はてなキーワード: カイジとは
10数年悩まされていた胃炎が治ったので誰かの参考になるかと思い筆を置く。
タイトル通りだが。
俺は大学卒業後にIT関連業種に就職した。IT関連だけあって半端なくストレスが溜まるところだった。食べることで発散していたのだが、案の定、俺は激太りしてしまった。2年で20キロは太っただろう。周りでも就職してから急激に太るか、ガリガリに痩せるかした人が多かったので、こういう経験をしている人はいるのではと思う。
ある日に飲み会の写真を友達にもらい、フグのように膨れた自分の顔にショックを受け、それをきっかけにダイエットを始めた。ダイエットの方法は人それぞれ、人生いろいろダイエット法もいろいろ、ここでは詳細は省略する。たまたま俺は上手く痩せ、太る前の体型に戻った。
ここまでは単なるダイエット自慢だ。所がジョージ、面白いことにダイエットの前後で劇的に変わったことがあった。
前者は変わってないだろくそが。いやそれはいいとして後者の胃炎は小学校低学年のころから悩まされていたので本当に助かった。
これが治ったのだから俺は神の奇跡を感じずにはいられない。本音を言えば神の奇跡でもなく俺が神だっただけだが。勿体ぶらずに治った方法を教えろ、だと?いや教えてくださいだと?教えてくださいお願いしますだろ!まあそんなことはどうでもいい。
さて、本当ところダイエット中に俺は自分の性格に合わせた食事の量を減らすための工夫をしていた。これはちょっとした腹八分目のためのほんのささいな工夫の積み重ね。せっかくここまで読んでくれた増田読者のためにも具体例を挙げてよう。
具体例とは言え製品名は避けた。勧めたい製品があるが、味覚や食感、予算は人それぞれだ、どれかが合わないだけで辞めてしまうのを危惧したので避けた。宣伝と思われ胡散臭くなるのも嫌だしな。要望があればまた別の機会に書く。
とにかく食の量を減らして胃炎はなくなったし、腹が減って飯は上手いしいいことずくめだったよ。
追記
これだけで痩せたわけではないし、これはあくまで食事量を減らした方法だけであるので注意してくれ。後は仕事のストレスが解消できればいいのだが。山岡さんは何だったのか。
このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分裂した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラにハァハァしていた純粋オタクの系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。
だが、あれから数年、どうなっただろうか?
そう、サブカルは市場として成立せず、萌え市場だけが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社のノベル雑誌『ファウスト』のような「半萌え・半サブカル」形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。
これは当然の帰結といえる。
オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想の文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。
この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。
萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミクの痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました。
『電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です。現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。
代わりにネットオタクの偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。
そして社会に出て自らの文化的アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではなく痛車と聖地とローソンだった。そこにある想いは「余暇の時間まで勝ち組・負け組を意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。
それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略。
映像やまとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。
ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した。2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。
世間はまともな人ばっかりで自分みたいな底辺ダメ人間には息苦しい場所だから
カイジの地下王国みたいな自分並かそれ以下のダメ人間ばかりいる場所で暮らして「ダメなのはオレだけじゃないんだー!」という気分に浸ってみたいだけに見えるんだが。
