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はてなキーワード: 司馬遼太郎とは

2021-03-23

ゴザ騒動について

この数日、呉座勇一先生ツイッターの鍵アカウントで、ある女性学者への人格攻撃を行い、かつアンチフェミニズムクラスタ日常的につるんでいたということで、大炎上している。実績も地位もある歴史学者がなぜ、と疑問に思う人が多いが、このアンチフェミニズムクラスタについてあらためて考える必要がある。

真面目なフェミニストリベラル派はアンチフェミニズムを「女性差別主義」と同一視しているが、そう単純ではない。今回、白饅頭(御田寺圭)氏がアンチフェミの「ラスボス」扱いされているが、彼は過去シノドスにも寄稿して経済学者飯田泰之先生とも対談するなど、リベラル派との付き合いがある一方で、日本会議的な右派保守派とのつながりは全く見られない。彼が連載枠を持っている現代ビジネスも明確にリベラル寄りであるアンチフェミも厳然たるリベラル派の一部だということを忘れると、今回の問題が全く見えなくなる。

呉座先生も、これまで司馬遼太郎井沢元彦などの高齢男性保守派に人気のある歴史家を厳しく批判し続け、歴史を「国民物語」として語ることを否定してきたように、どちらかといえばリベラル派寄りだった(少なくともそう見えた)。だから、呉座先生女性に関しては保守的反動的だったからというより、彼のリベラル価値規範の中で「筋が通っている頭のいい議論」に見えたからこそ、アンチフェミクラスタにはまってしまったと理解される必要がある。

問題は、ではなぜ不幸にも「筋が通っている」ように見えてしまったのかという点にある。これについて書こうと思ったが、頭がまとまらなくて断念。

追記

現代ビジネス飯田先生が「リベラル」は雑な括りだというブコメがあったが、現代ビジネスは今回の当事者である北村先生も数多くの文章寄稿しており、保守論壇誌と比較すればリベラルだと判断したが、確かに微妙かもしれない。飯田先生荻上チキ氏やPOSSEと付き合っている一方で、右では高橋洋一田中秀臣などの政権擁護派とつるんでいるので、「リベラル」括りにすると違和感を持つ人はいるだろうとは思う(個人的にはもう少し付き合う相手を選べと言いたくはなる)。

2021-02-10

ネット民の発想は通り魔のそれ

自分が恵まれてないとかツイてないとか、冷静に考えれば悲観するほど酷い境遇でもないのに

承認欲求と願望だけはネット毒虫の様に肥大化して、ただ自分が金や女や称賛や社会的地位を得られればいいとか通り越して

自分の欲しいものわずかでも持ってる奴は、全員死ねばいいしなんなら犯罪にならないレベルで足引っ張ってやれるならやるってレベル煮詰まって、社会世界自分の不満による不幸なら、社会世界も同じように等しく不幸でなければならないというのは

劇画ヒットラー司馬遼太郎コメントを寄せてた「自分が不幸だからと言って社会や周りに同じ不幸になることを求めるのは通り魔の考え」って書いてたがその通り

ネット民は政治経済思想だと高尚ぶってあまつさえ政治問題だとか叫ぶけど

根っこは全部これなんだよね

2021-02-01

絵馬=絵が上手い人

字馬=字(文章)が上手い人

まり司馬遼太郎は字馬遼太郎ということができるし、それなら横山光輝絵馬太郎といえる。

2021-01-01

100分de名著の既刊を読破して一年経ったけどやっぱり人生変わった気が

あけましておめでとうございます

去年

https://anond.hatelabo.jp/20200101232410

を書いた増田です。

去年は散々な一年でしたね。

私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。

まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。

どう変わったか

以下つらつらと書いていますが、まとめると

読書精神安定剤になった」

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」

世界を広げる読書ができた」

それでいて、

本業向けの読書もできた」ですね。

それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業必要知識の深化も出来たと思っています

これが何故出来たかと言うと、一昨年本業関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。

以下詳細。

読書精神安定剤になった

いきなり自分語りスイマセン。

去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています

レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。

が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。

長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。

の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います

健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。

振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産アクション読書でした。

なんせベッドから一歩も動かずにやれますから

結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。

春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます

気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産活動がある安心感があるという感じです。

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた

100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書方向性を広げる方向として去年はNHK出版テキストを中心に選びました。

本の物理サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所時間、等々がそのまま続けられるということです。)

あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります

結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。

NHK番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います

前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教時間シリーズです。

最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、

これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。

一昨年100分で名著で感じていたのと同じ現象です。

この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています

逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。

世界を広げる読書ができた

去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。

そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。

また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルール作りました

これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外効果としてある程度親しくなった人とさら距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います

一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。

もともとコミュ障もので、これはありがたいですね。

今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。

本業向けの読書ができた

かについて知りたいと考えた時、ネット検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクション自然に追加されました。

これは、仕事の本を読んだ数が増えたことに直結しています

また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。

・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。

積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます

読書履歴読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます

これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。

一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います

昨年読んだ本

自分で振り返るためにカウントしてみました。

百分で名著シリーズ12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)

百分で名著読書学校:4冊

NHK学びのきほん:10

NHK宗教時間:14冊

NHKこころ時代:4冊

百分で名著の原著12

角川ビギナーズクラシックスシリーズ:7冊

その他趣味の本、流行の本など:8冊

仕事の本:17

で、個人的に出色なのは教養系の読書たっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。

去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。

ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。

本を読むという行為自体スムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います

まさに去年読書筋を鍛えたメタ効果であるように思います

僭越ながら去年読んだ本からおすすめ

百分で名著:ディスタンクシオン

今年のラインナップも面白かったですが、特にこれ。

はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語社会学的なバックボーンについて理解できました。

はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要学問だと捉えなおすいい機会になりました。

面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。

逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。

年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。

解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいレスポンス返せる人間になりたい。

ディスタンクシオンは今年原典行ってみようかなと思います

学びのきほん:役に立つ古典

能楽師安田登氏解説古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、

漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています

これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。

百分で名著・読書学校史記

こちらも安田登氏が講師になっている解説本です。

良かったと思った理由上記と同様。

安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。

宗教時間親鸞聖人から手紙

タイトルのとおり、経典歴史事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人人物に迫ろうという趣旨の本です。

上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。

ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、

宗教時間観無量寿経をひらく

観無量寿経ベースに、浄土系の教えが中国日本で花開いていった過程を追った本です。

私が読んだ中では最も単独理解やすく、去年おすすめした「集中講義大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。

宗教時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。

著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!

ソロモン指輪

原典シリーズです。

大人向けのシートン動物記と行った風情の、動物観察学の本。

単純に、日々の話題元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。

独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います

ロウソク科学

原典シリーズです。

子供向けに実施された19世紀科学講義書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。

当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、

ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。

去年は西欧文明というか西欧社会限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモン指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います

苦海浄土

原典シリーズです。

100分で名著の解説本を読んでから絶対に読もうと思っていた原典の一つ。

下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。

内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います

あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。

故郷忘れじがたく候

原典ではないですが、番組の中で言及があった気がします。

恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐり趣味もので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。

声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章うまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。

今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲ちょっとずつ読んでいます

タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。


おわりに

今年は年始から割と大きな人生イベントが幾つかあります

年齢的にも5で割り切れる年となり、色々節目です。気合い入れていこうと思います

去年は私だけでなく、世界が停滞してしまった感じですが、今年は良い年になりますように。

2020-12-02

雪国に住めるやつは異常だ

司馬遼太郎小説に「雪国は損」みたいなことが書いてあった。

雪かきかい生産性皆無のクソ作業があるかららしい。

まったくもってその通りだと思う。よく耐えられるよな。

2020-11-16

anond:20201116140446

坂本龍馬とか逸話ほとんどが司馬遼太郎創作だよね

いろんなプロジェクトにちょいちょい顔出して絡んでいるように見せてるけど実際には何にもしてなくて

でも他人に対しては「あーあれね 俺も手伝ったよ」って嘘ばっかり言ってる弊社の課長と同じだとしか思えない

2020-11-14

anond:20201109170720

そ、そうなのか……。「早漏」って漫画とかで罵倒語扱いされてるのを見たことがあるから相手がすぐ出ちゃった時って気を使ったこしかないな。

言われてみれば、司馬遼太郎とか馳星周とかの小説登場人物美人とやるときは三擦り半だね。

遅漏については、女の方としては長時間粘膜を擦られ続けるのは痛くてしんどいから付き合い切れないな。けど確かに、長々と擦られ着けた挙げ句に「あれ?出ねえな」って首を傾げながら腰振ってる姿を見ると、なんかこっちが悪いのかな、私が可愛くないとかガバマンとか……って不安になる。

