他人に理解されないことに苦しむのは、ヒトとヒトが理解しあえるなどという幻想にとらわれているからです。
理解されて当然、という傲慢があるから、他人の言動や行動にいらついたり傷ついたりする。
血を流し痛がっている人の痛みがどれほどかを正確にわかる人はいない。
他人の痛みがわかるなんて言っている人を信用してはならない。
「この男は痛いだろう。だが私は痛くない。カイジくん、君もだ」
と言い放ったあのお爺さんだけが正直者だ。
2000年前は釈尊くらいしか気付き得なかった真理を、全員が気付き始めてる。
大々的に全ての人間にアピールなんかせずに、「価値が理解できる人だけ買ってください」というスタンスでモノを売る。
容姿も、性も、商品となって売買されてる。
救うとか救わないとかそういう話じゃないよ。 他人が他人を信じていない事をしみじみ痛感したんだと思う。 そして、信じる事がどんなに大変かも。 これはやばいと。
他人に理解されないことに苦しむのは、ヒトとヒトが理解しあえるなどという幻想にとらわれているからです。 理解されて当然、という傲慢があるから、他人の言動や行動にいらついた...
ひとつだけ確認したいんだけど、 もう君は望まないんだね。
分かり合えず孤独だからこそ、誰かと一緒にいようと思うんじゃないかね。 痛みを分かり合い傷をなめあうことを愛と思ってるとしたらそれは違うし、そういう意味で愛をとらえていた...
結婚している人も、そうでない人も、別れた人も、最後は一人で死ぬんです。 死ぬときは一人で死ぬのですよ。
そうなのか。なんだか寂しいね。