はてなキーワード: ハイコンテクストとは
「日本はハイコンテクスト」「日本は集団主義」といったことが言われてきているが、端的に言うと以下の要因で同調圧力が生まれるんじゃないかと思ってる。
誰かが道を邪魔すればそいつのせいで「みんな」が損をする。つまり、確率的に言ってそいつが非難される可能性は高くなる。
もしこの非難に対して「そんなの俺の自由だろ」と主張する人間が増えればフィードバックを阻止できるが、どちらかというと「非難されたくない」という消極的な人間が多い。
つまり東京は集団が無意識にフィードバックを与え合って学習するネットワークと化している。その学習が「正しい」という保証はない。
そこで学習された情報が「メディア」「インターネット」を通じて地方にも発信される。
するとどうなるか。心と空間の狭い東京の中でしか学習される必要のないゴミ情報が日本全国で学習されてしまう。
対策する術はあるのかというと、個人レベルでの対策は可能ではないかと思う。
漫画は相当良く出来てるとは思うものの、子供向けだなぁと最近は追ってなかったけど面白いね。
小6の甥はアーニャが可愛いって言ってて、小3の姪は色んなギャグを面白がってる。特にアーニャの変顔にウケてて、ちち うそつきとか口真似してる。
姪が主題歌好きでスキップしないから毎回きかされる。適当にきいてると、ピーナッツが木の実とか言ってては?となったが歌詞ggったらうわーよくできてんなぁとなった。アニソンの顔に見えないアニソンだ。
話も最初子供向けだとは思ったけど、よくよくみてたら小学生には分からないようなハイコンテクストな部分も相当多いから大人も見てられる。ヨルさんやその弟が少し怖い感じもするみたいだけど、そこまでは気にならないみたい。
男だろうが地雷を踏みたくはない。半日辛いどころか、一生出会わなくてよかったとふと思い出されるトラウマ級の作品すらある。
でも、検索避けなんてハイコンテクストな文化は、お互い暗黙の了承がある。つまり既に知ってるから人が来れるし避けれるという両立ができる。新しくもないからできる。それをやれるのは、狭い枯れたジャンルでだけ。使えるなら使いたいが、生きたジャンルではむしろ、裏をかいてくる虚淵などを無防備に踏み抜くことになりかねない。
漫画は、かつては女の子のお遊びとされ、未だ女性の活躍が大きい。でも、検索避けなどが漫画や同人文化の主流として、男性向けどころか両性向けでも広く行き渡ることはなかった。男女の問題ではなく、それは小さく縮こまる行動そのものだから。商業的には自殺であり、非商業でも使える範囲は新規参入者に困らない上に隠れたいごく一部に限られる。女性なんて大きく一般化できるような話とはとても思えない。
二週目見たので。
特撮の白倉プロデューサーはメタネタを作品に取り入れることが多いんだけど、ライダー・戦隊映画の「スーパーヒーロー戦記」なんか、敵が「お前らネタ切れでモチーフ被りまくりのオワコンじゃねえか!」なんて台詞を吐くんだよね。
シンエヴァでも、(しばらく観てないのでうろ覚えだけど)シンジと綾波の会話中、「使徒、襲来」から「シン・エヴァンゲリオン」までのタイトルが「作中のスクリーンに」流れる。
どちらも、作中のキャラではなく観客に向けた表現であり、またシリーズのファンでないと伝わらないネタでもある。
「すずめの戸締まり」も3.11をメタ的に、観客を意識して作られた映画なんじゃないかな?みたいな。
文系は作者の気持ちを考えてろ、なんて言葉があるけど、昔は作品にゃ「作者の意図」ってのがあって、それを読み取るのが正しい読み方なのだ、って学校でも教えられてた。
でも後から、「文章を読んで書いた奴の気持ちなんか分かるわけねーだろ」「それをどう読み取ったか、読んで何を考えたかが大事だろ」的な考えが出てきて、作者ではなく読者を主体として考えるべきじゃね?みたいになって、そんで、多様な考え方を尊重しようみたいな話に繋がったり繋がらなかったり。
まぁそんな感じで、被災した人もしなかった人も、311を経験した人なら色々考えるし語りたくなるよね、的な?