2020-10-19

史実vs.創作

Twitterでちょくちょく論争になる「史実の一部だけ切り取って都合のいいように創作し、あたか真実のように見せるのは許さない」ってやつ、要するに「声のデカい奴に史実を捻じ曲げられるのは気にくわない」ってことなんだよな。

でもその最たるもの司馬遼太郎だもんな…。(デカすぎるともう止めようがない)

2020-10-17

anond:20201017193339

史実愛着ある場合は、司馬遼太郎を読めないと思うわ

司馬遼太郎から入ったら、本当はこうだったんだ、あれは嘘だったのか、って史実は読めると思う

2020-09-28

我が子をアホの子にするために

6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。

6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。

余りに理解が早いものから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。

勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。

子供らしく動物博士かにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。


困ってしまうのは同級生との関係だ。

そもそも河井継之助が学んでいたという陽明学和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、

バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供公立小学校同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、

大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生将棋をやっていても楽しい筈もない。

なので、必然孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。

正直なところ、この子未来不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。

小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。



親としては、子供らしくサッカー野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、

バットサッカーシューズよりも、中学数学参考書が欲しいという子なので困るのだ。

将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登りキャンプなどに連れ出したりしてるんだが

私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間から、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。

近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代友達でも出来ないものかと期待してる。

私も9歳くらいになると友達サッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。

スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分けが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。

大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。

あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、

中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女キスできるか知恵を絞る位でいいのだが、

子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。

妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。

私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。


追記

ブクマが大量についてて驚きました。

ギフテッド教育お受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。

そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります

私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校勉強にいそしんだ事はないけれど

「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」

といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります

一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。

大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。

それよりは普通学校で色んなタイプ友達出会い海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達キャンプへ行ったり、サッカーやったり

恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家教育方針です。

英語をやりたいと言えば教えてやりますし、読みたい本があるなら何でも手に入れます

好奇心が赴くままに頭を使う事を止める子ではないし、親も興味や好奇心に蓋をするつもりはないのでご安心を。

2020-08-17

anond:20200816114700

岡田斗司夫には影響受けたなあ

司馬遼太郎ほどじゃないけど城山三郎よりはマシ、みたいな印象。

愛人騒動以前にも愛人の話は各所でこっそりしてて、だらしない人だと思いつつ遠目から面白がってたか騒動以降の人気の落ち方にはちょっと驚いたけど、なんだかんだで飽きて距離置いたな

最近だと忘れられて、多少評価戻ってきてない?

2020-07-09

anond:20200709130138

これはある程度賛同したい。

刃牙とか荒唐無稽ものはともかく、普通フィクション事実から飛躍した表現があっていい派。

司馬遼太郎叩きとか意味がわからない。

2020-07-07

anond:20200707170115

司馬遼太郎塩野七生問題点は「史実に忠実でござい」って顔をしてバカを騙すところ。

塩野七生ローマ人の物語を読んでいたら嫁に「それって時代考証とか適当なんでしょう」と文句を言われた

別にいいじゃん面白いんだから

そんなの言ったら司馬遼太郎作品なんて全部適当だろうがよ

正統な日本語を話そ

大野晋 日本語は、もともと関西で発達したんですね。〔……〕関東はね、元来、別の言葉をしゃべっていた。そこへ日本語が入ってくるわけです。だから発音の習慣だけは以前の言語の習慣が残り、関東母音を落とす。関西母音が多い。母音を落としちゃ、日本語はいけないんです。〔……上方漫才は……〕日本語の正統な流れなんですよ。

司馬遼太郎 『日本書紀』の天智〔……〕五年〔665〕に「百済人二千余を東国に置く」、天平十八(七四六)年に「新羅人武蔵に置く」。この聖武時代あたりが関東あけぼの〔……〕。それが大きな集団ものですから坂東武士先祖は、やはり入植渡来者と非常に関係があると思うんです。

 〔……〕日本人は、とくに上方人間は、子音が詰まった形では発音出来ない。ところが東京の人は、それを平気で発音出来る。「なんちゃって」と言うでしょう。そしてトゥングースの言葉も子音を子供ときからどんどん言うんですよ。

永井路子 やはり気候の差があると思います関東からっ風というのは、特殊作用をしている。はっきり言えば、口を開いていられないんですよ。〔……〕口をまともに開けてはしゃべられない。話をするにも、優雅母音発音しているひまがないくらいに、タッと早く喋るわけですね。ですからだんだん詰まっていく。

