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はてなキーワード: カテゴライズとは

2024-05-06

anond:20240506001854

BL巨匠人間感情を深く考察した結果の男女逆転と、男性エロマンガ脳の突発思いつき男女逆転を同列に考えるから混乱する。

作品ジェンダー感はむしろ増田のように「有能ならどっちでもいいだろ」で合ってる。ただ読者層をマジョリティである「男であるだけで男は女より有能」派に設定していて、その人たちに向けた「前提が違えば男が有能とは言えない」を喧嘩売らずに丁寧に丁寧に展開させているのが増田にとって「知ってますが……?」となって響かないだけ。

まぁでも「SF」ってカテゴライズ違和感あるのは確かなのでその辺同感。

2024-05-05

独身貴族だとか、子持ち様だとか言ってねーで、まともに休日が取れない会社を叩けよ。

そうやって対立構造にして、従業員同士叩き合うようにして、1番非があるのにも関わらず、逃げ得になってんのは会社からね?

それに気づかないのはあまりにも奴隷根性ってやつよな。

他人カテゴライズして叩くばかりで、問題根本原因は何か?まで考えが行きつかない頭のレベルの人が多すぎる。

子持ちか独身かが問題じゃない。

休日の取り方、仕事納期設定の問題なんだわ。いつまで低レベルの叩き合いしてんの?

暇空に開示されたケンモメンってさ

開示の原因となった大量の暇アンチスレ立てただけじゃなくて

・女叩きスレ

安倍自民叩きスレ

・チー牛、弱者男性煽りスレ

等も大量に乱立してた事もBEで判明しているんだよね

そういう糞スレソースに悪質まとめサイトが更に拡散して煽る、という一連の流れが出来ていた


それこそ、業者というか仕事レベルでやってる

よくてどっかのランサー系のサイトで一スレいくらで雇われてやってた類じゃないか


まあそんなしょうもない事やってる奴が、しばき隊関係者が関わってる暇アンチ集団とやらに取り込まれ

いよいよ「普通社会から外れていって人生ぐちゃぐちゃになるのは自業自得しか無いんだけど

はてな的に問題なのは、その手の糞スレから持ってきた様なネタを垂れ流し続けるアホが増えた事


5chやらまとめサイト等のその手のヘイトクリエイトが本当にキモくて気色悪くて嫌いで

それが嫌で増田に流れて来たのに、後からきた嫌儲民みたいなのがどんどん汚物を垂れ流してクサいサイトにしていく地獄


悪貨はせめてドブ川で泳いでろよ、ってなる

こっちだっでわざわざくせードブ川なんて見に行かないからさ

何で外に出てくんの?


こういう、ガイジじゃ無いんだろうけどガイジより気色悪い事しか出来ない人種って、どういう風にカテゴライズすれば良いのか

2024-05-04

GWなのに😭可哀そうな増田たち・・・・・・・・

■子持ちとわかり合うとか無理なのよね

■弱男(じゃくだん、よわお、よわんちゅ、ジャクナム、ヨワンナム、ヤクナムジャーマンジャックマンジャックダニエル)の特徴 5月現在

■チー牛という単語の生みの親で、ルッキズム差別大好きななんJ民、やっぱりフェミ大好きブス腐女子だった模様

■健常者はADHDを申告されるとムカつくし隠されてもムカつくんだからうまくやっていく方法なんてないと言うことがわかる

■ツイフェミさん…自分人生が不幸な理由社会に求め過ぎだよ…

りりちゃんの件もそうだが、著名なフェミニストが詐欺犯罪者擁護して誰もそれに対して異を唱えるフェミニストがいない時点であの界隈は終わってる。

■もう「自浄作用」とか「これだから○○は」とか止めにしない?「まーたフェミニスト/社会学者か」とか「フェミニスト/社会学者は自浄作用がない」みたいな雑なカテゴライズをして叩く、こんなの不毛でしょ。

anond:20240503212701

そういうお前も「「自浄作用」とか「これだから○○は」と言ってる人」を雑にカテゴライズして叩いてるだろ。

雑かどうかは議題によるし、不毛かどうかは主観しかない。

2024-05-03

もう「自浄作用」とか「これだから○○は」とか止めにしない?