カイジのアニメが面白いです。破戒録編、ちょうど地下労働施設でチンチロの最終決戦に差し掛かりました。
で、見てて思ったことというか、漫画版を読んでる時に抱いた思いを、アニメ版で思い出したことなのですが。
ダメ人間をこじらせると、あの地下労働施設で働きたくて仕方なくなる。
この先の話、僕が本当に思っていたことを書くつもりですが、誰に言ってもイライラさせるだけのような気がして封印していたものです。イライラしたい人に向けた文章です。イライラしたくない人は、なんだろ、えーっと、ワラパッパとか読んでたほうがよっぽど良いと思います。
カイジの地下労働施設ですが、まず、人間扱いされない過酷な環境。あれ、良い。
ダメで「出来ない奴」っていうのは、「普通は出来る仕事が、オレには出来ない」のです。それがダメ人間のダメ精神を傷めつけるわけです。「なんでそんなことも出来ないの?」と不思議がられる(※)。普通に言われることが出来ないわけです。「普通に出来る奴」に比べて「出来ない奴」なわけです。想像したこともないんでしょうね、普通のことが出来ない奴のことを。それが当然なんですけどね。だってそれが普通だし。うーん、ごめんなさい…。
しかしあの労働施設だと、全員がMAXで最低な扱い(MINな扱いと言うべきですかね)という意味では、平等にボロボロな扱いしか受けない。ボロカスに言われるのが普通、ということです。つまり、オレも普通、になれるわけです。
なんて言うんだろう、もっとボロボロに扱って欲しい、のかな。ボロボロなくらいダメなんだから、普通に扱われると申し訳なくて…。
(※ 常識に外れて「出来ない」、僕みたいな人間は、ほぼ何らかの障害、特に精神疾患を抱えています。そうやって「ふつう」から外れている人を、社会は「障害者」と呼ぶわけですから。ただ、それは本人すら気付いていなかったり、それを病気だとは知らなかったり、自覚があっても認めたくなかったりなんでしょうね。でももっとダメ人間がこじれてくると、何らかの言い訳を求めたくなるので願ったり叶ったりです。心療内科で診断書&社会に対する言い訳ゲット! ヒューゥ!)(ただ、言い訳をゲットしたからってどうなるわけでもありません。普通の人から言えば「それで?」ってな話です。わかってます。)
僕は高校のころ、とあるファーストフード店でアルバイトを始め、様々なトラウマを抱えたまま二週間で辞職しました。いま考えると完全に僕が悪いのですが、アルバイトを辞めたばかりの当時は部屋でメソメソと八つ当たりばかりしていた憶えがあります。布団に。
その際、最もキツかったのが、そんななのにも関わらずバイト先からお金が振り込まれることでした。正直、賃金が発生しなければもう少し仕事を続けていたかもしれません。ただ、周りに迷惑をかけ続けているにも関わらず、お金が貰えてしまうことがつらくて仕方がなかった。逆にお金を払いたいくらいでした。バイトも出来ない僕が払えるのは、親の金からになってくるわけですけど。
仕事先へバイトを辞める旨の電話をした際、「制服を返しに来い」と言われました。「制服を返却すれば、給料を振り込みます」と。当然僕は返却しに行かないつもりでしたが、母ちゃんが行け行けってうるさいんだもの。あの母ちゃんが。アルバイトもろくに出来ないクソみてぇな僕を、家に置いてくれている母ちゃんが。泣きながら自転車で制服を持っていった記憶があります。
最近東京に越してきて、アルバイトの時給が900円とか1000円以上なんてザラ、という環境に戦慄しています。僕が働いていたファーストフード店なんて650円かそこらだったのに。無理です。そんなにお金を貰えるとこなんて、アレです。無理です。以前、最低賃金を1000円にするだのどうの、って話を聞いたときは心底、どうしようかと思いました。
オレみたいなもんが「働かせて下さい」なんて、口が裂けても言えねぇけど、強制的に仕事やらされるなら仕方ねぇべよ、みたいな。
あと「やりたくてこんなことやってるんじゃない」って言えますもんね。自分に。仕方なくやってるんだと。言い聞かせられます。他人に向けても。夜眠るとき、頭の中に浮かんでは罵倒してくる他人に、向けても。
だからまぁ、要はオレに何も期待してくれるな、と。あいつはどうせダメだから…、と認識しつつ扱って欲しい。その認識に、甘えたいんだ。きっと。甘えるために、あの施設、いいなぁ。
あと、あの施設、肺をやられるんでしたっけ。入ったらそんなに長く生きられませんよね。
死にたいけど自殺はイヤなダメ人間にとって、そんなうってつけな環境ありません。死にたいというか、生きたくないんです。びっくりするほど希望が無い。本当は生きたいんです。生きたくなりたい。働きたい。でも働けない。働けるのに働けない人たちが溢れている時代です。ダメ人間の席なんて無い。ダメを改善させてくれる余裕はあるのでしょうか。無いよね。どうにか馴染もうとして、社会に出たら、どうせ死ねっていうんだ、普通の人たちは。なんで出てきたの? って。オレにも分かんねぇよ、ってな話です。調子に乗ってごめんなさい、と。すごいなぁ、カイジに出てくる人たち。生きたがってる。外に出たがってる。外に出て、何かしたがってる。出来るんだ、あの人たちは。外に出られれば、何でも。
何でなん? 何でみんな、ふつうに出来るん?
