はてなキーワード: 肖像権とは
詳しい内容はTwitterで「自宅警備隊 吉輝」で検索すると今起きてるあれこれがすぐ分かると思うので、よかったら見てみてください。
著作権だか肖像権のこともあるし、無断で本を作って「頒布」したのはやだな〜と思って読んでたから、私はどちらかというと「被害者」のVたちに同情してる方。
この騒動自体よりも、自宅警備隊ってこんな人もいるんかっていうのがショックだったかも。
何年か前、コミケのコスでかっこいい装備着てN.E.E.Tの文字を背負った集団の画像がTwitterで回ってきて、シンプルにかっこいいな〜と思って見てた。
コミケが来るたびに写真見て相変わらずかっこいいな〜と思う程度だったから、追っかけてたのではないんだけど。
今回の騒動で公式アカウント見たら、結構でかい組織(組織?)になってて驚いた。グッズ展開とか各地方の支部とかあって、隊員も増えてるんだな〜って。
で、カッコいい集団だし、組織としても大きくなったから、所属してる人たちも気が大きくなっちゃってるのかなとか思ったりして。
件の絵師の人は特に絵とかも担当してるから、重要ポストにいる=対外的にも偉い と思い込んでるのかな〜みたいな。
東北支部?みたいなところの団員が、絵師のこと批判する隊員を諌めてたり、V同士でも擁護派と困るよ派で揉めてたり、なんだかな〜〜〜〜。
うまく言語化できないけど、組織威を借りて偉そうにしてる人がいる自宅警備隊に幻滅しちゃったって感じかな。そんなこと言ったら「偉そうになんかしてないやで」みたいなこと本人に言われそう。
隊員規約があるらしく、誹謗中傷をしないみたいな内容もあった気がする。Twitterでチラッと見た。なあなあになってるのかな〜…‥偉そうなポストにいるのにな……。
君たちのためを思ってた、とか、これは2年越しの社会実験、とか、なんなんだろうなぁ……。
マンハッタン計画で原爆製造に関わった研究者を描く「オッペンハイマー」とバービー人形の実写ハリウッド映画である「バービー」が同日公開されることとなり、
これを知った人々により、オッペンハイマーやバービーを演じた役者をコラボさせた「Barbenheimer」というミームが生まれた(本記事でネタバレはありません)。
原爆のキノコ雲を背景にバービーが笑顔で写るミームや、ピンク色のキノコ雲のミームが投稿されて話題になると米国のバービー映画公式Xアカウントが反応した。
この動きは瞬く間に日本人の視界に入ることとなり、Xでは「広島や長崎の原爆投下に対する配慮がない」「ミームに対して公式が触れること自体不適切」
「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」など批判が巻き起こる事態となった。騒ぎからまもなく、バービーの日本公式Xアカウントは謝罪した上で、
どのミームも明らかに、全く異なるジャンルの映画が同日公開されることを揶揄した内容だった。そこに「広島」や「長崎」というキーワードはなかったし、
原爆によって失われた命を揶揄する表現もなかった。(「原爆のキノコ雲を背景に半分骨になったバービーが笑顔で佇んでいる」というような画像があったとしたら、
それは初めて原爆投下によって被害を受けた人たちを揶揄するミームと認識して差し支えなかっただろう)
それにも関わらず、過剰な批判をしているXアカウントには違和感があった。特に「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」といった批判は、Barbenheimerよりも明らかに攻撃的なミームを作ろうとする姿勢だった。
米国のインターネット、Redditや4chといった掲示板から生まれるネットミームは、そもそも高尚な文化ではない。「フェアユース」を拡大解釈して自由気ままに著作権コンテンツを面白おかしく改変して投稿する文化だ。
著作権や肖像権どころか、人権の配慮がそもそも存在していない。面白い事象、キーワード、画像であれば、ルールは存在しない。面白ければすべてよしだ。まともな人間ならミームに触れることすら避けたほうがよいレベルだ。
(日本でたとえると「淫夢語録」やそれから派生したコンテンツ全般が該当するだろう)
にも関わらず、「広島や長崎への配慮が足りていないミームを作る米国人の原爆に対する知識はこんなもんか」といった批判や「歴史的過去から振り返ると不適当だ」という批判が繰り返された。
これらはナンセンスだ。ネットミームはそういうものなのであり、誰にも伝わらない批判だ。「ナンセンス?いや、そんなネットミームをやるなよ」と感じるのも自然ではある。
