はてなキーワード: 卑下とは
一次創作小説を書いている。ジャンルは説明しづらいが、主にファンタジーとGL。たまに文フリなどに出す。部数は30くらいではけたりはけなかったり、弱小サークルであると言って差し支えないと思う。カクヨムなどに上げてもアクセス数は50程度。それでもたまには感想をもらったり、ファンですみたいな人が現れたりする。ありがたいことである。
ありがたいことなのは分かっている。
しかし、感想というものの居心地の悪さ、あれはなんなのだろう。「素晴らしい文章で涙が出てしまいました、どうやったらこんなふうに書けるんですか?はあ……語彙力……」みたいな感想をもらうと、なんというか、たじろぐ。そんなに感動してくれてありがとうございます、でもこれそんなに感動するようなやつでしょうか?
アマチュアで文章を書いているひとを全員上手い順に並べることができたとして、先頭からかなり遠いのは自分でよく分かっている。かつ、一番後ろの方ですよと卑下できるほどプライドが低いわけでもない。その上で、上手くなくても良い作品というのはあるから、そういうふうに思ってもらえてるんだろう……と考えはするのだけど、その頭での理解と感想への戸惑いは別で、「え、こんなに下手なのに?」「なんでプロじゃなくて私の文章を読むんだろう?」と思ってしまう。もっと精神の調子が悪い時には「ろくな文章読んでないから私くらいで感動できるんじゃねえの?」まで行ってしまう。創作をしてる人からの感想で、しかもその創作が自分の好みじゃないと、「尊い……語彙力……とか言ってないでちゃんとやれば?」とか「この程度の人に褒められても嬉しくないな……」とか、全く口に出せない感じになる。
全部の感想にそう思うわけじゃなくて、自分でもよく書けたなと思ったところを褒められれば嬉しいし、自分より上手い人に褒められるとやる気が出る。「この人はちゃんと読んでくれてるな」とわかる相手から的確な批判を受けると燃える。アクセス数は何度も見に行ってしまう。褒められたくないわけじゃなくて、相手を選んでるのだ。ばかだな。
ツイッターの女性文章書き界隈みたいなところでは「文字書きは感想もらえると泣いて喜んで創作意欲めっちゃ湧くからみんな軽率に感想書いてこ!!」というような話がときどきバズる。それを見るたびに情けなくなる。なんで私は素直に喜べないんだろう。あまつさえ読者を馬鹿にするようなことまで考えちゃうんだろう。私も泣いて喜んでやる気を出して次を書くみたいなことしたかった。
オチはありません。
恋人なし友達なしってことはコミュニケーションが苦手ってことだろ?そうでなくとも自己卑下が強く自尊心もなさそうだ。そんなんで結婚して楽しいのか俺は疑問だよ。妻ってオナラもするし文句も言うし、常にコミュニケーションを要求してくるんだぞ。ゴミ出しから何まで人と共同生活したら強制的にそうなっちまう。
子供できたらなおさらだよ。人生の優先順位が自分から子供に奪われてしまうんやで。どんなに腹が減って眠くてイライラしてても子供のためにない力を振り絞んなきゃいけない。そういう責任がつきまとうんじゃ。子供はまた競争社会に巻き込まれや塾だの受験だの就活だのやっていかなきゃいけない。子供に海外留学したいと言われたらどう断る?うちには金がないんだ。競争に破れた弱者男性がまたそんな世界に飛び込みたいのか?
「縛られる」というほどこんな動きのないコンテンツだけ追いかけてるオタクなんているのか
初期からエヴァを追ってきたおっさんだっていろいろなコンテンツに手を出しつつ新情報があればまたエヴァに戻るなどしてここまで来てるんじゃないのか
そもそもオタクのいう(庵野からの)「エヴァから卒業しろ」というメッセージだってオタクの過剰に自分を卑下した受け取り方であって、監督の本来意図するものではないんじゃないか
むしろ「いつまでもエヴァに縋り付いてるこどおじw」みたいなこと言ってる人が一番痛々しいなと
いつも思ってる
未来は変えられる、頭の固い親に立ち向かえ!
君たちの想いは力になる!
これを超える物を作り出すのは君たちだ!
子供とか訳わかんないよね!
そんなこんなでよく頑張ってきたと思うよ!
これからも頑張ってね
子育てって大変なんだよ! まあ、おまえらはもう手遅れだがな。
なのに何故、おまえは今独りなんだ?何かと戦って勝ち得てきたのか?
