつも単品のバーガーを4つくらい食べ、さらにシャカチキやナゲットも食べる。ポテトは邪道だって言ってセットは頼んだことがない。
ちなみにラーメン屋ならラーメン大盛りに炒飯に餃子。回転寿司なら20皿くらい。それが当たり前だと思っていたから、社員の子を見て「男の子がそれで足りるの!?」って驚いた。
女子校から女子大に入って異性と付き合うどころか交流さえほとんどなかった私は、男の人の普通がわからなかった(いまでもわからないけど)。
夫と初めて外食に行ったときは自分との違いに驚いたけれど、だんだん慣れてそれが普通なんだと思うようになった。一回、そんなに食べられるならチャレンジメニューみたいのもクリアできるんじゃないかって聞いたことがあるんだけど、「ああいう何キロも食べるようなのは訓練してる人しかできない。俺は少食ではないけど、所詮ちょっと食べる普通の奴だ」みたいなこと言われて、そうなのか〜って納得してた。
でも社員の子はバーガーとポテトで十分お腹いっぱいだっていうし、友だちとかもみんなそうだって言っていたのでわからなくなってしまった。
夫は37歳で、身長は170cmくらいで体重は50キロちょっとだって言ってた。見た感じはお腹も出てないし痩せて見える。美味しそうにいっぱい食べるので私としては見ていて楽しいし全然いいんだけど、世の男性がどのくらい食べるのかを知識?として知っておかないといつか何かやらかしそうだと思ってしまってこの増田を書いてみました。
実際のところ、どうなんでしょうか。社員の男の子が普通なのか、夫が普通なのか、それとも男の人の範囲?としてどちらも普通なのか、皆さんの意見を聞きたいです。
鮨って回転寿司かパック寿司か、スカしたカウンターの高級店かの両極だと思ってた。
百貨店とかに入ってるそれなりの店とか、立ち食い鮨屋みたいな中間帯もある事に気が付いた。回転寿司と括るにしてもいい値段する所だってあるし。
稀に見かける将太の寿司的な「町の鮨屋」みたいなのにも入ってみたいなって思うけど、なんか気後れしちゃう。常連の巣窟になってそうとか、実はいい値段したらどうしようとか、別にそんな事はないんだろうけど勝手に不安になっちゃう。その辺食べログとかで下調べして行ってみるのもいいかもしれない。
ハンバーガーはチェーンか、セットで1500円とか2000円とかの店しかない気がする。あの楊枝が刺さった食い辛そうなやつ。それに草が添えられてワンプレートになってるようなの。邪道かどうかはアメリカ人に聞かんと分からんけど、アレは美しくないと思う。味のりとか韓国のりが巻かれたおにぎりを見て、お前は本分を忘れのかよって思うのと同じアレがある。
中間帯というか、「その他」のハンバーガーは思い浮かばない。佐世保バーガーとかそういうのもあるんだろうけど、おれは佐世保に住んでいない。
フレッシュネスみたいな富豪向けとか、チェーン内で差別化が図られてる気がする。