だが、米国インターネットにおける一つの文化だから、Xにいる少数の日本人がそう考えたとしても消え失せることはないのだ。
一連のミームを見て批判した人たちが感じた苦しみや悲しみは本物だったかもしれない。だが、もう少し、ネットミームの作成者が何をどこまで考えて作っているのか、
考えを馳せてみてもよかったのではないだろうか。またすでにバービーの公式アカウントが謝罪しているし、これ以上拳を振り上げ続けることは、誰のためにもならないだろう。
そして今回のケースでは、戦争を善悪二元論に基づいて批判を展開していたケースが多いのも印象的だった。原爆投下被害を受けた日本が、米国側の民間人大量殺戮を批判する「善」であり、
原爆投下した米国を「悪」を前提としてミームを批判しているように感じられた。視点を変えれば、日本軍の侵略行為を止められた原爆は「善」であり、民間人の犠牲も厭わず防衛戦争を繰り返した
日本軍を「悪」という視点をもとに賛同したり批判したりすることもできるだろう。またこの単純な善悪二元論に基づけば、奇襲攻撃をかけた真珠湾の戦いは明らかに日本側が「悪」であり、
米国側は奇襲攻撃を批判する「善」に当たる。中国や韓国など東南アジア諸国で日本軍が起こしたことは大局的には「善」だったのかもしれないが、被害を受けた人、家族を失った人から見れば「悪」である。
では、沖縄本土での総力戦は誰にとっての「善」で、誰にとっての「悪」だったのか? 枚挙にいとまがないが、そもそも戦争において起きた事象をこうした単純な善悪二元論で評価し、
それに基づいた姿勢で批判するのは問題だと感じた。「勝てば官軍負ければ賊軍」の精神そのものだ。敗戦を経て学んだのは、極端な善悪二元論が罪もない人々や、日本軍兵士の犠牲を増やしたことではなかったのか。
ミームを賛同したり批判したりする人たちは、原爆製造に関わったドイツ人のオッペンハイマーを「善」あるいは「悪」のどちらで見るのだろうか。
太平洋戦争を起こした日本という当事国に住んでいるのにも関わらず戦争の歴史を「善」と「悪」でしか見られない人が増えたのだなと残念に思った。
肖像権や著作権を盾に学習されない権利を主張したいなら法律を変える必要がある
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230428-OYT1T50014/
よく出来ていると思う。肖像権なしに広告に使用できるわけだから普及しそう。ストックフォトには、もう出回っているのかも?
ただ、本当に肖像権なし? 結局は肖像権無視して学習をしたものでしょ? 構図とかもカメラマンの著作権無視して食わせていった結果なのでは?
今日話題になっていた記事の生成AIがどういう学習しているんかは知りませんし、あの技術的な記事に対して、ハリウッドの話を持ち出すんも違うと思うので、私はこんなところに殴り書きしている。
プロのカメラマンは、リアルで学んできたから、生成AIを使っても良いものを生み出せるのはそうなんだろうけど、じゃあ、今後生成AIばかりが増えたら、リアルな撮影を学ぶ機会が減り、撮影技術は衰えていくことになるのでは? そうなると生成AIの学習機会も減っていき、リアルなモノがよく分からないものになっていくのでは?
まあ、そもそも生成AIの画像は、「実在」ではなく「虚像」。リアルの追求には向いていないと思う。一つのCGモデルを仮想空間でポーズを取らせてつくる画像のほうが、まだ「実在」なのではないか。
なんだろう、すごいざっくりとした個人的な感想ですが、生成AIには、先が明るい感がなくて好きになれない。自動化、生産効率の向上に技術が発展していくのは良いことだと思うけど、生成AIで作品作るのって何か違うと思っちゃう。
写真の出現で、リアルな油絵の画家が食っていけなくなったような話しの延長で、批判的、悲観的になる必要は、後になって全く無かったねってことになるのかもしれませんが。
ただ攻撃はやめよう!って言っても意味ないぞ 16は商人欲求がすごかった イキり
この世で一番かっこいいし ひれふせてるわ 17は違う世界 承認欲求はかききれ
自分とどれだけ向き合えるか 付け入れできる隙があるか これが配信わからせです
電柱に挨拶したり なんもないとこで手ふってみたり ねっころがってみたり
りゅうがごとくの家 肖像権がわからんくって 特別支援レベルだから そんなことはない ぼくがとりたいとおもったのに
ぼくがとりたいとおもったからとった そこに連れ込もうとしてた 詐欺とか自閉症がつよすぎて
