見聞きした感じ、警察や大学や役所などでは、イジメ・ヤクザ・カルト辺りは殆ど何もしてくれないんではないかなぁ。詐欺は対応してくれる可能性が高いけど、犯人を逮捕したとか教えてくれないし返金もされない。犯罪等の大半は警察では取り扱われない状況になっていると思う。まさに関わったら負け。
10月頃とかに推薦で受験が終わった高3がこの時期まで「受験生」と扱われて
「受験生としてふさわしい振る舞い」とやらを強要されてるの、非効率すぎる。
「受験終わったから大学に向けてなんか本でも読む」と小難しい本を買い込んだ推薦組を
「受験生のくせに無駄な本を読むな」と叱責するメリットってなによ。遊んでるわけでもないんだし目くじら立てることじゃないと思うんだが。
「はい。一度送金して頂きまして、その返金というカタチで還付金は支払われるのです。
元増田です。
アドバイスなどなどありがとうございます。
自分が楽しみにしていた予定のある日でも、仕事のある日でも盛大に寝過ごして悔しい思いをしたり迷惑をかけたりして、
本当に嫌で嫌で、寝坊して起きたら衝動的に壁に頭を打ちつけてしまうくらいには自分で自分にイラつくのですが、
いつまでたっても直らないし、色々あって、やる気や根性ではこれはもうどうにもならないんじゃないかと思い始めたのが数年前です。
数年に渡ってあれやこれやと試してはいるのですが、あまり金銭的に余裕もないので、なるべく安く試せるものから手を出している感じです。
起きられる勢の人たちがアラームが鳴った際にどういう感じで起きてるのか知りたいなーというところがメインだったので特に書かずにいましたが、
発達障害(ADHD/PDD)があるせいか生活リズムが簡単に乱れたり自律神経がすぐ興奮したりと、なんだかんだ妙な特性があったりするらしく、
色々なところにむずかしさが散らばっていて普通の手段ではなかなか効果が得にくいというようなことがあるのかもしれません。
あと、そもそも睡眠障害なり何らかの病気を疑うレベルで私の状況は「おかしなこと」なのでしょうか。
確かに社会生活には影響が出ていますが、私自身としてはずっとこうだったので、周りの人と少し違う気はするけど……というくらいの認識です。
仕事にも月1回か2回程度、致命的に寝過ごしてしまう日がある他は、フレックス制の時間内でなんとかなる範囲で行けていますし。
まあ、11時までに出社すれば制度上OKなのに連絡は9時までに電話連絡必須という、普通の人には当たり前に実行できる(上司談)ルールの運用が始まったおかげで、
9時5分に目覚めて連絡して10時頃に出社していたら、制度上遅刻ではないが無連絡遅刻であると頭の痛いことを言われ始めてクビが危なくなってきたわけですが……。
発達障害の方でかかっている医者に、起きられないとか寝つきが悪いとか相談しても、よくあることと言う感じで睡眠薬や導入剤や生活指導を受けるだけで終わってしまっています。
色々とご指摘を頂いたことで、本格的に別の病院にもかかってみるべきなのかもな、と思い始めました。
前々から気になって調べてはいたのですが、睡眠外来がそもそもあまりないし、あっても無呼吸症候群に特化していたりして二の足を踏みっぱなしでした。
それにしても、やってるやってるということから、試してみたいと思っていたこと、昔やったなーということまで色々挙がっていて興味深いです。
いい機会なので、自分の睡眠にまつわる諸々の要素を点検して、まずなにがどう難しいのか、どういった問題を抱えているのか、ちゃんと再調査してみようと思います。
おっしゃる通りです。バイオ7も仁王も購入を後押しするものが限定的過ぎました。バイオはVR押しで肝心のVRは品薄、仁王は死にゲーとしてダクソとの差別化が不十分だったのも国内不振の原因の一つだと考えられます。
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
動物園なんて一箇所しか無いわけじゃないし、遠征するにしても田舎から身近な都会に出るぐらいだから
っていうのは白人様と日本人の感性が一緒じゃないといけないってことなんすかね
洋楽がオワコン化したし洋画も衰退したし洋ゲーは一部のしか売れないし
スマホゲーぽちぽちしてるのが楽しい人種なんだからそれでいいんじゃない?
肌の色が違えば考え方も違うでしょ
東大や京大ならまだ別の世界が見えるかもしれないけど、そこら辺の大学で、実社会で役に立つことって殆ど得られない。(時間効率が悪い)
完全に経験則になるけども、そこそこの大学にいて、自分で商売やって稼いだんだけど、大学時代に稼げるほどの才覚がある人なんてほとんどいないから、自分で手探りでやるしかない。周りで稼いでた人も大体同じ。それは東大や早慶でも同じ。
自分で調べたり考える癖をつけないと何も変わらないよ。
・メカニカルをダカダカ鳴らす人
上記カテゴリのパーカッショニストがフロアにまんべんなく配置されている。
私は仕方なく使われていない会議室などに逃げている。
さらに、私がフロアから逃げるとその二名ともスーッと近くで作業をし始める。
ダカン! ダカン! と近くでヒカ碁みたいな激戦が行われてたら、はてブを見ることすら困難なほど憔悴するじゃないか。