二十歳のときに睡眠薬を中途半端に大量に飲んで自殺未遂を起こしたことがある。
『大量に』とは言っても、睡眠薬七錠ほど。ほんとは四十錠ぐらい一気に飲まないと死なないのに。
だから本当は死ぬつもりなど無かったのだろう。狂言自殺をしたかったのだろう。
かまってちゃんだったなぁ。本当に。真性のかまってちゃんだった。
二十時間ぐらい眠っていた。起きると母親が泣きながら自分のほっぺを殴っていた。
「なんでね!なんでね!」僕は結局その時何も思わなかった。
後日、自分は自殺するほど家族に追い詰められてたという話をしても
母親は「うるさい!」というだけ。
その時は本当にショックだったけど、同時にあの時が、本当の人生に目覚めた瞬間だったのだと思う。
あぁ、母さんは、僕が死のうがどうなろうが、どうでもいいんだ。
『人は人を救わない。それがたとえ、自分の子供だったとしても』
カイジの会長の言葉が、あのときほど鮮烈に自分に焼きついたことはなかった。
『人は人を救わない』
そう、人は人を救わない。たとえ家族だとしても。だって自分を救えるのは自分だけ。
だから『母親が悪い』とか言ってクズになっていくのはやめよう。
そう思いながら生きているうちに、少しずつだけど自立できるようになれた。
社外の講習会に出席して、そのまま直帰した日。
いつもは乗らない地下鉄の線に乗って帰った。
車両はあんまり混んでいなくて、座席はだいたい埋まってるけど立ってる人はほとんどいないという状況。自分はあんまり体力ないので、空いている席に座らせてもらった。
で、僕の座ったところの左隣には、若干汚らしい服装で日に焼けた肌の老人がいて、体を斜めに傾けてだらしない座り方をしていた。
ちなみに右隣に座っていたのは髪を染めた若者だった。
電車内でただ座っているのも時間がもったいないと感じるので、自分はいつも通りiPhoneを取り出してウェブを見始めた。と言っても地下鉄で通信が効かないのでキャッシュを読んでいた。
それで何分かiPhoneを眺めていると、本当はそのちょっと前からなんとなく視線は感じてはいたのだけれど、急に老人が話しかけてきた。
「おう」と突然言われたのでちょっとびっくりして反応できずにいると、「おめえちょっとは考えれや」と続けられた。
えーちょっと待ってちょっと待って急にそんなこと言われても何を考えればいいのか全然わかりません……と思って、ここで何も考えずに言い返しても事を荒立てるよな……と視線を動かさずにちょっと様子を窺っていると、またすぐ老人が口を開く。
え? そうですか? 周り見てもみんな使ってますけど?(?_?)
学校? 今日スーツ着てるんですけど学生服に見えるのかな?(?_?)