「まーたフェミニスト/社会学者か」とか「フェミニスト/社会学者は自浄作用がない」みたいな雑なカテゴライズをして叩く、こんなの不毛でしょ。

で、それを指摘する人の中にももしかしたら「男」「女」「フェミニスト」「オタク」「地方「東京」公立」「レズビアン」「ゲイ」「バイ」「トランス」「ロリコン」「リベラル」「ネトウヨ」に対しては同じ事をしてるかもしれない。

あなた自分が属する属性に対して自浄作用を果たした事が有るんですか?それはどの程度の効果を上げて、その成果でその属性はどの程度今綺麗なんですか?

自浄作用の有る集団なんてほぼ無いでしょ、元々そんな義務無いんだから

もう止めにしません?他の集団に自浄作用を求めたり、属性カテゴライズして叩いたりするの、不毛だし、自分がされる側に成ったら批判するでしょ、矛盾してる。

「男」「女」「フェミニスト」「オタク」「地方「東京」公立」「レズビアン」「ゲイ」「バイ」「トランス」「ロリコン」「リベラル」「ネトウヨエトセトラエトセトラ属性で叩くの、止めましょう?

 

これはどの党派性にも依らない、平等提案の筈。「男」でも「女」でも、その他どの対立するグループにもどちらか一方に味方してる訳じゃなくて、どちらにも利益の有る話をしている。

勿論例えば「男」で一括りに出来なくなればフェミニズムの一部は困難になる、でもそれは飽くまで一部だし、元々論理的に正しくなかった不当な部分を排除するだけだ。

「男」と一括りに言っても様々な人が居る、強者も居れば弱者も居る、その特権にしても一様では無い、男女間の経済的格差にしても男性側の恩恵に与れない人も当然居る。

それを「男」で一括りにするのは単純に誤っているし、そんな事をしなくてもマクロ統計的データを見て男女間の格差議論する事は出来る。

上はフェミニズムを例にしたけど、反フェミとか反リベラルとか反社学者とかも同じだ。属性で括ると、元々多様なその集団を不当に単純化して、論理的に間違った結論を出してしまう。

自浄作用にしたって、同じ属性だろうと所詮他人なんだから、そんな義務無いんだよ。

 

取引みたいな物だと思って貰えば良い。

おかしな主張をしているフェミニスト社会学者が居たとして、それを「他のフェミニスト社会学者批判するべきだ」と思ったとしても我慢する、それは苦しいかもしれないけど、

逆に差別的男性オタクが居た時に、他の男性オタクはそれを無視しても構わない。「他の男性批判すべき」とか「オタクとして批判すべき」とか言われる必要は無い。

逆も同様、

差別的男性オタクが居た時に、他の男性オタクがそれに反応しない事をあなた卑怯だと思うかもしれないが、そうではない。

代わりに差別的女性フェミニスト等が居た時に、あなたもそれに反応しなくても済む。

それで良くないか?これはどっちにとっても有利な部分も不利な部分もある、イーブンな取引で、元々論理的に考えれば正しい選択でも有る。

逆に、自分は自浄作用を発揮するつもりがないのに他人に求めるのは、代金を払わず商品を受け取ろうとする様なものだ。

 

勿論「自分は自浄作用を発揮するから他人にも求めるつもりだ」と言っても良い。でも冷静になって考えてみて、あなたは一体どの位属性を持ってると思ってるの?

その全部の属性について責任をもって自浄作用を発揮するつもり?出来ると思ってるなら「馬鹿」の集団にも自浄作用を発揮しないといけなくなるからもっと大変になるよ。飯食ってる暇も無い。

元々無理なんだよ。

「自浄作用を発揮するべき集団と、しなくてもいい集団が有る」と言い張るかもしれないが、それを分ける基準を本当に論理的に明確に出来る?

その基準が(例えば「男」と「女」のどちらかだけ義務が有るような)あなたにとって都合が良い基準に取れると思ってるなら甘すぎる、結局どこかで自分にとって都合の良くない部分を呑まざるを得ない。

この程度の簡単な話を中学生位で通過していないなら、元々あなたは考える事にそれほど向いていないし、他人に何かを求める前に自分の事を考えてみるべきだ、考え損なってる事が大量にある筈だし、それを考えずに他人に何かを求めるのは倫理的おかしな事でもある筈だから

理系”という言葉を恥ずかしげもなく使っている人間からにじみ出る幼稚さってなんなんだろうな

現役の学生やら研究職やら教職ならともかく、いい年した大人がそのカテゴライズをふりまわすことに、なんの疑問も抱いたことないんだろうな……

2024-04-26

anond:20240426050028

Twitterでまともなリベラルなんて例えばキクマコ先生くらいやろ。

そして元増田の言うような奴らは「Jリベラル」とカテゴライズされてるやで。

2024-04-23

ロマンティックじゃない?って言われた

【アロマンティック=恋愛感情を抱かない人のこと】

アラサーオタク

微妙トキメキとかわからんなと思ってたのが

この前知人に「アロマンティックじゃない?」と言われた。

恋愛感情って、性欲と執着のことだと思ってたんだけど、どうやら違うっぽい?

