はてなキーワード: 星一とは
母上様お元気ですか?
イエナリエが点灯よ!
ひっそりと輝く小さなクリスマスツリーが置いてあるベランダが可愛いのよ。
それにもうみかんの花咲く丘公園駅前の広場なんか装飾もクリスマスチックな感じで
なんかイスラム圏のお友だちに
なんだ!普通にクリスマスムード賑わい祭り開催中じゃないって。
KFCだとか竹内まりやさんの曲が流れてそうなイキフンなのよ。
イスラムの人たちもクリスマスには寛容なのかな?と思ったりもするけど、
実際はどうなのかしらね。
ピリついてる人たちもいるかも。
分からないけど、
でさ
酷いのよ!
今年もその来年の手帳を今年のうちに買おうと探したんだけどお店に置いてないの!
おちこむわー!
サンタさんに同じ手帳をちょうだい!ってNORADにお願いしたいわ。
うふふ。
朝乳製品取り忘れたのでヨーグルト飲むタイプのやつもグビっと行きました。
乳製品は摂った方がいいわよ。
ヨーグルトとかそういうの。
梅ホッツウォーラー。
もうちょっと今朝は早く起きて優雅に余裕ぶっこきたかったわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
例えば、
生まれてこのかた、
どこで売ってるかすら見たこともなく、
且つ生の状態でも食べたことないトゲトゲの謎果物のドライフルーツとか
そういう系のざっくりひっくるめて、
食べ慣れてない得体の知らない、
トゲトゲ謎系も含め高級食材ってあるじゃない。
それ食べるとき、
どうどう?なんて感想を問われるけど
もう、ここまで迫られたら、
美味しいと言わざるを得ない包囲網!
これ美味しいよって言われても、
苦手なんだなぁーとも言えない包囲網!
もう、レインボーブリッジを封鎖して包囲するどころではないわよね。
迫り来る味の偏差値!
高級すぎて、もう何も分からない感じ。
言葉が出ないわ。
とりあえず美味い!
トップバリュ最高!
味の決め手は昆布だし!
続きはウエブで!
って贈ってくれた相手に言って
全部それを、
本当は言いたい自分の気持ちを世間のSNSの流れに代弁させるような感じでワンクッション入れ
台詞みたいに語るように語りかけ
あたかもそこが唯一のボケしろであるかのようでもあるハッシュタグにして投稿しておけばいい世界。
そうコンテンツとは、
シャンパンタワーの頂点のグラスに注がれたシャンパンはグラスからこぼれても良いことを初めて知ったあの日の夜のように。
夕べ杉の梢に明るく光る星一つ見付けました。
キラリと頬をつたう流れる涙一筋。
あ~こわ!
美食恐ろしいわっ!
朝昼晩とにかけて、
夜は小食にすると
なんか調子がいいような気がするわ。
やっぱり夜の食べることは身体に負荷が掛かるわ。
そんな朝美味しい
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
本を読むと他の人の感想が知りたくなってamazonのカスタマーレビューを片っ端から読む癖がある
で、さっきもある作品を読み終えてレビューを見てたら、なんかすっげぇ嫌なレビューがあった
星一つなのは人それぞれの感じ方だから別にいい、そうじゃなくてそのレビューの書き振りがカチンとくる
「色々盛り込んでみました〜って感じだけど全部浅いよね、ま、作者の教養の程度が知れるよね、やっちゃったね」的な
正当な評価かもしれんがオメーは何者だよ!!と思って、そのレビュアーの他のレビューも読んでみた
いくつか見覚えのあるレビューがあった
以前に別の作品で同じようにレビュー巡りをしていた時に、やはりカチンときた文章だった
同一人物かよ、なんだよそんなこと知りたくなかったよ
読む本けっこう被ってるじゃねぇかよ
読後感が二重に台無しだよ
とりあえずイケハヤのコンテンツの中身が薄いってのは同意する。
でもnoteのことを有料課金の新しい挑戦だって褒めてたのに、イケハヤが活動を始めたらバッシングするのっておかしくない?
ブログ飯をそそのかすから悪質っていうなら、KDPで売ってるぐるりみち。のブログ本も同じように批判すべきだし。
有益と悪質の線引きは何?
だいたい有料コンテンツをいくらにするかは売り手の自由だし、価値があるかないかなんて金を払う側が決めればいいこと。
それを買ってもいない人間が批判するのは、嫌いだから星一つですっていうアホなレビューと変わらなくない?