そうか、もう手遅れだな。。俺は好きにした、お前も好きにしろ。
-------
スーツを着たオッサンが、長過ぎて寝てしまった横の子供に上着を掛け直してるのが見えたんだ。
そうか、あれが真っ当な人生なのか・・と堪えるモノがあったんだ。
私はおそらく、“上の下”くらいの人間だ。
大抵の事柄は上手くできる。
素人に混じれば超人扱いの特技もある。過去の模試の成績などを参照するなら、世間一般的に頭は良い方だろう。
親に褒められたり、再会した友人に凄いと言われたり、ネット上で反応をもらえたりすることも少なくない。それは純粋にうれしい。
ただ少し問題がある。
私が育った環境は、いわゆる“上の上”に位置する人間で溢れかえった環境だった。
学校にせよ、習い事にせよ、同じクラスには全国レベルがいる。私が知らないだけで、隣のクラスには世界レベルすらいたんじゃないかとも思う。
天才と一括りに言ってしまうと努力している人に申し訳ない気がするが、いわゆるそういう天性の何かを持ったような人たちが集まる空間で育ってきた。
その環境に文句はない。(ないならこんなの書くなって話だが)むしろ感謝している。実際それでたくさんの素晴らしい友人を持つことができたのは事実だ。
そんな人たちと確かに同じ空間で学んで育ったけれど、私は天才ではなかったし、あとから天才になることもできなかった。
学校で劣等感を覚えることはなかったと言えば嘘になる。嘘にしかならない。毎日感じていた。全くわからない長文を瞬時に理解できる友人、簡単に数式を立ててのける友人、簡単に筆者の意図を読み解ける友人。私よりできる人しかいないような空間で、ひどい点数を取り続ける。
親は私が落ち込んでいるとよく「あの学校でこのくらいなら十分だ」と言っていた。
たとえば中学の同期に会うと、「あんな学校に行くなんて」「すごいね」という言葉が飛んでくる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。
私は下手に負けず嫌いなくせに、自己肯定感が低いとてつもなく面倒なタイプの人間だ。
そんな私があの環境で育てば自然と「私は全然凄くない」というお気持ちがでてくる。
それでも世間は私を凄いと言う。
実際私が自分の学歴を「ぜんぜんです」と否定したら、冗談抜きで相手にキレられるだろう。私としても申し訳なくて言えない。本当に素晴らしい学校だったから。
だとしても、私は自分を素直に誇れない。誉め言葉を受け取れない。
すごいと言われたことのあるものは全部私よりできる人が周りにいた。誉め言葉を受けとっても脳内に浮かび上がるのはその友人の顔だ。
以前までは即座に謙遜していた。
「そんなことない」「私なんてぜんぜん」「私よか凄い人いっぱいいるし」
本心なのは間違いなかった。その謙遜が相手に失礼だったと最近やっと理解できたレベルで私は愚か者なのだから。ただ理解してしまったから、今は解決法が見つかるまで曖昧に流すようにしているが。
もう一度言うが、環境や友人に不満はない。一切ない。あるわけがない。恵まれていることも分かってる。贅沢な悩みなんだろうとも思う。
でも私は馬鹿だから、誉め言葉を素直に受け取るためにはその分野で実際に頂点に立つしかないんだと思い込んでしまう。
私は“すごい”のか?
仮に“すごい”としても、“もっとすごい”人が隣にいるから、称えるのは私じゃなくてそっちだよ。
ちなみに友人を妬んでるつもりは一切ないのだが……この性格なので否定はできない。
ただその人はいつも努力していたし、その絶対量は私より確実に上だ。だから当然のことだと考えているつもり。
ここまで書いておいてなんだが、私は自分が何を言いたいのかすらよくわかっていない。
ただ気持ちを吐き出したいだけなんだろうが、言葉をまとめることすらできないような凡人以下の存在だ。
でも私が自分を卑下すると相手に失礼な態度をとっていることになる。
小心者なので、自分がミスを犯したときの予防線も欲しいから余計傲慢になれない。
なんでこんなくだらないことで悩んでしまうのか。原因は私の言葉の受け取り方だとわかっているのに、自力で治せないあたりやっぱり私はダメな人間だ。
完璧超人にでもなりたいのか?と聞かれそうだが、なれるんならなった方がいいと思う。
なれないとわかっているのにこう考えてしまうところも愚かだと思う。
上には上がいる。そんなの当たり前だ。本当の頂点に立つ人がそう身近にいるはずないこともわかってる。実際私が天才だと思っている人もトップレベルなんだろうが、きっとトップではないのだろう。そう思うと本当に虚しくなってくる。そう思う自分が虚しい。
最初から最後までひどすぎる文章だったが、もし対処法知ってる人がいて、教えてくれる親切な人がいるなら聞きたいからここに投下しておく。