なんと言い表そうか
しかし答えはないし、解かないと進めない、参考書ならいくらでも見ていい、誰かに聞いてもいい、そんな状態
1日ハマるのはまだいい、酒でも飲めば忘れる
2日ハマるとスケジュールに影響が出はじめて、焦りを覚える
3日ハマると「詰み」という結末が脳裏をかすめる
4日ハマるともはやギブアップ、解決できる人を周りやWebに求め始める、でもそういうパターンは大体解決しないというのを経験的に知っている
5日ハマると、一周して一からキチンと見直そうという気になってくる
貼ってやるよ。しかたねーな。
http://anond.hatelabo.jp/20161215215835
http://anond.hatelabo.jp/20161215220928
YESだよ。
一度も否定してねーだろーがよ。
前回、民法の偉い先生が、自身のキリスト教信仰と民法研究は無関係であると言った講演について書きました(http://anond.hatelabo.jp/20161127222341)。
が、どうもこれが頭に引っかかってしまって思考が進まなくなってしまったので、とりあえず混乱したまま吐き出すことにします。
「〔私にとってキリスト教信仰と民法研究とは〕全く関係ありません。キリスト教は私の人間としての生き方の指針。民法学は私が民法の研究者として、民法上の諸問題を一解釈学者として精一杯明らかにしようと務めているだけのことです。両者はその存在次元を異にしていますから、直接関わることはありません。」
「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」(コリント前書6-7)
「人を裁くな」(ルカ伝6-37)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ伝14-6)
一方で「民法研究とキリスト教は無関係である」と言い、他方で「キリストを通らなければ真理はない」と言われると、つまるところ法律学の研究には真理はないということになるのでは?というのが今の疑問。
ぜんぜん関係も文脈も違う2つの命題を繋げて何を言っているんだ、という感じなんですが、これ実感として「そうかもしれない・・・」と思えてしまうのが不安を持つ原因。
どういうことかというと、民法はちょっとややこしい(資本主義の影響が~とかになりそう)ので刑法を例にとると、刑法の事案を処理する際、法律家は(事実認定を除くと)大体以下のような作業をします。
(1) 事案をよく見る。
(2) 適用条文を探す。
(3) 条文の要件を切り出し、解釈を通じてさらに具体化する。
(4) 過去の判例・裁判例から重要と思しき事実をピックアップしてマトリクスを作る。
(5) マトリクスを作る過程で過去の裁判所の判断を分けた重要な事実が炙り出される。
(6) 本件に戻ってその重要な事実の有無・相違を確かめる(自然と結論も出る)。
(7) 上手くいかなければ(1)に戻る。
ただこの作業、やってる最中は真理というものを全く意識しません。
(1)~(7)の作業が担っている機能は、よく考えてみると過去の判例・裁判例の結論と平仄を合わせるものでしかありません。
また、こうして出された結論が「国民の常識」にかなっていることが多いと評価されることが多いのですが、よく考えてみるとそこでいう「国民」のほとんどは無神論者で資本主義者です。また「常識」にかなっていたから何だ、という話もあります。
他方、(8)の作業はいかにも真理っぽい作業なのですが、①②③の原則というのも、治安悪化の程度や警察の捜査能力などによってその要請の強度が変わってきます。
たとえば警察に捜査能力がぜんぜんない国で、責任主義を徹底し、故意の認定を厳格にするよう求めても、土台無理な話でしょう。
他にも、イスラエルのようにテロが頻発する国で予防拘禁を止めろというのもなかなか難しい話だと思います。
真理というものが普遍的なものだと仮定するなら、やはりここでも真理というものは現れないように思えるのです。
そしてさらにこういう作業を綿密に経たところで、刑務所の中で受刑者が思うことの多くは安部譲二『塀の中の懲りない面々』や堀江貴文『刑務所わず。』で描かれてるようなことでしょう。
そうなると上の作業には、やはり真理はないと思われるのです。せいぜい国の治安維持政策としての意味しかないのではないか、と思われてならない。
1円パチンコとか儲からないパチ屋にも毎日のように通う人はいるし、
老人ホームにあるようなゲームパチンコになっても、パチンコ依存者は通っちゃうだろう
それだけパチンコ台は中毒性あるようにゲーム性がよく練られているし、パチンコホールも休憩所の居心地をよくしたりして繰り返しの来店を促す作りになってる
今ものすごく弱っていて、誰かと話をしたいのに。こういう時に話をできる友人が僕には1人もいない。ちょっと死にそうになっていて、誰かと自分が今何をしたいのか何をしなきゃいけないのかそういうのを話したい。
いや違う、そういうのではなくてただただ楽しい話をして元気を出したいんだけれども、僕にはそういう話ができる友人がいない。まるでいない。楽しいことがわからない、誰かと共有できる楽しいこと。創作が好きだったけど、今は創作自身が苦痛で、物語が好きだったけれども、今は物語のことを考えたくない。
