はてなキーワード: 河内とは
福島県民だとかさ、また日頃から福島のために尽力している人たちが怒るってのは当然なんだけど、ふだん福島の「ふ」の字も言わないような人たちまでこぞって叩きに回っていて、なんかなーって思わんでもないんだよね。確かに雁屋はひどいよ。でも、いま雁屋や小学館を批判している人たちが、どれだけ福島を思っているのかっていうのは疑問を感じざるを得ない。単に、叩きたいだけなんじゃないのと。
まあそれはそれでいいのよ。ままならん世の中、憂さを晴らす生贄は必要だ。佐村河内、小保方に雁屋が続いたっていう話で、こういうものはどうにも止めようがないんだろう。
でも、この騒動を単に雁屋や小学館、ひいては放射脳叩きで終わらしてしまうのはもったいないなあと思うんだよね。彼らを否定して事足れりと満足している人たちは、批判のための批判だという誹りを免れえない。福島のための怒りであり批判であるというのならば、実際に福島に金を落とすという形で放射脳勢力に対抗することも必要だ。なら、原発事故が福島に与え続けている影響について、この騒動でいまいちど注目が集まったのを奇貨として、ポジティブな運動(福島に行こう、福島を買おう)を作る、盛り上げるという方向に向かって欲しいと思う。
震災と原発事故直後は、俺も福島のことをよく考えていた。積極的に福島産品を買っていたし、観光客が激減したと報道されたことをきっかけに会津を旅行したこともある。でも、月日が経てば思いは薄らいでいくもので、ここ最近は意識的にそういう行動をとることが減っしてしまっているのは事実だ。多くの人も似たり寄ったりの状況であると思う。
しかし、一方で放射脳の人たちは忘れない。自分の健康に関わる(と彼らが思い込んでいる)ことだから、忘れずに福島産は避けるし、これからも避け続けるだろう。いやこれは放射脳に限ったことではない。福島の放射線についてはそれほど心配しなくても、福島産と他県産が並んでいれば他県産を選んでいる人は思いのほか多いのではなかろうか。他の条件がまったく同じなら、原発事故が頭をよぎるのは仕方のないことではある。旅行先だって、福島以外にも魅力的な観光地はいくらでもあるのだ。すこしでも原発について不安がある人は、やはり福島は避けるだろう。
そういう人たちを批判するというのも、もちろん大切なことなんだけど、でもそれだけでは足りない。不足分は補えない。やはり、あえて福島産を買う、福島を旅行先に選ぶという形で彼らに対抗すべきなんだ。
なんだけれども、そういうことはついつい忘れがちである。まあ人間だもの、忘れるのは仕方ない。ただ、こうやって福島が注目された時くらいは、積極的に福島に金を落としていこうよ。
「美味しんぼ」の鼻血問題に、一般人はもとより、政治家や官僚までもが釣られているけど、
(むしろそう言いだす人をなだめる立場の人の方に、個人的に同情する)
いくら取材したとしても、これだけの大きな問題は、個人の力では限界があるし、自分の都合のいいように解釈したら、どうにでもなる。
実際に「風評被害だ!」と言っている人がいるということは、ある一面では事実ではないことは明らかだ。
しかも瞬時にその声があがったし。今まで取材してきたのは何だったのか。
つまり、あれに描かれているようなことは所詮はフィクションなのに、それに対してカリカリするのは馬鹿らしいと思わないのだろうか。
むしろそれをあたかも真実のように見せかけたことが問題。これは佐村河内問題にも通じる。
研究職にはついていない。
論文はある程度読み取れる。
stap関連のあれこれはそれなりに追っている。
とにかく声を大にして言いたいことは、これはサイエンスコミュニケーションにかかわる問題だということです。
科学者コミュニティ(だいぶアバウトなまとめ方ですが、便利なので使っていきます)からすれば、
小保方さんが随分と悪質な捏造を行ったことはほぼ確定ルートと言って良い状況と思います。
ここで修士を出た程度の僕があれこれ書き散らすまでもなく、
理研や有志の方々がいずれ粛々と事実を明らかにしてくださることでしょう。
そしてその結果得られた見解が科学者コミュニティ共通のものとなることに、
(そこまで専門性の高い知識がなくとも判断できる程度の捏造があるので)それほど困難はないはずです。
少なくとも小保方晴子という人の科学者としての信用は既に地に落ちていて、再び浮上することはないでしょう。
しかし巷の人々に聞けば、
「よくわからない」「結局stap細胞があればOK」「佐村河内は悪いけど小保方さんはかわいそう」「理研の偉い人に利用されて、尻尾切りね」
と言いますよ。尋常ではない割合の高さでこのどれかが返ってきます。
それこそがこの問題のすべてといっても過言ではない。
だからこそ僕たちはこんなにもこの件に関して憤っているのではないですか?
