はてなキーワード: 感染源とは
お金がないなら、シェアハウスに入るよりも、安いアパートを借りられるように自治体の生活相談を受けた方がいい。
ドミトリーが危ないのはもちろんだが、シェアハウスの個室に入居してもリスクの高さはさほど変わらない。
いまシンガポールで新型コロナウイルスが感染拡大していて、東南アジアで最悪の事態になっているそうだ。
そして感染拡大の原因は、外国人出稼ぎ労働者の宿舎だとみなされている。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/04/post-93253.php
日本の都市部のシェアハウスは、記事を読むかぎり、このシンガポールの外国人出稼ぎ労働者の宿舎たいして変わらないと思う。自分のいたところがそうだった。
シェアハウスは、居室自体は個室でも、キッチン、トイレ、バスルーム、洗濯スペースが共用になっているところがほとんどだ。
清掃業者を毎日入れて掃除しているような、運営会社がしっかりしたところもまれにあるが、9割以上のシェアハウスは週に1、2回、管理会社か契約の清掃会社が入る程度の衛生管理だ。入居者の自主的な掃除に任せているところもある。
するとどうなるか。
共用部の衛生管理がどうしてもおろそかになる。フロアあたりの入居者が多いほど共用部の利用圧は高くなるので、より汚くなる傾向にある。
たとえ掃除が行き届いているように見えても、他人が触った蛇口、シャワーヘッド、ガスコンロのつまみ、洗濯機のフタ、ドアノブなど、接触感染のリスク要因になりそうな箇所はあげるときりがない。シェアハウスにいる限り、感染者がそこから出た場合、自分の身を守りようがない。
かといって、感染者が出た場合でも、本人が管理会社や他の入居者に自発的に知らせることはまず期待できない。
そんなに簡単に転居することはできないので、管理会社から追い出されるのを恐れて、自然と感染を隠す方向に配慮が働く。
すると、感染者がどうやらいるらしい、自分も感染したらしいと気づく頃には、感染はシェアハウスの入居者全体に拡がっている。
黙っていれば他人が感染してしまうだろうという罪悪感があっても、症状が出ているときにはもう身動きすら難しくなっているかもしれない。かといって、感染がシェアハウス全体に拡がり、どうやら自分が感染源らしいと目をつけられたころには、感染させられた他の入居者は家族ほど寛大ではない。入居者が仕事に行けなくなってしまい、生活苦に陥った場合に、補償をする能力が自分にあるかといえば、まずないだろう。
❶自粛要請を聞いてくれずに車で遊びに行く他県ナンバーのお客さん
❷他県ナンバーの車を見かけただけでコロナの感染源だと思って攻撃してくる地元の人
リベラルとしては、どっちを応援すればいいのか分からなくて困る。
排他的な田舎なんて非難したい気持ちもあるけど、陽性の人の移動で本当に感染が広まると、地方の妊婦さんや病気の人が困るだろうし・・・。
女性専用車両みたいに弱い人を守るための緊急避難として、差別ではないけど問題が残る社会的区別として容認するしかないのかな。
でも法律もないのに自粛要請でお互い見張って行動を縛るなんて、戦前の監視社会そのものだよね。
欧米みたいに移動を禁止する法律を作らない政治家が一番悪いと言いたいけど、もしそれで憲法までいじると、それはそれで安倍に好きなように改憲されそうで困るし・・・。
「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の開催
さて、裁判を2度も3度もやらないと発信者の責任追及ができない現状をどこまで改善できるか、@masahirosogabe 先生の腕の見せ所ですね。https://t.co/TQA82D3eyL— 田丁木寸 (@matimura) 2020年4月23日
こう言う事余り言いたくないけど、今真っ先にすべきなのはコロナ禍に対する対策であって、この手のコロナ禍に関係ない法案や研究会とかは後日平時の時に行うべきでしょ…。
少なくとも今は非常事態宣言が出ている訳だし、それ以外の法案についてはひとまず凍結して、コロナ禍の対策をし続けるべきだよ。
更に言えばその集会自体世間ではコロナの感染源になりえるとして自粛ムードなのだから。
しかしこれを見ても碌でもない事やどうでも良い事、今必要のないやるべき事ではない事はすぐに決めたり、やろうとして必要のない事をなかなか進めないのだから救いようがないよね。
この手のを見ていると予定の決まった事だからとか言い、問題があっても推し進めたりしようとするのが一番の問題だと思う。
結果、どんな弊害や被害が出ようがお構いなしにやり続けるのだから。
この手のある種の融通の利かない動脈硬化を起こし、柔軟性の欠けた思考や行動に支配されているからこそ、必要な対策を遅らせ、重篤な事態を招くのだろうと思う。
しかし官民問わず、危機感の無い人達こそこの手の思考の人が多いよね。
ある種の平和ボケとも言えるかもしれない。
以前から、セクハラの線引き問題を筆頭にして「他人と関わるリスク」は認識されていたが、コロナウイルスの存在により、それは物理的にも正当化されることになった。
その結果、危機感にも煽られて、他人は感染源で迷惑で税金泥棒でワガママだといった妄想意識は、正当なリスク認識とぐちゃぐちゃになったまま、行動で示されるようになった。
例えば、電車車内でのマスク無しの咳に対する叱責なんかは、感染するリスクを権威者とした社会的ミルグラム実験に、そういう意識をこっそり載せたようなものだろう。
https://okuranagaimo.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html?m=1
ところで、上記ブログはコロナウイルス後の世界について書かれたものだが、各論に基底として在るものの、そこに明示されていない事項は、「人間嫌い」に対する社会的容認が進むということではないのだろうか。
テレワークの話なんかはまさにその通りであるし、ナショナリズムの拡大も、人間から組織へのシフトと考えればそうなるだろう。政府のやることにつべこべ言うな!という意見も、まさにその現れだろう。
こういった、自分以外の人間は汚らわしいという意識は、政治経済よりも根源的である人間関係の在り方をも変えてしまうだろう。あんなに親しい家族でさえ、ウイルスを持ち込むリスクになるのだから。
インフルエンザの頃から、子供が学校でもらってきた、といった例があったが、これが致死傷になるのであれば、まず家族を持つことに躊躇いが生じる。一人暮らしのスタイルは優位性を持つだろう。
その結果、少子化対策には国民の理解が得られなくなる。そして、まさに濃厚接触である生殖行為も、個人的行為のまま遠ざけられていく。その結果、人間においても人工受精が進むだろう。
「平常に帰る」ことはない、それが一番大きく現れる分野は、まさに自分と他人の人間関係においてだと思ったので、とりあえず急いで書いてみることにした。
すっげー真剣にそう思う機会があった。
今日スーパーで、大学生くらいの人生舐めてそうな男女のグループが、
マスクもせずに楽しそうに騒ぎながら買い物してた。
近くを通り過ぎるたびに、怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた。
あのなー。マスクは別に、してる人を守るためだけにあるんじゃないのよ。
ぶっちゃけ、マスクの予防効果ってそんなに大したことないのよ。
じゃあなぜマスクをするかというと、くしゃみや咳などによる飛沫を防ぐため。
お前らの中の一人でも感染してたら、そこから濃厚接触者が十人、百人単位で発生する。
そういうことに想像力が及ばないアホは、もう家から一歩も出るな。