この人は有名なんだけど ちょちょちょ 君 心が優しいうえにあたまがおかしい
これこれこういうところに行きたいから 車いすをおしてったの 階段があるから これだっていうから
階段のリフトもってきてもらって その人が献上なのに障害のフリをしてるのか
トイレ行くんだって思って 25歳知的障害だから 助けてくれないとでない
学校ではよくない そういうことは一人でしないといけない
俺が電車の中でひとりでしゃべってる ああいいな いい世界だなっていってるわけ
俺は知っている ううんそうなのか おれがいるぜいるぜ 合わせたんだろうね
これ警察
バレエ講師のAV出演バレにともなう騒動(実態としてはセルフ炎上マーケティングと推測する)は、芸能人の浮気バレと似たようなものだと考えている。広末涼子を例にすればわかりやすいだろう。浮気が世間にバレてテレビCMなどの契約が打ち切られたが、これを擁護する意見はあまり見られない。一方で、スポンサーに対して「なぜ契約を打ち切ったのか?」といった非難の意見もまた見られない。広末涼子とのCMを打ち切ったキリンホールディングスの広報は「商品の価値を伝えることができないと判断した」と述べているが、企業の広報戦略を考慮するにあたって至極妥当な経営判断だろう。
また、契約の打ち切り自体が適法であることは言うまでもない。雇用契約を結んでいるのなら民事上の不法行為だけを理由に解雇できないが、広末涼子とCMスポンサーが結んだ契約はあくまでも業務請負契約だからだ。契約の詳細については推測の域を出ないが、タレント本人のブランドイメージの毀損があった場合に契約の取消しを可能にする事項があっただろうことは想像に難くない。
件のバレエ講師(兼AV女優)とバレエ教室の間の契約でも同様のことがいえる。バレエ講師とバレエ教室の双方で契約の継続や打ち切りの自由があっただろう。バレエ講師は来月のシフトを勝手に決められて指導日を無しにされたと述べているが、業務請負契約だからこそ可能な契約変更だ。雇用契約だったならばこうはいかない。
AV女優が子供にバレエを教えたらいけないのか 【https://anond.hatelabo.jp/20230628114724】
私自身の考えは述べ終えたので、上記記事の主張に対して意見を述べていく。まずは、タイトルに対してだが、元記事において『私は彼女がバレエを教えても良いと思う』と結論を先に述べているが、それに関しては私も同意見だ。そもそも、バレエを教える権利を侵害することなど誰にもできないからだ。AV女優が自らバレエ教室を開いて子供に教えることだって自由に決まっている。もっとも、すでに述べた通りバレエ教室がバレエ講師を選ぶことも自由なので、バレエ教室側から反発を食らえば講師が仕事を失うのも当然のことだと私は考える。
そういう意味で、性産業に従事する先生というのは、(子供にAVを見せろという意味ではなく)そういう人もいる、という理解をする良い機会なのではないかと思っている。
これには私も同意見である。ちなみに日本の存命人物で、最もその思想を体現している人は壇蜜だと考える。ヘアヌードモデルや成人指定映画に出演した経歴を持ちながら、NHK高校講座で講師役を務めたことがあるからだ。とはいえ、AV出演した経歴を持つ人で該当する人は思いつかないので(単に私が知らないだけかもしれないが)、社会全体が性産業を忌避する風潮はまだまだ払拭できていないのだと思う。
個人的には、性産業から政治家になる人が出てきたらいいのにと思っている。官能的表現をふんだんに盛り込んだ小説を書いた元東京都知事が政治家になったのは半世紀も前のことだというのに、未だに性産業が政治に力を及ぼすに至っていないことには残念だ。政治力の欠如が、当事者を無視したAV出演被害防止・救済法を生み出して、かえってAV俳優を苦しめていることに繋がっているのだろう。
最後に、このAV女優がバレエ教室が舞台のAVを撮った事を「バレエを性商品化しないで!」と怒っている人もいるようだが、正直学校やオフィスが舞台のAVがこれだけ出回ってて、そっちに従事する人の方が圧倒的に多いのに、何でバレエだけ怒るの?としか思えない。
非難の声は多いがバレエを性商品化したこと自体の反対はごく一部だと思う。例えば新体操選手やシンクロ選手がAVに出演する(という設定?)ことが多々見受けられるが、大抵は元選手であり現役の選手ではない。もしも現役の選手がAVに出演してTwitter等で競技の風景を無断で公表したら、実在する団体のブランドイメージを毀損することになって非難を受けることだろう。件のバレエ講師が炎上した主要因はそこにある。AVによくある『元選手』等の肩書ではなく現役を名乗ったことと、実存するバレエ教室を匂わせていたことが炎上につながったのだろう。