性欲があるのに恋愛がわからないって

なんだかすごく不誠実で薄情な感じがする。

少女漫画ちょっと苦手。BLは好き。

(BLには性欲と執着を描いたものも多いので楽しい。)

友達の延長や、家族愛尊敬の延長で

相手を尊ぶ事のほうが、私にはしっくりくる。

恋愛感情ってそもそも何?と思い

恋愛感情】とされているものの有無を考えてみる。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

相手のことを逐一知りたい

→ない。その日何食べたとか自撮りとか、好きだよとか会いたいとか言われると、「この人恋愛している自分に酔っているようで気持ち悪いな」と感じる。

できれば放っておいて欲しい。

独占欲

→他の人と二人きりで会わないでほしい≒

身体関係を持たないでほしいという気持ちはある。

不貞倫理的に道を踏み外しているし

舐められている、軽んじられている気がするから

性病うつされるかもしれないから。

私以外の人を好きにならないでね、はあまり思わない。

人の気持ちは変わるものだし、もしそうなったらお別れしようねという気持ち

仕方ない。さようなら

もっと一緒にいたい

→盛り上がった飲み会や打ち合わせの後のような

「話し足りないからもう一件いこ!」はある。

あとは性欲に基づく「この後ホテルに行きたい」もある。

何も話さないし何もしないのにもっと一緒にいたい、はない。時間無駄

相手を思うとドキドキする、ずっと相手のことを考える

→ない。会ってる時は楽しい友達家族のことを考える頻度に同じ。

セックスの時は心拍数が上がる。

相手自分理解してほしい、わかってあげたい

→あまりない。私は私であなたあなた他人

でもなるべく、価値観の違いで不必要相手を傷つけたくはないので、伝え方には気をつけようと思う。無駄な争いは避けたい。

相手特別になりたい

→できればなりたい…かも?

友達関係でも、相手にとって親友枠だとちょっと嬉しい。

でも特別すぎると重い。2番目の親友くらいでいい。

恋人という枠は特に頑張らなくても

比較特別存在になれたと錯覚やすいので良い。

そして恋人って親友より重すぎない。

別れたら一生会わないし。

・手を繋いだり、キスハグがしたいか

→したい。しかしこれはトキメキというより性欲に基づいたものでは。

相手の事を深く知りたい

あんまりない。

知らなくてもいいことの方が多いと思うから

知りすぎても知られすぎても、なんか冷めちゃう

性的魅力が半減する。


〈補足〉

恋人が欲しい理由

①定期的にセックスができる。

②一応マナーとして見た目を気にするようになる。身綺麗にしていない自分では恋愛市場勝負にならないから。

③誰かの「その時の一番」になった充実感がある。

④「恋人がいる自分」に安心できる。

セフレワンナイトではダメなのか?

セフレがいるオタク女」になるのが嫌。(見た目がよければ様になるだろうが、私はそうではない)

「長く付き合った恋人がいる女」、の方が客観的に見て愛嬌があって可愛い気がする。

ワンナイトは毎回初対面というのが面倒。

あと単純に性病リスクが高い。

セフレワンナイトをするようなタイプ人間が好みではない。

社会規範の内側にいるのが好き。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これって恋をわかってない?

私のような人間はアロマンティックというもの

分類されるのだろうか。

違ったら教えてください。

ただ薄情なだけだろうか。

皆どんなふうに恋してるの?