美味しいものを食べに行くと言うことも楽しみではない。友人と共通の友人の話をしたりして、どうでもいい話をして人は自分のしんどいことやそういうことをごまかしたりするんだろうけれども、そもそも友人がいないので僕には共通の友人と友人の話をするということができない。
毎日を生きる上で、やらなければならないことがたくさんあって、家族の上で、家族が嫌うので、そーゆー人間関係を、全部断ち切ってきた。そのツケがいままわってきてるんだけれども、その時は家にどういう選択肢があったのかわからない。生きているのはもうそれだけでしんどい、誰かに助けて欲しいと思うけれども、助けてくれる誰かいない。
いのちの電話に電話してみたけれどもずっと話し中でつながらなくて、あーこういうものって全く役に立たないなぁって思った。
何もすることができない。体中からエネルギーが抜けてしまって、頭の中で、これから作るもののイメージやディティールが、全く像を結ばない。昔はできたのに。
昔はできていたことがどんどんできなくなる。年をとっていると言うこともあるんだけれども、やりたいことや欲しいものを我慢して我慢するのも疲れるので、心の中からそういう願望そのものを削り取って、何も感じなくなるようにしてやりすごした結果こんな感じになってしまった。
人が何かを作るときや行動するとき、新しいことを始める時、それ以外でも何かはがんばる時に必要な事は欲望だと思う、それはそのやらなければならない事とつながってなくてもいい。何か欲しいものやりたいもの、そういうのがあるからこそ人は頑張れるんだと思う。
昔は、やりたいことが、あったはずなのに、今はもう、思い出せない。パソコンの奥にいくつかメモがある。やりたいことの企画やしたい事のリストにもならない残滓。でもそれを見ても、今の自分には、それが一体何なのか、理解できなくなっている。
疲れた。本当に疲れた。本当に休みたい。休みたいけれども、やらないとならないことがたくさんあって、休むことができない。休むことができないけれども、そのやらなければならないことが、力が全然入ってこなくて、やることができない。
生きるのがただ辛い。ずっと辛い。この10年間ずっと辛い。朝起きたら偶然死んでないか、そういうことを望んでいる。死ぬと困る人がたくさんいて、死ぬこともできない。でも生きるためのよすがが全くどこにもない。
欲しかったものが思い出せない、何かのために頑張りたいけど、その何かがどこにもない。誰かに〇〇のために頑張れと言われて、それは世間一般的にとても正しいことなので、本当に自分のしたかった、多分、世間一般的に見て、正しくない歪んでいる事、誰かを傷つけること、そういうことを、自分の中から追い出していた結果、いつの間にか、空っぽになってしまった。
偽物の願望は、やっぱり偽物で、頑張れば頑張るほど、どんどん虚しくなっていく、疲労だけがたまる。折れそう。
10年間患った鬱は結局直らなかった。双極性障害、つまり躁鬱病の二次障害としてのうつ病で、また、もともと発達障害の部分があり、つまり生きるのが辛い、普通に生きてても、社会との軋轢がすごいあって、ただただ削れる。
ただ、小さい頃からそんなふうにずっと削れていたので、そんなふうに削れて辛いのは当たり前のことだと思ってた。辛いのにもうきついのにも慣れていた。
も慣れるのと、体が耐えられると言うのは全く別のことで、大人になって会社に勤めだして数年が経った時に、倒れて動けなくなってしまった。
ずっと生きるのがきつくて、もう、高校生ぐらいから、ずっと朝起きたら死んでいたらいいのにと思っていた。だから倒れてこのまま死んでしまいてたらそれでいいと思っていたけれども、当時恋人がいて、恋人が悲しむし、家族も悲しむので、死ぬわけにはいかなくて、なんとかすごくきついの耐えて頑張ってる、そろそろ限界だけど。
それから結婚して、子供ができた。子供作った理由は、子供がいれば、自分が死んでも死んでいなくなっても残った人間は、自分のかわりに子供を糧にして、生きていけるだろうと思った。とりあえず自分がいなくなっても何とか持っていけるようにしたかった。自分がなくなって大丈夫な状態を作りたかった。
結局失敗して、子供の分、さらに生きて行かなきゃならなくなったし、お金も育児をしている分だけ働ける時間が少なくなって、厳しくなった。働きたいけれども働けなくなった。本当はお金を貯めて自分がいなくなる分の先の分をなんとかしたかったけれどもどんどんどうにもならなくなっていく。
借金を返すために働けば働くほどなぜか借金が増えていく、吉原の風俗嬢みたい。または昔の遊女とか。
働きたくても、働く時間が作れない。いくらか仕事の企画やアイディアしたいこともあったけれども、そーゆー部分にさく、時間や精神的なメモリの余裕がなくて、できないタスクに、ずっとメモリの1部を使い続けているわけにはいかなくて、自分のしたかったことを削ったみたいに、そのアイディアやそれを必要とするための脳の機能、考え方、その他必要なアプリみたいなものも一緒に削ってしまった。そうしないと育児ができなかったから。