「口をまともに開けてられんなら、まともに笑うこともできん。まともにしゃべれん、笑えんとなると、思考感情も育ちにくい気がするけど……いわゆる標準語は、旗本言葉切り貼りした人工日本語戦争演説に適した『ジークジオン弁』。大阪児童学力が低いて言われるけど、『欠陥語』教育本能的に反発した結果ちゃうの?」

「『普段正統な本物の日本語話しとるのに、何でデチューンした偽物の日本語教わらなあかんねん』て、感覚にわかるんやろなあ。どちらを標準語採用すべきやったかというと……」

「小籔さんを起用した例の厚労省人生会議ポスター』が中止された時、こんな意見が報じられました」

死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです〔BuzzFeed News

「これもう別の国か別の民族意見やろ……上方言葉を何やと……」

2020-06-26

正統な日本語を話そ

大野晋 日本語は、もともと関西で発達したんですね。〔……〕関東はね、元来、別の言葉をしゃべっていた。そこへ日本語が入ってくるわけです。だから発音の習慣だけは以前の言語の習慣が残り、関東母音を落とす。関西母音が多い。母音を落としちゃ、日本語はいけないんです。〔……上方漫才は……〕日本語の正統な流れなんですよ。

司馬遼太郎 『日本書紀』の天智〔……〕五年〔665〕に「百済人二千余を東国に置く」、天平十八(七四六)年に「新羅人武蔵に置く」。この聖武時代あたりが関東あけぼの〔……〕。それが大きな集団ものですから坂東武士先祖は、やはり入植渡来者と非常に関係があると思うんです。

 〔……〕日本人は、とくに上方人間は、子音が詰まった形では発音出来ない。ところが東京の人は、それを平気で発音出来る。「なんちゃって」と言うでしょう。そしてトゥングースの言葉も子音を子供ときからどんどん言うんですよ。

永井路子 やはり気候の差があると思います関東からっ風というのは、特殊作用をしている。はっきり言えば、口を開いていられないんですよ。〔……〕口をまともに開けてはしゃべられない。話をするにも、優雅母音発音しているひまがないくらいに、タッと早く喋るわけですね。ですからだんだん詰まっていく。

「口をまともに開けてられんなら、まともに笑うこともできん。まともにしゃべれん、笑えんとなると、思考感情も育ちにくい気がするけど……いわゆる標準語は、旗本言葉切り貼りした人工日本語戦争演説に適した『ジークジオン弁』。大阪児童学力が低いて言われるけど、『欠陥語』教育本能的に反発した結果ちゃうの?」

「『普段正統な本物の日本語話しとるのに、何でデチューンした偽物の日本語教わらなあかんねん』て、感覚にわかるんやろなあ。どちらを標準語採用すべきやったかというと……」

「小籔さんを起用した例の厚労省人生会議ポスター』が中止された時、こんな意見が報じられました」

死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです〔BuzzFeed News

「これもう別の国か別の民族意見やろ……上方言葉を何やと……」

2020-06-21

武士道批判序説(1)

武士道を考えます藤原正彦先生のご主張への、異論として」

「『国家の品格』書かはった数学者さんやんな」

私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています

藤原先生は、『鎌倉時代以降、特に江戸時代機能してきた』武士道を『今こそ復興させるべき』と言わはります

武士道は〕まず仏教特にから運命を引き受ける平静な感覚と、生を賤(いや)しみ死に親しむ心を貰いました。

「これ、ほんまやろか?」

事実かはともかく、冗談やありません。そんなんは、大本営発祥の地、真珠湾攻撃立案実行し戦陣訓を生み出した関東地方だけでやってください」

司馬遼太郎 このあいだ、カセット東条英機演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実軍事情勢がどうなっていても、インパール大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。ともかくあの調子演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。

「いわゆる標準語て、作られた経緯からして『ジークジオン弁』やんな」

「他にも、藤原先生は『武士道には禅や儒教精神が流れ込んでいる』て言いながら、『禅や儒教は舶来のものじゃないか』という意見には……」

禅はもちろん中国で生まれものですが、中国にはまったく根付かなかった。鎌倉時代日本に来て、一気に日本根付いた。

「て答えるだけで、儒教の方は全スルーいくら講演を元にした本でも、論説として荒っぽすぎる。藤原先生武士道の中で最も重視するんは、その儒教が言う『惻隠』、弱者への愛情やのに」

惻隠は現在のような市場経済による弱肉強食世界においては、特に重要徳目だと思います

武士道が惻隠……? それ、儒教だけで十分な話ちゃうの?」

「そういうこと。先生武士道言いたいだけやありません?」

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