はてなキーワード: 腕力とは
結局「才能」じゃん?
たま~~に逆転があるけど、結局は「より才能のあるものを選別する装置」でしかないじゃん?
なんかこう駄目なオタクがはびこる界隈のピラミッドにソックリなんだよね。
上にいるガチ勢が新人をいびって「才能がねえなあ。そもそも才能を語るに値する努力が足りてねえなあ。死ねよお」しまくる感じ?
スポーツはどこまで言ってもそれをひたすら繰り返すだけだし、結局人類に残るのは「人類の才能って限界出すとココまであるらしいですよ!すごいですね!」って報告しかない。
芸術・発明・批評・製作といった他のコンテンツとくらべて余りにも生産性が低いなと。
生産性が低いならまだしも、ストレスの掛け合いのゼロサムゲームで勝利者に一時的に麻薬を流し込んでいるだけみたいな所があるのが悪質というかね。
勘違いしないでほしいから一応言うけど、体を健康的な範囲で鍛えること自体は良いことだと思う。
肺活量や背筋は集中力の厳選だし、握力や腕力があることが求められる仕事や創作活動はまだまだ多いからね。
反射神経や動体視力を鍛えるのも間違ってないと感じるよ。
でも「特定のゲームに勝つための工夫」とかに対してあまりやり込みすぎるのは人生が歪んでいるかなと思う。
「クイズ王」が「知識王」とはなりえないのと同じような罠が潜んでいるからね。
まあほどほどにやるなら、多少の酒・タバコ・宝くじ程度の物と思って大目に見るけど、あまり大手を振って「これこそが健全な趣味なり!」ってされるのはいい加減もう人類は卒業してもいいのかなと思うよ。
実際問題として、酒とかがまさに「大人の証!」と持て囃されていた時代はあったけど、最近は「え?こんなのにいつまでもいい大人が頼ってちゃ駄目でしょ?」が主流になりつつあるし、タバコはもう完全にソレだからね。
まじっすっげーすわーって思ったのよね。おもわね?俺は思ったのよ。
すげーと一緒に年取ったらこれできねーなっても思ったのよ。おもわね?俺はそりゃもう思ったのよ。
話変わるんだけどよ。俺はからあげにはレモンをかけるんだわ。文句でなけりゃ宴会の大皿にも率先してかけるねああかけるさ。
家でもしょっちゅうからあげ食ってるし。そんときは生のレモンを絞ってだばだb汁かけんのよ。もうすっぱっぱ。
たっぷりかけたいから片手でレモンを握りつぶすようにぎゅうぎゅうするんさ。
それを思い出してね。俺もオイルわけじゃん。握力落ちるわけジャン。
それで俺はいつまでからあげにレモンをかけれンだろってその動画をみながら思っちゃった。とっさの連想なんて止めれん。そうだろ?
生活を左右する車椅子生活者の大切な足な自動車にいつまで乗れるかって話とレモンを片手で絞れるのかって話をおりゃー同列に考えてしんみりしてやがるんだよ。
振り返ればすっげーくだらないしバカだしもうマジでやるせなくなって自分が哀れになったに。
これ共感力が低いって言うんすかね。人とずれてるってやつっすかね。とにかくちっせえ人間ってわからせられて悲しかったんだわ。
女は腕力で年少者を性的に暴行しないからちがう という話だとしてもそれはロリコンとは関係ない話
つまりロリコンと 対象者を威力で圧倒するというのは 関係がない
この事もふまえて ロリコンは結果であって原因ではない
ロリコンだから~ という事は結果から逆算して原因に至る経路なので つきつめればより限定的で特定の固有例にむかう
小説なんかだと面白いだろう手段だけど 人との話にするということは最終的に突き詰めた固有例を犯人などのオチにむかわせるのではなく
対話者のだれかにむけるためだとうということになるので おもしろい話ではない
ロリコンという結果を出力する傾向に多く含まれる またはどういった因子がロリコンと関係性の高いことになるかという事についてはなにかしら言及できるだろうけど
傾向(原因)と傾向(結果)をかけた話なので特になんの意義ももたない話になる
ロリコンが腕力のある知能の低い男性に限った話とするならそれは 腕力があって知能の低い男性に ロリコンが含まれるという話で ロリコンという呼称をそういう人間の属性にあてはめるものではない
仮にそれを前提として話をしているのなら 生贄に忌み名をあたえて葬ることで問題のある事象を閉じ込めようとする ロリコンの話でいえば自分がその範疇から外したいなにかのために だれかにおっかぶせようとしているようなことだろう