☆タイムリープと予定論
タイムリープものとしてみた時、あのシーンは実はこういう場面だったんだ!って気持ちよさは薄い。(自分が観た中だと、平成ジェネレーションズフォーエバーのネタばらしが一番気持ち良かった)
で、先のことは全部決まってる、ってやつね。最初ちょっと引っ掛かったんだよ。仮に扉が閉じるの失敗して震災起きちゃったとしても、結果は決まってるからしょうがなかった、ってことにならね?みたいな。
ただ、幼すずめにとってというより、現すずめが言うことに意味があったのかな、とも考えたり。現すずめにとっての先の未来は不確定なんだし。
雑多な感想
全体的に、「間」を大事にしてるっつーか、日常描写に尺割いて丁寧に撮ってるなーという印象。世界観説明はセリフで軽くすませて、子守りシーンはしっかり描写する、みたいな。それが不満な人もいるだろうけど、個人的にはそこが良かった。娯楽としての面白さって、つまりはセックス&バイオレンスなわけで。盛れば盛るほど下品で楽しい作品にできる。ヒロインとのキスシーンなんて大抵の映画にノルマのように入ってるけど、すずめのそれは上品で、個人的にはちょうどいい。
ダイジンの草太に対する認識というか、すずめから草太への好意に気付いてたのか無頓着だったのか、気にしながら見たがいまいち分からず。ただ自分の方が愛されてると勘違いしてるのはビンビンに伝わってくる。哀しい。
親子喧嘩のウチの子じゃない、自転車の仲直りもダイジンは見てたんだよな。で、色々考えて、結局自分はすずめの子にはなれない、と悟ったんやな…
二週目だとダイジンのヘイトチャージクソ猫っぷりが違う意味で面白い
初見の時、ダイジンは要石に戻る覚悟決めて車に乗ったんだなと思ってたがそうでもなかった
サダイジンは抑え切れずに抜けてしまったのか、ダイジンが抜いたって感じでもないよな~?
草太さんの記憶、バンクじゃん!ダイナミック回想じゃん!とかいらんことを考えた。
初見時、エンドロールで稔君が迎えに来てるの気付いてなかった。フェードアウトしたのかと…
書いてから読み直したら、メタフィクションと震災なんも関係あらへんやん!俺は何が言いたかったんだ?
視聴者の存在を認識してるみたいなメタ発言と、フィクションの自己言及としてのメタフィクションを混同してたんだろうか…?
実際はハイコンテクストってのが近いのかしらん?
う~ん。しかし、作中で3月11日に発生した震災と、現実の3.11は別の話だよね?要石も閉じ師も現実には存在しないし、みたいなことは考えてた気もする
機嫌が悪くなると暴力寸前みたいなことをするので
私はまあ父親に関するこわい思い出もあるが
良い思い出もないわけじゃないので、当時は複雑な思いでいた
今は人生の半分ぐらい一緒にいないし
中学生までも一日に顔を合わせる時間なんかほとんどなかったので
そんな父親に似てきた気がする
私は暴力振るわないけどさ
なんか家族に嫌われている
姉と母が、ですけど
自室はあるけど、日が入らないのが結構つらいんだよね
とか言って追い出そうとしてくる
って文脈的に難しすぎるやろ いくら日本語でもハイコンテクストすぎ
まじで私が同じ空間にいる時に姉と母のうんざり感をすごい感じる
門限とかすごいんだよ
バイトもまともにさせてもらえないしね
確かに私にも嫌われる要素はあるんだと思う
でもさ、自分的に嫌なこと言われたから「ごめんって言ってほしい」って言ったらグチグチ言われて
ご機嫌に鼻歌歌ってたら自分勝手に振舞うなって不機嫌になられて
それじゃこっちもすごく卑屈になっちゃうんだよね
なんで「今は歌うのやめて」とか
「私はこういうつもりで言った」とか素直に言えないんだろうって思う
それか私が結局悪いのか?とか
こないだも携帯の変更で親と一緒にいかなきゃいけなかったんだけど
その時下調べしたけど私の準備不足で住民票を準備してなくて変更できなかった
そしたら一気に不機嫌になって
何回もごめんねって言いまくったけど向こうはずっと不幸そうで
ごめんって言うたびに「謝っても結局届かないだろうけど、謝らないともっと不幸づらされるしな」と
結局ごめんと何回も言いました
姉も私が嫌い
いくら家族分のお弁当を作っても、家事の半分をしても、姉が使った食器を洗っても
私のことが嫌い
それこそリビングにいたら母を経由して「こっちが休みの日はリビングに来るな」と言ってくる
うざいから来るなってせめて言ってくれたらいいのに
そのくせ「あいつはメンタル不安定だから一人暮らしなんかできない」って
母親に吹き込んでる
私が家を出ていきたいことを知ってる