この問題がここまで広がったことの一因は、最初の時点での広報戦略でしたが、
理研が疑義についての会見を開いた後、あれだけ不利な状況で弁護士を雇って反論会見を開くなどと、
度肝を抜かれたのは僕だけではないはずです。
小保方さんという人は一般の人々に対する訴えかけが本当に上手だった。
一方で理研の会見から、一般の人々が何か読み取ることができたでしょうか?
僕はそう思いません。
小保方さんが不正をしたんだぞって雰囲気が、理研の会見にはほんとになかったな…。
これだけわかりやすい不正を、これだけ沢山の人々が認識できずにいることは、
わからないことを印象だけで判断し信じこんでしまう人々にも問題はありますが、
仮に分野外の人がこの問題に感心をもち、実際何が起こっているかを独自に調べ始めたとして、
この件に関して発信される情報のほとんどが、一般の人々に対する意味をなしていないのです。
例え話を使って上手に解説してくださっているブログ記事もいくつかありますが、数が少ない。
とにかく科学者の皆さんは、慎重で、控えめで、それは本当は素晴らしいことなのですが。
そりゃ、根拠となる資料は沢山公になっていますよ。
今回問題になった小保方論文だってオープンアクセスになっているし。
けれど真にフェアに問題を議論するためには、生命科学や論文作成、実験作法についての教養を身につけ、
論文を始めとする膨大な資料に全てあたってから論じなければならないわけです。
「あれだけ堂々とstap細胞あります!って言い切ってんだからたぶんあの子悪くないよ」って、なりますよ。
だから、科学者コミュニティが今しなければならないことは、ただ事実のデータを列挙することでも、
専門用語を駆使して不正を検証していくことでも、他の研究者の不正を洗っておくことでもなくて、
自分のフィルターを通して、この問題を一般にもわかる言い方で伝えていくことだと思っています。
小保方さんばかり追及してないで他の研究不正も、という主張の方もいらっしゃいますが、
内容のお粗末さもさることながら、
著名人にも小保方さんを的外れに擁護している方が散見されます。
挙句山中さんにまで飛び火して、科学そのものに対する信用の崩壊にさえつながろうとしている最中に、
悠長に他何人もの論文を調査して、「悪意のある捏造」の定義を詰めている場合ではないです。
ただそれを丁寧にやればやるほど専門化が進んで、コミュニティ内部でのみ効力を発揮することになっていくはずで、
少なくとも結果わかったことをそのまんま発信する意味はほとんどないと思います。
正しく正確であればいいってものじゃない。
もちろん、
研究不正を防ぐため、あるいは明らかにしてこれを罰するために何をすべきか。
研究ができればいいというものではない、研究者間の人間関係、権力争いのあれこれ。
など、
今回の件が提起する問題は山とありますが、研究不正はこの件に限った話ではないです。
ことstap論文問題について特筆される問題は、一般に対する訴求力です。
これに尽きます。このことをもっともっと問題視していただきたいと考えます。
僕の拙い文章で、うまく伝わるでしょうか。
博士論文のコピペ、STAP論文の画像切り貼りと転用、マウス取り違え問題。
あまりに未熟でずさんな「研究」が日本トップクラスの組織である理研から出てきたことには驚かされたけど、
それと同じくらい驚いたのは、世論で小保方さんを擁護する声が多いこと。
「小保方さんの功績を奪おうとする勢力がある。小保方さんを守れ!」という根拠ゼロの陰謀論のほうがなぜか支持を集めてしまう。
(ちなみにSTAP細胞の特許は論文発表時にすでに申請済みで横取りはできないとのこと)
現状、STAP細胞の存在を示すデータは確認されておらず、擁護する上司の笹井氏ですら「仮説」としか説明できないものを
「STAP細胞はあります!」と断言するのは「聴力を失った私が作曲しました」と称していた佐村河内氏の虚言にすら近いものがある。
なぜこのようないびつな現象が起きるのか。
見ていて「きっと彼女は正しい」「応援してあげたい」と理屈抜きで思わせるキャラクター。
結局その「味方につける」才能がズバ抜けていたからではないだろうか。
理屈ぬきで自分の「色」に染めてしまう教祖的とも言えるその求心力によって、
人にはそれぞれ「求心力」の大小があるけど、
小保方さんの「人を味方につけて巻き込む」影響力の強さは、
「そう、俺、作者のストーリーが良いから曲聴いてたのにさ、それが嘘だっていうから怒ったんだよ」と言えるなら理屈で動いてる。