多く性的に異常な行動をとることに欲求の高まりがある人間について それを対象が幼少な人間で という絞り込みの結果がロリコンの一端になるけれど
暴力や異常性のない場合もあるだろうし その対象の性別や年齢にも層があるだろうし どの問題についてどれを考察に なんらかの問題抑制策を考えたい などであれば
原因を腕力で屈服させた
元増田は年齢も性別も書いてないのだが、勝手に元増田は30歳を過ぎた女で相手は同年代の男と決めつけて書く。
男が自分に愛情表現をするのは当然だが、自分から相手に愛情表現をするなんてありえない。自分は男をジャッジする側の存在だから男が自分に合わせるのは当然だが、自分が男の気持ちを考えたり男に合わせたりする必要はない。そういう考え方が本当に読んでいてキツいと思った。ある種の女が恋愛に対して示すこのような態度を私は「お客様気分」と呼んでいる。お客様気分で恋愛をする女は、若いうちの遊び相手としては良いかもしれないが、年を取れば価値を失うし、結婚相手としては「地雷」である。
10代や20代なら、相手の気持ちをまったく考えなくても若い女の性的魅力だけで男を引き寄せて繋ぎとめることも可能だっただろう。30代でも同じことを続けることは可能だろうが、当然のことながら女の性的魅力は年齢とともに衰えていく。40代50代で同じことを続けるのはかなり難しい。元増田が今の相手と結婚するのであれば、加齢とともに相手の態度が冷たくなっていくのを感じるだろうし、今の相手から別の相手に乗り換えるのであれば、加齢とともに相手に要求する容姿や身長や年収などの条件をどんどん下げなければいけないという状況に直面するだろう。
同性婚カップルや同居しない夫婦や子供を持たない夫婦といった多様な夫婦のあり方も存在するとはいえ、一般に結婚とは、男女が互いにセックスの相手としての地位を独占し、生活空間を共有し、互いに責任を持って家庭を運営し子供を養育するための契約として認識されている。元増田と結婚する男は、加齢とともに性的な魅力が低下していく元増田との盛り上がらないセックス以外を禁じられ、お客様気分で自分の世話をすることを要求する元増田をお姫様扱いし続ける生活を、離婚しないのであれば半世紀近くにわたって続けなければならない。
子供が生まれれれば状況は更に悪化する。当然のことながら子育てはお客様気分ではできない。親と乳幼児の関係では、お客様扱いされるのは後者の方だ。腹が減った、眠たい、おむつを替えろ、親にはそういった子供の要求にいつでも対応することが当たり前に求められる。親ががんばって作った料理を食べることを子供は平気で拒絶したりする。お客様気分で子育てをする親は、自分の思い通りにならない子供にむかって癇癪を起こし虐待に走る。なぜなら家庭においてお客様気分でいる権利を持つのは本来は乳幼児なのだが、親がお客様気分でいる家庭では、親が乳幼児と同じレベルにまで下りてきてしまっているからだ。乳幼児と同じレベルに下りた親は、子供が何か気に入らないことをすると、大人の体格と声量と腕力で、子供のように怒鳴り暴力を振るう。
元増田に必要なのは、男女関係において男女は対等なのだという当たり前の事実を認識し、自分の性的魅力は年齢とともに衰えていくという事実と向き合い、お互いに親密さを表現しなければ数十年単位で一緒に生活していくのは難しいだろうということが理解できる程度の想像力を持つことだ。とはいえ人間はそう簡単には変わらないので、相手の男の方は元増田に期待せず全力で逃げるべきだろう。「そういうことを私ちゃんからもやってほしい、言って欲しい」というのは、今のような「めんどくせ〜」という中二病じみた態度の元増田と数十年単位で一緒に生活していくのは苦痛に満ちたものになるだろうという当たり前の想像から出てきた要求だと思う。しかし断言するが90%以上の確率で元増田は一生このような恋愛観のまま生きていくのだろうし、このような女と結婚しても数年後には結婚生活は冷え切ったものになるだろう。子供が出来る前なら離婚すれば赤の他人に戻れるが、子供が出来た後では難しい判断が待っているだろう。DV男と結婚する女が幸せになれないのと同じように、お客様気分女と結婚しても男は幸せにはなれないのだ。