心配してるんじゃなくて出て行かせたくないだけやろ
やっと平和っぽい家族になるかと思った中学生のときを思い出すと
うちの女たちは言葉にしない
「お前がいるから家でくつろげない」と言わずに顔とか物音で表現してくる
仲が悪くなるのはむしろ姉だと思ってた
気分の浮き沈みが激しくて体力もないのに無理して体壊して不機嫌になって
あの子は気分の波が激しすぎるって
でも結局姉の気分が良くなると二人で仲よししてる
で、気分が比較的安定しているタイプの私にとげとげした空気を出す
マジでなんかもう心痛い
母と姉はあれは共依存というのか
気持ち悪い
何より、思ってることを口に出さずに察してもらおうとする人間二人寄り集まって
私は姉と母が気持ち悪いと思ってるけど
あの日の父親みたいな目にあってるのは、私の性格が父親に似てるからかもしれない
夜中までパチンコ、娘にマウントとって泣かせる、出かけた先で怒鳴る、そんな父親に
別に人生自由だし前向きに生きたいし自立するのなんて自分の志一つだし
被害者づらして生きるのは嫌だけど
お前ら気持ち悪すぎるよってはっきり母と姉に言いたい
異文化交流として男オタクの立場でいわゆる腐女子と会話をすることがある。
腐女子については攻め受けを考える遊びをする、という理解をしているが、
根っこの部分で自分は強い興味を持てなさそうな遊び・文化だなという気が日々している。
どんなアニメ・漫画の話をしていても、ほぼ必ず誰が攻め誰が受け、どのカップリングが、という話が出てくる、すごい。
(話題にする作品 = 攻め受けを考えるのがメジャーな作品 というフィルタリングをされた上でなのかもしれないが)
作品を見るとき、見たあとの掘り下げとして必ず二次創作を見る、という習慣があるんだろうか。
男性向けでも特定の組み合わせがいい、好き、などの発見があったりするが常に考える習慣が自分はない。
攻め受け、の前に二次創作としての面白みの理解として、雑に言えば本編の延長もしくは本編では見れない場面、やり取りを見たい、というモチベーションがある。
このキャラが〇〇なシーンを見たい、このキャラはこんな側面もある、このキャラはこういうときこんなやり取りをしそう、あるある、わかるの表現。
「解釈違い」はもちろん攻め受けを考えるときだけの表現ではないし、ここ数年でよく見かける表現だ。
「Not for me」と同等の表現のような気もするから言葉のアヤかもしれない
が基本的には解釈をする遊びである、とも考えられそうな気がする。
自分がついて行けない要因として、解釈をするための基本情報が理解できていない、原作の表現を拾えていない、という点はあるのかもしれない。
結局これはハイコンテクストな遊びについて行けないというだけではあるし、腐女子同士の話を聞いているだけ、に近い時間が多いので、前提をわざわざ説明しないのであれば当たり前といえば当たり前。
これはキャラクターの掘り下げではないきがする。
攻め受け遊びの本質ではなく、派生的なものかもしれないが、関係性をパターン化、抽出し、そこに存在するあるあるで遊ぶのが主になってしまっているのだろうか。
男が狩りに出る中、洞窟の中で女性同士でコミュニケーションを取る必要があったから女性はー、とかいう女性脳みたいな話になるんだろうか。
つらつらと書き並べたけど本質的に男に興味ないからかもしれない。
性的な意味で、という意味ではなく、同性として憧れる、とかそういう経験がリアルでもあまりない。
男としてのかっこよさを作るとか、それによる評価をするされる、ということを遠ざけておけば自分が努力も何もしていない状態を直視しなくて済むから、という気はしている。
カッコつける行為が自分はできないからカッコつけている言動なども含めてまるごとアホらしい、とひねくれるためカッコいい男性キャラをそもそもそのまま受け取れていないところはある。
そのため、カッコいい男性キャラの掘り下げをして楽しむ、カッコよさにわくことは、このひねくれものには到底できない。
めちゃくちゃ暴論かもしれないが、逆に考えると攻め受け遊びを楽しめる男は、強いオスである、もしくは強いオスであろうとする男だけとも想定できる。(それほど珍しくもない気もするのでほとんどの男性は攻め受け遊びをできる可能性がある、もさらなる暴論かもしれない)
ジェンダー論を絡めて腐女子語りしてるnoteか何かをチラ見したことはあり、ジェンダー論とかって最近流行ってるなーと特に真に受けていなかったが、あながち無関係ということでもないのかもしれない…