ただ、彼女は刑事罰になるラインを見極めた上で炎上マーケティングをしているので、忌避感を抱く人も言語化するのが難しかったのだろう。バレエ教室の名前やロゴを出していたら商標権の侵害だし、バレエ教室に通う生徒の顔を写したら肖像権の侵害だ。そうしたあからさまな違法行為を避けて、民事上の損害賠償請求になるかどうかのギリギリで広報活動をしていたので、非難をするのは難しいのだろう。さながら芸能人の不倫騒動を無関係の一般人が語るようなものだ。民事上の問題は当事者でないとわからないので、門外漢が語っても的外れな意見にしかならない。私自身も面白いテーマだと思ったから長々と意見を書いてしまったけれども、当事者にとっては頓珍漢な意見でしかないだろう。
学校やオフィスが舞台のAVは多々見受けられるが、実在組織名を使った例はおそらくないはずだ。現役の大学生を肩書にしたAV女優は大量にいるが、やはり実際に大学名を商品パッケージ等でアピールした例は見受けられない。AV女優の紗倉まなは高専在学中にAVデビューしたことで有名だが、高専出身であると公表したのは卒業してからだ。デビュー時は工業系の専門学校とぼかした表現をしていて高専生であることすら隠匿していたのだ。デビューしてすぐに高専生であることが知られてネット炎上して高専の教師にまで知れ渡ることになったが、紗倉まな本人は在学中はひたすらAV出演を隠し通したという。紗倉まながAVデビューしてすでに10年が経つが、やはり今でも学校や職場にてAVの仕事も兼ねていることを公言できない風潮は続いているのだろう。
とはいえ、性産業に対する社会の忌避こそが性産業従事者の高収入につながるという一面を否定することはできない。峰なゆかは自身のエッセイにて、もしもAVに対する偏見がなくなったら、学生や主婦が気軽にアルバイトとしてAVに出演するようになりAV出演による稼ぎは最低賃金近くにまで落ち込むだろうと述べている。そんな社会では性産業が大衆化・低コスト化して、性産業に対する魅力は作り手側にとっても利用者側にとっても無くなってしまうだろう。そう考えれば性産業を必死になって忌避している人の存在も、性産業の価値を高めるには必要不可欠といえよう。性産業を忌避することも魅力を見いだすことも表裏一体なのだ。
グラビア撮影会中止ついでに話すカメコのポートレート撮影術というエントリを投稿した増田です。
水着撮影イベントと「あいちトリエンナーレ」は違う? 不勉強なのは津田大介さんだったな のブコメページで気になるブコメがあったので引用します。
これね、水着の撮影を阻止するのは戦略が間違いです。表現の自由が盾だと潰せないもん。価値を潰す間接アプローチ戦略の案件です。LGBTに配慮し、男女並んでの撮影が必須と立法すればカメオタは泣いて引っ込みます。
結論から言ってしまえば「引っ込まないだろうな」というのが正直な感想。単に男女一緒に撮影するだけ。
カメラってシャッターを切れば切るほど、構図を考えれば考えるほど、レンズを工夫すれば工夫するほど、様々なシチュエーションを探れば探るほど上手くなるのよ。
プロやハイアマチュアなんて年間数万枚を撮影して作品として公開するのが数万枚の中の数%ってだけなんだ。
世の中には作品として公開するため関係者の同意が事実上必要なシチュエーションの撮影環境ってのがある。
著作権法的に写真は撮影者が著作者なわけで編集・加工・修正・公開なども撮影者が自由に行えるのだけれど、肖像権の視点もあり撮影した作品を撮影者が完全なフリーハンドで自由に扱えるのか?と言えばそうじゃない。
例えば盗撮なんかはこれらを語る上で参考になる事例と考えることができ、盗撮は撮影者・著作者自身による作品の利用という行為が法の制限下にあることを意味する。犯罪指定による作品利用制限ってわけだ。
もちろんコレは撮影のモデルとなり自身を作品として表現する被写体自身にも掛かる制限がある。
いわゆる公然わいせつと呼ばれるもので、表現者は社会一般においてフリーハンドで自由な服装もとより裸体でいることはできず、法の制限下にあるわけだな。
もしも水着撮影という行為が社会一般において犯罪もしくは犯罪に類似し、社会通念上の倫理に反し、水着を撮影した者に責任が問われるとしたならば被写体の水着と水着姿やポージングも責任が問われるものとなり、水着撮影に関わった共同責任者という立場となる。
だからこそ写真撮影会という関係各所が相互に合意をもって安心して撮影及び作品利用ができるシチュエーションを用意するという結論に至った。
