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はてなキーワード: ダークドレアムとは

2024-09-03

anond:20240903010223

ワイはわたぼうをどうでもいい配合に使ってしまってダークドレアム作れなくなったことがあるやで。

2018-12-20

anond:20181220143726

ダークドレアムじゃね?っていう説を唱えてる人がいたな。

2018-10-20

anond:20181020181108

つぎつぎに新型兵器を買い求める日本国政府を見ているとDQ6のダークドレアム召喚儀式を思い出すんだ

2017-12-07

ドランゴに会えない

レトロフリークで十年ぶりにSFC版のドラクエ6をやっています

はぐれのさとりをアホほど入手しようと思ってゲームを始めたので、サクッと本編クリア

お楽しみダンジョンに潜りました。

話は脱線するけど、画面の左右がループする不思議洞窟でXボタン十字キーの右を洗濯ばさみで固定してると勝手戦闘を繰り返して職業熟練度が溜まる。その上レトロフリークにはオーバークロック機能という早送り機能がついているので、三十分も放置すれば大抵の職業マスター

あれよあれよと7人がはぐれメタル以外をマスター。一人はぐれメタルも含めて全職マスターがあっさり揃った。

レベルとしてはまだ50くらいなのだけど、デスタムーアさえ自動戦闘であっさり蹴散らしちゃう

さて、件のさとりを持っているダークドレアムだけど、20ターン以内に倒すとエンディング突入しちゃって煩わしい。

ので、たとえ1ターンで倒そうとそのまま続くダークドレアム戦の前に最終セーブをして、隠しダンジョンに潜っているわけです。

そうすると実感するけど、アレな。

ハザマの世界アイテム買ったり拾ったりできないと装備が貧弱。

小さなメダルも半端。

やまびこぼうしはブースカが出るから拾えるけど、サタンジェネラルが出ないのでメタルキングヘルムは手に入らない。

レトロフリークのクイックセーブイカサマし放題のカジノでもメタルキングの鎧がもらえるのはハザマの世界

ストーリーの進行上テリーも仲間にならない。ボストロールキラーマシン2も同様。

とするとテリーに紐づいているドランゴが仲間にならない。

これはつらい。

あのへんな生きものは まだアークボルトにいるのです。たぶん。

2008-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20080802014426

えーとね、こういうのは経験しないとわからないことがあるから余り俺の意見を言っても仕方ないと思うんだよね。むしろ、人の意見を下手に聞くと間違って鵜呑みにして余計変なことになるのがオチだから、結局は自分で考えるしかないんだけどね。

仮説というほど根拠のあることとは思えない、論理的に飛躍がある、というなら是非、その部分を指摘して、僕の仮説なんかコテンパンにのしてしまって欲しいのですが……僕が一番望んでるのは、それです。僕自身一番認めたくない考えだから。

じゃあちょっとやってみようか。

しかし、既に「問題が解ける」ならば、その問題はあまりやる必要がなくて、寧ろ、解けないものこそ解けるようにすべきなわけだろ。

とすると、勉強をしていて「楽しい」と思う瞬間ってのは、イコール受験資格勉強的には無駄時間であって、受験資格勉強的に有意義な勉強というとどうしたって苦しくならざるを得ないのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20080801233145

ここの第一文と第二文が飛躍じゃないかなと思うんだ。なぜかというと、

  • 解けることだけが楽しいのか?解けないことに苦しんでいる時間の中に楽しみはないのか?
  • 解けそうだという感触が持てることと、実際に解けることは同一視してよいのか?

この辺の話がすっ飛ばされてる気がするからなんだ。

わかりにくいから、ゲームでたとえてみようか。

まず前者は、神竜でもダークドレアムでも何でもいいんだけど、反則的に強い裏ボスを倒すために必死こいてレベル上げしたりするわけだけど、そのレベル上げ自体が苦痛な作業なのかな、ってこと。好きでもないゲームレベル上げなら苦痛だろうけど、「裏ボスを倒す」という目標を持ってのレベル上げなら苦痛ばかりとは言えないんじゃないの?

後者については、そのレベル上げが終わった後の話ね。裏ボスでも瞬殺できるようなレベルまで上がったとして、君はその裏ボスを倒さずにゲームをやめてしまう?そんなことはないよね。実際は裏ボスを実際に倒してみる。そして、そうしないとわからないこともあったりする。実はレベル上げが足りなかったとか、レベルをそこまで上げなくても勝てたんだとか、いくらレベルを上げても戦術が下手だったら無理なんだとかね。そういうことを繰り返していってはじめて、ゲームの腕も上がるってもんじゃないの。

それを受験勉強に当てはめてみるとどうなるか、ってことだよ。

楽しいと感じる勉強意味があるのか」の「意味があるのか」は、精神論的な意味ではなく、「無駄ではないのか」の意味です。「意味があるのか」と書きますと、精神論的なそれと間違いそうになるので、できれば「無駄ではないのか」に変えて欲しいです。

いや、精神論馬鹿ってのはね、「苦しんでやらない努力無駄」というような迷信を根拠もなく信じてたりするもんなんだよ。

まあ、それはおいといて、俺が言いたかったのは、自分で考えて結論を出せそうもないことを延々と考える方がよっぽど時間無駄じゃないかな、と思ったわけ。たとえば、星一つない真っ暗な山の中で道に迷ったとき、「方角がわかれば迷わずに出られる」と発想するのは間違ってはいないんだけれど、そこで「北はどちら向きか」と考えても、手がかりがなければ結論だせないでしょ。だったら、一か八かでもどっちかに歩き出すか、あるいは日が昇るまでじっとしているか、何かそういうことをしたほうがいい。

そもそも、自分の勉強のやり方に意味があるかないかを自分で判断できないようなら、まだまだ経験の蓄積が足りないんじゃないかな。失敗も成功も含めてもっと経験を蓄積した方がいい。そうやって体で覚えないとなかなかものの考え方って身に付かないからね。

うーん。こういう体育会的なノリは少し僕は苦手です。というかそれこそ精神論的では、と思うのですが……

実を言うと、受験勉強自体が体育会的なんだよね。「これを勉強してなんか意味があるの」と聞かれても、たぶん答えは出ない。正直「勉強したらわかる、それを信じるかどうかは君次第だ」としかいいようがない。なんでかっていうと、学校で教えてることは、今までの人類の長い歴史での知識の蓄積を圧縮して詰め込んだものでしょ。昔の大天才が一生費やしても解けなかった問題を君は練習問題としてこなしていたりする。それが味気ないのは当然だよ。でも、その辺を一度は通過しておかないと、人類の現段階の到達点にはとても追いつけないでしょ。

そういうわけで残念ながら、現代では知の最先端に到達するためには「知識を詰め込む技術」というのもどうしても必須になる。そして、受験勉強をやるということは、その技術を習得するための過程でもあるんだ。むしろ教科書の中身よりも大事なのはそっちかもしれないね。教科書の中身を忘れることはあっても、勉強のやり方を忘れることはないからね。

 
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