「おい学校はどうした?」
こうやって聞かれると、無視するのもどうかと思われたので、老人の方を向いて「××大学を出ましたよ」と答えた。
すると老人は恥ずかしがるような馬鹿にするような顔で「へへっ」と小さく笑い、「そういうこと聞いてんじゃねえよ。おめえ学校で何教えてもらってたんだって」と言った。
こういう書き方をしていると、もしかするとこの老人がなんかちょっと普通に恐ろしい威嚇的な雰囲気の人に見えるかもしれない。でも実際はそうではなくて、悪い言い方だが、道端にいる浮浪者のような風体で、始終にやにやしているちょっと変わった人だった。今思い返すと、まるで酩酊していたかのようだと感じる。本当に酒を飲んでいたのかもしれない。それはわからない。
その彼の表情というのも、表現が難しいのだがばつが悪そうな感じのもので、『カイジ』で限定ジャンケンに早々に負けて退場する人々の表情が自分には思い出された。
「おめえ電車で携帯使ったら迷惑だって学校で習わなかったんか?」と老人は言う。
僕は正直困ってしまって、じっとその老人の目を見ていた。僕は苦笑いをしていたはずだ。
老人の方もその反応に困ってしまったようで次第にどもりはじめて、「へっ、おめ、おめえ口だけじゃねえか」というようなことを言った。僕もこれにはさすがに「何も言ってませんよ」と優しい口調を心がけて応えた。老人は変わらず例のにやにや顔で「そういうことじゃねえよ」と返した。
とここで、急に僕の右隣、老人とは反対の側から、「おっさんうっせーよ。黙れ」と怒り気味の声が上がった。髪を染めた若者だ。僕はちょっとびっくりした。
でまあここから先は特に重要でもないので簡潔に書くと、自分を挟んで左と右で老人と若者の言い合いが始まり、なんだかんだでそのまま収束し、全員無言になって、僕はiPhoneの使用を再開し、結局老人は自分の降りる駅に着いて、降り際に若者の方をくるっと振り返って「ぼけなす! ぼけなすー!」と罵って去っていった。若者は「んだコラかかってこいや!」と言ったがそれまでだった。
で、この経験を通じて感じたことを書くというのがこの文章の本題なのだけれど、これに関連してそのとき思い出した別の出来事があったので、そちらについてもちょっと書く。
それはこの電車でiPhone使ってたら老人に怒られた件より一年くらい前の話で、東京で友人たちと一緒に電車に乗っていたときのことだ。また電車なのだ。
そのときの僕らは四人組で、車両の中で立ったまま話をしていた。友人たちと四人で電車に乗っていて黙って立ったままでいるということはあまりない。何かくだらない話をしていたはずだ。ゲームの話とか。
でそこへ急に学生服の少年が歩いてきて、不思議な手振りをしながら「ンーッ!」と言った。本当に急なことで、正直我々は面食らった。
少年はそのまま続けてまた奇妙なジェスチャーをしつつ「ジェッ! ンーッ!」と言った。言ってから何か得意げな表情を浮かべていた。
僕らは本当に面食らっていてなにがなんだかよくわからなかったのだが、たぶん電車内で喋っているのを注意されているのだなということはわかった。ので、「ごめんね、静かにするよ。ありがとう」とひとりが答えた。
でそうしたら少年は気を良くしたのか、なぜか満足げな表情で腕を組みながら僕らの輪に入ってきて、まるで我々にとって人気者のリーダーみたいな感じでコミュニケーションを取り始めた。肩をぽんぽんと叩いてうんうんと頷いたり、ひとりを指さしてみんなに嘲笑の同意を求めたり、親指を立てて何かをアピールしたりした。また、耳打ちをするような仕草で「ウニョウニョウニウニ」というような不思議な音を発した。
しばらくそうしていたのだが、少年は延々コミュニケーションのようなものを続けるばかりで、僕らはやはり困ってしまった。向こうの行っていることは全く分からないし、こちらの言葉も通じないようだったので、ひとりが携帯の画面で「向こう行ってね」と文字を見せてみたのだが、それも意味がないようだった。
結局僕らは、いったん電車を降りる振りをして別の車両に移動した。少年は車両間の窓の向こうからこちらを見つけてまるで旧友を発見したかのように大喜びで近づいてきたが、もう一回同じ手で移動してみたらそれ以降は追ってこなかった。
で、本題。