自分のような、アスペルガー気質、いや、アスペルガーの人間にもいろいろいるから、これは自分自身だけの問題で、自分には育児が、本当に大変だった。能力的にものすごく厳しかった。連続して長い間ひとつのことに集中せずに、いろんなことをマルチタスクで集中してみると言う事はものすごく疲弊する。子供を育てると言う事は、ものすごくマルチタスクの能力と判断力を要求される。睡眠時間を取らないとものすごく判断力が鈍るけれども、子供は夜中に起きるので全く寝ることができない。予定を組んでも必ず子供が風邪をひいたり急な病気になったりとして絶対に予定通りにはいかないんだけれども、自分の特性として予定通りに物事が運ばないとものすごくダメになる。その後計画していた予定すべてをする気力をうしなってしまう。気合でどうにかできるものではないと言うことをこの10年で思い知った。
若いうちは若さとかエネルギーとかそういうので無理矢理自分の気質を捻じ曲げていたのだけれども、結局それによって削れてしまって倒れてしまって、それからはもう、本当に無理が効かないようになってしまった。
ただ育児は無理をしないとどうしようもない。もっと自分を削って行かないといけない、自分の欲求や自分を形成している1番大事な部分、そういう部分のタスクを削って育児に、割いて行かないといけない。もともと他人との生活が難しくて、人と暮らすと言うことで削れていっていた分がますますひどくなった。
死にたいって思ってるずっと。それが無理ならせめて1人になりたい。
自分のこういうような性質。何かをするエネルギーが外から持って来れなくて、限界を超えたときに、そうやって自分自身を削れば何とかなると言う性質、マルチタスクができなくて、すごく集中すれば人と会話をしたり子供と楽しく生したりはできるけれども、それがものすごく体力を使うことだということが妻にもわかってもらえてなくて。
少し前のテレビ番組であったらしいんだけれども、発達障害のピアニストの人が、生徒に教えるとき、いつもはのだめカンタービレの主人公のようにふわふわとしているのが、ものすごくしっかりとした、音楽の先生のようになって教えていたと言う。ただ30分が限界でその後はばったりと倒れこんでしまうと言う。
自分も同じで、無理をすればできる。無理をしないとできない。その2択なのに、できる範囲でとか、困る。後で倒れるならやめてと言われてもどうしても倒れてしまう。それ以上頑張ろうと思ったら、自分の精神自体を、削っていくしかない、削ったら何とかなる。だから何とかしてる。そういうことをずっと小さい頃からやってきて、でもそろそろ本当に限界みたいだ。
多分これを読んでいる人は、これが一体何を書いているのかほとんどわからないと思うけど、何か生きづらい人がたくさんいるはてなだったら、何人か分かってもらえると思う。
もう無理がきかなくなってきていて、大体1年位前からで、頭が何かを考えることができない。手癖のようなもので、仕事をしているけれども、どんどん質が下がっていく。今作っているものはとても商品になるものではないと思ってる。でもそのクオリティを上げることができない。ディティールが想像できない。
がんばらないといけないんだけど、気力だけではどうにもならない位の力がなくなってしまっていて、気力自身も振り絞るのが難しい。
失敗した、僕は失敗した。僕が失敗した。
こういう子にどうやって手を出したらいいのか判らないんだよな……
どうせどうせ来なくなるんでしょうねえぇ、そんならもう今死んじゃったら最高ねーみたいな歌、とても好きだったんだよね高校生の頃。格好いいじゃない。
けど少し大きくなってから調べたら超いっぱいこども作ってんのよね儀同三司母。定子とかお兄ちゃんたちとか、7人だってよ?
というのが今はめちゃくそ好き。刹那的で賢くて自分のこと可愛がると同時に粗末に出来るような女の子が、どうせっつってた男との間に子供たくさん産んでどーんと正室やってんのかあと思うとなんだか嬉しいような勿体無いような、良かったねえみたいな複雑な涙が出る。
ひどいw そらショックだわw
ターャジス
はぁ。
じゃあその前の「パチンコマネーがコリアンに流れてる」という俺の主張は、貴方も認める、と。
それはオッケーでいいのね?
うーん、お前のいう「ネトウヨ」ってなんだろうな。
ここにいる連中も、最初は送金そのものを否定しようとして、結局金額の問題になったり、マルハンそのものが送ってたかどうかの些細な問題に終始したり。
いや、コリアンへ、パチンコマネーが流れてるのは、もう疑いようがない事実じゃない。この場でも結局、こいつらはそれを認めるしか無かったの。
で。
そのあたり前の事、何かわからん圧力をきちんと正したら、それがネトウヨっていうなら、ネトウヨってなんだろうな。俺にとってはこのワケのわからん圧力かけてくる連中の暴れっぷりのほうが哀れな何かにしか見えないわ。
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トゥワ ヴィアンザヴェクムワ エーパントゥワアモンブラ
オーウィヴィアン ヴィアンプレドムワ ジュヌコネリアンドトゥワ
ニトンノンニラ ジュクテュアエプゥルタン テュヌルグレテラパカルジュドヌ
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メスィテュヴィアン ヴィアンザヴェクムワ ジュセキリオゥラ
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トゥワ ヴィアンザヴェクムワ ジェトロブゾワンドトゥワ
ジェタンダムゥルア トドネレセムワ レセムワ トセレコントルムワ
ウィヴィアンザヴェクムワ エヌムキトパ ジュタタンドピュイタンダネ