はてなキーワード: 連休とは
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これか。
おっちゃんも若い頃、この罠にハマった一人なので、分かるんだけど、
引越等で生活環境が変わり、今年からゆうちょ銀行を使い始めた人がよく引っかかるんだよね。
なんか一杯あって何が何だかって感じよね。
検索すればするほど
でね、
これまたGPT-4ちゃんに訊けば一発!って思うけど情報がいささか古いのでこの何年かの空白のGPT-4ちゃんの中での飛躍的な進歩は視覚的に分かりやすい分、
進歩が激しすぎてGPT-4ちゃんの情報が古いぐらいなのよ参考にならなくて。
やっぱり英語が強いみたいよ。
そんでよく分からないけど、
専用ハードも備えて自分の所で環境をこしらえて生成させんの?って思うし
アプリとかもあったりして
まあ私はお手軽画像生成AIで画像が作られたものを眺めているだけで楽しいこれなんてAI情報浴なのかしら?って
もはやAIの作った情報をただただ浴びて摂取するってアクティビティもこれから出てくるのかも知れないわ。
画像AI系に関しては今後飛躍的な進歩を遂げまくると思うので、
人間はうかうかとその刺激的な無機質に作られる生成されたコンテンツに取り憑かれて衰退していく、
てなるってーと、
人間は何をしなければならないのかしら?ってこれなんかまた深いところに行き着く次第の最終着地地点じゃない?
考えない人間がどんどん出てくるんじゃない?って
あれだけの圧倒的な量のものを結構なクオリティーでテキストにしろ画像にしろバンバンアウトプットするんですもん。
この生成系AIブームもいつかは飽きられるってこともあるかも知れないので、
いまのこのAIを楽しみ知るって意味ではうんとAIの無尽蔵に生成されるものを浴びまくるのも一つの娯楽として一応の意義はあるのかも知れないわ。
とにかくなんかこの
宇宙の広さを知ってしまった有限だけど無限的な途方に暮れる感じがしてとりとめが無いわ。
なので、
そういったAIを娯楽にって思って接するぐらいがちょうどいいのかも知れないわね。
なんだかスプラトゥーン3のフェスなんてどうでも良くなるぐらいの刺激だわ。
それどころじゃない!って感じがそれどころじゃないもんね。
遠くに出掛けずともAIが行ったことのない車窓からの眺めを延々と計算して無限に描き続けるのを眺め続けるのよ。
目的地も無くね。
連休中のお休みはと思って壁に貼ってあるお休み情報を見たらずっと連休中はやってるみたいなので、
私も行けるときは行って朝のグッドモーニングどグッと楽しもうかなーって
ほんと。
炭酸も残り1ケースになったので、
これ減ってきたらまた買い出しに行かないとね。
暖かくなってきたので、
良い天気でありますように。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昨日の定時上がり前、一緒に仕事している仲間5人で雑談した出来事
僕は愛想笑いしながら聞いていたら
みたいなことを言われ眼鏡外してみたら
「やっぱ目ばっちりしてるね。眼鏡じゃなくてコンタクトにしな!絶対に似合うから」
「いやーそうすっかね・・・」と照れ笑い的な返答をしてしまった
終わった
これでGW明けにコンタクトしてたら自らの意志ではなくお局の助言でコンタクトにした人になってしまう
「いや実はGW明けにデビューしようとしたんですよ」的な回答コミュ力が自分にあるはずもなく
照れながら回答し、GW明けにコンタクトにしたら周りからめっちゃお局のことを意識しているひとになってしまう
お局も私の助言を真に受けたのwみたいな感じで茶化されたり、得意顔になりそう
今眼鏡屋さんに行くかどうか悩んでる
やめとこうかな
父が死んでちょうど一年になる。
この一年は家族と宗教について、父について考えざるを得なかった。
考え出すと、寝れなかったり不安定になることがあるので、節目に吐き出したい。
というのも、元首相の殺害や、菊池真理子氏の「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~ を読み、
私自身、宗教2世として記録と想いを書き残しておこうと思った次第である。
【創価学会と私】
私は幼少期に早い段階で、「あれ、家の家族は周りと違う」と気づき、