これら二つは恥ずかしいことに両方とも僕が怒られ注意された話なんだけれど、僕が感じた共通点はそこではなく、どちらも誤った模倣がなされているということだ。
老人は、iPhoneを使っている僕に注意を行った。電車内で通話していて迷惑がられる話はよくある。でも僕はiPhoneを手に持って画面を眺めていただけだ(これって実は悪いことなんでしょうか?)。彼は「電車内での通話はよくない」という意識を誤って模倣したのではないか。
少年は、意味をなさない音の塊で僕らに話しかけていた。実際にはそれでコミュニケーションは成立していないが、彼は自分のしたことに満足していた。彼は会話という行為を誤って模倣していたのではないか。
いずれの場合も、誤った模倣によって行為の意味は失われている。携帯電話の画面を見るのをやめさせることに何の得があり、会話のような体裁で奇妙な音を発するのになんの効果があるだろうか。
この模倣が行われるのは、彼らが形式だけを見てそれらを学んでいるからで、本来の目的の存在を考えていないからだろう。母親のやることをそのまま受け入れ模倣する子供のように、彼らは一般の行為をその形式だけを見て模倣しているのだ。と思う。実際にそれは何の意味もなさない。しかし彼らにとってそれはよいことで、正しいことなのだ。
もちろん我々だって、ときには図らずときには仕方なく、形骸化した模倣をしている。
平野綾にしても、今の例えで言われた霊夢にしても、健全な女性だったらその年だったら経験のひとつやふたつあっても当然でしょ、としか思わない。なかったらなかったで妄想のネタになるけど。
http://twitter.com/tsukimibaagaaaa/status/20316066099
アニメのキャラ演じてる、CD持ってる、ライブに参加する、握手するぐらいしか接触がないだろうオタどもが、なんで平野綾の恋愛に口出しできるのかがよくわからん。顧客欲求にしても過剰請求だろ。
………
アイドルっていう仕事、商売をわかってない人多いんだなあ。そういう問題じゃないんだよ。
アイドルは男女交際禁止とは昔から言われてたし、そう言いながらみんな実際には交際してたわけだけど、それは絶対表に漏らさなかった。
「アイドルは夢を売ってる」みたいなことはもうあまり言われなくなったけど、基本にあるビジネスモデルは昔から変わってないんだよ。
しかし今夜の平野綾を巡る騒ぎはいったいなんなんだろうかなと。別に自分がつきあったり結婚できる可能性なんて無きに等しい相手が、どんな恋愛遍歴重ねようといいじゃないか。いいキャラクターでいい演技をして楽しませてくれさえすれば……という俺はマイノリティなんだろうか。
平野綾グータン事件であちこちが炎上してて笑ったww 別に普通の女の子なら恋くらいするだろうに、なにも発狂しなくても・・・w
何と言うか、ど〜でもええわ‼誰が恋愛しようが自由だし勝手やんけ‼本当、ヲタって奴ァロクでもないわ‼RT@conan015 RT @2chradio: (24res/h) 平野綾がテレビで恋バナ解禁で、ファンのキモヲタが怒り狂い殺人予告! http://bit.ly/dBE8X8”
酒の所為で、グータンヌーボ見る前に寝てしまう。なんか実況まとめ見ると平野綾オタが死亡してたが、あんだけ可愛い子なんだからそら男と付き合ってるわ!!どんだけ夢想家が多いのか。カイジの一条の『ところがどっこい、これが現実です!』のAAが貼られててその通りだなーと思ったw
平野綾が過去の交際うんたらって、別にいいじゃないか。誰だって自分の恋愛くらい話す権利くらいあるでしょうに…。これ、あれだよね、某実況者のときもそうだったけど、自らのイメージや理想像に沿わない行動をすると「あなたはそんな人じゃない!ひどい!私の○○を返して」みたいな言論になるのかな
アイドル・声優ヲタは何か色々妄想しすぎだよ。平野綾だって普通にそこらにいるかんじの女の子なんだから恋愛のひとつやふたつやみっつや・・・してるだろう! なんでしてないとか思うんだろうねぇ。だから嫌いなんだよねぇ
平野綾の件、別に付き合ったって、恋愛したって、いいんじゃないの。なんでそれで問題になるかわからない。発狂してるやつバカじゃないのか。 [8/7:淀川花火オフ|8/8:みのりん河口湖|8/9:LiSA京都]
