ただ体の形にもブサイクってあるんだな と
デブは痩せたら綺麗になる
たるんだ体より引き締まった身体の方が美しい
それはもうその通りだとしても
骨格やバランスから 痩せてもそんなに映えない体つきってあるんだな〜と
人のこと言えんのかってのは重々承知で
31歳の相手も32歳の相手も、増田さんはH目的だったのかなー。
結婚したいって暴れてるアラサー女子にモテてるとか思えるって凄いなー。
失敗恐怖症ですね
私「いえ、A案は投資額も多くリターンも見込めないため反対です」
佐藤「あ、そうですか。では意見をまとめようと思います。A案で良いでしょうか?」
私「いえ、A案は投資額も多く私の部門としては反対ですと先ほど言いましたよ」
佐藤「あ、そうですか。」
山田「私もA案には反対ですと申し上げました。B案なら進められます」
佐藤「うーん、いろんな意見がでましたね。では、今回はA案でいいですかね。」
佐藤「あ、はい、まあでもA案はダメっていう理由はありましたっけ?」
で、佐藤が書いてきた議事録を見たらA案で決定って書いてあるわけです。
それで、私や山田が「A案には反対したからこの議事録はおかしい」って返事を出すと、
じゃあまた打合せしましょうって悪びれることもなく返信してくる。
こういう人に会社で年に1回くらい出くわすんだけど、こういう人の頭の中はどうなってるの?
昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識も素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。
来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。
それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。
チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。
昨年1月、松居大悟監督の映画「アズミ・ハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様を暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。
この映画の主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw
”不安を言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”
チャットモンチーというのが、かように豊饒な言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督のオファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。
それからYouTubeでチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。
それまでの俺の中でのチャットのイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年だから俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。
”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”
俺にはほぼ縁がなかったピュアピュアな恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラスが運動会の応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……
ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行ものに必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいたものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。
ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。
それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である。
“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”
スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラを放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我の肥大化に慢心もできる。しかし歌詞はこう続く。
“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”
そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱や栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。
この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。
さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか?
ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフトを惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己史認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉子作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A)
中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーそのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。
後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。
今日はたぶん、4月に勤め始めてからこれまでで一二を争う忙しさだった。何でこんなに今日混んでんの?謎。
そんな日に限ってオーナーが来てるし、正社員氏はずっとピリピリしていた。
新人のアルバイトの人が来ていたけど、めちゃめちゃ普通に仕事していて私と並んだらどっちが新人なのかわからない。新人氏がすごいのか私がダメなのか、どっちだ?と思ってどんよりした気分になる。
新人氏、先週バイト用の履歴書をお買い上げになったお客様だ。あんまり人の顔覚えない私なのに何故か覚えていた。別に際立った特徴のある顔の人でもないのだが。
これまでずっと、正社員の誰か一人と組んで仕事をしてきたけれど、今日はベテランのパートさんと組んだ。その人に、「本当はパート・バイトの二人組で店番して正社員がバックヤードにいるみたいなのが普通なんですか?」って聞いたら、そんな事はなくて、以前は今よりも人が少なかったから深夜2時まで一人で店番しなきゃならなかったくらいだっていう話だった。
オーナーに言いつけられた仕事を、私は一度も実践した事が無かったので教わったやり方を忘れてしまっていたから、すみませんやり方教えて下さいってお願いしたらオーナーが怒り出した。
「あっっっの馬鹿息子(店長のこと。)ーーー!!ちゃんと新人に仕事を教えんかーーー!!」
うわ店長ごめん。
ある若い男性客が、精算のあとにめっちゃ私の目を見ながら言った。
「ぼく、こんなところにコンビニがあるなんて、知りませんでした!
近くのジムに通ってるので!
お、おう。
サマーウォーズみたいだ。
500mlの紙パック入り飲料に黙ってストローつけないと怒るお客様ご来店。私のミスにすごい勢いで腹を立てたわりには懲りずに私の担当レジに並んでいらっしゃるんだけどなんなの私のファンなの?
ストローで怒られたのがすっかりトラウマでキョドってしまい、ストローをつけるのは忘れなかったけど今度はお弁当から辛子を取り忘れてレンジに入れそうになってしまった。
「ふふっ、やだー、辛子取り忘れてるわよ☆」
何でこう同じ人に対して重ね重ね失敗してしまうのだろうと、凹んだ。
すみません、横ですけど
その人に100%の尊敬や信頼を向けられなくても良いんだけど、
・言葉ではまともなこと言ってるけど、不安だから自分自身にそう言い聞かせる為に言っている感じがする
・正義のふりをして、なんか現実逃避 or 既得権益の維持を志向してね?
・批判を受け付けることができない
これって、全部検証できるならしてみては?
おできにならないなら、表に出さず水面下で努力している人とか、
あるいは増田さんがその人への心が離れているために勝手に嫌うための方便なのではありませんか。
増田さん自体が誰かを好きになったり、尊敬したりできない性質なのでは?
「相手を悪者にしたい」のはわかりますけれど、無理があります、書いてあるのがインプレッションでしかないもの。
正直、「もう嫌になった」でいいのではないでしょうか。
増田さんは他に好きなものや興味が移るとき言い訳が多いようです。
「なんか~なくね?」
他人も、増田ほど厳しくない。失敗しても、増田ほど否定しない。
陰で言われてるかもしれないが、
そのうち、陰で言われようが結構平気になってくる。
批評ばかりしていたら、行動をしなくなるのかもしれない。
なるほどな〜、「盲信・依存状態にならないように」ってのには考えが及んでいなかった。
確かにそういうところはある。
なんていうか、「そこそこ信頼できる人」ってのが難しいところで、うまく言えないんだけど雰囲気で書くと
・自分の考えを疑える
・割と素直に行動する
って感じかな。
そんな人でないと、なんか尊敬・信頼の感情が全く湧かないんだよな。
これって変なのだろうか?
その人に100%の尊敬や信頼を向けられなくても良いんだけど、
・言葉ではまともなこと言ってるけど、不安だから自分自身にそう言い聞かせる為に言っている感じがする
・正義のふりをして、なんか現実逃避 or 既得権益の維持を志向してね?
・批判を受け付けることができない
みたいな感じだと、なんか話してて脳が冷えるような感覚がするんだな。変な言い回しだけど。
そんで、そういう人しか周りにいなかった場合、脳が冷え続けるっていうか人間不信になるし、そりゃあ前田氏みたいな結果になるなぁと思った。
そこらへんが悩みで、とりあえずどこかで社会には諦めをつけて、自分にとっての前者を探し続けるしかない、みたいなことになると思うんだけど、これはとても難しいことなんじゃないかと感じている。
一応、色々と行動して見てはいるんだけど、みんなどうしてるのかを知りたい。
角材lover😳🤓
M氏は、そんなことを考えながら、眠りについた。