中身の薄い自己啓発コンテンツと、悪質な情報商材ビジネスはまったく別物だけど、わかってて混同させようとしてない?
その一方で、サイバーゴキブリと悪意のレッテル貼りをしているブクマカが毎日のようにまとめサイトを拡散してる。
よくわからないけど、いつからまとめサイトは許される存在になったんだろう。
先日、初めて作った有料のiOSアプリを無料にするキャンペーンをやってみた。
それまでは数えるぐらいのダウンロード数で、レビューもフィードバックも何も無い日々だったけど、
無料にしてみた事で1万ダウンロードぐらい落とされて、レビューもちょっとだけ付いた。で、なんとなく分かったこと。
直感的には、身銭を切って買ったものは批判的、無料な物に対しては寛容的と思うかもしれない。だが、実際は逆のようだ。
金を出したものに対しては、自分の判断が間違っていなかったということを裏付けようとして無意識にポジティブなバイアスが掛かる。
逆に無料なものについては、気楽に手に入れた分だけ、気軽に非難する事が出来る。説明や注意も読まず、すぐにゴミ扱い出来る。
おそらく、手軽に手に入れられる物はきっと手軽に作られたのであって、尊重するに値しないという、一種の認知的不協和があるのだと思う。
この辺は、高級ブランドのメーカーが無駄に高い価格を設定する戦略にも通じている。
これは上と似たような話ではあるし、多くの人が既に知っている事だけれど、無料ユーザーのリテラシーの平均値はちょっと低い。
それもそのはずで、iOSで購入をしようとするなら、クレジットカードを持っているか、iTunesカードを買ってそのコードを打ち込むという操作が必要になる。
キャリア決済出来る国もあるのかもしれないけど、基本的にそれらを完遂するには結構なリテラシーが必要だ。
一方、無料なら単に落とすだけ。それこそ幼稚園児でも可能である。
なので、何らかの知識を前提としていたり、操作が複雑に見えるようなアプリをその手の人達に渡してしまうと、
あっさり「使い方がわからないので星一つ!」みたいな反応を食らってしまう。
レビューシステムについては色々な意見があるとはいえ、未だに多くの人にとってアプリを見定めるフィルターの第一段階になっていることには変わりない。
なので、星一つをいくつも付けられると無名デベロッパーの無名アプリなんかはあっさり殺されてしまう。それってかなり怖いことだ。
自分は知らなかったのだけど、世の中には多くのアプリ値引き情報を扱うサイトが存在していて、
単に値引きしただけで情報をキャッチしてクローズアップしてくれる。
そこで自然流入してくるユーザーは有料ユーザーにはなってくれないと思うけれど、アプリ好きのアーリーアダプターである可能性は高い。
なので、レビューをしてくれたり、今後のアップデートでのバイラルの起点になりうるという点で貴重なユーザーベースになってくれるかもしれない。
特に海外展開もしている場合は、アピール方法が全く思いつかないような国にも自然流入が発生してくれる。
これは語弊があるのかもしれないけれど、例え親しい間柄であっても、それが仮にビール一本分の値段だったとしても、有料であると分かった時点でシャットアウトしてしまう人種が居る。それもほとんどの人が。
開発者の目線だと、どんなアプリにも作る苦労があって、機能から判断して割高に感じるアプリなんてそうそう無いと言えるんだけど、消費者の目線はそうじゃない。
自動販売機やコンビニでは気軽に散財しても、100円のアプリを買う事には慎重で賢くあろうとする人達が存在する。
この辺は作り手と消費者の越えられない壁みたいなものだし、分かりあえない前提で立ち向かわなければならないんだけど、
作った苦労に対価を認めてくれないという現実に無感覚で居られるようになるためには、ちょっと訓練が要る。
無料か有料かということよりも、開発者として何よりも重要なのはフィードバックを得ること。
無反応で消えていくよりかは、バラ撒いて反応を得て学習をしていく事で改善する方が遥かに生産的で、次の企画にも繋げられる。
なので、無料化はマーケティングの一つの手段として、基本的にはかき集めたフィードバックに応じてイケてるアップデートをしたり、どんどん新しい物を作っていくだけである。
どんなアプリであっても、裏にはこんな事を考えて日々試行錯誤している生きた人間が居るという事なんだけど、
自分も含めて、消費ばかりしていると時々そういうの忘れがちだよね、ということで。
えーとね、こういうのは経験しないとわからないことがあるから余り俺の意見を言っても仕方ないと思うんだよね。むしろ、人の意見を下手に聞くと間違って鵜呑みにして余計変なことになるのがオチだから、結局は自分で考えるしかないんだけどね。
仮説というほど根拠のあることとは思えない、論理的に飛躍がある、というなら是非、その部分を指摘して、僕の仮説なんかコテンパンにのしてしまって欲しいのですが……僕が一番望んでるのは、それです。僕自身一番認めたくない考えだから。
じゃあちょっとやってみようか。
しかし、既に「問題が解ける」ならば、その問題はあまりやる必要がなくて、寧ろ、解けないものこそ解けるようにすべきなわけだろ。
とすると、勉強をしていて「楽しい」と思う瞬間ってのは、イコール受験・資格勉強的には無駄な時間であって、受験・資格勉強的に有意義な勉強というとどうしたって苦しくならざるを得ないのだろうか?