別に声優が付き合っていたっていいじゃないか。そこまで怒る理由が分からない…:平野綾がテレビで恋バナ解禁でファンが怒り狂い殺人予告! Wikipediaに「死ね死ね~」とイタズラ書きまで - ガジェット通信 http://bit.ly
平野綾の暴露話なんてあったのね。しかし、あんな綺麗な人が恋愛経験無しだと本気で思ってた人がいるのかー。何かびっくりするな。
平野綾さんのファンの一部さすがに気持ち悪いな。可愛いからファンになったんでしょうに、その人に恋愛経験ないと思う?ファンってのはそんなことで揺らぐのか、って聞きたい。
グータンヌーボに出た平野綾さんが今、全力で叩かれているらしい。 別に彼氏いてもいいじゃねえかよw 北乃きいの件にしろ、一部の熱狂的なファンは頭おかしい過ぎる。芸能人の仕事と私生活を一緒に考えるのはなんだかなぁー
グータン見ればよかったー。平野綾は好きでもないけど、ちょっと好きになった。22歳で恋愛したこと無い方がドン引きだよ。皆のレポじゃわからんから、ちゃんと見たい。
ニュースで見たけど、どうやら平野綾さんが出演したテレビ番組で、自分の恋に関しての話をしたら、激怒したファンが出たそうな。あのな...声優さんも人の子だぞ。恋して結婚するのは普通のことだろ?こんなことを祝う気が無く、ただ激怒しかできないヤツは真のファンとは言えないと思うぞ。
「声優の平野綾さん、恋愛話を暴露」しただけで,なんかよくわからんが,キモオタがギャーギャー言ってる.ヒトが恋愛しようがパコろうが自由だろうに(´ε`;)
平野綾問題。オレも「グータンヌーボ」見たけど、なにが問題でも??北乃きいちゃんの一件でもそうだが、オトコはだいたい異性に幻想を抱きすぎ。ましてやテメエの彼女でもないオンナが私生活でなにしてようが関係ないじゃん。
声オタ必死wwww過去の恋愛に文句付けんなよwwwwあのルックスで彼氏いたことないって方が変って分かるだろww @平野綾がテレビで恋バナ解禁! ファンが怒り狂い殺人予告まで? http://getnews.jp/archives/70924 #getnews
平野綾の恋愛遍歴に驚いてる人は現実を見せられて愕然なんだろーなぁ。でもあれぐらいのルックスなら普通にあるような感じだと思うけどなぁ。
平野綾が恋愛について語ったから切れるとかマジバカじゃないのか。考えてみろ、人と付き合った事もないような声優が、アニメでもそういう演技が出来るのかを。そもそもが人前でキスしてる写真を撮られたとかじゃないんだから、良いじゃないか。そもそも、あの番組で恋バナしないわけにはいかないよ。
なんか平野綾がどうのこうのというツイートに前提としてあるべきの彼女がアイドル声優だったという事実が全く考慮されてないものばかりで萎えるなあ。アイドルは演じるものであって偶像なのに
で、平野綾が現実にアクセスできる相手だったら、マジかよ…死ねよデコビッチ、とか言いつつ昼休みの寝たフリに戻ればいいんだが、実際は平野綾にアクセスするためには金が必要。変な言い方だが「信じて」払ってきた金を裏切られることになる。
というわけで平野綾騒動は、失恋、すなわち恋愛状態を維持するのに必要だった金、そして代償としての物語を裏切られたことになる訳だ。暴動だって起こるだろ。
他人に理解されないことに苦しむのは、ヒトとヒトが理解しあえるなどという幻想にとらわれているからです。
理解されて当然、という傲慢があるから、他人の言動や行動にいらついたり傷ついたりする。
血を流し痛がっている人の痛みがどれほどかを正確にわかる人はいない。
他人の痛みがわかるなんて言っている人を信用してはならない。
「この男は痛いだろう。だが私は痛くない。カイジくん、君もだ」
と言い放ったあのお爺さんだけが正直者だ。
2000年前は釈尊くらいしか気付き得なかった真理を、全員が気付き始めてる。
大々的に全ての人間にアピールなんかせずに、「価値が理解できる人だけ買ってください」というスタンスでモノを売る。
容姿も、性も、商品となって売買されてる。
ちきりんに対する不快感は、カイジに出てくる「鉄骨渡り」を部屋からニヤニヤ眺めてる観客を見せられる不快感ですね。
ちきりんの言ってることは
