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はてなキーワード: 南無妙法蓮華経とは

2021-09-30

ふぁぁぁ気持ちいいよう

南無妙法蓮華経

いつもありがとう

宝物

あなたが一番

大好き

せーの、愛してる

2021-09-29

ふわぁぁぁぁ気持ちいい

いつもありがとう

あなたが一番

宝物

せーのっ!愛してる


南無妙法蓮華経

2021-09-28

ふぁぁぁ気持ちいいよう

いつもありがとう

あなたが大好き

宝物

一番

せーの、愛してる


南無妙法蓮華経

2021-09-27

南無妙法蓮華経を1時間唱えるとトランス状態に入る

ふぁぁぁ気持ちいいよう !!

いつもありがとう

あなたが一番

大好き

宝物

せーの、愛してる

2021-09-24

南無妙法蓮華経を1時間唱えるとトランス状態に入る

ふぁぁぁ気持ちいいよう !!

いつもありがとう

あなたが一番

大好き

宝物

せーの、愛してる

2021-09-22

ふぁぁぁ気持ちいいよう

いつもありがとう

あなたが一番

大好き

宝物

せーの、愛してる


南無妙法蓮華経

2021-09-21

ふぁぁぁ気持ちいいよう

いつもありがとう

あなたが一番

大好き

宝物

せーの、愛してる

南無妙法蓮華経

anond:20210921084218

なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えるの?|創価学会公式 - SOKAnethttps://www.sokanet.jp創価学会公式 › 勤行・唱題

南無妙法蓮華経」とは、端的に言えば、日蓮大聖人覚知された、万人の苦悩を根本から解決する法です。この南無妙法蓮華経は、宇宙生命を貫く「根源の法」です。

ふぁぁぁ気持ちいいよう

いつもありがとう

あなたが一番

大好き

宝物

せーの、愛してる


南無妙法蓮華経

2021-09-17

ふぁぁぁ気持ちいいよう

大好き

あなたが一番

宝物

いつもありがとう

せーの、愛してる

南無妙法蓮華経

2021-09-16

ふぁぁぁ気持ちいいよう

大好き

あなたが一番

宝物

いつもありがとう

せーの、愛してる


南無妙法蓮華経

2020-06-23

私と信仰

深夜に変なスピリチュアル広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。

乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。

これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレート大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。

私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。

そこで思うことがあった。宗教信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分気持ちに整理をつけることができた。

この記事はそんな私の20ちょっと人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。

私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。

からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。

幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関マリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。

ああそう、あとメダイちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会神父だ。園長って呼んでいたけど)から新年度になるたびに名札につけてもらっていた。

そんな幼稚園キリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。

卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。

既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。

当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵インパクトは強烈だった。

洪水翻弄されるノアの方舟モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。

それから数年経って、小学校卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。

西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。

そこでもう一度聖書ストーリー絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。

この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃん勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。

こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。

父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるとき仏壇の前に座ることがある。

お盆お彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。

から私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的日本人宗教なのだけど、困ったことに、私はとある宗教3世にあたる血筋でもある。

名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗

ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。

この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。

から、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏著作が置いてあった。

自身学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。

から3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。

実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。

祖父が亡くなった後、葬儀四十九日法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。

違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族祖母が参加した七回忌の法要だ。

いわゆる法事から自分認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族食事をする」というものだった。事実父方の祖父法事はお坊さんを呼んでいる。

だが、母方の祖父の七回忌法要は様子が違った。

まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。

いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。

「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。

どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員法要読経をするということを知ったのは、さらそれから2年ほど経った頃だ。

ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。

母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。

昔はよく祖母の家にお盆正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。

同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由祖母の家にあった新聞書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。

祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。

別にこの記事批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。

「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。

いま色々な宗教の事を学び、宗教社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉同意したい。

信仰自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。

そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。

母方の祖母我が家の仲はいい。祖母はい一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。

けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。

少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。

大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。

大学の最寄駅前には某証人人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘そもそも来たりした。迷惑から帰れ、と総スルーかましたが。

去年なんか、右翼おっさん一般人に絡んで暴行しかけた事件証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。

彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。

スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。

思ってしまうだけで、それを思いっきネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。

何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。

ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章から、大した感想も求めていないのだ。

ここまで読んでくれた奇特な方には、こんな感じで生活を送ってきた学生が一人居るというのを知ってもらえれば幸いだ。

2020-06-16

anond:20200616112704

今の創価学会はそれだよ。きっつい高齢者はいるにはいるけど、昔みたいなカルト性はもはやない。公明党自民党投票しない人も結構多い。

南無妙法蓮華経なんか唱える必要すらない。会員が自分の子供には勧めない人もかなりいる。そんなんでもしゃーないと思ってる人がいっぱいいるよ。

まー、内部では上層部への不満は鬱積してるけどね。表沙汰になるほどではないけど。

但し、聖教新聞購読だけは必須

2019-07-02

創価学会葬式に出た

少し前の出来事だ。ここ10年くらいの間である

後々調べると友人葬というものだった。

増田の身内なので増田は全儀式に付き合うことになった。

自宅で行われたそれは途中までは基本の葬式の形と同じだと思っていた。

しかし坊さんがこない。増田はああい宗教通夜に出るのは初めてだったので戸惑った。

司会は儀典長というスーツの人がとりしきった。地区ごとに割り振られているらしい。

その人は故人が亡くなった日から通夜葬儀までちょいちょい顔を見せに来ていた。

池田大作電報を持って来たりもしていた。

そのたびに故人の家族お茶を出したりお相手をする。

増田は故人家族とは距離を置いていたので、少し離れたところからその様子を見守った。

故人のことをよく知ら無さそうな人が死んだばかりの顔を見に来る。

故人の兄が、その人から守るように故人の側にずっといた。

増田は故人が学会員ということも知らなかったのだが、どうやら故人は結婚してしばらくたってから嫁家に学会員にさせられたらしい。

熱心なのは嫁ということになる。家の中には池田の本がずらりとそろっている。本屋に売っているようなものでは無いぞ。広辞苑みたいにな分厚さだ。

そんな嫁主催通夜の始まった。

どこぞの誰か分からない人たちが家の中に押し寄せる。

流れは普通葬儀と同じだが、儀典長おっさん)が坊さんがすることをする。

勿論お坊さんと比べればお粗末なものである正座で足がしびれていたくらいだ。

しかし始まってから、決定的に違うことが起きる。儀典長のお経読みが始まってすぐのことだ。

「なんみょーほーれんげーきょー!なんみょーほーれんげーきょー!!」

地響きがするように大きな声でほぼ全員が読経しはじめたのだ。しかも暗唱だ。

10分くらいだと思うのだが1時間くらいにも思えたその時間増田パニックだった。

増田の周りに宇宙人が居る気がした。知っている親戚たちじゃなかった。

増田は、彼らのことを何も知らなかった。

思えば父親に守られて遠ざけられていたのだろう。

どちらかといえば無神論者増田は、故人の写真を見つめながら「どうしてこうなったんだ故人」と語りかけた。

勿論返事は返ってこない。気付けば泣いていた。怖さよりも、悲しさが優っていた。

儀典長正座でしびれた足をほぐして立ち上がり、池田大作の生死論を語る。

そして贈られていた盾の話と、「創価学会名誉本部長」の称号を与えることを伝えてきた。

なんだそれは。わからない。理解したくない。

ぐったり疲れたのだが、ここでさっきまで居た親戚たちのパートナーが式自体に参列していないことに気付いた。

逃げたのだ。それは正しい選択だった。しかしきっと自分たちも故人のようにされてしまうかもしれない。

今は逃げていても、もし死ぬと分かった時、彼、彼女たちは果たして学会から逃げることができるのだろうか…。

まぁ…そこでなぜあの一家が揃いも揃って離婚再婚を繰り返しているのか納得いったのだが…。

翌日行われた葬儀もほぼ同じメンツだった。違うのは南無妙法蓮華経を暗唱する子供たちが居たくらいか

相変わらず弔問に来る人たちは故人を知っているわけではない。

それもそのはずだ。故人が弱っていくときに無理やり嫁が引っ越したのだ。

故人が生まれ過ごした場所では無かったのだ。

地元なら、どれだけ多くの人が来てくれたのだろうと言う話を後々した。可哀想でたまらなかった。

さな家では足りなかっただろう。大きな会場を借りて、みんなが知っている人で、惜しまれてもらうことができたのではないか

良い人だったから。口をそろえて言う。優しい人だったと。

増田も故人が好きだった。好きだったけど、もう故人の事が分からない。

故人は死ぬ前にお金を故人の両親から持ち逃げしていたようだ。

どこにお金が行ったのかと考えたが、お金お金とうるさかった嫁が絡んでいるとしか思えない。とすると、そのお金はどこへ消えたのか…?

考えるだけで頭が痛い。

入った墓は、生まれ住んだ土地でも死した土地でも無い。縁もゆかりもない遠く離れた学会員が入る専用の墓地だ。

2018-12-28

anond:20181228050553

創価学会については私もいろいろ思うところはありますが……

創価学会に入らないと本当の神道はわからない」

創価学会神道だというのは初めて聞きました。

全体的に、なんとな~く、創作香りがいたします。

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