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【2024/4/25/00:16追記

何気ない呟きにたくさんのコメントありがとうございます

皆ひとりひとり違うのだから、むやみにカテゴライズしなくてもいいのかもしれませんね。

ロマでも、コメントにあったようにASDだとしても、

現状それで困っていないのなら/他の人を困らせていないのだとしたら、

このままで良いのかもな。

ASD特性の方は、何か支障が出てきたら病院に行ってみるけど

今は楽しく生きているので様子を見てみます

自分楽しいだけで周りに支障が出ていたらどうしよう)

割と自分と似たようなスタンスの人と

お付き合いをさせていただいているので

ありがたいことですね。大切にします。

また、自分のこういった思考が私と関わる誰かを

傷つけているかもしれないと思い至るいい機会でした!🙇

友達や、家族や、恋人幸せだと嬉しいし

悲しい目に遭わないでほしい、

この世が辛いものだと感じないでほしい、

とは勝手に思っているのでこれが私の愛情と思うことにします。

でも相手幸せにしたいとかは、幸せってその人の主観なので

自分にはどうにもならない所に私が干渉しようとするのはちょっと怖いです。

コメントにあった、【何かをしてあげたいというのが愛】というのは確かに

友達が好きな香りや色のコスメがあったら、その子プレゼントしたい」はあります

「あげたいけど、私が勝手にそう思っているだけであの子は貰ってもうれしくないかな」

と一瞬思い、結局あげることが多いです。

これは、エゴであり愛なのですね。

(という定義すら、決め切らなくてもいいのかもですね)

肯定してくれた方々もありがとうございます

似たような方がいて嬉しいです。

清潔感があるっていうのは「害がなさそう」っていう意味だよ

変な臭いがしないとか、下心マシマシで誘ってこないとか、そういう「無害」な人ってことだよ。

そしてワンチャン「優しかったり頼りになりそう」って人のことだよ。

から服を洗濯して新しくしてもさ、ダサかったらアウトなんよ。

だって「世の中の空気を読めない変な人」「害を与えそうな人」にカテゴライズちゃうからさ。

もちろん話していくうちに「この人は大丈夫だ」となる時もあるよ

でも第一印象大事だよね

ダサい空気を読めない=変なことしそう」という暗黙の数式があるから、そこは注意しないとね

髪型も、もちろんボサボサは論外だけどさ

20年前から変わってない流行遅れ髪型だと、害があるかも?と疑われるよね

TPOが守れないんじゃないかな?ってなる

そういう人はたとえ清潔でも清潔「感」はないよ

残念だけどね

「害がなさそう」を目指さなきゃね

顔の表情もそうだよ

害のないような自然笑顔大事

むっつり無言で黙ってる人は「害があるかも?」ってなる

そういう人は清潔感があるようには見えなくなるよ

なんか暗く見えるから清潔感から遠ざかるんだ

こう考えると、清潔感って難しいよね

僕らはどうやっても害のある見た目から逃れられないもんね…

から、諦めよう

僕と一緒に!

バンダナ巻いて、ネルシャツ着て、ジーパン履いて、リュックを背負う!

真逆を行けば、逆に愛されるかも!

もう、開き直ろうよ!

好きな服着ようよ!

風呂も時々しか入らなくていいよね!

髪型昔ながらのセンター分け!

流行を気にしてる方がダサい!」そう言おうよ!

嫌われるなら上等!

こっちから願い下げ!!

そうだよね?

そうだと言ってよ

2024-04-19

anond:20240419132909

過去の豪遊がまとめられて求心力順当に失ってるんだが、軽率なアホでしょ。

数年後の未来すら考えられないやつを「慎重」にカテゴライズできるような価値観なら、言葉定義が違ったってだけかな。

他人一方的愛情を向けることの気持ちよさと恐ろしさについて

一方的愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元キャラクター」だとか、そのあたりのことだ。

から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。

近日、「蛙化現象」という言葉があたかミームのように流行った。流行ったそれ自体誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。

あるとき自分分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。

これが、適当意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすとき根底にあるんだろう。

己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である

から、「自分いちばん近くで自分理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。

ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。

から、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。

本題。

私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。

特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである

ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。

私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。

元々はAの紡ぐ言葉けが大好きだった。

世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズ自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。

そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。

要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。

から凄く辛い。

自身尺度他人の持つポテンシャル性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。

なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。

Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空人物言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。

ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。

自分特に好きなAの言葉は、主に後者だ。

とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路バックグラウンド空想してしまう。

まあ、ただ考察するくらいなら至って個人自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。

どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライド自分性質がそれを許してくれない。

薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。

私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。

だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。

私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。

拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察事実であろうと、他人が私の秘めたる感情時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。

Aの言葉は、結構これに類するものが多い。

自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。

そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉自分の中で大事大事仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。

あくまでも自伝であるのに、その言葉共感したり感銘を受けている私が。

だけど、好きなのである。どうしても。

人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉性格に惹かれる。

けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。

から絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。

私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。

乱雑でこんがらがったままだけれど、自分感情を推察する余地他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。