「私がニヤニヤと楽しみたいから、世の中どんどん混乱してしまうといいよ!死人が出てもオッケーw」
って言うことと実はまったく変わらないんだよね。
本人は「混乱Lover」なんていうかわい言い方をしているようだけど、結局性根は「鉄骨渡りの観客」とまったく同じなわけです。
自分はコストもリスクも負わず、自分が安全な状態でいる条件を元に、社会を煽り他者を煽って「混乱」を起きることを好む。
これが「鉄骨渡りの観客」じゃなくてなんなんだ、ってぐらいに見事なテンプレ。
勝間和代などに代表される「若者はどんどん起業しろ社会に風穴を開けろ」論理も、まったく同じこと。
そりゃ、彼らは「鉄骨渡りの観客」だもの。カイジのアレですな。
自分たちが望む世界にするために、自分たちがリスクを負うのではなく他人にリスクを負わせるのが目的なんだよね。
そして鉄骨を渡ってる人を安全な部屋からニヤニヤとした下品な笑いで見ながら
「バランスが安定して素晴らしい」とか「危なっかしいねw」とか野次を飛ばし
鉄骨から落ちた人がいたら「どこそこが悪かったから」とか「鉄骨を渡る実力がなかった。自己責任。」とか、
鉄骨を渡りきって大金を得れば「俺のアドバイスが素晴らしかったからだ」「俺が背中を押したから彼は富を得られた」とか、
「さあ、成功すればこんなに富が得られるシステムにみんなおいで!素晴らしいだろ!」と喧伝する。
自分たちが望む世界を作るために、自分たちはリスクを負わず、今現在立場の弱いものにリスクを負わせ、その姿を眺める。
カイジに出てくる、鉄骨渡りの観客と起業厨リスク厨とは一体何が違うというのだろうかね。
いや、鉄骨渡りの観客は、自分たちが下品な趣味をしてるのを自覚しているし、あくまでもスポンサーはやってるから、
20代の若者として思うんだが、80歳の自分を思うとなんだか遠い先の話に感じて呆然としてしまう。
80歳まで生きてるんだから堅実に生きないと、とか思ってしまって結局受身の人生になってる気がする。
「将来のために貯金しないと」とか「嫌だろうがなんだろうが将来を考えて正社員でいないと」とかいつまで経っても将来の心配ばかり。
だから40くらいで自殺するかとか考えてみると、急に今のままじゃつまらん人生でダメだと思えてきた。
40歳までの人生とリミットを決めると、生の実感みたいなものが急に現実味を帯びて自分ににじみ出てくる。
80歳までとか、だとなんだかダメ。適当に生きててもいつかは・・みたいな感じになる。
人によっては30歳まで、とかじゃないとダメに感じると思う。
漫画のカイジの鉄骨渡り編で利根川が「本当の自分がいずれ輝く、とか思ってるやつはまさに今こそがその本当の自分だということを分かっていない。そのことを気づかないまま死ぬ」みたいなことを話したと思うけど、今がまさにそんな感じなんだ。
将来のためにってずっと備えてしまって、今が結局ない。ならばその将来を消してしまったら蓄える必要がなくなる。
そうすると、目の前の現実を直視しなければならなくなって、もっと何かを頑張ろうという気になってくる。
だから、40歳になったら自殺する、くらいに思ってると若い人は(今の)人生楽しめる。
もちろんこんなこと考えなくたって人生楽しんでる人は別の話。
オレは急にカイジ風になるのがやだ。
先日、NTT研究所のオープンラボ2010(http://www.ntt.co.jp/saiyo/013openlab/)に行ってまいりました。
その中のイベント(参考:http://www.chie-warai.jp/)で、
個人的にかなり腑に落ちる名言だったので書きます。
「 「研究」とは何なのか、「カイジ」の「沼」を読めばそれが理解できると思います 」
ちなみにその社員の方は、後輩にも「沼」編を読むことを薦めているとのこと。
「研究活動」に携わっている人はたくさんいらっしゃると思いますが、
中には「実は「研究」の本質ってわかってないんだよねー」という人も数多くいると思います。
特に、最近研究活動を始めたばかりの学生の方々の多くはそうなのではないでしょうか?
そういう人はカイジを読むと解決できるかもしれませんね。
「「沼」を知ってる人~」
という社員の方の問いかけに、あまり手を挙げていませんでした・・・・・・・。
僕は当然ながら挙手しました。