「いや、もちろん曲がいいから聞いてたんだよ。曲がいいからだけどさ。でも、あれはさ・・・」となると理屈で動いてない。
「失敗を盛り返したあのストーリーに感動したんだよね。まあ結果だけを見るとメダルなしでどうかと思うけど」と言えるなら理屈で動いてる。
「メダルどうこうが重要なんじゃない。ベストを出し切れるかどうか、それが重要なんだ」とか言い出してしまうと理屈で動いてない。
佐村河内さんの話と真央ちゃんの話は、理屈で切り返してきてるのに、ここだけ駄目だね。
理研は内規違反があったかどうかを調査しているだけで、事実の全体像は調べないでしょ。
そもそも論文が捏造かどうかを、事前に理研がチェックする必要ないよね。
ここも理屈でいくんなら「捏造が疑われるような論文をAcceptする『Nature』って、どんだけ三流学術誌だよ」とか言った方が良いのにね。
作者のストーリーによって売れた話。
てか、プロも分かってない。
そのことが非常に良くわかった事例だろ。
作品を聴いてるんじゃないだよ、「作品を聴いてる自分」に酔ってるお前みたいなのが一番
ストーリーの元、人が良いといったものを良いと信じこみ、それを良いと思える自分かっけーと思って酔ってるだけ。
それを晒されたから皆怒り狂うわけ。
大前提として所詮フィギュアはスポーツじゃない、ってのはあるけど、
ストーリーとして、一度失敗からの盛り返し、ってのが人に分かりやすいだけ。
メディアは単に人に売れる話を作りたいだけなので、そこはそうしたほうが一般ウケしやすかっただけ。
高橋沙羅選手の方は直前まで全く不利な情報もなかったし単に本番で失速しただけなので
挽回の雰囲気もなかったわけで。
単に流れを見てストーリーを作っただけ。誰がどうとか関係ない。
あそこで、後に、高橋沙羅選手は直前の試合で骨折していて。。。とか出てくればまた違うストーリーを挙げて感動させようとしてきただろう。
お前みたいな中途半端なヤツのせいで余計に話がこじれる。
理研の話を素直に聴いておけばいいだけ。
このごろ話題になった幾つかの件で思ったんだけど、人間てやっぱり理屈では動かないよね。
佐村河内さんが「実は耳が聴こえてたのか!」「しかもゴーストライターだったの!」と話題になったけど、そんなのどうでも良いことだよね。
僕らは佐村河内さんの作品を聴いてたんであって、佐村河内さんを聴いてたんじゃない。
作者がどんな人であったって、作品が良ければそれで良くて、作品がよくなかったら聴かない。
だから作者は極悪非道の罪悪人でも構わないと思うんだけど、そこが理屈じゃなくて、大騒ぎしちゃうんだな。
真央ちゃんがソチ五輪で四位になったときに「感動した!」「メダルより意味がある!」って話になったけど、おかしいよね。
それなら高梨沙羅選手がジャンプで四位になったときに「高梨 初代女王逃す」って何で言うんだろう。
僕らは選手としての浅田真央は良く知らないけど、長いことテレビで見てるから真央ちゃんのことは知った気になってるんだよね。
「御近所の真央ちゃんが頑張ったんだからああこう言わないの」「ピカチュウがトリプルアクセル決めたんだから文句言うな!」というレベル。
この話も「いや、そうじゃなくて」とか反論可能だし、それに対する再反論もできるし、理屈では色々と言えるんだけど、結局理屈じゃないんだよね。
悪意があるとかないとか焦点だけど、Natureに載せる論文で基本的なミスを犯してるって研究者としてもう駄目でしょ。
そして「STAP細胞はある!」と明言するけどSTAP細胞を提出できないって。再現性のない実験結果で論文書いたのか?
研究者としてはもう救いようがなくて、あとは「私だけが悪いんじゃないから懲戒解雇するなよ!」ぐらいしか言うことないはず。
でも学位と言われて「ああ学部卒のことね」と思っちゃう人とか、論文発表をしたことない人はさっぱり解らないんだよね。
「若くて、女の人だから、悪の組織 理研に苛められてる!」「小保方さんを応援して助けなきゃ!」となる。
「いや、だから、そうじゃなくて」と言っても無駄で、これも理屈じゃないんだよね。
小保方さんの話だけはちょっと恐いと思うのは、小保方さんが懲戒解雇になったあとで裁判に持ち込まれること。
裁判員制度で裁かれると「小保方さん可哀想」と無罪にしちゃう可能性がある。
記者会見は法廷闘争に向けて有効だったと言われるけど、ホントそうだよね。
次は「論文執筆時点では心神喪失状態であり、責任を負わすことはできない」って主張して精神鑑定要求するんじゃないかと思うな。