はてなキーワード: 知的障害者とは
まあここの反論です。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130224125101
いやー、一般論で正しいこといってるっぽく見えるのがちょっとややこしいのかもしれないです。彼もアスペさん(さんづけしとくね)と関わることが多いのでしょう。思うところがあるのはわかるけれど。ちなみにとり鉄が切れ症なのはよくわからない。
細かいところで2chやそのまとめのせいでアスペさんが排除されてるわけじゃないだろうし、相手の気持ちを理解できずに排斥しているのはお互い様なんだからそれは5050じゃない?とかそもそもその理屈だと殺人鬼も思考が違うからという理由で排斥されてるけどそれはいいの?いや正確に言えば思考だけじゃなくて法に違反しているか、していないかでは異なるかもしれないけど、迷惑をかけてるのは同じだよね?(まあ勿論殺人鬼は知的障害者ではないかもしれないけれど。)とかそもそも最後のプログラマーに対する色眼鏡だよね?とかいろいろあるけれど(真ん中らへん誰か反論して)今回注目するのは「アスペが禁句」であるかのような言い方。
「なんで略しちゃだめなの」の欄で
> 「アスペ」って単語で現在の身体障害者くらいに認知されるレベルになればいいんですけど、少なくとも今はその状態ではなく、差別用語として広がっている印象が強いので、略すのはやめたほうがいいです。
ていう風にまとめてます。けどだからといって「「アスペ」」という語を使うなという権利は当然アスペさん側にはないでしょう。言葉狩りはよくない。たぶん。
そして、重要なのはもちろんその内容の中身でしょう。「アスペさん死ね」だろうと「アスペルガー症候群に患者のみなさん。お気持ち、苦しみはお察しいたしますが皆さんはそれらの症状を持たない我々一般の人間にとっては残念ながら生きている価値がないのです。心からご隠居なさることをお待ちしております。」なら当然同じ内容であるから同じように追求されるべきです。というかむしろ後者のように長いとうざいといわれて、より追求されるかもしれません。
また、「「アスペ」」が差別用語として使われている方が多いかといえば、そんなことは決してありません。これはアスペの会で検索すれば明らかです。彼らはあえてアスペルガーの会ではなくアスペの会としたことによって、アスペさん達に対し、気軽さ、親しみを持ってもらおうとしたのですね。
このことはは外国人を「がいじん」と略すのは差別か、という議題に詳しいです。
そういう、低い水準に合わせこんで満足する、という考え方はしない。
ないですよ、そんなもん。そんなキチガイロジック振り回されてどや顔されても。
どこにどういう法的根拠が?
知的障害者がこうむっている不利を、健常者があんぱん吸ってとんとんにしろと?
あんたの言っていることはそういうことなんですが。そもそもフェミニズムと言っても幅が広いし、フェミすべてがそんな主張をしているわけじゃないんですが。
置換冤罪を男性がこうむるなら、痴漢被害を女性がこうむっても当然だとなりませんかね?
自分で作ったものさしでさえ自分自身をソートすることができない。これがまさしくはてサですよ。
ま、それはともかく、buyobuyo氏のことを考慮してみましょう。
彼は論理学についてはこの国で一応、最上と言える教育を受けている。
しかし彼の言動には論理性は微塵もない。つつけば穴だらけだが、彼の経歴を踏まえれば、敢えてそうしているとしか考えられない。
なぜか。論理的妥当性ではなく政治闘争として彼ははてなで活動しているから。
彼に代表されるはてサも同様。
・ダブスタ
・言ってもいないこと攻撃
・言えることがないならとりあえず人格攻撃
無茶であっても暴力が場を支配することを彼は知っている。知っているから暴力を行っている。
はてサを攻撃している人は保守ではない。むしろ純粋な左翼。はてながこういう暴力に支配されてしまっていることに、ずっと警鐘を鳴らし続けてきた。
それに近似しているのはただの暴力団だ。
愛おしさなんてない。あっても現実的な苦労や絶望に比べて遥かに小さい。
昨日乗っていた電車の前の席に座っていた制服を着た中学生男子.
ああ,知的障害者なんだなと思った.
何を叫んでいるのかよくわからなかったが,どうやらそれは彼の前の母親(らしき人)に対してのメッセージらしかった.
「ガーザン!ガーザン!」と声変わりが終わった中学生のダミ声で叫ぶ.
以前までならなんとも思わなかった光景だが,子供ができた今では違う視点で見てしまう.
十数年間の苦労は並大抵のものではなかっただろう.乳児期の知能のままで体だけ大人になってしまうのだ.
乳児期の子供は本当に愛おしい.あの母親の愛おしさは今でも続いているのだろうか.
母親の中学生を見る目は,愛おしさと諦めが混同したような複雑な目だった.
定型発達をしていれば,中学生ともなれば普通に一人で電車にのって学校へ通える.しかし我が子はいつまでたっても知能だけ赤ちゃんのまま.
自分の子供が生まれるときは怖かった.子供が障害者だったら受け入れられるだろうか.妻が妊娠中はそればかり心配していた.
自分の子供が障害者であってほしいと望む親はいない.でも生まれてきた以上,否応なしに受け入れなければならない.
なんと残酷なことだろう.
子供を作るということはギャンブルなのだ.多くの人ははずれを引かなかったことに安堵する.
そして,運の悪かった人だけが何十年にもわたって重すぎる荷物を背負わなければならない.
愛おしさだけが救いなんだと思う.