思春期には、親への反抗と同時に学会への不信感を募らせていった。
小学生の頃から月に何度か、知らない大人が集まる場所で連れていかれ勤行をしたり、
意味の分からないビデオを見せられたり。胸糞悪い記憶が残っている。
「新聞取ってもらえませんか」
と言いに来る。
”お母さん恥ずかしいからやめて”
田舎の小学生にとって、周りの友達との関係が崩れていく事がどれだけしんどかったことか。
普通の家ではないということを、表に出さず、隠しつつ、とはいえ田舎だったので周知の事実だったと思うが。
幸い友人に恵まれ、勉強も少しはできたので、いじめも無く、表向きは周りの子供と変わらない様に過ごせたと思う。
同じ中学から進学した同級生で親友になった子も、私の家族について良く知っていたが、一度も嫌な顔をせず私に付き合ってくれた。
なるべく親の世話にならず一人で生きていきたいという気持ちが学会のせいで強くなり、
部活をせずバイトをフルでいれて(貧乏というのもあったが)、奨学金とバイト代で授業料を支払っていた。
そしてここから成人して、就職、都会へ引っ越し、出来るだけ家族と離れることで、学会と距離を取ることができた。
【父と家族】
私の父は、生まれつき心臓の病を持っていた。学会とは関係無し。
忘れもしない小学低学年、夜中に居間が少し騒がしく、トイレに起きた私は母に慰められながら号泣する父を見た。
バブル崩壊後の不況の中、持病持ちの父は会社から要らない人間扱いされたらしい。
そこからの我が家は、どん底だったとのこと。父は病気のせいで再就職もままならない。
子供が4人(兄、姉、私、弟)。今思えば、生きて大人になっているだけで儲けもんではあるが、
母は強かった。
朝から晩まで、仕事を掛け持ちして皆を食べさせて、学会の活動も、勤行も欠かさずやっていた。
朝は清掃のアルバイトで、私が朝起きて登校するまで家にいることは稀で、
母が夜にアルバイトしていた工場の冷凍肉まんをチンして弟と食べて学校に行っていた。
昼間は保険の営業をしていたらしいが、学校に行っている間なので詳しくは知らない。
たまに学校から帰って家にいるときは、内職や家事の合間に勤行をしていた覚えがある。
父は弱かった。
私が幼い頃は絶対的な存在として、一家の主として君臨していた。
家族を養えなくなり、酒に溺れ徐々に精神的にも肉体的にも弱っていった。
私が思春期の時には、何度もぶつかり合った
「なぜ仕事をしない」
「酒をやめろ」
私は父が病気だと知っていてもなお、問い詰められずにいられなかった。
そのある夜に、父が紫色の顔で鼻血を垂れ流し、シャツを真っ赤にして救急車に運ばれた。
兄は優秀だったが。
私とは別の私立高校を特待生で通っていたが、すぐに不登校になり、ここから10年近く表に出なかった。
これは原因も私には分からない。ただ精神的に不安定な人間だった。やはり家庭が関係するのだろうか。
そしてその間、私と弟は良く兄と仲違いした。
姉は男を追って遠くへ消えていた。家族の中で私と弟はこの兄が大嫌いだった。
そして私が都会に出た数年後、弟から兄が創価学会に入信したと聞いた。
私は信条の自由だとその場は笑い飛ばしたが、笑い事ではなくなった。
「いつかお前にもわかる」
「幸せとは何か」
私は本当に何度も実家に帰りたくなくなったが、それでも会いたいという父や母の為に顔だけ出していた。
それだけで息子として顔を見せるくらいは何も苦痛ではなかったが。
【父の死】
そしてちょうど一年前、父が亡くなった。
数年前に心臓病とは別にガンを発症、末期になり3月から緩和ケアに入る。
コロナで面会が難しく、5月中旬になら会えるとのことで、連休をずらして規制予定だった矢先に。
墓も遠方の学会の墓に建てるそうだ。もう兄を止める者はいない、
【最後に】
私が見てきた限り、一度も勤行をしたこともない。
けれど父は、もっと言えば母も学会にのめりこんでいたが宗教というフィルターを通さず、
兄はそんな父をなぜそのような扱いにしたのだろう。
本当に父が思っていることを聞けなかったことを後悔しているのかもしれない。
私は宗教で苦しみました。
兄は宗教で救われました。
おそらく私は一生この問題と付き合わなければいけないとも思います。
あなたがそうしたように。
【】
吐き出したいことをだっーと書いていったら、ある程度言いたいこと言えたっぽいのですっきりしました。