被写体のモデルは撮影者が安心して作品利用できる水着そのものやポージングを選択する責任があり、撮影者は自身が作品利用ができるように配慮して撮影する必要があり、それらをもって合意が成されている。
これは撮影者と被写体モデル双方が犯罪者にならないための合意であるわけだ。
ポートレート撮影というものを実践的に修練を積める相互に安心した環境が様々な撮影会なのだ。
そもそも公然わいせつというものは物凄く恣意的な解釈が可能な概念で、もしも今回の水着撮影会の件で勢いのまま規制をしたら影響する範囲は正直に言って予想が付かない。
例えばアイドル界隈にも撮影会は存在する。チェキ会などと呼ばれるもので、アイドル界隈の中にいわゆる地下アイドルやメン地下も含まれる。
アイドル撮影会にはハグや頬にキスなどの"オプション"の存在がアイドル界隈では認知されているけれども、これらは水着撮影の件から勢いのまま規制に走るとおそらくは影響してくる。
当然ながら撮影のシチュエーションとしては男女揃った状態であり、水着でもないし勢いのまま規制を明文化するとアイドル界隈は"レギュレーションに準拠した撮影会"を企画する。これが明るみになった場合、倫理上の問題で裁かれるのは当然ながら推しのアイドルとチェキを依頼したファンだ。共同責任者だからね。
今ある自由を制限するときは本当に慎重な議論が必要だし、もしも誤った解釈で冤罪の憂き目にあった場合の保障も必要だと考えている。誤った解釈で急な中止になった場合の補填とか。
そしてこのエントリを作った者として訴えておくけれど、件のブコメの人を非難しないししたくはない。あのブコメがなければエントリ書いてなかったから。
老若男女が犯罪者にならないで済むことは我々が愛する自由への開放へ繋がることだと思うよ。フェミニストだろうが表自戦士だろうが急に犯罪者にならないことは良いことのはずだ。
ジュニアアイドルやらせてる親が性的虐待で通報されないのはなんで?
(皆賢いからわかると思うけど、プライベートゾーンを守れないような露出の多い衣装、極端に短いスカート、水着だの着せる親に関してね。)
性的消費目的だろ明らかに、て思うんだけど、これは児童福祉法に触れないの?
特に自分の子どもにそんな際どいことさせる親、明らかにヤバいと思うんだけど。子どもをなんだと思ってるの?何が目的なの?本当に人間?
親が子どもに向けられた注目を自分のものと勘違いして、承認欲求を満たしている節があると思うんだよな。虎の威を借る狐。子どもの価値はお前のものじゃねえんだよ。もう自分でやれよアイドル。
成年になったらまだいいよ、自分の身体の使い方を自分で考えられるようになってからなら。自己判断だし好きにすればいい。そのために”成年”の括りはあると思うから。
子どもたちが憧れる”アイドル”の言葉をちらつかせて、いいように釣って、性的に消費することの何とおぞましいことか。
気持ち悪い中年ジジイどもにハアハア言われながら写真撮られたり、身体を触られたり、それって”アイドル”の仕事ではないだろ。
ジュニアアイドルにたかってるジジイどもは、”ジュニア”だからたかってるだけ。その子の踊りが上手いからとか、センスを感じるからとか、そういうことではない。でもちやほやされることが子どもは(おそらくジュニアアイドルさせている親も)嬉しくて、勘違いしてしまう。
アイドル活動することを非難してるんじゃないよ。”アイドル”と称して子どもを持ち上げて、何も知らない子どもの行動を操って、大人たちの欲求を満たすような気持ち悪い行為をやめろって言ってるんだよ。
話はちょっと脱線するけど、親が子どもの写真SNSにあげるのもやめて欲しいよな。子どもの人権ってないのかな、親なら子どもの肖像権を好きに使っていいの?鍵垢以外で、自分の子どもかわいいからSNSに載せよう!てどんな発想??自分たちで大事に保管しておけばいいじゃん…
子どもに同意があればいいとか言う奴いそうだけどさ、幼児や小学生なんかがSNSの危険性とかデメリットを理解できるのか?という話。自分の写真や動画が全世界にばらまかれることがどれほど重大なことなのか、成人済みの大人でさえ分かってない奴が多いのに。同意も何もないだろ。そういう親に限って自分の都合のいいように子どもの意思を操るんだよな。SNSに載せるときは「子どもが載せて欲しいって言ったから♡」とか言うくせに、子どもが思う通りに言うことを聞かないときは「子どもなんだから私たちの言うことを聞きなさい!」って言う。子どもの主張は、自分たちの都合のいい時だけ受け入れる。