傘に限らずオレは忘れ物が多いので、普段の鞄以外に余計に何かをを持ち歩く時は手首に簡単なブレスレットみたいなの付けるようにしてる
これがあると他に何か持って出てるぞという合図として
乗りかかった船だから
↓
ずっと苦しんでいます。シゴトは一緒にするとして
それ以外ですこしでもあなたを排除 プライベートでは関わらないように
かかわらないで、載せた覚えがない
↓
僕にとっては、一人で、組み立てるもの
こっそり
↓
それで怒る人がいる つまり 怒るやつは頭がおかしいと否定した おれからすると 普通怒る。300円だからとかのはなしじゃない。
ジャイアン しょうがない。黙る 場合によってはそのまま捨てる。文句も言わない。
新しいものを
↓
いやなんだ。もう嫌なんだ。ごめんなさい。
この意見に賛同だ。Vtuber はテレビタレントよりキャラクターを強く押し出すように作られているから、共感性が高い。コメントを拾うムーブは身近さを感じさせる。
がんばったんだろうな。でも、もうちょっとがんばらないと まだだめなんだよ。世の中は厳しい
vs
まだ努力と言えない(否定)のではないか?(疑う)→そうだね、ぼくは大した努力もしてないのに、騒いでる まぁそうだね。
それでもね、大騒ぎして、迷惑なやつ 知ってる それでも
いやいや、多くの人が、叱咤激励してくれるから、ちょっとづつ、できている。
ちょっとづつね
○ご飯
朝:チーズ乗せスクランブルエッグ(チーズオムレツの成れの果て)。昼:カレー。夜:人参と玉ねぎとウインナーのコンソメスープ。コーンパン。チーズパン。間食:会いたいから買っちゃおうアップルパイ。
○調子
むったりしてた。
○ワーフリ
アビ6解放で沸き立ってるけど、超級武器終わってないので若干カヤの外感がしますね。とはいえアーカルムパスと同様日課系なので消化はしてる。
行くのはあなたの方
だめだなっておもう。
これはもううかるきがしない。
自己破産したくなかった。もうむりだろうな。なんにもいらない。
命だけはほしいけど
いっつもいってる
寝ている間に苦しまないように殺してくれって
予告とかも苦しむから
人が死ぬほど苦しめれば
何をしちゃいけないか
わかりやすい
あーそっかそっかぁと
人を苦しめて
自分が賢くなればいい
人を苦しめれば
苦しめるほど
自分が学べる
あーそっかそっかと
いわれるたびに
また実験台 人体実験 というより 非人実験 速く死ね どうやったら人が自殺するほど苦しむか 俺たちは知りたいんだという人たち
俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
うん、銀英伝のファンのあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイートの認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。
でもさ、
ことと、
twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシングを煽動してるようにしか見えないんだわ。
ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句だからね。
「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
もちろん、昨今のネットの社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかしな社会学者の存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。
ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?
文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズムに同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性の問題を惹起するよなあ。
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。
ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。
つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイがバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士や研究者によって献血ルームが攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブの農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。
ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものにヒステリックに反応するのは自明の理では?
悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。
だからといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)
実際問題、2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現(特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者の定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動
いや、ネットで表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者の世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベルで新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。
この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterでしか「社会学者」を知らなそうな人多くない?
そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……
アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーやオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。
アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者や数学者や工学者や物理学者や言語学者や文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterのオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。
そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たちの表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージを形成しちゃうよね。
もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。
『ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?
例えば文献資料が少ないなんて言われてるヨーロッパ中世なんて、考古学的手法で発掘調査までやってその時代にあった細かいものまで比較研究で照らし合わせて、中には本当に実際に当時の器物を作ったりして実証したりしてるのに
日本は文献資料や現物さえ残ってるのに、実際の細かい部分に関しては誰も研究しないし何もわかってないんだよね、江戸時代の頃でさえ
だから江戸しぐさみたいなカルトが付け入る隙があるんじゃないの?って思う
例えば弓矢一つとっても、現在日本で使われてる和弓は構造的に江戸時代につくられたもので、それ以前に使われた物は構造や概念はわかっていても、実際どんなだったかって実験してみたりどれくらい使われていたかなんて細かいことを研究してる人がほっとんどいない
イギリスじゃ、大学が機材使ってロングボウの実験とかを行って博物館や子供向けの書籍にフィードバックしてるのに
元寇の時はカミカゼで勝ったとか神話になってるけど、実際は日本側が台風なくとも対策を十分に練って迎撃してたのが知られたのはここ2~30年の話、てつはうの有名な絵だって、加筆されたりしてたの発見したの小学生の素朴な疑問からだし、海外と違って豊富に当時の史料が大量に残ってるのになんでこんな体たらくなのさ、海外の日本文化研究の方が、よほど進んでいる場合さえあるんだぞ
ぶっちゃけ、そういう自国の歴史に対して真摯に向き合わないくせに、大和魂だ世界に誇る日本文化だとか都合よく思想の道具に振りかざさないで欲しいよな