最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである

他人一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとから好意を受け入れたい。自身根本を推察されることを拒絶したくない。

とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。

このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います

2024-04-18

anond:20240418110459

ラノベレーベル名乗って無くてもラノベ出してる所はあるしラノベってカテゴライズ自体が後付けだから客観的指標は無い

作者が謳う場合もあるし作者は意図してないけど出版社がそう取り扱う事もあるし公式には言われてないけど読者の多数が判断してそうなることもある

からお前の指すそれはラノベじゃねえよっていう議論自体不毛所業

これは小中学生でもサクッと読める娯楽小説だなって感じたらラノベって判断でも間違ってないし

ラノベレーベルからハイファンタジーハードSF出したって構わんのだ

 

ちなみに昨今は古典文学や古い小説萌えイラストを添えて再版していることも多いので表紙が可愛い女の子っていう定義はもう当てはまらない

anond:20240418110649

じゃあ個人感覚カテゴライズするしかないよな

内容なんて受け取り方次第だし

2024-04-15

ネトウヨも頭パヨも糞フェミも本当は居なんだよ

男女問わず頭の悪い人間可視化されて、そうカテゴライズされてるだけなんだよ

頭の少しマシな人間は、そんなに問題を起こさないんだよ

要はバカバカと言い争って起きた問題可視化されてるだけなんだよ

それを「我関せず」と遠巻きに見たり、外野から囃し立てて見物料をとったり、バカからお金をもらってバカと戦う武器供給したりしてるんだよ

2024-04-14

anond:20240414092716

これだよ

元増田リベラル側を批判しているだけで対立側を名乗っているわけではなく

両方に呆れているという可能性もあるのに勝手に「俺たち」にカテゴライズしてどっちもどっちとか言い出す

ネットバトルに溺れる人間の末路は哀れだ恐ろしい恐ろしい

2024-03-31

anond:20240331203515

それは単純に性格問題だと思うが…

エンジニアにも2パターンあって

物を作るのが好きなタイプと、プログラムを書くのが好きなタイプがあると思ってる

自分後者

後者特有カテゴライズしたがる性分の話な気がする



この人とはタイプが違うんだなっ…て思ってその人と距離を置けば良いよ

2024-03-23

anond:20240323093333

あいカテゴライズはたしかに好きじゃないけど

関東民のワイも「味噌汁が左奥にあるのは悪くないかも…」と思った

関東の人、右ってホントなん?」←どーでもええわ

みそ汁が手前?奥?クソどーでもええわ

何がおもろいん?

人の勝手だろ

配置は自由でいいだろ

つーかさ

関東はこうだよね関西はああだよねって

雑にカテゴライズして型にはめてを愉しんでやんややんや盛り上がってんの

意味がわかんない

こんなのを安易に受け入れる社会多様性なんて成り立つわけないんだ

 

…とか言ってる私がそもそも多様性理解してないんだよネ

誰かの何かを頭ごなしに否定しちゃってさ

それはごめんなさいと思う

2024-03-16

コメント

2024年3月15日19時33投稿

視点】お三方鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィア当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。

はいわゆるクィア当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちから批判の声」とは全く違った感想を抱いている。

私は、この「怪物」という作品から、他の映画作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。

まり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。

それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。

この作品は、確かにクィア登場人物たちを描いている。

だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ普遍的物語」として描きつつ、しか当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。

からこそ、クィア当事者である私に刺さったのだ。

今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側から安易カテゴライズの道具として使われがちでもある。

だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。

そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。

怪物」という作品は、そこに安易名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。

私はむしろ、この作品が、クィアLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな陳腐ものになってしまったのではないかとすら思っている。

そしてラストシーンについても付け加えておきたい。

鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。

そして、その後は描かれなくて正解だったろう。

その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。

私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。

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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html

2024-03-11

anond:20240311121146

戦前戦後探偵小説社会派時代ならともかく、ミステリ界隈でも今や本格変格論争なんて昔の話、本屋の棚分けと宣伝以外では死語になってるのに、今更本格ファンタジーなんてカテゴライズを生み出すオタクさんサイドの問題のほうがでかいやろ

anond:20240311111417

ジャンルという枠組み自体無意味だというのは音楽でもなんでもある程度言われてるよね。

まあカテゴライズってそもそもそういうもんだよね。

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