手足がなかったり体の一部が畸形だったり火傷をしていたり障害の内容は様々。
大抵歌を歌ったり音楽を演奏したり芸をしたりして注目を引いている。
芸達者であるほどあるいは障害の程度が大きいほど憐みを呼び施しを多く得られる。
田舎でまじめに働くより都会で乞食をやった方がもうかるので、都会に出て乞食をする。
わざと子供に傷害を負わせる親もいる。
親が傷害を負わせなくてもやくざに売り払われた結果不具者にさせられて乞食にさせられる子供もいる。
健常者で一応は職(それに準じる社会的役割)を持っている人たちに「自分が今持っている幸せ」に気づかせ
「優越感」を抱かせ「自負心」を回復させ、「生きる希望」を持たせるという役割だ。
人は他人との比較の中で幸不幸を自覚することが多く、とかく今自分が得ている幸せのありがたみには鈍感になりがちだ。
それぞれが悩みや不満を抱えている。
給料が少ない、生活が苦しい、容姿が悪い、恋人ができない、子供ができない、友達がいない、学歴がない・・・・
悩みを抱えていると幸せそうにしている人たちが恨めしく思えて来る。
手足がなかったり知能が遅れていたり、半身不随だったり目が見えなかったり。
健常者であっても能力がなく見世物になって他人に施しを乞うことしか生計を得る手段がない。
そんな人間と比べれば自分は五体満足で健康だし一応職があって自分で収入を得ているし、まだ恵まれている。まだ人として勝っている。
この人たちよりは恵まれた立場、人として勝っている立場を得ているのだから、やけになってそれをみすみす手放すのはもったいない。
健康でよかった。職にありつけていてよかった。今日を生きよう。
乞食は「社会の鎮静剤」であり、彼らが受ける施しは、大衆の日々のフラストレーションが社会に向けて噴出する前にそれを優越感と蔑みに転化させた功労に対する報酬なのだ。
「誰でもよかった」系の無差別大量殺人のうち、乞食が中国並みに日常的に見られるという条件下だったならば、発生しなかったものも相当数あると思う。
治安維持に貢献する。
弱者であることを盾に権利を主張する人たちは中国の街中で障害をアピールして芸をして物乞いする人たちと本質的に差はない。
彼らのような存在を苦々しく思うと言う人も多いが、実際は社会で必要とされている存在であり、
一種の職業として認めたらよい。
私が小学生のとき,そのときの私の担任に知的障害者のうちに訪問させられた.
私が彼の部屋にきてみると,彼は Diablo 2 というゲームソフトをプレイしていて,それが彼のもっている唯一のゲームソフトだったのだけれど,この知的障害者でもこのソフトが理解できるのだなあといったん感心した.しかし三十分ほど彼がプレイするのを見ていると,彼はゲームのストーリーを理解せずに直近の敵を倒しアイテムを拾うことをただ繰り返しているだけだということに気がついた.その繰り返しを彼は楽しんでいた.
私は彼にゲームのストーリーを理解させようとキーボードを奪ったが,彼はなにかわからない台詞を口走りながらそのことに激怒した.彼の母親は,僕に彼の振舞いについて謝り,彼はゲームが大好きだと言った.彼の楽しみは私にはわからなかった.
朝日新聞の記事
http://www.asahi.com/business/update/0614/TKY201206130859.html
これを読んで「企業が精神障害者を雇わなければいけなくなる」と勘違いしている人が多い(おそらく新聞記者もそう思っている)ようですが誤解です。
というより、すでに企業は精神障害者を雇っています。事実上、精神障害者の雇用は義務化されています。
どういうことか、具体的に説明します。
障害者の法定雇用率は1.8%ですので、200×0.018=3.6人以上の障害者を雇う義務があなたにはあります。
法律で雇用義務があるのは身体障害者と知的障害者です。ですから、4人全員を身体障害者で揃えてもいいし、知的障害者で揃えるのもアリです。
さらに、身体3人知的1人みたいにブレンド(?)して適材適所で採用するのも構いません。
ここからがややこしくなるのですが、実は、精神障害者を雇っても、身体障害者または知的障害者を雇ったものと「みなされる」のです。
つまり、上記の4人のうちに精神障害者を含めても、法定雇用率を満たしたことになります。
障害者枠(法定雇用率を満たすために障害者を雇う人数の俗称)の4人のうち、4人とも精神障害者でもいいし、3人身体障害者で1人だけ精神障害者みたいなブレンドでももちろんOKです。
あなたがハローワークに障害者の求人を出すと、身体障害者・知的障害者・精神障害者がどっと応募してくるでしょう。そのなかから好きなのを選べばいいのです。
どの障害の人を雇うかはあなたが決めればいい。
障害者枠の対象となる障害者は障害者手帳を持っている人が対象となります。身体・知的・精神それぞれに手帳制度があります。
精神障害者が障害者枠の対象となったのは2006年からです。身体障害者とは違い、施設面などでの特別な配慮が不要のため、意外とその枠で働いている人は多いです。
普通、障害者枠で精神障害者が入ると、「枠の人」であるのを知っているのは人事と上司だけだったりするので、あなたの会社にも精神障害者が働いている可能性は十分にあります。
今回、精神障害者の雇用義務化がなされるとしたら、精神障害者を雇った場合に身体障害者または知的障害者を雇ったものと「みなす」のをやめて、正式に(?)精神障害者も障害者の法定雇用率の算入対象となりますよ、ということです。法律の文面が変わる(というか現実に合わせる)だけです。
追記:
各企業が何人の障害者を雇わないといけないか、それを決める「法定雇用率」は「雇用義務のある障害者が何人いるか」で決まります。
精神障害者の雇用が義務化されると、雇用義務がある障害者の母数が増えるので、当然、法定雇用率が引き上げられます。
1998年に知的障害者の雇用義務化が行われた結果、法定雇用率が引き上げられました。
参考資料