ここの第一文と第二文が飛躍じゃないかなと思うんだ。なぜかというと、
この辺の話がすっ飛ばされてる気がするからなんだ。
わかりにくいから、ゲームでたとえてみようか。
まず前者は、神竜でもダークドレアムでも何でもいいんだけど、反則的に強い裏ボスを倒すために必死こいてレベル上げしたりするわけだけど、そのレベル上げ自体が苦痛な作業なのかな、ってこと。好きでもないゲームのレベル上げなら苦痛だろうけど、「裏ボスを倒す」という目標を持ってのレベル上げなら苦痛ばかりとは言えないんじゃないの?
後者については、そのレベル上げが終わった後の話ね。裏ボスでも瞬殺できるようなレベルまで上がったとして、君はその裏ボスを倒さずにゲームをやめてしまう?そんなことはないよね。実際は裏ボスを実際に倒してみる。そして、そうしないとわからないこともあったりする。実はレベル上げが足りなかったとか、レベルをそこまで上げなくても勝てたんだとか、いくらレベルを上げても戦術が下手だったら無理なんだとかね。そういうことを繰り返していってはじめて、ゲームの腕も上がるってもんじゃないの。
それを受験勉強に当てはめてみるとどうなるか、ってことだよ。
「楽しいと感じる勉強に意味があるのか」の「意味があるのか」は、精神論的な意味ではなく、「無駄ではないのか」の意味です。「意味があるのか」と書きますと、精神論的なそれと間違いそうになるので、できれば「無駄ではないのか」に変えて欲しいです。
いや、精神論馬鹿ってのはね、「苦しんでやらない努力は無駄」というような迷信を根拠もなく信じてたりするもんなんだよ。
まあ、それはおいといて、俺が言いたかったのは、自分で考えて結論を出せそうもないことを延々と考える方がよっぽど時間の無駄じゃないかな、と思ったわけ。たとえば、星一つない真っ暗な山の中で道に迷ったとき、「方角がわかれば迷わずに出られる」と発想するのは間違ってはいないんだけれど、そこで「北はどちら向きか」と考えても、手がかりがなければ結論だせないでしょ。だったら、一か八かでもどっちかに歩き出すか、あるいは日が昇るまでじっとしているか、何かそういうことをしたほうがいい。
そもそも、自分の勉強のやり方に意味があるかないかを自分で判断できないようなら、まだまだ経験の蓄積が足りないんじゃないかな。失敗も成功も含めてもっと経験を蓄積した方がいい。そうやって体で覚えないとなかなかものの考え方って身に付かないからね。
実を言うと、受験勉強自体が体育会的なんだよね。「これを勉強してなんか意味があるの」と聞かれても、たぶん答えは出ない。正直「勉強したらわかる、それを信じるかどうかは君次第だ」としかいいようがない。なんでかっていうと、学校で教えてることは、今までの人類の長い歴史での知識の蓄積を圧縮して詰め込んだものでしょ。昔の大天才が一生費やしても解けなかった問題を君は練習問題としてこなしていたりする。それが味気ないのは当然だよ。でも、その辺を一度は通過しておかないと、人類の現段階の到達点にはとても追いつけないでしょ。
そういうわけで残念ながら、現代では知の最先端に到達するためには「知識を詰め込む技術」というのもどうしても必須になる。そして、受験勉強をやるということは、その技術を習得するための過程でもあるんだ。むしろ教科書の中身よりも大事なのはそっちかもしれないね。教科書の中身を忘れることはあっても、勉強のやり方を忘れることはないからね。